ページビューの合計

2019年9月30日月曜日

ダイアモンドを持つ理由⁉

 ダイアモンド業界の不振は根本的な所にあることは以前から述べているようにダイアモンドを持つ理由の根拠の曖昧さではないでしょうか。

 つまり、婚約指輪等のある意味持つ理由が明確であった時には4Cの説明とそれを理由とした広告や値引き販売で対応し、それはそれで機能をしてきました。しかし、婚約指輪というものの環境が崩れると値引きや広告だけが目立ち、購入する理由が曖昧になってきました。

 元々はダイアモンドはお金持ちのシンボル的な位置におり、更には婚約、結婚をするときには必需品としての位置があり、その上での販売でした。ダイアモンドの位置が明確であった時には販売方法を考えるだけでよかったのですが、その販売方法の間違いによりダイアモンドの位置が不明確になり、ただ美しいという理由だけで販売をする難しさを今体験しているのではないでしょうか。

 ダイアモンドには沢山の価値があります。美しさは当然でありますが、その他の宝石の条件を満遍無く備えているわけです。

 つまり、極論を言うと販売している人々が『宝石とは何ぞや?』という事を身に着けていないという事になります。これは人々にとって色々な定義が生まれるかもしれませんが、これは日本ジュエリー協会においても理解が出来ていないようでもあります。自らが決めた宝石の条件や命名方法等の物理的見地のみが羅列をされているだけで本来の宝石とは何ぞやという部分には触れていません。

 宝石を何故に、ダイアモンドを何故に持つのかという根本的な所を理解せずに販売をすることの難しさは私自身も自信がありません。何故なら哲学的部分も多く一つ間違えるとパワーストーン的な詐欺まがいの販売方法になりがちだからです。

 簡単に言うと『象徴』という言葉が当てはまるのでしょう。権威にしても、権力にしても名誉にしても結婚にしてもある意味成就というか成功の意味合いがそこにはあるのでしょうがその証こそが『宝石』であり、その頂上にいるのがダイアモンドという事なのでしょう。

 その象徴的な物を値引きという販売方法を駆使してきたのですから本来の価値を毀損する販売方法をとってきたという事になります。ここを再度意識することにより、もう一度ダイアモンドというものの価値の優先順位を持ち上げる『象徴』としての購入価値を構築しても良いのではないかと考えるのです。https://ameblo.jp/diamonrow

2019年9月27日金曜日

プロセスが経済⁉

 今朝TVを見ているとレトルト商品の紹介をしていましたが、何時ものように引っ掛かりがありました。

 紹介していたのはチャーハンで30秒温まり、その後点線に沿って袋を切るとそのまま食べる事が出来るというものでした。その時に女子アナのコメントで
『これだと油の付いた皿を洗う手間も省けて良いですね。』
という内容がありました。

 その時に引っかかったのです。一つには炒める手間があって自分味になって良いのではという事ともう一つは皿が必要なくなるという事は究極に皿を作る職人が要らなくなるという事ではというように考えたのです。

 物を創るというプロセスは実は日本の経済を支えてきたわけで、現在の日本はプロセスは無くなるものを便利で効率が良いと考えるところが多くあります。現状の日本は物を創るというプロセスを海外に頼り、一社一社の利益のみを追求することが正義という観点もあります。

 しかし、以前に書きましたが多くの店舗が無人化に向かっているという事は便利で経費削減をするにも良いのかもしれませんが、労働力というのは消費者でもあるわけです。労働力がいらないと言う事は極端な話が消費者が要らないという事につながってくるのではないだろうか。

 日本という国は資源がなく世界のプロセスという部分を担い、製品として世界にl送り出してきたことが我が国の経済いわゆるモノづくりの原点でもあったわけです。我国においてプロセス(過程)や
生産というものをとり辞めるという事は冒頭のレトルトの商品のように料理人も食器もいらないという事になれば日本のような国の必要性は低くなるという事にもなる訳です。

 またそれに付随をするような情緒や付加価値も理解する必要がなくなるという事でもあり、全てが平均化するという事はそこの優劣がなくなるのでお金の流れが難しくなるという事でもあります。

 過去の多くの物はプロセスの違いにより物の出来上りが違い、質が変わり、そこに価格差があり競争や物を流れが出来上がるものだと考えています。それが経済というものだと考えます。

 デフレが経済のある意味大敵であるという事は皆が理解をしている事だとは思いますが、価格競争がその大きな要因という事ですが、価格競争の根底にはプロセスをコストの安いところに委託をし一見良いように見えますが実は足元の経済を侵食しているという事にもなる訳です。

 勿論便利が悪いという事ではなく手間暇というものはそれなりに意味があるという事を言いたいわけです。『物づくり日本』がどんどん遠のいていきます。それは日本の経済が衰退をしていくという事を示したいるといっても良いでしょう。政治はそこに手を入れなければならないと思いますが。マイナンバー電子マネー化を含め実は日本の経済の衰退に拍車をかけているといってもいのです。

 『手間暇が経済を回すのです』
https://ameblo.jp/diamonrow
 

 

2019年9月26日木曜日

ダイアモンドの自然⁉

 今回のイスラエル出張でめずらしい出会いがありました。それは一つの原石から5食のカラーグレードが出たというものです。

 勿論、これは非常にレアなケースでたまにバイカラー的な物が出ることはありますが、それは一部が内包物の色が反映をされているものです。今回の物にに関してはちゃんとしたGカラーからLカラーまでの物です。

 写真中央が一番大きな35ctがLカラーで端の一番小さなものがGカラーで1ctです。不思議なもので大きなものはカラーが低く小さなものが高いという自然が演出したものなのか誰かが意図したものかというと勿論自然が意図したものなわけです。

  自然から出来上がった人間社会の摂理というものをダイアモンドが改めて教示してくれているのかなとも感じる訳です。

 自然が育んだものを我々はビジネスとして確かな知識を持ち、確かな価値観を創造して一般の人々に普及をしなければならない責務があることを改めて感じたわけです。人が意図的に造った価値基準を意図的に利用したものは自然に対しては無意味であることをつくづく感じるのです。

 それが前回書いた事でもありますが、小売市場で価格競争をすることで川上である研磨業者や原石業者が業界を離れていってしまうという事です。結果的に困り、市場が劣化をするのは小売りレベルです。

 本当は比べることのできないものを如何にも比べることが出来るように説明をし、価格競争や値引きという形にして価値を下げ、自然からの贈り物を自ら劣化をさせ、自らの首を絞める行為は自業自得ともいえるのですがダイアモンド自体が変わるわけではありません。

 ダイアモンドは手を変え、品を変え我々に自然のすばらしさを提供してくれるのですが、そこへの扱う人間の想像力が伴わなければ価値はただの石ころになってしまうわけです。

 今回の出張は改めてダイアモンドという自然の素晴らしさとその扱いを間違った人間の愚かさを同時に感じた気がしました。
https://ameblo.jp/diamonrow

2019年9月24日火曜日

永遠か?

 今回特にダイアモンド取引所の中で感じることはメンバーの変化です。一時は5000人はいたダイアモンドメンバーが今ではおよそ半数の2500人位しか残ってはいません。これは零細大手問わずということになります。一時は朝の9時から夕方の6時まで一杯だった取引所は今では午後3時前には閑散としてしまいます。

 ダイアモンド大手の多くは他の部門を持ち、他の部門への切り替えをするところが多くありますが、零細のところは跡取りが他の職業への就職を望む場合が多いようです。

原点は何かというと多くの場合ダイアモンドでは大きな利益が望めないということです。これには2つの大きな要因があります。一つにはダイアモンドの供給側も本来宝石ということを考えると大規模な組織は向かないということがありますが、これを無視して大量生産体制をとり、自らの利益を押し殺してしまったということがあります。

 勿論時代やマーケットがそうさせ、良い目を見せたのも事実です。米国、日本そして中国といった大量販売市場がその事実を作ったといってもよいでしょう。

 何より問題なのは多くの場合市場が劇薬である「値引き」という手段を用いたことです。本来治療に有効な劇薬を打ち続けて、自身を弱体化させたところに問題があるわけです。その場面その場面で見ればわかりにくいし、それぞれに言い分もあるでしょう。

 私自身川上から川下までの一連の流れを見る場所にいると明らかに感じることです。ビジネスの拠点であるべきダイアモンド取引所にはすでに人がいなくなってきているのです。この流れはいずれというかすでに市場にも影響が出てきています。しかし、事実は末端市場の販売方法がこの状況を作り出したといってもいでしょう。私自身も若き日々は気づかずにその一端を担ってしまったという部分もありますが。

 高級外車がなぜに値引き無しで高額で売れるのかということを考えると多くの場合、販売側に車好きの人々が募っているからなのでしょう。その高級外車のすごさを感じ説明をし、消費者に納得をさせているのでしょう。

 ダイアモンドの販売の場合本当にダイアモンドを理解し、ダイアモンドを好きな人々がどれくらいいるのでしょうか?単純にきれいだから好きということではなく好きだからこそ勉強をし、そのすごさを消費者に伝えようという人々です。つまり、販売に熱意があるかどうかということでもあります。

 川下の安易な販売方法が川上を食い尽くし、更には自らを苦しめる「劇役」をどこで断ち切り、どこで平常なビジネスに戻るのかが今後の課題であり、決して経済状況だけが今の不振を招いているわけではないことが川上を見ていて感じるのです。

今回のイスラエルはこんなことを感じた出張でした。
https://ameblo.jp/diamonrow

2019年9月18日水曜日

金持ちはファーストクラスに乗らない⁉

 昨日、世界的オークション会社であるサザビーズの内覧があり、帝国ホテルへ知人と訪れてきました。その時のことですが、内覧そのものには高額品が並んでおり、印象的な事はエメラルドに関しては私自身の評価よりも高いという事でした。

 ダイアモンドに関しては自身の評価とはそれほどの開きのないエスティメートが付いており、サファイア、ルビーに関してはそれほどの評価を受けてはいないという印象でした。

 他の展示品に関してはそれほど大きな関心もなくそろそろかなと思っていた時に、知人が
『これらの価格の評価はどう考えれば良いんでしょうね?』
と尋ねてきました。

 『持つ意味はそれぞれ違いますが、自身の象徴として考える人もいるでしょうし、財産として考える人、更には子孫へという考え方もありそれぞれでしょうね。』
と答えると納得のいったようないかないような素振りをしておりました。

 その後、帝国ホテルのロビーにてお茶でもという事になり、席に着きお茶とケーキのセットをオーダーした時のことです。知人が
『ここのお茶のセットは2500円と結構よい値段しますね。ただ、ここの雰囲気と素材を考えれば相応の価格ですよね。』
私が
『雰囲気を含めたコストパフォーマンスが合えば相応という事ですね』
と言うと
『先ほどの宝飾品の数々ですがどう向き合えばそのコストパフォーマンスが合うんですか?』
というストレートな質問が飛び出してきました。
私が
『海外へ行くときにファーストクラスはお使いになりますか?私自身は数年前にルフトハンザ航空に搭乗した際にたまたまマイレージの都合でファーストクラスを使ったことはありましたが、十数時間のフライトの際に当時のジャンボジェットの二階部分にたった5席で2名のキャビンアテンダントがおり、非常に落ち着かなかった事を思い出します。』
知人は
『私は全くその必要性を感じませんね。NYだけで考えてもエコノミー10万円、ビジネスクラス50万円、ファーストクラスに関しては100万円くらいでしょうか。飛行時間を10時間として1時間10万円ですよね。そこまでの価値を感じませんね。』
という答えに私自身は
『つまり、自分の価値観に見合っているかどうかという事ですよね?』
『勿論、それなりの雰囲気はありますが、私にとっては環境的にもビジネスクラスですね。』
と知人が言い、突然に
『そうか‼ そういう事ですね。』と言葉を繋ぎました。

 顧客が満足のいくサービスをすることは勿論の事その環境により顧客はお金を払います。しかし、それが過ぎていたり、劣っていると顧客はお金を払う事を良しとはしません。これは資産の有無ではないのです。

 個々の価値観というものは其々違うといっても顧客の価値観を創出するのも、勿論の事提供側の環境づくりや提供品です。そしてそれがセールスというものの基本です。日常しか演出の出来ない場所では日用品しか売れないし、それなりのレベルの演出環境の中ではそれなりの人が集い、それなりの物が売れます。

 コストパフォーマンスとは経費を削ることしかアイディアの浮かばない意識とは相まみえないものであり、コストパフォーマンスこそが利益を生むのです。価格に見合う事こそがお金持ちの要求であり、決して無駄金を使う人がお金持ちではないのです。

 オークション会社もそれなりの演出はしているという事です。

 知人も資産数100億ほどの資産家ではありますが、決して見合わないところでの出費を見たことがないのです。

 庶民はこれらの現象を見て『金持ちはケチだ‼』と言いますが実はそうではないのです。
https://ameblo.jp/diamonrow

 

2019年9月13日金曜日

9.11と文明、文化⁉

 2001年9月18日、あれから18年、私はニューヨークのグラウンドゼロ(当時はまだその名はなかったが)に立っていました。勿論、あの9.11テロ攻撃の1週間後でもあります。現場はまだアスベストの焦げた匂いが充満し、粉塵がいまだに蔓延をしていた状況でした。

 ここで見聞きをしたことは以前も書いたことがあるので割愛をしますが、最近の現状を見たときに考えることがあります。それは現代の文明と文化の乖離の象徴的テロだったのではないだろうかと。

 つまり、文明が進むにつれ文化とのギャップがどんどん起き、この差を埋める事が出来ない状況が起きてきているのではないかという事です。技術革新やAIを筆頭に文明が進むことは喜ばしい反面、人間生活を豊かにする両車輪であった文明は金もうけの手段として、その反面として精神的豊かさを追求するはずの文化は宗教を通してテロへと変貌をしていく様が垣間見られるのです。

 日本においても職人の世界が消えかけ、日本の文化というものが失われつつあります。必ずしも文明の進化を否定するものではないのですが、開発者たちの自己満足が文化と融合していた限界線を越え、文化を大事にしていた人々との間の温度差が広がった結果ではないのだろうかと考えるのです。

 そして、その象徴的テロが9.11だったのではないのだろうかと考えるわけです。18年後の現在においては更にその差が広がり、文化を大事にしていた人々までが偏った文明に身を置き始めた様な気がします。例えばお賽銭、ご祝儀、香典までも電子マネーという時代。

 『AIが進むことにより人間は要らなくなるのではないだろうか?そして、その先には何があるのだろうか?』よく耳にする言葉です。

 そして、人々の融和を掲げ、人々の生活を豊かにするはずの宗教がどんどん争いをする火種ともなっている現代。

 "文明を象徴するAI、そして文化の象徴でもある宗教”
共に考えなければならないことはどちらも人間がいなければ何の意味もなさないものであるという事です。

 9.11の当時の映像を見るにつけ感じることは現代の矛盾の象徴的な出来事だったのではないだろうかとついつい考えてしまう訳です。
https://ameblo.jp/diamonrow

2019年9月7日土曜日

ダイアモンドは変わらない⁉

 先日仕事で百貨店を訪れていてたまたま接客中の場面に出会いました。若いカップル婚約指輪を探しているようで、販売員に色々と尋ねており、何気に耳を傾けておりました。

 『ダイアモンドって色々と品質があるんですよね?』
男性が尋ねると販売員が
 『ハイ、4Cのグレードが付いています』
と説明をしながら通り一遍の話をすると
 『鑑定機関よって若干の差がありますのでGIA付きの物だと多少価格がお高くなります。』
という説明を括りとしておりました.

 品質の説明をしているのかと思いきや価格の説明をする下りになっており、何故にその前の説明をしたのかを本人も気が付いていないのではと首を傾げてしまいました。

 つまり、グレードというものが鑑定機関により違いがあるのでGIAの方がよりシビアな判断をしているという事を理解をしていればそのような説明にはならなかったと思います。

 GIAが付いているから高いのではなく他の鑑定機関に比べて判定がシビアなので物が一緒でも評価が変わるという事を言いたかったんでしょうけれど説明をしている本人が意味を理解していなかったという事です。

 グレードが変わってもダイアモンドが変わらなければ大きな意味で価格も変わらないという事を理解していることが大事なのでしょう。

グレーディング・レポートにより『ダイアモンドは変わらない。』という当たり前のことが早く広がればよいなと思って時間でした。
https://ameblo.jp/diamonrow

2019年9月4日水曜日

チョットした疑問⁉

 世の中AI時代と沸き上がり一見進歩をしているように感じますが、この先を考えると果たしてどうなんだろうと感じることがあります。

 一つに店舗の無人化への現実を考えるとその先には人がいらないという事になります。更に言うと車の全自動はタクシーの運転手やバスのドライバーが要らないという事にもなります。

 進歩というのは発展をする事とを指す言葉であり、進化は色々なものを吸収しながらより良く変化をしていくという事ですが、どちらも人間とってという事ですが、これらの変化は決して人間の為とは思えないのです。

 つまり、人が要らなくなり、人の収入は減るという事になります。また、人間の本能を鈍化させ既に起きている退化現象を考えると進化をしているとも言えません。

 人間生活の道具であるべきAIは既に道具ではなく人間社会をリードしているとも考えられるのではないだろうか?

 本来道具とは人間の進化により進歩をしてきたものです。それは人間の力不足なところを補う為に現れた便利に等しい存在なわけです。つまり、人間にとって便利というレベルで収まっていて初めて役に立つという事になります。

 今や進歩は人間の進化を超えていってしまったのです。

 人間はやがて老いていく訳ですがその老いを少しでも補うものであったり、障がい者が健常者と同じような生活が出来るようにそこを補うものであったりという範囲であることを前提に人間の至らないところを補う段階まで道具としての範囲であると考えるわけです。

 それが今の現状はやがて人間の役割をAIロボットが行い、AIにより人間生活が管理をされ、AIにより人間の行き先を決定されるような勢いです。

 『そこそこ』、とか『ほどほど』などという言葉がありますが、人間というものは不完全なものですが、だから人間なのでしょう。AI等を使い100%を目指すという事は人間を放棄することになるのではないでしょうか?

 今こそアナログが必要な時代なのであと考えます。

 中国がAI化を進め、今の思想のもとに運用をすることを考えてみてください。恐ろしいことになります。それがいま中国では起きているのです。
https://ameblo.jp/diamonrow

2019年9月3日火曜日

ダイアモンドをどう見るか⁉

 ダイアモンドというものは価値の広がりすぎるところがあり、大雑把に言うと資産用、宝飾用、工業用と多種多様なわけですが、原点から言うと資産性と言えるでしょう。

 ダイアモンドというものはなぜに価値を持ったかというと単純に綺麗で丈夫で稀な物だったからです。つまり、権力や地位の象徴になりやすかった為にその地位は作られていったといっても良いでしょう。

 それ故にそれを身に着ける方法として宝飾品が誕生をしたわけです。ジュエリーに関しても本来は化身の道具としてというか手段として出来上がってきた化粧品や刺青の別の進化系なわけですが、そこに実用品も加わり、勲章や徽章の一環として変化してきた過程もあります。

 つまり、資産性があると認められた要因としては権力者層の象徴という位置についた為に起きてきた現象であり、通貨や証券のような代替手段としての資産価値ではない訳です。国や政府が認めた仮想資産ではなく、本質的資産といっても良いのですが、通貨等の使い勝手に比べると極めて難しい部分があり、それ故に一部の特殊な人々、つまり資産家の中での資産といっても良いでしょう。

 ダイアモンドを資産としてみた時には個体そのものの価値が価格に反映をされますが、ジュエリーとしての価値は素材であるダイアモンドにあるよりも工賃やデザイン料が時には価格の大きな部分を占める時があります。ゆえに換金する時にはその部分が査定より排除され、材料であるダイアモンドと地金の価格になるので購入した時よりは安くなるわけです。勿論、そのデザインや付加価値が認められたならばその限りではありません。

 ダイアモンドはジュエリーとしての部分が大きくなった場合には市場の動向に左右をされやすいもので、資産性よりも付加価値なりの方が大きくなっているのは上記した通りです。つまり、資産として大粒のダイアモンドを買った時には価格の殆どがダイアモンドの価格ですが、ジュエリーとしてのダイアモンドは価格の全体の1/2以下という事が多くあります。

 ジュエリーの素材としてのダイアモンドは素晴らしいと思っていますが、一方で大粒のダイアモンドをジュエリーのつもりで販売をすると、とてつもない価格を提示しなければならなくなります。

 個性という付加価値を前提としたジュエリーは販売リスクもありますのでそれなりの掛け率となることはやむを得ないし、ダイアモンドを前提としている訳ではないので高額で販売が出来るというのはその販売店の実力であり、信用でもあります。

 ただし、そこを明確にせずただやみくもに高額提示し、値引きをするということは一番やってはいけない販売方法で業界の足を引っ張る行為でもあるわけです。

 いかなる姿勢でいかなる販売方法をダイアモンドに対してとるかはそれぞれですが、情報の広がりの早い現代においては早急な対応が必要となるのでしょう。
https://madam-g.blogspot.com/