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2014年9月30日火曜日

起因と起源⁉

  ここの所、販売について書くことが多かったのですが、それは販売する人達に理解をしてもらって、より良く、永く業界が続いて欲しいからこそ、何故、今があるのかを知ってほしいからです。

 例えば展示会ですが、こう考えてください。ある時に海外から珍しいという事でテニスのラケットを輸入し、販売をしようと試みましたが、なかなか売れません。たまたま買っていた人たちはインテリアとしての物だったのです。よく考えたらテニスコートなるものがなかったのです。そこでテニスコートを用意したところ多くの人が興味を持ち、テニスをするためにラケットを手に入れる場所を用意してほしいと要望が出たのです。それが宝飾品の展示会の始まりなのです。

 つまり、テニスコートを用意したからこそ、更にラケットが売れたのです。現在の宝飾品の展示会はラケットは売っているけどテニスコートがない、更に販売をしている人々に熟練者が少ないという現状です。勿論、今は当時と違いますので壁打ちや、ネットを挟む程度のポンポンをする機会はありますのでイコールとは言いませんが、せめて使い方(ジュエリーの場合、身に付け方)を伝授するだけの知識は必要なのではないでしょうか。プロとしての・・・。

 今回の香港のショーを見て、大粒のファンシーカットのものが多くみられました。これらの状況は今までは見られないような現象でした。これは前述の例えを引用するならばその需要が強まってきたことを表しているような気がします。そして、明らかに供給側の姿勢が変わってきました。

 投資の市場が一段落をし、つぎの段階に入ったような気がします。1ctサイズのラウンドに関しては相変わらず、価格が弱めで推移しています。またポインターサイズ(1ct以下)のものに関しても、値動きが大きくなってきており、これらはダイヤモンドの基本的な価格の推移というよりも経済状況、つまりマーケット事情が影響しているものと思われます。

 何事においても起因というものがあります。そして起源があります。以前、書きましたがビジネスを行う上で変化しなければならないものと、不変でなければならないものがあります。それは起因があり、起源がある故に道筋は変えてはいけないのです。勿論、道案内は時代に合わせて変えていかなければ理解をしてもらえません。

 解りにくくなったかもしれませんが、ルームランナーの上で幾ら走っても目的には着かないという事です。走るという行為は本来健康の為ではないのです。

 もっと解りにくくなったかもしれません。

2014年9月29日月曜日

感じている事⁉

  先週末、ご来店のお客様が
『こちらのお店は、最初入りにくいお店だと思っていたんですけど、何回か来店していると色々な方をご紹介していただいたり、食べるとこを案内してもらったりで便利というか居心地の良さを感じますよね。』と当方の印象を述べられていました。

 今から35年ほど前にになります。米国に在住中にビバリーヒルズのロデオドライブにあるとある宝飾店に在職をしておりました。このお店にはビバリーヒルズの住人はもとより、世界中の人々が訪れておりました。(特にお金を持っている人々ですが)

 日々の売り上げの中でも数億円の物が売れるようなお店でしたから、それなりの顧客がいたわけです。

 ある日の休日、このお店のオーナーの家を訪問をすることになり、ビバリーヒルズの中でも特に高級なエリアであるベルエアにあるオーナーの家を訪ねると、勿論広い敷地の中に平屋ではあるけれど屋根の高い白亜の邸宅がカリフォルニアの青い空に映えるパームツリーの間に建っていました。

 家の内部はご想像に任せるとして、訪問を終え、その家を去る時にオーナーが通りまで20~30メートルはあろうかというアプローチを歩きながら送ってくれた時に、隣人のご婦人を見つけられ、声をかけておりました。

 『やぁ~。この間はどうもありがとう』

 『こちらこそ、貴方のジュエリーはいつも満足をしているわ。』
ご婦人は明るく声を返してくれました。

 『私のとっておきの品物を譲って上げたからね。』
と何か、上目線な感じ・・。

 オーナーは私に小声で
『先日、彼女は5カラットのルビー買ったんだよ。』
と囁きました。

私がふざけ半分に
『手近にお客さんがいて良いね』
といったところ

『KAZも、もし宝石を続けるのならお客様と同じかそれ以上の経済力かパーソナリティーを持つ努力をするべきだよ』
と諭された。その言葉はいやらしくも聞こえず、宝石商の真理を捉えたような言葉と場面でありました。

 それからは実質ダイヤモンドのディーラーという職種が長かったので、暫し、忘れかけた言葉でしたが、小売りに接するようになりつくづくとオーナーの言葉が思い出されるようになりました。

 勿論、未だにお客様ほどの資金は持っておりませんが、お客様が海外に行かれる時にお勧めのレストランを訊きにわざわざ来店されたり、お子さんの留学の相談をされたりと、仕事で海外に行く際に現地での知り合いを紹介したりといった面が、確かにビジネスをする上でプラスになっているなという事を感じます。

 基本的には情報や新たな場面を紹介してくれる場所に消費者は集まってくるし、価値を感じる物であったり、自分よりお金があったり、物を教えてくれるような人々を見くびることはないであろうし、
宝飾品を売るうえで消費者に見くびられるほど商品価値を下げることはないという事が、かのオーナーの言わんとしている事だと感じる訳です。

 例えば、習い事のお師匠さんが勧めてくれるものに対して『幾らにしてくれますか?』とか『安くしてください』とはなかなかいえません。つまり、自分よりある種、上にいると認識している人間に対してはなかなか失礼な態度はとれないのです。

 何かにつけて『幾らにしてくれるの?』とか『安くしなさいよ?』と言われることの多い販売員はやはりその辺を意識する必要があるのでしょう。

 当店の多くのお客様は品物に対して
『譲っていただけますか?』
という言葉をお使いになります。そこにはお客様の品だったり、教養を感じざるを得ません。

 決して当方に教養があるとか、高飛車に出ているというわけではありません。真摯にダイヤモンドを知ってもらう努力をし、お客様が興味を持たれるようなことにアンテナを張る努力をしているだけであり、更に、せめてお客様が見て貧弱に見えないような服装や周りを作る努力をしているつもりです。

 お客様は非日常の一段上の場所で物を購入する事を楽しみたいのです。お客様のレベルを上げるのも、下げるのも販売側の鏡であることを感じざるを得ない昨今です。

2014年9月26日金曜日

違和感⁉

 昨日、ご来店のお客様からなるほどなぁ・・というお話しを頂きました。

 数日前にとある展示会にお声が掛かって出かけてきたそうですが、そこでのエピソードでした。
『髙木さん、なぜに皆はあンな黒服ばかりを着ている販売員さんが多いんですか?何か違和感があって私的にはそんなセンスの人から買いたいとは思わないんだけれど・・。』

 確かに最近、私自身が展示会に参加をさせてもらっていますが、不思議だなあとは思っていました。勿論主催者の指示だったり,派遣をしている会社の指示だったりするのでしょうが。

 多分にその歴史を知らない人が多くなったのだとは思います。以前は黒服が始まった経緯は『マネキン』が前提だったのです。つまり、本来は販売をする人間ではなく、販売助手をするためにマネキン変わりに、ジュエリーを身に付けてご覧にいれたり、付け方を示す時に黒服を着てマネキンの個性を出さないようにするための物だったのです。

 いつの日かセールスのプロがいなくなり、彼女たちにそのお鉢が回ってきたために販売員として参加をしているにも拘らず黒服を身に付けるようになったのでしょう。

 本来はお客様が言われる通りに、売り手がジュエリーの付け方をコーディネートするのが販売手法の一つですから、自らのセンスを見せることが大きく影響するはずです。勿論、ブティック店では当たり前のことですが・・。

 もう一つ仰っていたのがスカルのジュエリーです。
『あんなドクロのジュエリーをどんな場面で付けろというのか、販売員のセンスが疑われるわ。センス的には田舎のヤンキーの車のムートン的センスよね。』

 毒舌は続いたのですが、確かに私も疑問ではありました。本来は呪術師の呪のための飾りとされていたという一説もあるものですから本来のジュエリーとしては似つかわしくないという事もあります。

 本来は反社会的精神の象徴として1960年代にはアメリカのイージー・ライダーと言われる人たちのバイクのマークだったり、1980年代から90年代の黒人のラッパーだったり、アメリカ西海岸のポップなアクセサリーデザイナーが反社会をテーマに多用したことが始まりなのですが、いずれにしても言葉を借りれば都会的なセンスとは真逆の方向にあることは事実です。

 確かに、前回の続きになりますが、業界も変化をしなければなりません。売り手がセンスを磨き、ジュエリーを選び、商品であったとしても身に付けてお客さんをコーディネートするだけのものは必要とさせています。

 お客さまだってセンスがない人から勧められて買いたくはないでしょうし、身に付け方や場面が想像できれば買いやすくなるであろうことは十分理解が出来ます。そうすれば『どこでこんなものをするんだ』というものを勧めることもなくなるだろうし、お客様が他のお店に行って恥をかくこともなくのだろうと思います。

 思い切って黒服を辞めてセンスでマヌカン(販売員)を務めてみませんか?

 因みにこのお客様は著名なクリエーターで、美意識に対してはメジャーな方ですので、耳を傾けても良いのではと思います。

2014年9月25日木曜日

変化⁉

 ダイヤモンドの世界において数々の変化を見てきたつもりでいます。40年ほど前この世界へ入った時にはシンジケートがダイヤモンドの85%のシェアを誇り、価格はシンジケートがコントロールをしていると教えられ、真にそのとおりでした。

 だから価格は下がるはずがないとも教えられてきました。しかし、それは間違いでした。

 それが今では25%前後のシェアを占める程度です。何故にそのようなことが起きてきたのかというと台頭してきた新参を抑えることが出来なくなったという事ですが、実際には多くの闇に包まれていた部分が公になり、信用を失ってきたという事でしょうか。

 ダイヤモンドの絶対的な部分があってもコントロールやシステムが時代に合わなくなると過去のものになっていかざるを得ないのです。

 人は自らの周りから人が去っていくことには気が付きにくいもので、自分が原因だとは思わない事が多いのです。

 多くの場合うまくいっていた時代の延長から変化を出来ず、周りが変わってきている事や自らに魅力や信頼がなくなっている事に気が付かないことが多いような気がします。

 宝飾業界においても、集客が悪くなってきている事を時代や環境のせいにする傾向にあるのですが、多くの場合は信頼や魅力に欠けてきていることが多いのです。売り方や扱っているものがマンネリ化し、販売方法もいつもと変わらずという事になればお客様は何も言わずに去っていきます。
 

 勿論、変わらないことが大事なものもあります。

 時代に合わせて変わることは難しくはありません。一番難しい変化は不変を扱う変化です。
・・・というのは消費者に合わせるつもりで変化をしていると思っていると本質である商品、不変でなければならない物、そのものを劣悪化させたり、都合の良い物だけを取り扱ったりという事になりがちです。

 
 つまり、扱っているその物の本質を変えずに売り方や表現方法に変化を与えていくという対処が必要なのです。

 シンジケートもダイヤモンドという不変なものを扱う事に驕り、自らの変化に対応をしていなかったと考えます。最近姿を消した多くの企業が同じ間違いを犯しているような気がします。

 話しが難しくなりましたが、現状維持という慎重さは他人から見ればただの『ウドの大木』です。変化は常に必要で進化をしていく上で必要なことではあります。結果だけを見て売り上げが下がったとか集客が落ちたという事は簡単です。しかし、自らを振り返るだけの度量は思っていたいものです。

 自らの周りを見渡し、もし人が減っているようであると感じるのであれば、変化をする必要があるのです。これは人に媚びるという意味ではありません。人生を困難にしないという意味です。

 『人生が困難なのではなく、困難にしているの自分自身なのです。』

2014年9月20日土曜日

経験から⁉

 出張疲れも出てボーっとしていると電話が鳴り、古くからの友人からで近況のそれなりに報告しあい、暫しの間が空くと
『そういえば髙木さん以前、仕事に思う事という内容で文章にいてくれたことがありましたけど、あれってまだありますかね?』

 そういえば以前彼の会社の顧問をしていた時に書き示したことがあり、まだPCの中に有ったので
『ありますよ。』
と答えると、それを使わせてもらえないかという事でした。

 私も自らを振り返る意味で再度書き出してみました。内容的には

1.仕事は権利の前に義務がある。しかし、人生は義務の前に権利があるように誤解し 
 やすい。

2.ビジネスの成功はそれぞれの業種の本質の延長線上にある。本質を忘れたビジネスは
  成功することは無い。

3.上司の部下に対する査定よりも部下の上司に対する査定は会社にとってより重たい。

4.販売の原点は少しの見返りの伴った奉仕であり、多くの見返りが前提の奉仕は詐欺と
  隣合わせである。

5.人間には環境により価値の変わる人間と変わらない人間がいるが、本当に価値ある人
  間は環境を変えることができる。

6.人を信じることに優れている人は鈍感力を持ち合わせている。

7.義務は出来ることの最低限、努力は出来ることの最大限、無理は出来ないことの最低 
  限、無茶は出来ないことの無限大。しかし、出来ることは人それぞれである

8.やさしさとは時には非情で、厳しさとは時には情がある。多くの場合、表面上はこの
  逆に見える。

9.川はいずれ海に流れ出る(正しければ結果は出てくる)

10.チャンスは蓄えられない。
 
という内容の事でしたが、もし何かの役に立つようなことでもあれば、頭の片隅にでも置いておいてください。
 
 
 

 

王道⁉

 香港から帰り、改めて感じたことがあります。展示会場は香港島の本会場と空港に近い別会場とになっていたのですが、以前は別会場にはアクセサリーぽい物やよくデザイナー物と称してシルバーと半貴石の組み合わせで1万から2,3万円のジュエリーといった、本筋から離れたものを扱っている会場でしたから人影も少なく、見てもしょうがないかなという程度でした。

 今回、別会場ではダイヤモンドや貴石類の裸石等が中心であったせいもあり、かなりの賑わいでした。下手をすると本会場の一部よりも人が多い感じでした。

 香港では会場だけではなく、市内のブランド店や宝飾店を見ることも多いのですが、それらの宝飾店の共通しているところは宝石をメインにしたジュエリーが多いという事です。一方、展示会場では大方がデザイン優先でどういう風に使うの?・・と思うような物やいかにも売れ筋を狙っているといった、いわゆる魅力に欠けるようなものが多く、私自身も別会場の方が迫力もあり、見ごたえがある別会場に時間を費やしました。

 王道としての宝石が中心のものがやはり見ごたえがあり、本会場でもグランドホールに飾られたものは、やはり目を見張るものがありました。特にトータル200ctsを超えるダイヤモンドネックレスは見ていて飽きない物でした。もちろんお金を出せばという事になりますが、決してそういう意味ではなく、王道としての宝飾品はやはりあります。

 街中にもそれほどの高額ではなく、ダイヤモンドが中心の宝飾品は多々ありました。これらを王道としたときに、それ以外のジュエリーが生きるのだなという感じがしました。つまり、王道があって、はじめて売り方や価格の付け方に疑問が残るような物であっても売れるのだなという感じです。

 もし、王道がなければそれらの商法はなり立たないという事ではないかとも思います。価値のある物があり、それらに真似たものが初めて商圏を得るのだという事ですね。ジュエリーの語源の一つにジョーカーという言葉があります。正しく、人々の心をもてあそぶという意味ですが、其れだけでは成り立たないものでもあります。

 本物がいて、はじめて物まね芸人が成り立つという仕組みと似ているような気がします。物まねとしての芸を究めると芸術となりますが、その域まで行っていない芸はただのまやかしです。

 まやかしかどうかは消費者の判断ですが、その判断を鈍らせるような販売術も良くはないですが、王道の販売技術を身に付けることはやはり基本となることだなぁ…とつくづく考えました。

 スポーツ選手は才能もそうですが基本的には体力です。基本のないものはいずれ終焉を迎えることになります。

 今後も王道を進む気持ちを持ってビジネスを行えればなあ・・と思った香港出張でした。

2014年9月15日月曜日

本物⁉

 昨日見ていたTV番組でこのような話がありました。
さる音響メーカーに勤めている開発者が難聴の人のためのスピーカーを作りたいといったところ会社の答えは『ノー‼』という事になり、彼は難聴の祖母との会話がうまくいかなかった経験を持ち、是非難聴の人のためのスピーカーを作りたかったそうです。

 難聴の人には大きな音というよりクリアな音を届けることが大事だそうで、人の声や自然の音は難聴の人には雑音が入って聞こえているそうで、ザーザーという音と一緒に聞こえているそうです。

 彼は会社を辞め、協力者を捜し、ついに完成をさせるのですが、実際の使用者には如何にも機械的なスピーカーという感じで敬遠をされたそうです。彼は工夫をしてスピーカーのフォルムを変えオシャレなインテリアのような形にし、皆さんに受け入れてもらったそうです。

 実際の使用者である高齢のご婦人が初めてお孫さんと電話とそのスピーカーを通じ、会話しつつ
『お前の声はこんな声をしていたんだね』

という会話をしているところをVTRで見ている開発者が一言

『求められている物を求めている人に提供する、それが本物という事なんですね。』

この言葉は私の心を打ちました。

 私たちの販売する者は具体的に使用するような実用品ではありません。故に、お客様が本当に美しいと思い、手に入れたいと思うものでなくてはなりません。そして、それを手に入れやすく努力することが大事なのでしょう。

 例えば私であれば、力のある美しく、誰もが欲しいと思うようなダイヤモンドを手に入れやすい環境と価格で提供する事を事前に努力し、求めてもらえるようなダイヤモンドを用意することです。
 そして、販売する人間はそれを手に入れやすいようにお手伝いをするというような姿勢と気持ちが必要なのでしょう。

 求めても、興味も持っていないような商品を価値より高く見せ、価格を下げて販売する方法はあるのかもしれない。確かに事前にディスカウント率を提示し、それ以上は値引きをしないという商法も実用品等ではあるかもしれないし、それはそれで最初からその価格だと思っていれば良いでしょう。

 しかし、本物の意味を考えると価格ではないので、二重プライス、三重プライスで販売する必要はないのです。その方法をとるとしたら何らかのまやかしが意図にあると思われても仕方のないことです。

 勿論、何時も言う事ですが値引き自体を否定しているわけではありません。過度な演出や過度の値引きは一つ間違うと求めている人を裏切ることになります。それは求めている物と錯覚をさせて販売する事になるからです。

 以前にも書きましたが販売する者は購入者に対する忠誠心を持たなければなりません。もし、持つことが出来ないのであれば、それは求められている人ではないという事になります。

 決して難しい事ではないのです。
『求められる物を、求めている人に提供するのです』

まやかした本物らしきものはいずれしっぺ返しが来ます。
販売する者はそれを見極める必要があるのです。
毒入り餃子は販売をしてからでは遅すぎるのです。

 宝飾品が本物かどうかは扱っている者のモラルにより決まります。そして、そのモラルの高さが宝飾品の価値なのです。

 人を幸せにできるかどうかで宝飾品の価値は決まります。

 顧客との間は信頼関係が前提にあります。そして、信頼という感情の一番近くにあるのが裏切りという感情であることも心に留めておく必要があるでしょう。

2014年9月13日土曜日

ワインとともに⁉

昨日は、輸入したてのダイヤモンドとイスラエルワインによるちょっとした会をご贔屓様をご招待し行いました。

 今回はハートシェイプが中心である事と、価格的にも、イスラエルの状況が良くないせいで各国からのバイヤーも少なく為替が今の状況にもかかわらず、それをカバーできるような買い付けを出来たおかげで、結構なご売約を頂きました。

 いつになくアルコールも入ったせいか3時からの催しだったにもかかわらず、最終8時過ぎまでいらっしゃったお客様もおり、楽しい集いとなりました。

 なかなかルースだけで並んでいるお店もほとんどないせいか、皆さんがダイヤモンドの裸石を掌に載せて楽しんでいる様子は見ているこちらの方も(ホッコリ)した気分になりました。(お酒のせいかも知れません)

 スタッフも多少のアルコールが入り、会話も滑らかになりダイヤモンド以外の御注文もいただいているようでした。なんせ、楽しい週末の夕べとなり、お客様がお持ち寄りになったスナック等もあっという間になくなりました。

 内見会としてお得意様を前提にしてご招待をしましたが、来週からは私は香港に出張ですがお店では引き続きダイヤモンドのルース(裸石)を展示しております。

September, 11 ⁉ その2

 その年の12月に入ると米国はじめカリブ海の取引先より大至急品物を送ってくれとの注文が相次ぎどうしたのかと思っているとカリブ海の島にある宝石店のオーナーから連絡があり、年末年始のカリブ海クルーズのキャンセルが相次いでいたのだが、12月に入り再予約が殺到しており、その対処だという事でした。

 このオーナーの話によると9月に起きた事件の概要と犠牲者がはっきりしてきたので保険金が相当額市場に出回ってきたという事で、実際にNYの宝石店もいつになく、クリスマスセールが前倒しでやってきたような感じだと他の取引先も複雑な思いで述べておりました。

 購入理由は亡くなった人々への思い出として宝石を求めるという事ではありましたが、まっとうに考えるとモーニングジュエリー(追悼の為の宝飾品)としては間違った考え方ではないのです。
 

 在りし日の人への思いとして忘れないために永遠のシンボルでもある宝石は西洋的には間違った考え方だとは思いません。前提としては宝石となりますので、単なるデザイン物のジュエリーだったり、宝石素材以外のものはあまり使われません。

 宝石以外の素材は瞬間的なものが多く、実際には価値のある物は殆どありませんし、耐久性という意味でもあまり優れているとは言えません。作家や職人が死んだとしてもそのまま葬り去られるものになるので向いているとも言えません。

 勿論、宝石はある意味その人の事を自分自身や子孫が憶えていてくれるようにという趣旨もある物なので、耐久性や大事にされる価値のある物でなければ意味がないのです。

 つまり、普通であればあまり詮索の意味のない事なのですが、保険金が絡んでくるとやはりちょっと考えてしまいます。

 実際に東日本大震災後に関しても、その後東北地方では宝石が相当数売れたという事を聞いております。人間という生き物の性とでもいえるのでしょうけれど、少し考えさせられてしまいます。
 

 勿論、色々なことが起きるので現金を持っていてもしょうがないという意識からそちらの方向へ意識がいった人々も多くいます。

 しかし、宝石の話は別にしても冷戦が終わり、テロの時代に入り、はたまた、新たな冷戦がはじまろうとしている現代は混迷の時代を迎えるのでしょうか?

 だとしたら、宝石も新たな時代を迎える可能性があるのではないでしょうか。

 いずれにしても、ウクライナ、ISIS(イスラム国)、イスラエルと様々な形での変化は第二の
SEPT,11thを迎えなければ良いなという懸念を持たされる状況であることは間違いがありません。

2014年9月12日金曜日

September,11⁉

 本日は米国の9月11日、あの忌まわしい事件の13回目の年を迎えます。

 日本時間の9月11日には北海道から東京に向かう為に札幌市街から千歳空港に向かう段取りでしたが、未明からのカミナリや豪雨で市内は大騒ぎ、JRも止まり、バスかタクシーという状況の中、バスは満杯ののためにタクシーを選択し、千歳空港へ向かいましたが、フライトは遅延状態で二時間遅れで東京へ向かう事になりました。

 しかし、NYのその時は米国出張へ向かう為に準備をしつつ、友人たちと寿司をつまんでいた時にTVを通して目に飛び込んできました。最初はハリウッドか何かのプロモーションか何かと思っていましたが、それが現実にそこで起こっている事を、暫しは理解できずにおりました。

 2,3日は渡米禁止という事もあり、1週間後のマンハッタンに立った時には、その異様さを肌で感じることになりました。世界一を誇った貿易センタービルの場所には1ブロック先よりは進めないようになっておりましたが、色々な事を感じさせるだけの異臭が立ち止っている場所まで匂っておりました。

 ふと気が付くと黄色い立ち入り禁止のベルトが張られたところにあった小さな公園に小さな男の子を連れた母親らしき婦人が座り込んでいました。声を掛けこの匂いは子供に良くないのではと言うと
『二人で彼の父親を待っているの』
と目に涙を浮かべ、私に答えました。

 
 この事だけではなく、それから数ブロック離れた消防署には沢山の犠牲になった消防隊員の写真とともに
『あなた方は私たちのヒーロー‼』
『あなたたちの生還を待っています』
といったスローガンが掲げられていました。

 また、そこから数キロ離れたユニオンステーションには何百名といった写真が張られ、待ち人と人探しといったコーナーを埋め尽くしておりました。

 それから間もなくして米国の取引先から夏にもらったオーダーのキャンセルが相次いだ事を鮮明に覚えています。驚いたのはそれからです。

 12月に入ると緊急再注文が相次ぎ、てんやわんやな大騒ぎになるのです。

 何が起こったのか次回に詳しく述べていと思います。
 

2014年9月6日土曜日

取引所にて⁉

 今回の出張でのことですが、多くの若いブローカーたちはダイヤモンドのオーナー達から、ただ品物を預かり持って歩いている者が多く見受けられた件で、現代の日本を含めた先進国の若者たちの労働に対する安易さを感じざるを得ませんでした。

 ダイヤモンドの場合世界中で使用されているプライスリストがあり、これに合わせてGIAなりEGLなりHRDといった数か所のグレーディング・ラボのレポートを持って歩き、GIAのレポート付であればプレイスリストの何%下で、またEGLであれば、それより下の何十%ディスカウントで幾らという風にいつものごとく鑑定機関によってグレードの違いがあることを前提に価格付けをしており、あとは買い手が判断をしてくれといった感じです。

 途中で数人のブローカーを集めて二個の2CTSのペア・シェイプをグレードを伏せて並べ、どちらが綺麗かを選ばせてみたところ、見事に全員がFカラーVS1クラスのものではなくHカラーSIクラスの石を選びました。

 勿論、なにもマジックは使っていません。特にと言って良いのですがファンシー・シェイプに関してはグレーディングレポートでは出てこない形やテリの好みにより印象がかなり変わります。仮にDカラーのIFであったとしてもダイヤモンドが透けていては決して綺麗に見えません。

 何故、そのようなことをしたかというと彼らはレポートの中に入ったダイヤモンドをただこちらに見せるだけですから時間的な無駄がものすごく多い訳です。つまり、私の好みは最初に示しているのだから何でもかんでも見せないで、ちゃんとダイヤモンドを見て、こちらが好みそうなものを見せなさいという意味と同時に、ただそこにダイヤモンドを持ってきて品物を置いて駄弁っているだけの楽なことをするなという意味でのことです。

 前回にも書きましたが、ダイヤモンドをもっと見なさいと古株のブローカーが言っても、言う事を聞きませんが、買い手が言うと意外と聞くものです。楽して儲かる訳がないというのは老年のユダヤ人がよく言う事です。どこに努力をするかという事に関しては日本人と少し違うかもしれませんが楽をするなという事に関しては一致しているようです。

 しかし、日本からの若いバイヤーたちもどちらかというとあと何パーセント下げろとか、パーセンテージの攻防でダイヤモンドを見て、このダイヤモンドであれば幾らくらいが妥当かどうかとかこの内包物の位置であれば、この値段が妥当であろうとか買値や売値の妥当性の攻防がほとんど見られなくなってきました。

 私は基本的にレポート付のものは見ないので必然的に研磨上がりの早い段階のものをみて、オーナーも原石に研磨代と利益を乗せ、価格の交渉に臨みます。勿論。オーナーたちが沢山の利益をとれるもの取れないものは当然ある訳で、その中での買値のオファーをするのがプロの仕事だと思っています。

 なにぶん現代はどの国問わずマニュアル商売が横行していますが、自然のものであるダイヤモンドにそれを当てはめることは少し無理があるのだと考えています。日本においても鑑定機関や時期、人によって違うグレードを使い販売のマニュアル化をしたことで、どれくらい販売レベルが落ちたかわかりません。

 ファーストフードのような売り方が当たり前のように思っている販売員もまだまだ沢山います。下手をするとそこまでもいっていない販売員もいます。経験を埋めるものはプロとしての意識だけです、沢山のものをみて経験を積み、それを表現できる力を付けることです。

 若いブローカーや他のダイヤモンドや宝石を扱っている人たちに問いたいです。

『あなたたちは本当に扱っているものが好きですか?』

 

2014年9月4日木曜日

帰途に着く!?

 9日間の出張を終え、帰途に着くためにイスラエルのベングリオン空港にいます。ラウンジでのんびりしていると知人のアメリカ人と遭遇し、声をかけられ振り向くとニコニコと毎回会うごとに向けてくれる満面の笑顔でこちらを見ていました。

 『今回は特別なものは買えたのかい?』
と彼・・。

 『特別かどうかわからないけどフィッシュ・カットを買ったよ』
と私が言うと

『フィッシュ?』

『そう、フィッシュ。』

 彼は両手のひらを合わせて、クネクネさせて魚が泳ぐ表現をしながら
 『フィッシュ?』
 と再び尋ねてきました。

『そっ、食べられないけどね。』

『へ~、それは珍しいね。』

と、たわいのない会話をしながら、彼が帰るニューヨークの話になり、景気は良くないけど大きなサイズのものは売れているよということでした。

 今回磨り上がったばかりのPink Diamondを見たよと話をすると
『どのマニファクチュアだったか教えてくれないかな。多分それならすぐに売れると思うんだけれど』と彼が聞いてきたので、

『でもこれから、GIAのラボに送るといっていたのでイスラエルに戻ることはないと思うよ。それに名前を言っていいかどうか確認をしてから出ないとね』

と私が言うと残念そうに両手を広げて肩をすくめておりました。

  イタリアから始まり、今回の出張は色々な意味で収穫のある有意義なものでした。そんなこともあり、旧知のアメリカ人との話も弾み、今月の香港ショウでの再開を誓い、彼は足早にニューヨーク行きのゲートに向かっていきました。

 今回も買い付けたものを皆さんに見てもらう楽しみを胸にしながら、あと1時間後に迫った出発時間を利用してこれを書いています。

買付を終えて!?

 本日、買い付けを終えて買付を終えて素直に思ったことは、プロフェッショナルが少なくなったことです。信じられないかもしれませんが、前回にも書きましたが若いダイヤモンドブローカーが増えてダイヤモンドのことを教えながら買付けけをしなければならないことです。

 多くのダイヤモンドブローカーはダイヤモンドとプライスリストを持ち、そこから何パーセントオフだということを伝えるだけです。以前はそんなものはありませんからそのままの価格を伝え25ドル単位での攻防でしたが、現在は持たされたディスカウント率とダイヤモンドを持って歩くだけですから小学生でもできる商売をしています。

 つまりはダイヤモンドの何たるかを知りませんから、何でこんなに大きなディスカウントなのに買わないのかと反対に詰め寄ってくる始末です。大きなディスカウンとをできるということはコストに対して高い価格が付いているということですから、そんなアホに付き合っているわけにはいきません。

 彼らも犠牲者ではありますが、同じグレードが出ていてディスカウント率が違うことの意味を解っていないということですから、何でこのビジネスをやっているのか理解に苦しみます。

 ちょっと言い方がきつ過ぎましたが、高い価格が付いて大きなディスカウントができるということはもともと不誠実な価格が付いているということですからそのことを不思議に思うのは常識人だと思います。

 ダイヤモンドを買う相手もプロなわけですから、適正価格の応酬にになる交渉ですが、現在はバイヤーも素人が多いので付いているグレードを見て、ディスカウント率の攻防をしています。これは川上だけではなく、川下でも起きていることなので、こんな見え透いたことをお客さんが理解していないと思っていること自体があきれ返ります。

 今回の買付ではグレード付きのダイヤモンドを持ってくる人間も多かったのですが、さる鑑定機関のものは最初から2グレードは違っていることが前提になっていますのでディスカウント率が高くなっています。そんなものには付き合っている暇はないので、最初から見ないよと伝えておいたのですが、懲りない連中はそれでも持ってきます。

 彼らはリストからのディスカウウント率を言うのですが、ダイヤモンドはもともと物次第ですから、とって付けている価格はなんの役にもたってはいないわけですから、ついつい大きな声を出してしまいます。

 小生はディスカウント率はどうでも良いので自身が思う正当価格を言うのですが価格を答えることができないので話にもなりません。

 勿論、プロフェッショナルなブローカーも沢山いるのですが、彼らも扱ってはいるのですが何故意味のない値引きを前提とした価格が付いているのか意味がわからないと同じよう意見を持っています。

 基本的にはコストに研磨代や利益が乗っている価格が正当かどうかを交渉し合っているのですが、ブローカーがその意味をわかっていませんからどうにもなりません。同じ価格が付いていてディスカウント率が違うことを不思議に思わないということはどうにもなりません。

 古い私と同世代のプロたちは同じ事を嘆いています。つまりはダイヤモンドに価値があるので素人でもできる仕事であることが問題だというわけです。ディスカウントはプロには何も役に立たない、ただ時間の無駄になることを嘆いているわけです。

 今回は特にファンシーシェイプをメインに買付をしていますのでまったくといっていいほど理解をできていないので、数字のゲームだけに打ち込んでいるブローカーたちについつい『もし、ダイヤモンドの仕事を続けたいのならもっとダイヤモンド見なさいと』小言になってしまうわけです。

 今日の今日なので愚痴ばかりになってしまいますがディスカウントが前提の価格には何の意味を成さないということが理解できる程度の頭にはなってもらわないと、ダイヤモンドだけではなくすべての宝石の価値が損なわれる恐れがあります。

 もし将来的に宝石のビジネスがなくなるとしたら、これらの人々がはびこる状態がなくならない状態が続くためということになるでしょう。

 誰でもできる仕事だからこそ知識が必要で、それは扱っている人間が低レベルであっても価値あるものの次元が高いからこそできることであることを知り、さらに価値を高めるために努力をしてほしいのです。

 子供でもわかる理屈を説明しなければならない業界は、消費者から見れば怪しげなものに見えないほうがおかしいのですが、それも理解ができていないような状況では将来を憂いてしまいます。

 買付はが簡単ではなかったことが色々と気に入らなかったことの原因でもあるのでしょうが、せめてそのことで生活をしているという認識を持ってほしいと思うのは、まだまだ若いのか年のせいなのか自身ではわからない所です。

 価値あるものであれば数字遊びでその価値を損なってほしくはないし、その価値を説明するという簡単なことを取得するだけでディカウントなどは何の意味もなさないことを理解してほしいと思いますし、なによりプロフェッショナルの意識を持ってほしいと思うわけです。

 ダイヤモンドを含めた宝石というものは減点していくものではなく、加点をしていくものであることをぜひ理解してほしいと思うわけです。減点の要素を作り出しているのは扱っている人間であって、その人間のレベルによってディスカウントが行われるわけです。

つまり、扱っている人間のレベルとディスカウント率は比例をするという事にもなるわけですからプライドを持ってほしいと願うだけなのです。

 愚痴ばかりですみません。
 

 

2014年9月2日火曜日

ダイヤモンド取引所!?

 イスラエルに入って3日目になりますが、今回はファンシーカットのみを目的としていますので、理想の形だけを探すのはとても難しいことはわかっていますがたのしい事もあります。

 本日、出会ったのは磨り上がったばかりのピンクダイヤモンドです。形も理想的で目立った内包物もなく、ピンクのすっきりとしたものです。重さは8,9ctsでこれからGIA等のラボへ送り、色の構成を確認した後に価格が付きますので、価格はまだない状態です。

 おおよそではありますが5億円前後のオファーが付くのではないかと思います。(実物の方が写真より綺麗です)

 取引所自体の中には余りバイヤーが入ってはこないので正確にはわかりませんが情勢もあるので、あまり海外からのバイヤーは来ていないようです。本日もおよそ1500ピースほどを検品しましたが決まったのはわずかに2ピースだけです。

 特に難しいというわけではありませんが、ブローカーの多くは若者が多くなってきたのでダイヤモンドのことが詳しくわかっておりませんので時間も掛かります。彼らに教えながらのバイイングですので長くやっていると大変んな事もありますが、取引所は本日も盛況でした。

イスラエルにて(1)

 昨日イスラエルに入りましたが、表面上は平穏ですが、飛行機がいつもとは違う方向から着陸をしたことは、やはりただ事ではないなと感じました。つまり、いつもなら地中海から向かう滑走路に一度進路を変え着陸態勢に入ったことはガザ地区から離れた方向からの進入ということですのでロケット弾を意識したことからだろうと想像の範囲でした。

 一方、取引所では本来、本日から始まるはずだったダイヤモンド国際会議の気配もなく、いつもの朝を迎えている雰囲気でしたが、各国からのバイヤーの姿もなく、私を見つけて旧知の人々が挨拶に来て,話し込む余裕のある一日でした。

 いつになく順調な滑り出しで、事前の予想通りに0.5ct~0.7ctのところが強く、1ctsサイズにおいての若干弱めの値動きのように感じました。

 いつもより休み明けの割には物が出てきたということはやはり買い付けの人々が少ないのではないかと思われます。最近の傾向として利益を前提とした石目重視のカットから少しでも動きのあるメイクにしていこうという動きがあるのでどれもそこそこカットもしていました。

 四角形のカットは日本だけではなく世界中で人気がないので少なく、次の手段を狙ったクッションかとが多く目立ち、日本ではまだまだ定着をしていないのですが、世界的にはクッションカットが出てきているのを感じます。

 本日の買い付け時間はおよそ10時間で検品の量はそれほど多くなく、およそ1,000ピースほどだったと思います。特に今回は私のトレードマークでもあるハートシェイプを中心にマーキースやペアシェウプの2ctsから3ctsを見たのですが、自分のテーストというよりお客様が見て瞬間的に魅力を感じるものを探すとなるとやはり難しいものです。

 価格はやはり大粒になればなるほど強く、10ctsや20ctsも見たのですがおよそ手の出るような品物ではありませんでした。ただ、1ct~2ctsのハートシェイプに関しては皆さんが手の出る範囲のものを選べたと思いますが、それぞれの好みもありますで、さて如何でしょうという感じです。

 ただ、夏休み明けでバイヤーも少ないときているので、今がチャンスかなと思い予算より余分に買っていこうと思っています。今回は消費者の顔で見えている人もいるので、あの方にはこれをとか、このダイヤモンドはあの人にいいのではと思いながらオファーをしています。

これも小売に近い部分でビジネスをさせていただいているメリットかなと思いましすし、お客様にもメリットがあることではないだろうかと考えています。いずれにしても明朝からは、取引所への手続きも終わっているので早めに入れるのでもっとたくさんを見れるのではないかと期待をしています。

2014年9月1日月曜日

ダイヤモンドの選択!?

 本日、イスラエルに入って明日から買い付けになるわけですが、いつもながら思うのですが
〔今回は大丈夫かな?〕ということです。

 以前は発注を受けたものや、ある一定の供給を確保するためにそれこそ4Cの確認をしていればよかったのですが、現在は品質の問題ではなく、『印象』つまりはライフがあるかどうかとか見る人への印象を考えますので、なかなか出会いません。小売をするようになり特に思いを強くしています。

 勿論、品質だけであればダイヤモンド取引所ですからいくらでもありますが、ほしいものはお金があれば手に入るものではないのです。

 以前、上司は部下を選べても、部下は上司を選べないので上司はそのことを頭に入れておくべきであると書いた記憶があります。しかし、優秀な部下は会社を選べるということを書き忘れていたような気がします。

 本当に実力のある人間は環境が関係ありませんので自分で会社を選ぶことができます。何故このようなことを書いたかといいますと、ダイヤモンドも同じで本当に価値のあるダイヤモンドはお金があっても買えあるわけではありません。

 それは品質とは関係なく、人がほしいと印象を与えるダイヤモンドはそうざらにはないのです。つまり、ダイヤモンドが選択をするわけではありませんがきっかけや運、そしてタイミングだといつも感じています。

 前回も本当にほしいと思ったすばらしいダイヤモンドがシップメントが終わった後にすり上がった為に手に入れることができなかったということがありました。

 人にしても、本当に魅力的なダイヤモンドにしても必ずしも有利な立場が必ずしも選択をできないということを肝に銘じ、人間やダイヤモンドとの出会いという機会を大事にし、結果に対してもう少し謙虚になる必要があるとつくづく感じさせられます。

 本当に能力や価値のあるものは選択されるのではなく選択をするのだということを理解できる人間かどうかが本来は真を問われるのです。皆と同じ選択をしていては成功という結果に結びつかないのではないでしょうか。