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2011年3月24日木曜日

想定外

 災害はいつも想定外の時に起こります。

人間は自らの英知におぼれている事はないだろうか?

いつも災害が起きるたびに感じることがあります。それは、自然には勝つことが出来ない
という事です。必ずそのたびに言われる事は「想定外の大きさ」などと言われる言葉です。

想定内で起きていたならば、災害になどならないのですが、自然はいつも人間の想定を
超えて物事を起こすものだという想定はないのだろうか?

もしかしたら想定をすることが出来ても、それを実現するにはそれなりのコストを払う事に
なるのでしょう。」つまり、税金や其々の費用を其々が負担をするという事になるのです。

以前、荒川だったと思いますが「スーパー堤防」を造る構想が進み、住民と行政の間、
又は、推進派、反対派の間で「数百年に一度の災害、それも起こるかどうか解らない事」
に税金を投入するのは如何なものか・・といった論争が今も続いているといったことが
ありました。

当り前の議論ですが今回の災害はその例に当たるのでしょうが、はたして防げたの
でしょうか。多くの人の答えは「NO」だと思います。

人間にとって数百年の事は自然にとっては数秒のことに過ぎないのですから、何度でも
想定外はやってくるのです。

しかし、人類は常にそれをリカバーしてきました。(もし今の文明の前に栄えた文明が
なかったとしてですが) しかし、それは自然の中の一活動に過ぎません。

今回の二次被害は原子力発電所の崩壊ですが、自然被害を何時も大きくするのは人間
の作った人災です。人間の進化は所詮自然の営みの中の一現象に過ぎません。

人間は進化の方向をそろそろ考えて方がよいのかもしれません。過度な心地よさや
贅沢の為の進化は常に大きな災害に輪をかけることになります。歪んだ進化や場当たり
的な物は避けた方がよいのかもしれません。

「自然とともに」とか「ロハス」とかいった言葉がよく囁かれますが、動植物のように生きる
為の進化はあるべきですが、贅沢や欲望の為の進化は見直す時に来たような気がします。

周りを見てみてください、本当に生きるために必要なものばかりですか?

勿論、欲望も必要です。

それがなければ、進化もしませんし、やはり必要悪で自然な中で育まれた人間の特性
でもある訳ですから。ただし、人間自身がやはり進化としてそういった事を見直す進歩を
見せても良い時期に来ているのではないでしょうか。

我々人間は自然に育まれ、自然を超える事は絶対あり得ないといった謙虚な姿勢が
必要なのではないでしょうか。

我々日本人の原点は「神道」です。八百万の神を崇めるという事は自然におきた事、
全てを受け入れるといった謙虚で寛容な精神だと思います。しかし、これは何でも諦め
安いといった精神構造にも紙一重です。

いずれにしても自然を超える事は出来ないのですから、常にその対処に対して大きな
コストを割くべきであって、快適さに大きなコストを割く事は大きな二次災害に結び付くという
事になるのでしょう。

自然の中で変化をしない事は難しい。それは何時も人間の想定外の自然が変化をさせ
るが変化をしない物もある。

それはダイアモンドです。

これはある意味想定外です。

2011年3月23日水曜日

立場が変わり・

 私は38億年前程に今の地球にやってきました。

その頃には既に地球で生まれた仲間たちがダイアモンドとして誕生をしていましており、
そこに宇宙から来た私も仲間入りをしました。

私と共にくっついて来たのかハタマタその頃の地球の火山活動において発生したのかは解り
ませんが、地球では微生物なる物が蠢き始めておりました。それからというもの微生物はくっつ
いたり、離れたりといながら進化をしていったのです。

1億年前ほどになるとサルほどにも成長した彼らにはまだ私には関心がないようでもっぱら
食べることに興味を持っているようでした。

やがて、彼らは家族を形成しながら生活する事を覚え、気に入った相手に求愛をしたり相手
の興味を引く為に特にオスは食べ物を運んだり、奇妙な行動をとってみたりもしていました。

私達が彼らの興味を引くようになったのは食べ物も豊富になり、特にそれらに興味を持た
なくなってきた頃からです。きらきらと光る私達は彼らにとっては不思議な物体だったのでしょう。

オスたちはこぞってメスたちの興味をひく為に私たちを利用するようになりましたがメス達も
段々と私達を見るたびに感性が豊かになり、自然の草花や色合いに興味を持つようになって
きました。

彼らは感性が豊かになると私たちから目を遠ざけ、自然の中にある色鮮やかな物や自分達
が造りだした物へと興味が移行していったのです。

彼らは私達が丈夫である事に気がつくとやがて道具や身を防ぐものとして利用を始めたの
ですが、意外に私達が近くにはいないのだとわかるようになると、高値で取引をするように
し始めたのです。

やがて、彼らの文化が進むにつれて私を磨くことによって、より自分達の美観を追及する
ようになってきましたが私の硬さは半端ではない。私は只者ではないのです。

彼ら人間の自由になるほど軟(やわ)でもないし、思ったようにさせるほど理解もないのは
私を研磨しているものであればわかっている。それほど、頑固者なのです。

人間は私を見につける為に色々な努力をしてきましたが、彼らの自由になるほど私は柔軟
ではないし、彼らが私たちの序列をつけれるほど一律でもない。

人間がいつ気がつくのか興味があります。自分達の感性が私達によってもたらされたもので
あることを・・・。

私達ダイアモンドがいる限り、まだまだ人間の感性が変化していく事に気がつく事はない
のでしょう。私たちを自然の産物と思わないでほしい。あなた達人間が自然の産物であり、
人間は私達が育てたのです。

だからこそ、あなた達人間は何の役にも立たないと思っている私たちから離れることが出来
ないのです。

あなた達人間は自分達から物を見過ぎるのです。

あなた達人間には自由にならないことが多いのです。

だからこそ

あなた達人間には私がまだまだ必要なのです。

その事に気が付いている人が多くいる事も知っています。

しかし、それは理屈で解っている訳ではなく感じているだけです。

あなた達人間の祖先が感じたのと同じくらいに・・・・・ね。

ダイアモンドの立場になってみました。

2011年3月21日月曜日

リレー

 東北太平洋沖地震が起きて早くも11日が過ぎようとしています。毎日TVを見るたびに
無名が痛みます。

自然の恐ろしさとともに凄さを感じますが、一方でこれらの災害や被害も大きな意味では
自然の中の営みの一つなのであろうと思います。

人間や動物は自然の中で進化をしていますが、それは常に環境に順応すべく変化する
のであって、自然の掟といったものに逆らってはいけないのでしょう。

動物の多くは生きていく為に進化しますが、人間は快適になる為に進化をしますが、
それは本来の進化ではないような気がします。以前にも書きましたが生きていくため
以上のものを手に入れようとするときに、自然は大きな打撃を人類に与えます。

戦争もそうでしょう。交通事故もそうでしょう。そして。原爆もそうだとうと思います。誤解が
あってはいけませんが、生きていく頃あい良く進化する分には被害も少なく済んでいるような
気がするという意味です。

槍で戦争をしている分には一度に何千人も殺せません。駕籠で動いている分には大きな
事故にもなりません。勿論これは極端な例ですが、この進化には何らかの制御が必要なの
でしょう。

人間には寿命というものがありますが、その中での個々の変化は成長ということになり、
それが人類になると進化という事になります。人間の生きている意味とは大きな意味では
自然な中で進化し、次の世代に繋ぐという事なのだと思います。

つまり、リレーのようにある種の成長をし、それをベースに次の世代に繋ぐ、この繰り返しが
人類の進化なのだと思います。ひと世代ひと世代の中での成長は頃あい良く繋げれば良い
のではないかと思います。

結論を言うと、進化と制御が一体となっていなければ自然に勝つことはできない。つまり、
「過ぎたるは及ばざるがごとし」といった進化は何事においても『負』のバトンしか後世には
渡せない。

自然は常に偉大です。人間の想像を超えたことを簡単に起こします。だからこそ過ぎたる
ことをする場合にはその手当も同時に行わなければなりません。

原爆が良い訳ではありません。しかし、原爆を考える時にはその手当になる事も同時に
考えなければなりません。そうでなければその被害を後世にリレーすることになります。

我々人類はリレーする物を選択しながら進化しなければならない時代にいるのでしょう。
それは自らに過ぎたもの保持しないことだと自然は教えてくれているような気がします。
そうすれば、買いだめにしても、災害での金儲けをその理に反している事が解るでしょう。

退化する物を少なくしながら進化する方法を後世にリレーしたいものです。

2011年3月18日金曜日

ありがたい。

 東北沖地震の話題や原発の放射能問題が今の生活の中心になっている訳ですが、
自分達の周りのことが精いっぱいで周りに気配りが出来ていなかったようです。

最初はロサンジェルスに住んでいる友人から電話があり、
「ここ数日、連絡を取り続けていたのに連絡がつかず心配をしたよ。
もし食べ物が足りなかったり、必要なものがあったら必ず言ってくれ。」
ありがたい話である。

実は私は北海道に地震の後出張に出ており、なかなか連絡をとる余裕がなく、携帯
の電池もなくなったりでなかなか連絡も取れなかったのですが、それだけではなく、日本
への回線がなかなか繋がらなかったようです。

その後もイスラエルやニューヨークからの電話が次々と繋がり、(沢山の人が私や日本の
事を気にしていたんだなぁ)とつくづくありがたいと思いました。

北海道では展示会に出展をしていのですが、予定よりは少なかったようですが多くの
御来場者があり、つくづくとありがたいと思うと同時に多少のは被災者に対する申し訳なさ
とが入り混じった気持ちが我々とお客様の間にもあったように感じました。

そのらの気持ちを一変したのがやはりダイアモンドでした。今回はダイアモンドの蛍光を
利用した製品を用意しての出展でしたが、その製品を通してダイアモンドの蛍光性やその
不思議さを説明すると多くのお客様が目を輝かせダイアモンドに見入っておりました。

その後というものはお客様が他のお客様にその話をなさって、お誘いいただき、多くの
お客さまにダイアモンドのお話をするとともに、我が女性スタッフが長年をかけて集め、
いつもケースに入れて身につけているダイアモンドのルース(裸石)をみんなで見つめては
ため息をつき
「ダイアモンドってみているだけでウキウキするわね。こんなにじっくりと
ダイアモンドを見たことがなかったわ」と改めてダイアモンドに見入っておりました。

一人の男性客がそのスタッフのケースをジーっと見つめ
「これはお売りにならないんですか?」

我がスタッフは即行で
「はい、一千万でも売りません」と
ニコッと笑顔、

「そうですかぁ」とガッカリする男性客

傍らで聞いていた販売員らは
「時間をかけて集めた大事なダイアモンドですから簡単には売らないですよね~」
と楽しそうに話しており、この販売員も先ほど同じ質問をしていったけと思いながら
沢山のお客様をご案内していた。

それらの会話を聞いていてつくづくダイアモンドは素晴らしいと思いながらも多くの
消費者はじっくりと不思議な石を見る事はあまりないのだなぁと思いながら、今後は
ダイアモンドを製品だけではなくルース(裸石)でも見て頂く機会を作ろうと思いついた
しだいです。

立ったひと固まりのだいあもんどの小粒たちが人々の気持ちを一瞬でも災害の
ニュースから解放してくれたことに、ありがたいと思いながら帰京をした次第です。

2011年3月12日土曜日

地震!!

 驚きました。今回の地震には・・・。

1968年の十勝沖地震も経験しておりますが、あの時は小生は高校生で学校におりました。
この時も相当揺れて授業中の教師が何事もなかったように黒板に向かっておりましたが、その
間にも窓ガラスが落ち机が揺れておりました。

教師はやおら振り向き「今、揺れたか?」

我々生徒は「先生何を言っているんですか。ガラスが割れて机がこれだけ揺れたのに
先生が知らんぷりしているから…。」

「そうか。そうだよなハハハハっ。」
と豪快に笑う先生。

後に聞いたところによるとそこまで大きな地震になると思わなかったので生徒が騒ぎだす
といけないと思って知らんぷりをしていたら思っていたより大きくてビックリしたとのことでした。

なんともノンビリした話でしたが大きな惨事だった割には気持ちのダメージは少なかったような
気がします。その日は夕方にも大きな余震があり、印象としては強烈でした。

今回は小生の大事にしていたロマノフ王朝のお抱え宝石商の『ファベルジェ』の焼き物が落下して
割れてしまいました。金額の問題もそうですがあまり現存していない物なのでとても残念ですが
被害を受けた方が沢山いる中でそれだけで済んだのは不幸中の幸いだったのかもしれんせん。

どんなに歴史上意味のある物であっても壊れる時はもろいものであるという事と、自身がもう
少し扱いを慎重にしていたならばと考えると自身に《喝ッ!!≫です。

改めて壊れないダイアモンドを財産とすることをお勧めしたいものです。

2011年3月9日水曜日

キッカケ

 最近気になっているCMがあります。BGMにエンゲルト・フンパーディンクの
“クワンド・クワンド・クワンド”が流れています。

自動車のCMソングとして流れてきたのは1960.70年代に活躍したプレスリー
やトムジョーンズと並び賞されれたイギリスのポップス歌手のフンパーディンク
の曲でした。

1970年代アメリカに渡っていた私は決して裕福ではなかったのですが当時
在住をしていたロサンジェルスでは移動手段として車は欠かせません。

渡米直後に私が手にした車はフィアットの124型、当時$900で手に入れた
もので至極シンプル、故障個所を見つけるにはケーブルをたどっていけば解る
といった程度のものでした。

私の愛すべきこの車は小さくて、車輪とハンドル、ブレーキ、アクセルが付い
ているだけの車で、唯一贅沢品と言えばカセットデッキが付いているという位
でしたが勿論テープは持っていませんでしたので、なんだかな~・・といった
感じでした。

ある時、車を持って行動範囲も広がったこともありサンセットブルバードを走っ
ておりました。空は青空、広い道、カリフォルニアを十分に堪能しながらドライブ
をしておりましたが残念なのはそこに音楽がないことでした。

しばらくドライブをしていると黄色に赤い文字の建物を見つけ、そこに『Tower
Record』と書いた看板を見つけました。早速、駐車場に車を止めて店内に入る、
中には整然と並んだレコード盤を中心にカセットテープも沢山置いてありました。
そうです、ここが今では有名なタワーレコードの一号店です。

$7.8を中心に並んだレコードやカセットを見ながら(高いなあ~)と思いながら
も何とかわが愛車にカセットデッキを使いたくて店内をウロウロしていると小さな
ワゴンの中に$2、50と書いた紙っぺらとカセットテープがいくつか転がって入っ
ていました。

値段だけを見て手に取ったテープには『Engelbert Humperdink』と渡米したばかり
の私には読み取りにくいスペルの並んだカセットでしたが、取り合えず手にとって
見てみるとブルーの色したカリフォルニアらしいカセットだと思い、(何でもいいから
聞いてみよう)と思い、そのテープを購入しました。

カセットを愛車のデッキに差し込み流れてくる音楽を聴きながらドライブしていると
それはもう南カリフォルニアそのものでした。それからというものうれしくてしょっちゅう
ドライブに出かけておりましたがいつも流れてくる音楽は一緒でした。

今CMから流れてくる曲はその時によく聴いていた曲で、それを聞くたびにその
時代に呼び戻されます。聞いている間は全く南カリフォルニアをドライブしている
気分にさせられます。

聞いたり、見たりする事の印象が強ければ強いほどその時代を思い出しますが、
婚約指輪や結婚指輪はその時を堪能する訳ではなくて時代をいくつか過ぎて、
改めて見た時にその思い出を懐古するものだと私の友人が言っていたことがあり
ますが、曲は記憶に残り、景色は脳裏に残ります。

思い出深い物や曲は時代を超えて記憶を呼び戻してくれます。特に物は実際に
手元に残り、思い出を呼び戻してくれるキッカケになります。曲はその人のみの物
ですが、物は壊れない限り由縁のある方全てに残ります。

そうです。やはりダイアモンドは良いですね。ズーっと残り、思い出を運ぶだけで
はなく持っていた人の物語を歴史を超えて運んでくれます。

さあっ、今日もあのCM音楽を聴きながらカリフォルニアの青い空を思い出そう。
楽しみが一つ増えました。

2011年3月5日土曜日

ダイアモンドの経済的価値

 最近、地金の高騰も手伝って地金の取扱い企業のCM当が目立ちます。

『国境のない財産』とか『インフレに強い』といった内容ですが、確かに国境のない財産である事は
間違いがりませんが価値に財産という単位で考えた時に、例えば1千万円の財産を持ちだそうとした時に約3キロ近い物を持って歩かなければならないし、そのような時期であればアッと言う間に強盗に
襲われるのではないかと思います。

財産とは何かというと経済的価値のある物で、民法上では人が帰属主体となり、法律行為や相続の対象になり得るものとなっています。日本では登記とか不動産等を指して言っておりますので金や地金
は元々財産という前提にはないのかもしれません。

しかし、世界では金や宝石等持ち歩ける物が資産という積極的財産であり、不動産はどちらかというと戦争や侵略があれば役に立たない物という事になります。勿論、国情が安定していれば不動産は立派な財産です。

ではダイアモンドはどうなのか?

金に比べて明らかに携帯することが容易で決して目立つ物ではない事はわかると思いますがどの様なダイアモンドが経済的財産になり得るのかというと希少性があり、美しい物が基本です。

美しい事は前提として、大きさがや色が珍しい物が財産となり得るわけですが、美しいだけでは難しい物があります。つまり、一般的に婚約指輪やファッションジュエリ-に使用されているものは美しくてもサイズが小さいという事になります。婚約指輪の材料としては良質の物を使っているという事にはなりますが宝石として財産になるかというとそれは肯定しがたいものです。

勿論、財産とは情緒的価値もある訳ですから人によって別の価値も存在します。ただし、経済的価値となると、やはり条件が世界のどこでも換金の出来る対象の物という事になりますので大きさや珍しい色の物という希少性が必要になります。

何故ここでこのような事を述べたかというとダイアモンドは換金することが出来ないようなイメージが一般の人にはありますが、利殖も含めて必ずしもそうではないという事を知ってほしいと思っているからです。

現に今の日本ではリサイクルという形でダイアモンドの買い取りが行われており、そのダイアモンドを世界から買いに来ているという事実もあります。つまり、今の日本国内にあるダイアモンドは世界に輸出するほどの取引があり、それを利殖としている人もいるという事です。

ダイアモンドには美しくないダイアモンドもあります。それは既に宝石ではないのです。また、婚約指輪に使用しているダイアモンドは良質なものが多く綺麗ですが、あくまでも婚約指輪の材料としてのダイアモンドで、婚約という特別な行事の為ですから、品質が良い方がよいという考えもありますが、これからの人生の財産として美しい事は前提ですが品質が最高質でなくても大きさという希少性を求めるという考え方もまた存在しても良いと考えます。

大きくて良質であればある程度海外でも通用する財産となるのです。決して金や地金を否定している訳ではありませんが宝石があって金やプラチナが流通している半面もあります。

勿論、金や地金には相場があります。ダイアモンドにも相場はありますが希少性が高いという意味でオークションという相場になりますので、均一な物に立つ相場とはちょっと違うかもしれません。

しかし、これからはダイアモンドを財産として考える時代が来る事は間違いがありません。人によっては人為的に操作がされている相場という言い方をする方もいますが、それは大きな意味で金や地金も一緒です。

むしろ、市場原理に左右されているダイアモンドの方が株や商品相場より健全と言えるでしょう。
勿論何でもそうですが素人が手を出しにくいものですから信用できるプロのアドバイスが必要である事は言うまでもありません。

2011年3月4日金曜日

「英国王のスピーチ」

 「英国王のスピーチ」がアカデミー賞三部門をとって話題になっています。

映画の内容は見て頂くとして、この映画のもう一つのストーリ-として主役のジョージ6世の兄
で、本来だあれば国王の座に就くはずだったエドワード八世(後のウインザ―公)とウォリス・シンプソン夫人の「世紀の恋愛」として世界中を騒がせた話題があります。

国王の座を捨てたエドワード八世とシンプソン夫人はイギリス国民や王室の人々に非難を受けながらフランスに逃飛行を行いその地で挙式をおこなった。

なぜならシンプソン夫人は既婚者であった時からエドワード皇太子と愛人状態にあり、ウォリスは夫であったシンプソンと離婚裁判を起こし、夫の不貞を訴え勝訴し離婚をしました。

しかし、世間ではエドワードとシンプソン夫人の中は周知の事実でその裁判さえも首をかしげられていましたが、晴れて夫婦になってフランスのカンヌに落ち着いた二人に対して美談さえも持ちあがってくるようになりました。

国王の座を捨てでも思いを遂げたエドワードとウォリスには冒頭にあるように「世紀の大恋愛」として
の美談として伝えられた部分と後世になってもシンプソン夫人として言われるようにあくまでも不貞は
不貞であるといった非難と二つの側面があります。

ここでなぜこの話題を書いたかと言いますと、この時の婚約指輪が世界最大のエメラルドを半分にカットした物を使用したという事でこのエメラルドはムガール帝国の王がかつて所有していたものでイギリス王室が後に手に入れた物であった事と後にウインザ―公として彼女に贈ったダイアモンドは冒頭の「世紀の大恋愛」とも名づけられた31.26ctのクッションカットの見事なものでありました。

特にクッションカットのこの大きなダイアモンドはその後日本人の手に渡り大きな話題なりました。
意外とマリリンモンローの「バローダの月」だったりと日本が一度は手に入れた有名なダイアモンドがある事には驚きませんか?

本当はもっと多くのダイアモンドが日本には来ていますが、ほとんど今では海外に渡ってしまった事を考えると残念です。

ところで、英国王室の不倫文化伝統は今でも続いている事を考えると常識はやはり我が国とは違うんですね。

2011年3月2日水曜日

ダイアモンドのガラパゴス化

 昨日、小生より長くダイアモンドビジネスに携わっておられる方とお話をしました。

そこで出た内容が現在ダイアモンドに携わっている人間はある意味かわいそうだといった内容でした。何故かと言えば本来のダイアモンドの価値観と違うところからダイアモンドを学び始めているという事です。

昨今、入試の携帯を使用したカンニングの問題が取りざたされ、入試会場に携帯の電波を圏外にする装置を取り付ける話が取りざたされていますが、一方では圏外地域を少しでも無くしようとしています。皮肉な話ですが今後もこんなことが続くのでしょう。

前回にも述べましたが、それぞれのローカル環境とのバランスが進化や文明には必要である事は間違いはありませんが、ひと昔前や現代の発展途上国ならそれだけを考えればよいのですが、今の先進国はそれぞれが技術やノウハウを持っているので勝手にそれぞれの都合で進化しています。

特に日本はFAXに始まり、携帯等はまったく日本独自の進化をしています。いわゆるガラパゴス化が起きている訳ですが、その為に皮肉なことですが国際競争には後れをとる事になる訳です。

ダイアモンドに関しては日本ほど4Cのグレードのこだわるところはありません。40年ほど前はまだ
ダイアモンドにほとんどグレード表示がなく価格だけの表示がある程度でしたが、小売店なども価格の違いを説明する知識もなくトラブルが絶えませんでした。

同じように見えるダイアモンドの価格の違いを説明する為のツールとして4Cグレードが持ち込まれた訳ですが、今から三十数年前私たちは当用漢字が読める事が出来れば理解可能な、当時で言う鑑定書を普及させました。その表示する4Cは消費者が見ても理解できる内容でしたが、新たに立ち上がられた鑑定機関はその内容を難しくし専門家でなければ如何にも解らないようなニュアンスの鑑定書を造り上げました。

鑑定書の普及は結果的には4Cグレードの普及にもつながり、日本独自の市場が出来上がってきました。細かい日本の消費者にはその手法が取り入れられた事により、理解するというより、ここまで細かいのであれば安心が出来るといった真理を見事利用した市場が出来上がったのです。

一方4Cが前提となったダイアモンド市場では、4Cのついたダイアモンドを仕入れる訳ですからプロでなくても買付は出来る訳です。しかし、本来の買付はダイアモンド独自の価値(ダイアモンドその物や市場性)で判断される訳ですから4Cがついていたらむしろ良い物が買付できません。

他人が評価をした物に値段をつけるだけなら誰でも出来ます。今の日本人の若いバイヤーにはノーグレードの買付が出来ません。つまり経験がなく独自の発展を遂げた日本のダイアモンドビジネスの中で育ったのでその必要性も無かったのです。

プロでなくてもできる事は専門職になり得ません。つまり、世界では通用しない訳です。

世界の多くの市場ではサイズが大きくかったり、特殊なものにはレポートが当然つきますが日本で販売されているような小さなサイズで品質が並のものであれば、消費者が自ら判断するものですのでレポートはつきません。

日本ではどんな物にもレポートが要求されることが多いのですが、大概の場合はレポートの効力は半年前後です。永久の商品についているグレードはわずかな期間でその効力をなくする訳です。
勿論ダイアモンドはさらに残りますので問題はありません。

世界では考えられない状況が日本では起きている訳です。冒頭の会話はこれらを表しており、本来であれば専門職の仕事のはずなのに、ガラパゴス現象が起きた為にバイヤーの仕事をして経験を積んでも今の状況であれば誰でもできるし、本来のダイアモンドビジネスであれば世界に通用するだけの知識も経験もないといった状況が起きているという事です。

ダイアモンドは本来、自らの価値で解釈し、それが高価なものであれば真偽を確認するために第三者に判断をしてもらうというのが基本である。

またまた難しくなったのでこの続きはいずれ機会を来て・・・。

半端だと思った方は是非お問い合わせをください。