今朝、通勤路で若い母親と二人の子供に久しぶりに出会いました。健康のため駅までの2キロの道筋を歩き始めて2年半が経ち、時の移り変わりを感じる光景でした。
歩き始めて二、三日目のことでした。小さな男の子が目の前で転び、そのままになったいたところを妊婦である母親が手を貸す事も出来ずにおき上がる事を促しておりました。私がその子に手を差し伸べたところ、自分で立ちあがり、はにかんだ顔をこちらに向け恥ずかしそうにしていたものです。
その後、しばらく見かけることもなくいたところ、バギーに赤ん坊を乗せた母親の後を幼稚園用のバッグをブラブラさせ、歩いている親子連れを見かけました。以前私の前でこけていた男の子で今度はしっかりと歩いておりました。その後しばらくその光景をほのぼのとした気持ちで見かけていたものです。
二人の子供は、其々に周りに興味を持ちながら、キョロキョロとしながら母親の周りを歩いており、下の女の子も大きな傘をさし、一生懸命に母親と兄の後を追っていました。
僅か2年半ほどの移り変わりに、大きな意味での自然の素晴らしさを感じ、反面変わらない事の意味を通勤の道すがら考えておりました。普段から変わらないダイヤモンドの価値や意味を唱えてきたこともあり、逆に変わる事の素晴らしさも実感した訳でもあります。
本来、婚約指輪はダイヤモンドである必要もない訳ですが、多分1940年代のアメリカからでしょうが婚約指輪にダイヤモンドを贈るキャンペーンが始まり、日本でもその後、婚約指輪にダイヤモンドを贈る事が当然のようになってきました。
『変わらぬ愛』の代名詞のように謳われ続けてきたダイヤモンドですが、何故にそこで変わらぬ事が一つの価値として捉えられたのであろうと考えると、意味があるように感じます。
時代とともに色々なものが移り変わる事は自然の摂理でもあります。ではなぜ変わらない事が?
と考えると原点なり、基本という事が見えて来ます。つまり、変わることは表面的なことであり、原点、基本というのもは変わってはいけない事であり、それゆえ変わらないという事に価値があるのでしょう。
変わらないでほしいという象徴にダイヤモンドが比喩として使われた事は、一種の悲哀でもありますが、逆にダイヤモンドの意味を感じるような気がします。
それゆえ宝石であるダイヤモンドですから、後世にも大事にされるものであってほしいと思う訳です。私が以前から宝石の条件の中には品質は入っておりませんよ。と唱えておりますが、『美』を損なわない程度の品質で良く、それ以上に大きさを重視してほしいというのは、あと後の人にも大きく美しいがゆえに継がれていく価値を解ってほしいからです。
変わりゆく事の凄さや、希望ということを実感するとともに、だからこそ変わらない価値の大事さを感じながら、徒然なるままに歩いた今朝の通勤路でした。
歩き始めて二、三日目のことでした。小さな男の子が目の前で転び、そのままになったいたところを妊婦である母親が手を貸す事も出来ずにおき上がる事を促しておりました。私がその子に手を差し伸べたところ、自分で立ちあがり、はにかんだ顔をこちらに向け恥ずかしそうにしていたものです。
その後、しばらく見かけることもなくいたところ、バギーに赤ん坊を乗せた母親の後を幼稚園用のバッグをブラブラさせ、歩いている親子連れを見かけました。以前私の前でこけていた男の子で今度はしっかりと歩いておりました。その後しばらくその光景をほのぼのとした気持ちで見かけていたものです。
二人の子供は、其々に周りに興味を持ちながら、キョロキョロとしながら母親の周りを歩いており、下の女の子も大きな傘をさし、一生懸命に母親と兄の後を追っていました。
僅か2年半ほどの移り変わりに、大きな意味での自然の素晴らしさを感じ、反面変わらない事の意味を通勤の道すがら考えておりました。普段から変わらないダイヤモンドの価値や意味を唱えてきたこともあり、逆に変わる事の素晴らしさも実感した訳でもあります。
本来、婚約指輪はダイヤモンドである必要もない訳ですが、多分1940年代のアメリカからでしょうが婚約指輪にダイヤモンドを贈るキャンペーンが始まり、日本でもその後、婚約指輪にダイヤモンドを贈る事が当然のようになってきました。
『変わらぬ愛』の代名詞のように謳われ続けてきたダイヤモンドですが、何故にそこで変わらぬ事が一つの価値として捉えられたのであろうと考えると、意味があるように感じます。
時代とともに色々なものが移り変わる事は自然の摂理でもあります。ではなぜ変わらない事が?
と考えると原点なり、基本という事が見えて来ます。つまり、変わることは表面的なことであり、原点、基本というのもは変わってはいけない事であり、それゆえ変わらないという事に価値があるのでしょう。
変わらないでほしいという象徴にダイヤモンドが比喩として使われた事は、一種の悲哀でもありますが、逆にダイヤモンドの意味を感じるような気がします。
それゆえ宝石であるダイヤモンドですから、後世にも大事にされるものであってほしいと思う訳です。私が以前から宝石の条件の中には品質は入っておりませんよ。と唱えておりますが、『美』を損なわない程度の品質で良く、それ以上に大きさを重視してほしいというのは、あと後の人にも大きく美しいがゆえに継がれていく価値を解ってほしいからです。
変わりゆく事の凄さや、希望ということを実感するとともに、だからこそ変わらない価値の大事さを感じながら、徒然なるままに歩いた今朝の通勤路でした。
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