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2014年12月31日水曜日

似非(えせ)????

 今年はSTAP細胞やら偽盲目作曲家やらなにやら怪しい地方議員やらとすべてを一緒くたにはできないけれど似非っぽさが記憶に残る一年であったような気がします。

 『似非』とは平安時代から使われている似てはいるが・・・とか、実態にそぐわない物とか状態を指す言葉ですが今年は正にこの言葉があってはまる一年だったと感じます。

 政治にしても社会の様相にしてもバーチャルといえば耳あたりは良いのですが、いわゆる実体のない物や状態がデジタルが進むことにより一層に拍車をかけているような気がします。過去の進化は、バクテリアが動物になってきたように自然による進化であったわけですが、現在の進化は人間によるもので、それについていく人とついていけない人に分かれてきます。

 自然が創り出した事実を受け入れる事やそれをいじらないことが本来の進化であり、本物なのではないだろうかと感じる訳です。人間の都合により行う進化は最小限で人類の生活に貢献出来得るかどうかがポイントなのではないでしょうか。

 
勿論今の進化を全面否定するつもりはありませんが、過ぎたるは及ばざるがごとしではありませんが、現在のSNS]にしてもゲームにしても人間の生活に必須であるのかどうか?逆にそれが中毒として必須になっている麻薬のような気がするのは私だけでしょうか?

 似非は麻薬のように常態化するとそれが必須になっていくことが恐ろしいのです。つまり、麻薬でもなんでもそうですが楽であり逃避である訳で、そこにどんな理由を付けようと結果的には生産性もなければ、実体もなくなり究極、廃人化していくような気がします。

 宝飾業界においても似非は蔓延っています。今年もいくつかの祭事に参加をさせてもらい、更にプロの方達へのセミナーを開かせて頂いて感じたことは、明らかに間違った販売方法をとっていても既に常態化しており、それを変える事が現実的ではないと思い込んでいる点です。

 お客様を見くびっている訳ではないのです。多くの宝石を商っている中堅どころは宝飾業の何なのかを分からずに、バブルの終わった後に入って来て、後始末のような苦肉の策で行っていたその場しのぎの販売を行ってきたところに入り、それが楽な方法なので常態化をしたところで身につけてきた知識経験なのです。

 現在多くなされているディスカウント商法は先人たちが作り上げてきた価値を切り刻むことにより出ている結果だという事に気が付く人々は少ないのです。自然の創り出した価値を磨き上げながら創り出してきた付加価値を再度構築することが出来なければ、切り刻むことの出来る価値自体がなくなってしまう訳です。

 宝飾業というものは自然の価値をさらに磨き付加価値を付ける作業を行う事で消費者の欲求を呼び起こす仕事です。腹の減った猛獣の前に餌を出せばすぐに食いつきます。しかし、お腹の一杯になった猛獣の前にはいつも食べさせられている物をおいても食べてはくれません。

 もう腹いっぱいの状態を作り上げてしまった(うんざりする様なディスカウント商法)状態では、いくらまやかしてみても食欲は起きません。もう一度、めったに食べる事がない興味を持つような盛り付けが必要なのではないでしょうか。

 過去には沢山の安売り店が潰れていきました。しかし、本物を守っている老舗は数百年と続いています。数百年を超えたビジネスをわざわざ潰す序章を続ける必要はありません。

 楽な道はいずれ楽をした体力では越せないいばらの道に行き会います。すでに出来上がっている道の上をさらに歩きやすくする様に尽力する方が明らかに現実です。似非で永代はあり得ないのです。

2014年12月26日金曜日

御用納め⁉

 本日、27日は多くの官公庁や事務方や工場関係の会社は御用納めです。無論、小売業や一部の特殊な業種のところは明日だったり、30日までというところもあるでしょう。大晦日もあるかもしれません。

 40年ほど前、まだ土曜日も半ドンの頃の話ですが、土曜のその日が丁度御用納めにあたり、私が勤務をしていた会社もその日が御用納めという事で仕事後御餅つきをやろうという話で盛り上がりました。

 当日、先輩の一人が千葉の大農家の息子という事もあり、臼と杵ともち米を蒸かすための鍋などをトラックで持ち込み、私自身も先輩から四斗の樽酒を用意しておくように言われ手配をしておりました。

 問題が起きたのは其れからです。実は届けが総務部にも上司にも行われておらず。その日は初売り商品の発送のために仕事が終わらない状況にありました。そこへ樽酒が届き、私自身が見つかってはまずいと思い、応接間に取りあえず、おいておきました。

 また、もち米の方も蒸す準備もあり、宝石部がいち早く仕事が終わったという事もあり、裏側の駐車場で準備にかかっておりました。しかし、間が悪い事に年末の挨拶に来た取引先を専務が応接室に案内をし、ドアを開けてビックリした専務は『なんだこれは誰の仕業だ?』というになって持ち込んでいた姿を目撃した人間が私が持ち込んでいた事を報告したわけです。

 私を探すようにと言われた、総務部の人間が餅つきの準備をしていた私を見つけて、
『専務が探しているよ。何をやっているのここで?』

『餅つきの準備です。』

『それはまずいんじゃあない?』

傍らで聞いていた宝石部の先輩が『とりあえず専務のところに行って納めて来い』という事で、何とか理由を言って、怒られはしましたが無事コモ樽をを奪還し、餅つき現場に持ち込みました。

 しかし、総務部の人間から話を聞いた総務部長が来て
『宝石部の皆さんこれは社長に見つかったらまずいので早々に片付けてください。』
と言いに来たのですが、一人の宝石部の主任が
『直ぐにやめますから、部長も樽酒を一杯いかがですか?』
と勧めると、決して嫌いではなかったその部長が
『そうですか。それでは形だけと・・。』
といってマス酒を受け取り飲み干してしまったのです。呆気にとられる私の横をそそくさと引上げ、しばらくすると先程来た総務部のスタッフが現れました。
『早めに止めてもらうように部長から言われてきました』とやってきたのです。
しかし、宝石部の餌食になったこのスタッフは諸先輩から勧められるままにやはりマス酒を飲み干してしまったのです。

 ここからがさらに悲劇です。1時間半ほどすると総務部長が慌ててやてきて
『皆さん直ぐに撤去をしてください』と真っ赤な顔をして怒っています。
話しを聞くと先程のスタッフが酔ったままそのまま帰宅の途につき、その途中の品川駅で泥酔の上失禁をして保護をされているという事でした。まして会社の名札を付けていたためにすぐに品川駅から連絡があったそうです。

 しかし、その頃には全社に知られる状況にあり、その後宝石部員が始末書を提出したことは想像がつくと思います。勿論、ここでは書けないことも同時に起きていたこの年の御用納めの日の事は生涯忘れる事はないでしょう。

 平和な日本であった高度成長期のとある会社の一場面ですが、この会社の宝石部は勢いがあったことは事実ですが特殊であったことは否めません。

2014年12月25日木曜日

クリスマス事情⁉

 昨日みえられたお客様の話です。もともとの当方のお客様の娘さんなのですが、以前から当店の事は知ってはいたけれど入る勇気がなかったのだそうで、今回はお母さまもよくみえていると聞いたので来店をしてみたという事です。

 商品を物色中に電話をどこかになさっていたのですが、電話が終わると
『この商品が良いと思って、主人に電話をしたらそんなので良いのかと言われました。』
と振り返りながらこちらに笑顔を見せると

 『本当はこちらの高い方も良いなと思っていたのですが、ちょっと価格が張るので手が出ないなと思っていたんです。』との事

 私が
 『それではお母さまにはいつもご贔屓にして頂いていますので、私の方も少しばかりのお手伝いをさせて頂きます。』

 『えっ‼本当ですかうれしいです。』
と満面の笑顔をこちらに向けていました。
『あまり大きなお値引きはできませんが・・・。』
と言ってお値段を提示すると
『もう一度主人に聞いてみます。』
と再度の電話・・・。

 『ありがとう』
と御主人に答えながらこちらを振り向き
『それではそれをお願いします。』

 お話を伺うと、6歳の息子さんがサンタさんをまだ信じていて、クリスマス・イブの夜には皆のプレゼントを居間のクリスマスツリーの下に置いてくという事を続けているのだそうです。しかし、だんだんと息子さんが自分のプレゼントしかないと不思議に思うので、ご主人や彼女のプレゼントを一緒に置いておくのだそうです。そして、ジュエリーが今回のご主人様からのプレゼントだそうです。

 この話を聞き、この家庭をの温もりを感じるとともに、お母さまが彼女に注いだ愛情が感じられるような彼女の人柄がクリスマスの聖夜をより温かなものにしているなぁ・・と感じたわけです。

 今から18年ほど前の12月の24日に私はデンマークのコペンハーゲンにいました。当時とは言わず北欧のクリスマスは日本ほどの華やかさもなく、地味で出張中の孤独をより一層味わうようなトラブルを感じていた私にはクリスマス・イブというよりは24日の夜という感じしかなく、遠くに見える世界最古の遊園地であるチボリ公園の灯でさえわびしく感じたものです。

 そのせいか私は皆さんほどクリスマスを楽しいとは思ったこともなく、当店のある自由が丘でさえ沢山のイルミネーションが飾られているのですが、終わった後を考えると・・・・。

 人はなにを経験してきて物事に対する考え方が決まるのかはわかりませんが、私にとってのクリスマスは仕事が忙しい事とあまり楽しい事ではないという印象があり、情けないものです。

 人様のクリスマスを楽しむ様相を外から見ていている事がよほど喜びを感じるような気がします。
 

2014年12月24日水曜日

内包物⁉

 本日はクリスマス・イブ、正確には日没から午前零時までということになるのですが、今年もではありますがなかなか盛り上がりません。盛り上がるものではないのですが・・・・。

 それはさて置き一昨日お越しになったお客様が、
『友人の指輪を見るとやけに光っているので、話を聞いたら意外と求めやすいお値段で、こちらのお店で求めたという事だったんですが・・。』

 そのデザインは0.7ctを3個並べたものだったんですが彼女はさらに
『あれは色が良いから光っていたんですか?』

私が
『お色は多少あったんですがテリが強い物だったんですよ』
と答えると
彼女は
『それじゃあ、キズがなかったんですね。』

 これらの疑問に答えながら、キズではなく内包物と言って人間でいえば個性みたいなものであるという事と内包物には色々な特徴があることを説明をしました。

 内包物には色々な形や特徴に合わせて名前がついていてそれを見る事で内包物が色々な物にも見えてくることはダイヤモンドに携わっている人間ならわかっている事ですが、一般の消費者は拡大をして見る機会がなかなかないので説明をすることになりました。

 フェザー、クリベージ、クラウド等々形に合わせて名前がついている事やそれぞれが見方によっては色々な動物や者に見えることや、内包物がある為にダイヤモンド自体が輝いて見えるものがあることを伝えると、
彼女は
『内包物があると品質が落ちるんではないんですか?』

 確かに品質が落ちるといった表現は間違いではありません。しかし、パーフェクトなものはそんなに存在しません、人間と一緒で個性というものがあります。テリというのもその一つで経験から言うと全体の三割程度がそれに当たりますが、それが全部美しわけではありません。また、内包物がないからと言ってテリや美しさを感じる訳でもありません。

 つまり、目に見える美観という物を満足させる要素が揃っていれば、必ずしもグレードのこだわる必要はないという事です。勿論、其々に予算がなければ完璧な物をもとめれば良いのですが、そうはいかないし、お金があったとしても必ずしも思うものが手にはいる訳ではありません。

 内包物は物によっては煌めきを多くし、物によってはダイヤモンドの中に色々な物語を作ってくれ、何よりもテリを出してくれるものもあり、ダイヤモンドの個性そのものです。フェザー(羽の形をしたもの)の構成によっては、それこそクリスマス・ツリーに見えるものやイルカに見えるものもあります。

 人間でいえばパーフェクトはそのものが欠点でもあると考えています。受け入れられる個性は必ずしも欠点ではない事をダイヤモンドは照明をしてくれています。

2014年12月22日月曜日

STAP細胞⁉

 STAP細胞が有るや無しやでメディアが騒いでいますが、最近では小保方さんを詐欺罪で告訴すべきではという内容の報道も出ています。本当に情けないと考えるのは私だけでしょうか?

 確かに彼女は科学者として未熟であったかもしれないし、軽率であったかもしれない。だとしたらその責任は理研の上層部にあると考えるべきで、彼女をユニットリーダーに選任したのは誰あろう理研そのものなのだから・・。

 有りもしないSTAP細胞なるものをでっち上げて2000万円以上の税金を投入したという事であるのなら、ほとんどの科学者は日本からいなくなってしまう事になるし、ノーベル賞が二度と日本人の手に渡ることはなくなってしまうでしょう。

 科学の研究というのは言うまでもなく事象を解明するために、仮想をして研究を進めていくもので結果的に正しかったという事もあるかもしれないが、解明出来ないこともある訳だからそれを責めていたならば、誰も研究をしなくなってしまうのではないでしょうか。

 暗黒というものは目が慣れてくれば見えてくるようになるかもしれないが、自然の現象は解明していかなければ進化にはつながらない。過去の進化は時間が進化をもたらしてくれたものですが、ここまで人間が進化をすると人間自身が解明をしながら結果を出さなければ進化はしない。

 しかし、これ以上の自然を無視した進化は必要なのだろうかと考えはしますが、今回の騒ぎの方向は明らかに間違っています。見えているゴルフの穴に一発でボールを入れるだけでも大変なのに仮の想定をして結果を出す作業をいたずらにニュースの材料にすることは如何なものかと思います。

 我々のように変化をしないダイヤモンドを扱っている者たちには、扱い方の変化はあってもダイヤモンドそのものが進化や変化をすることはありません。しかし、その変化は良い方に転がることはあまりありません。何故なら人間が扱っているから欲の方が優先するのでやむを得ないのかも知れません。

 科学者たちも中には名誉欲や金銭欲でやっている人もいるかもしれませんが、多くの人は研究をし、人間の役に立つことを前提とした研究をしているのだと考えます。時間が掛かり、成果が出ないかもしれない事に時間を費やするという事は生半可では出来ないだろうと思います。

 ダイヤモンドにSTAP細胞は存在しません。人間の色に染まる価値と変化だけです。それゆえに真面目に取り扱ってきたいものです。決して扱っている人間のまやかしの材料にはなってほしくはないし、それがダイヤモンドを永遠に輝かせる源になると信じています。

リフォーム⁉

 昨日、ショーケースを覘きながら店内をうかがっているようなご婦人がおり、声をかけると
『こちらに2カラットくらいのエメラルドカットのダイヤモンドはありますか?』
と答えてきました。

 ショーケースに並んでいるダイヤモンドの裸石をご覧になって立ち止っていたようです。
『実は宝石の展示会に行ってリフォームをお願いしたのですがそこに出ていた宝石やさんがいなくなったという事なんです。』

 お話しを伺うと展示会に行ったのだが欲しいものがなかったので、勧められて身に付けていたダイヤモンドのペンダントを指輪にリフォームする事になり、お願いをしたとの事です。
『しかし、ちゃんと警察なりに届けるか、主催をしていたところにクレームをすれば良いのではありませんか?』と私が訊ねました。

 ご主人に内緒だったので引き換えの券を目立たないところにと思っていてなくしてしまったようだという事でした。つまり、ご主人に気が付かれる前に同じようなものを用意をしなければならないという事でした。

 にわかには信じがたい話ではありましたが、リフォームでのトラブルはよく耳にすることではありますが、大方はオーダーしたものとは感じが違うけど、『しばらくの間してみてください』と言われたとか、『いやオーダー通りですよ』と言いくるめられたといった類のことでほとんど消費者が泣きを見ているという事が多いようです。勿論そのあとは消費者は二度とそのお店には戻らないのでしょうけど。

 当店も90%がオーダーという事もあり、お客様が思ったより良く出来たといって頂く機会が多いのですが、たまにちょっと違うような気がするという事もあります。その為に作成途中をご覧になるようにお勧めしたり、一度仮合わせをするようにしています。

 しかし、多くの宝石店さんや百貨店の宝石サロンではその場で制作をしたり、造りの解る担当者がいませんので、クレームを怖がり、リフォームそのものを受けないとか、積極的ではないところが多いようです。

 宝石そのものは耐久性が強い物で劣化や破損がしにくい(処理をしていない物)という前提にありますから、経年劣化をする周りの造りがある以上はリフォームは避けて通れないことなのです。

 リフォームに関してはお預かりするときの確認や出来上がりの時に無理に押し付けないという事は勿論の事、過程の納得や結果の納得が何より必要な事です。これ以上とうんざりされるくらいでも過度ではないと思っています。それが信用に繋がり評判になっていく基本の基であると思います。

 ましてや、持っていなくなるなんてとんでもない話ですが、お客様にご用意をしますと言ってお見せしたものはご予算が合わなかったようで、改めて無くなったダイヤモンドに思いが強くなったようでした。

 リフォームは宝石店の必須事項ですが、取り扱いをするのは販売をする以上に気を使います。しかし、業界の活性化には是非というものでもあり、それぞれの宝石店さんが真剣に取り組む必要のあることだと改めて考えます。
 

 

2014年12月21日日曜日

朔旦冬至⁉

 明日は19年7か月ぶりの朔旦冬至という事で、なんでも旧暦の19年に一度めぐってくる新月と冬至が一緒に来るという事で、新月は勿論満月に向かっての始動の時で当時は一年で一番昼間が短く、これから昼間が長くなっていくときのスタートという事で、どちらも躍進を目指すという時を差すという事だそうです。

 つまり、月は満月へ向かって、太陽は一番短くなった陽が伸びていくという復活の日になる訳です。昔からこの日に政や国家の繁栄を願って祝宴を行っていたそうです。神道の祭事などはこれらの宇宙物理学的な見地から色々なことが決められていた事は知られていますが、現代では忘れがちです。

 何事も力をためて飛び上がった方がより飛び上れるという事でしょうから理屈としては合っているので昔から仕事などや事業を思いついたとしたら非常に良い日だという事です。朝方が一番良いという事ですが明日であれば思い立ったことはやってみるには良いのかもしれません。

 占星術から言うと(私はよくわかりませんが)来年は思い立ったことをやるにはより良い年だそうで、スピーディーに何事も行う事が吉という事だそうです。これも今回の朔旦当時と重なっているのかもしれません。

 飛び出そうとか、やってみようと思う時にはジャンプが如く屈み込むことも重要な要素となりますよね。これは何事も準備が必要という事で、何かを目指すのであれば来年という事で、そのための準備を今からすると良いという事でしょうね。

 三段跳びではないけれどホップ、ステップ、ジャンプとどれも重要な要素ではありますがホップがなければステップはなく、ステップがなければジャンプもないという事ですから、仕事であれ、運動であれ、何事に関してもこの『朔旦冬至』のような時が必要で、昔から当たり前の原理を基本として、大事にしているのが良くわかります。

 明日が何かのきっかけとなり何かを成し遂げられることを祈ってやみません。