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2013年3月1日金曜日

ダイヤモンドとユダヤ人!?

 いよいよ3月に入り市場も動き出してきた様な気がします。明日から取引所での仕事を楽しみにイスラエルに向かいます。

 何故、ユダヤ人がダイヤモンドに関わっているのかは良く聞かれる質問ですが、私自身ユダヤ人達から聞いた話しか解りませんが今から30年ほど前に友人の祖父から聞いた話ですが、

『我々ユダヤ人は祖国を失ってから、いつも其々地に馴染むようにしてきたがユダヤ教を捨てることはなかった。その為にいつも距離を置かれた状況にあり、職も生活も安定をしていない日々を過ごしていた。迫害をされる時にはいつも私達が生贄にされてきた。唯一、力を持つ事が出来たのはお金を持った時だけで、それさえも力で奪われる事もあった。』

 話し始めると一時間以上の時間を費やし、時々遠くに目をやりながら収容所での事や家族の事を思い出しているようでした。

 『我々は、いつも移動の出来る状態にいなければならなく、ダイヤモンドのような皆が共通の価値を持ち、隠し持てるもでなければならなかった。一番便利な方法はそのビジネスに携わる事だった。結果として、ダイヤモンドの研磨工仕事が是であったと言える。』

 イスラエル建国前にパレスチナ人のベンジャミンというナタニアという今のイスラエルの中心より少し北にある町の市長が産業を起こす意味でオランダから多数のユダヤ人のダイヤモンド研磨工を連れてきたところからイスラエルのダイヤモンドの歴史は始まるのですが、そのパレスチナとユダヤ人がもめている事も皮肉ではあります。

 友人の祖父は最後に
『日本人は追われる事がなく歴史を進めてきたので、その場での良い物やその場での価値のある物を追求してきたと思うのだが、我々はそこに価値観はないのだよ。全てのお金は持って歩けるものに集約をするこれが大事だと思っているんだ。』

 確かに私の友人たちはお金を持っているのけれど、決して華やかな物や外的要因にはお金を使わない人たちが多い。それは一見ケチにも見えるし、貧相にも見える。しかし、彼らにはあまりそんな事には興味がない様にも見えます。現代の若いユダヤ人達は必ずしもそうではないのですが、居場所を得て、もう50年以上も経ちますので時代の変化も致し方のないところではありますが、
2千年間の歴史が50年で変わる現代にも怖い物がありますね。

 しかし、必然とはいえダイヤモンドやお金、金融がユダヤ人達の本懐とは思いませんが、現代の世界はユダヤ人哲学が主流である事は確かに疑問を持たざるを得ません。また、現在の日本人達の向いてる方向も別の意味で怖いなと思います。

なぜなら、3代で失う土地の価値観というのは如何なものでしょうか?

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