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2013年3月28日木曜日

ダイヤモンドと人生観!?

昨日店頭で中を覗いている母子連れらしき方達がショーケースの中の裸石を覗き、何か気になったのか店内にお入りになり

『あの~こちらはルースでダイヤを扱っていらっしゃるんですか?』
と恐る恐る入ってこられたのは娘さんの方で

『中にもまだたくさんなるので、ご覧になってください』

『エッツ、まだ沢山あるんですか?』

色々お話しするうちに欲しいダイヤモンドがあるけれどデザインが気に入らないのでルースで探していると事で、何処へ行ってもなく、たまたま店頭のルースが眼に入ったとの事でした。

『こちらはハート型のダイヤが多いんですね?』

『はい、ハートが一番個性が出ますし、ご自分に合う合わないも解りやすいですからね。』
と話し、

ハートは原石次第で形が変わっていき、研磨が終わった形が誰にでも会うように研磨する事なんて不可能に近く、合理性で考える中では研磨する人たちの自由にはならないというような事をお話しさせて頂いていると

『それって人間みたいですね。だって、人間は生まれてきて皆に愛される訳ではなくても、誰かには愛されるようになっていますものね。』

 ヒョンな事から出てきた言葉ですが、確かにその通りで人間も環境によって培われてきた自身の主張は正しくても、他人の主張する事もやはりその人からすると正しい訳で、大きく社会が評価をする標準的な主張がスタンダードとして受け入れられる訳ですよね。

 ダイヤモンドに関して皆が興味を持つ部分は其々違いがあります。例えばブラウンのダイヤモンドにしか興味がなく白いものは全く興味がないという方もいましたし、黄色味がある方が温かみがあって好きという方もいますし、形に関してもそれは言えます。勿論それらは少数意見でもあると同時に、そこまで真剣にダイヤモンドを見る機会が日本では少ないと言えるでしょう。

 大きく捉えると日本で評価が高いハート&キューピットと呼ばれるカットのものは日本でしか評価がされにくい少数意見でもある訳ですが、環境がそれを高く評価されるように整えられたものです。
それはそれで間違いではないのですが世界基準ではないという事です。

 つまり人間も其々の意見は其々の環境で培われた物なので、それなりに評価をし、大きな目で見るとそのスタンダードはどこにあるかという事を考えておかねばならない。そして、意見だけではなく容姿に関してもそのような事が言える訳です。

 ダイヤモンドのビジネスを長く携わってきて、持っていた人生観を言葉は違えど一言で表現をしたお客様に脱帽です。

 その後、そのお客様はすごく気になると言いながら、おひとつお求めになっていかれました。

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