ページビューの合計

2015年8月16日日曜日

特攻隊⁉

 終戦記念日(記念日といっていいのかどうかわかりませんが)という事もあり、特別番組の編成が多く行われています。その中でやはり目につくのが特攻隊についてです。

 幼少の頃は、戦争漫画や映画を見ていた影響もあり、恰好が良いなぁなどと思っていた時期もありますが。当時離れて住んでいた叔父にあった時にやはり特攻隊員であったことを聞かされ、驚きなおかつ感動をしたのを覚えています。

 戦後とはいえ十数年経った後ですから子供の自分には英雄にしか見えなかったのです。しかし、その話を聞いていくうちに何かおどろおどろしい物を感じ、更にそこにいる従弟たちに対して、もしかしたらいなかったのかもしれないという不思議な感覚を持ったものです。

 叔父は人間魚雷『回天』の乗組員でした。最後の特攻になるかもしれないと上官に言われ『どちらにしても勝てない戦いの為に死ぬんだなぁ』と思っていたそうですが、少しでも攻撃の手を遅らせる事が出来れば家族や国民が逃げる事が出来るかもしれないと思って覚悟をしていたそうです。

 幸いといって良いのでしょう。叔父は敵の空襲を掻い潜り、東京湾を出たところで魚雷の中で終戦を迎える事になったそうです。米国や海外の一部、また国内の一部で特攻隊員を単なる『テロリスト』という人もいます。しかし、家族や国民を守る為に、攻撃をさせないために敵の攻撃銃器に向かっていく人間と民間人も関係なく無差別に自爆をしていくテロとを一緒にしてほしくはないと考えます。

 ただ、特攻を美化するつもりもないし、それを許容する気持ちにもなれません。多くの若者といっても現在であれば子ども扱いをされるかもしれない年齢の人間が戦争の補助をさせられたり、二十歳にも満たない若者が自らの命を絶って行ったわけです。

 それも自らの意思で死んでいった人間はほとんどいないでしょう。多くは命令であり、最初は志願という形をとっていたといえ、最終的には強制そのものだったと聞いています。ましてや最後は何の意味もなく、士気を上げるためという理由だけで目的も果たすことが出来ない死への道へ旅立っていったのです。

 つまり何の大義もない、いじめのような状態。何の戦略もなくただ無駄に死へと追いやった上官はタダの自らのストレスの為にこの作戦を進めていたのかと思うと戦犯といわれる人々を安易に許せない様な気もします。

 確かに本当に国の事を考え、家族の事、国民の事を考え戦争へと突入していった軍人もいたとは思います。しかし、最後の特攻に関しては成功さえしていない事を繰り返していたのです。単純に自殺への追いやりですから、ここに関しては、もしこのような人々も靖国に祭られていたとしたら反発心を持たざるを得ません。勿論、純粋に国の為に亡くなられた英霊たちを祭ることには何の反対もありません。

 昨年、『永遠のゼロ』という映画を見ました。この映画を見て隣国は特攻を美化した戦争奨励の映画だとクレームをつけてきたり、スタジオジブリアニメを同じように国内の上映を禁止したそうですが、どう見たら戦争奨励に見えるのか、多くの日本国民はこれらを見て戦争の悲惨さや無意味さを感じたのではないかと思います。むしろ、そのような隣国などの反応が戦争への道へつながる過敏な反応なのだろうと思います。

 戦時中にアルファベットや横文字の言葉を非国民として使わせなかった人間たちの反応と一緒です。むしろ何事も戦争や軍国主義に結び付ける反応こそが戦争への道へ促していくこともあることを忘れてはいけないと考えます。

0 件のコメント:

コメントを投稿