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2026年1月6日火曜日

常識というもの⁉

  新年が明けてあっという間の1週間が経とうとしていますが、アメリカのエクアドル襲撃などのニュースが飛び込み、世の中の常識というものが音を立てて崩れていくような気がしているのは私だけでしょうか?

 勿論、その件だけではなく、日経の高値明けから始まり、ここ数年来続いている地金の高騰は金にと止まらず、プラチナ、銀、パラジウムなど実際のバリューではなく、金融の底上げ的な高騰などは過去の事例にはありません。

 過去の事例にないことは当然、如何なAIといえども測りえず、だれの予測も当たる可能性もあり、外れる可能性もあるわけです。

 そして、金融というものは本来経済の安定に必要な要素であったはずなのに、経済をより不安定化しているように感じます。つまり、根拠のない価値観がはびこり、経験のある人々にとっては不安要因であり、経験のない人々には我々のバブル時代のような浮ついた高揚感の中に浸るという時を迎えています。

 歴史だけを考えればいずれネガティブな状況になることが必須であり、時代から考えると数字が落ちないにも関わらず、価値が落ちていくという状況で収まるような気もします。つまり、インフレです。

 品格とステータスが価値という時代に終わりを告げるのか、効率と数字という、アナログとデジタルの価値判断がうまく融合してくれる時代になるのか?

 現代の半導体やAI産業に浮かれているのは産業界というより、その両方に浮かれているのが金融界であり、それを憂いてしまうのは私だけでしょうか?

 AIは1のものを100にすることはできるのでしょう。しかし、0のものを1にできるとは思えません。もっと、政治も経済も足元を見てほしいと思うのです。

 常識というものが時代とともに、場所や文化とともに変わってくることは否定をしません。しかし、それは人々にとってよりより便利に都合よく変わってきたはずです。しかし、現在の常識の変化は人々を不幸にしているように感じます。

 そして、その度合いは増々大きくなっていくような気がします。一人の人間に使うことのでいない富が集中し、そのことだけでも貨幣の価値を下げる例として十分な根拠となります。

 誰も測れない常識は、すでに常識ではないのです。 異常なのです。

2026年1月2日金曜日

2026年への懸念⁉

  明けましておめでとうございます。

 2026年、午年はどのように迎えるべきかと思い悩んでいるところもありますが、新年の参拝でのおみくじは『大吉』と気持ちは少しホッとした気分で新年を迎えました。

 昨今のAIブームに始まり、それに関連した半導体等の株の高騰もあり、幾分金融の世界では浮ついている部分も感じます。

 金融の世界は昔から水物といわれていることもベースにあり、いささか投資ではなく、投機というギャンブル的な要素が十分にあるものが経済の中心を担っていることも、この午年に関しては不安な要素ともなっています。

 AIそのものも過去のほとんどのデーターを読み込み来るところまで来ている感じもしますが、さらなるAGI(汎用性人工知能)ブームも来ており人類はどこまで人工知能を開発し、何を望んでいるのか理解に苦しんでいる部分もあります。

 我々のようなアナログをビジネスのベースとしているような業界はもはや必要がなくなってきたのかと思う反面、AIそのものはアナログをいかに効率よく機能させ人手の効率性を高めるものであるべきと考えており、その需給というかバランスが崩れ始めていることも不安です。

 AIは未来を作れるのではなく過去を如何に整理をし、未来の創造するための材料を提供しうるかという観点が本来の姿で、AIが未来を創造できるわけではないということを誤解してはならないと思っています。

 人々は食事をし、洋服を着、快楽に身を任せる部分があり、それらを作り得るものは全てがアナログの世界です。

 第一次産業を効率よくし、例えば自給率を上げるための手助けとしてのAIは大いに結構であり、産業革命としても十分な役割を担う事が出来ます。しかし、現在の一部の人間のためのAIの進化は金融という本来であれば経済の潤滑油的なポジションを押し上げ、経済の主役になろうとしています。しかし、経済の主役はデジタルであれ、アナログであれ貨幣が主役です。

 昨今の金融のふくらみのスピードは度を越しており、金融商品が先行をし、本来の物が供給されるスピードをはるかに上回っています。インフレを加熱させることとなり、貨幣の価値が下がるわけです。

 この間の貨幣の価値がいかに失われたかということは皆が実感していることでもあります。

貨幣が市場へ回って初めて経済が動くのであって、デジタルの世界で動き回る数字の貨幣には未来を担う役割はないと考えています。

 ダイアモンドビジネスという世界へも同じように本筋からそれ始めた部分も見え始めています。ステータスというものが役割を終えることはありません。フェイクなステータスの創造は人々が生きていく部分では何の役にも立ちません。ステータスはアナログの中に存在します。

 AIへの過度な期待というものは経済を陳腐化させ、人々から活気というものを失わせることにもなるでしょう。

 



2025年10月30日木曜日

現状に見る現実⁉

   宝飾業界の不振が語られ始めて久しく、業界の変化も著しいものがあります。地金の高騰もあり、多くのメーカーは商品を作ることには消極的であり、更に消費者への直接の販売を試みています。

 現在行われている名前ばかりの国際宝飾展でも多くのインフルエンサ―を抱えたメーカーやリサイクル業者が幅を利かし、本来の商社は影を潜め凋落の様相を呈していました。

 これは欧米諸国よりもさらにジュエリーを対する文化のない日本にとっては致命的な現象であることは火を見るより明らかともいえるのかもしれません。

 宝飾品は本来関わる者たちの付加価値の創造により価値のあるものです。しかし、それを落としめるような販売方法行ってきた業者が国際宝飾店や通信販売で幅を利かしていることも事実です。それはいかにも自らの首を絞めることになるのです。

 しかし、生き抜くための手段としてはやむを得ないだろうし、メーカーが消費者にダイレクトに販売を考えることも必然でもあるし、本来の欧米的な宝飾店は自らデザインをし、顧客に提案し、販売する方法が原点であるので、ある意味製作をしている会社が販売をすることに違和感はないのです。

 問題は小売業であったり、百貨店に入っているテナントである。彼らは過去長い間メーカーからの委託商品に頼り、展示会に出展された消費者が興味を持った商品を進めるといった方法で半ばリスクのない販売方法に依存をしてきました。

 前述をしたように地金の高騰と販売不振もあり、多くのメーカーが商品を製作しない時代になると小売店やテナントにとっては死活問題ですが、そこに気が付いている人々が多いことも現実です。小売店やテナントは自らのマーケティングを行い、プロモーションを充実させ、自らのリスクにより商品を準備しなければ今後の生存は難しくなってきています。

 そこにいち早く手を付けるか、退場をするか、という場面に直面していることも事実です。長年にわたり市場を破壊し、そのエネルギーで販売結果を出してきた業界ですが、そのエネルギーとなってきた付加価値はすでに存在をしません。

 つまり、自転車に乗れない人に自転車が売れないように、ジュエリーをする場所がない人にジュエリーを売ることは難しいのです。自転車を売ろうと思えば乗り方を教え、サイクリングの楽しさと行動範囲の広がりの楽しさを教えることが必要です。それはジュエリーにも言えることです。

 ジュエリーをつける場所の提供とその楽しみ方やその意義を学んでもらわなければ誰もジュエリーを買わないのです。過去売れたのは先人たちが作り上げた付加価値があればこそで、その貯金を崩しながら蓄えることなく着た結果が今日なのです。

 


2025年10月23日木曜日

リベラルとは何ぞや⁉

   高市政権が誕生をして保守右傾化を懸念する人々も多くいます。しかし、その反対側としてリベラルという理念も存在します。そして、多くのリベラルな考え方をしている人々は声を大にして反高市を謳い上げています。

 リベラルとは何ぞやというと個人の自由や意見を尊重し、多様な価値観を強要し相互を尊重しようという概念ですが、勘違いをしている人々も多くいるように思います。

 高市氏や小野田外国人対策大臣を極右のように言っている人々もいます。私自身も最初はそのような取り方をしていましたが、ルールを守らない外国人という大前提があり彼らは提唱をしています。

 つまり、『郷に入らば郷に従え』という言葉がありますが、日本で生活をするのであればその中のルールや慣習を守ってほしいということです。

 本来のリベラルというものもルールを守り、それぞれの責任を尊重することにあります。何事も好き勝手にやってよいということではないはずです。何でもかんでも右左に分けることでもありません。

 そのリベラルというものを過信しすぎることにより社会の分断も起こりやすくなっているような気もします。

 例えば最近目立つ転職サイトですが、いとも簡単に自分探しと適職が見つかるような内容でCMを流し、転職を促す内容になっていますが、そんなに簡単なものではないし、ある意味での経験や履歴を積まなければ転職をしても意味がありません。入社して数か月で身につくものは知れています。(これは直接の例ではありませんが、身勝手を促している面はあるように思います)

 勿論、中には入ってみたら話が違ったということもあるでしょうが、それは入社前にリサーチをするためにアルバイトで体験入社をするとか、多くの会社はそれを受け入れているはずです。

 特に外国人には信教の自由もありますが、その国の慣習やルールを守ることが前提で宗教のためなら何をしてもよいということではありません。しかし、それらに声を上げると必ずと言ってよいほどリベラルを名乗る人々が反対を声を上げます。

 今回の高市政権は決して極右思想とは言えません。当たり前のことを掲げているだけだと思っています。むしろ、受け入れ側の習慣マナーを認め、自分勝手では共生できないことを理解し、相手側の存在や意見を尊重しなさいということだと思います。

 今後には懸念も残りますが・・・。


 


2025年10月21日火曜日

雇用なき経済成長⁉

 日米ともに株価が高騰し、優良株の所有者は寝ている間に資産が増えている状況にあります。

 勿論、金融が主導する経済成長には疑問があります。本来は実体経済に伴う経済成長が本来の形であるとは思うが、現実は狂ったように金融が膨らんでいます。

 物々交換の代替物としての貨幣を考えると、物に対してその価値が低下をしているということが想定できます。その典型が金の高騰だろうと思っています。

 日本のバブル期も同じような現象が起きており、1989年にはやはり3万9千円の株価を付け当時の為替は1ドル@130円前後だったと記憶しています。現在は為替@150円前後で45,000円を除く展開を考えると、率だけで言うと同じよな展開で、その後にバブルの崩壊が始まっています。

 しかし、このときは不動産をはじめあらゆる物の価格が高騰し、お金が経済を回している実感がありました。現在を考えると株価は高く、現物資産の金も高騰を続けていますが、実態は格差社会といわれるように一部の資産家の資産が増え、それを後追いしようかとする少額投資家がその後押しをしているように見えます。実際に利益を生むのは特別待遇を受けている富裕層だけですが。

 現在の金融市場はITを取り巻く半導体株やAI関連のDX株が高値を付けています。つまり、世間のAI化が進むことが現状の株価を押し上げ、さらなるAIの進化によりに人手不足が解消をされるという前提で進んでいますが、人手がいらないところまでの進化が進み始めている傾向がみられます。

 つまり、人は働くところが無くなり、結果的には市場にお金が回らなくなり、経済の血液といわれるお金が回らなくなるということを想像するのは私だけでしょうか?

 現物資産の金の高騰は需要に関係なく価格が上がっていきます。これは金融で余ったお金が避難所として金という居場所を求めているように見えます。結果的には現在の金融価値は現物に対してそこまでの価値はないということになります。

 結論を言うと膨らむ金融は数字ほどの価値はなく、その数字を膨らませた結果人々の働くところが奪われ、お金が市場に回らなくなり、実体経済に活力がなくなるのでしょう。また、資産が膨らんだ人々も実体経済で使える金額には限度がありますから、これによってもお金が市場には出回らなくなります。

 日本においてはアベノミクスなる富裕層優遇を進めたためにそれが顕著になっています。この政策を引き継ぐとして高市政権が誕生することは雇用促進とは逆方向に向かい、そこに助成金をまくという真逆な政策をとっているようにも見え、税金の無駄遣いとならないか懸念をしています。

 雇用なき経済成長は崩壊へ向かう序曲とならないか?

 必要のないAIの進化は本当に経済を回すのか?

 疑問だらけです。

2025年10月9日木曜日

金相場から連想すること‼

 金の高騰が止まらない。

 目先でみると低迷もしくは下落もあり得るが、長期的にはやはり価格が上り続けるだろうと考えるのが妥当かもしれない。米国の金利引き下げや有事の落ち着きが今後考えられることを前提にするといったん下がる気配が出るかもしれない。

 しかし、金融市場の異常さを考えると常に逃げどころとしての金市場はもはや仮想通貨状態になっています。総合的に考えると上昇気配を除くことはできないといえるのです。

 現物は金融市場にとって相対的なものではなくなってしまっていることが金の高騰の大きな要因ですが、現実には貨幣や金融の価値が現物に対して下がっているといえるのです。

 一人の人間の資産が数か月で数兆円も増えるという現象はその一番の証拠とも言えますが、そんなことに耳を貸す輩はいないとも言えます。

 日本政府自体が実体経済を動かすことより、金融経済を動かす方向に舵を切っているので国内の経済を親身に動かすつもりが無いようにも見えます。物価の上昇が賃金の上昇を上回っていることが何よりの証拠です。もし、分からずに行っているのだとしたら最悪ということです。

 アベノミクスはそれを前提に建付けを行われたわけで、阿部さんの言っていたトリクルダウンは18世紀の手法で、彼は現代のDXに進化について詳しくはなかったのでしょう。

 富める者が儲ければ必然的に下々の者にもおこぼれが来るという考え方は現金で世の中が回っていた時代の理屈です。彼は身近な近親者という富裕層を儲けさせれば民にも回るだろうということが実際には彼の周りを儲けさせただけになってしまったんです。

 それを継承しようとする高市早苗という人が、もし総理になったとしたら日本の経済は破綻するのだろうと考えます。

 そのことが有事となり、金の相場をさらに押し上げる要因とならないことを願ってやまない。

2025年9月3日水曜日

ダイアモンドの資産性指標⁉(2)

  前回に続いてですが、ファンシーカラーの資産性としてFCRF(ファンシー・~・リサーチ・ファンデーション)のリポートが資産性の指標になるという根拠は出現率や出現毎年数などを数値として示してくれるわけですが、条件としてGIAによるリポートがついていることが前提です。また、カラーだけのレポートの場合はレポートの発行はできません。

 大粒ダイアモンドに関しても現在はトレーサビリティ付きのレポートの発行が行われてきていますので、同じく産地を含めた希少性が明確になってくることを考えると価格の目安が今よりさらに鮮明になってくることになるのです。

 つまり、今までも資産としての存在はありましたが、実際には大粒の場合には基準とするものも少なく価格の幅も相場の持つ小粒よりはブレがありました。

 しかし、レポートの精度が上がってくることによりその価格の幅はより小さくなり、より資産性の指標になりやすくなってきていることも事実です。

 それは、換金性や価格変動幅の実利性をより明確にすることになり、資産としての取引により実効性を増すことになるのです。

 ただ、敢えて言えばダイアモンドという資産は別の意味あいも持っていますので、全てが透明化になることは本来の特殊な資産としての価値を持ち続けるのかどうかは疑問です。

 つまり、金のように証券化や登録制ではないのでガラス張りではないという特殊さもダイアモンドの特徴でもあります。

 現代のように全てがデジタルにより管理される時代は便利な一方、すべてが裸にされる可能性があり、もっと言えばプライバシーがなくなることさえ考えられるわけです。

 資産としての実効性が増すことはダイアモンドビジネスにとっては良い事ではありますが、人間社会は全てが白日にさらしてよいももばかりではありません。それ故の資産性であった事実も歴史上あります。

 しかし、今後AIを使ったグレーディングが進化し、すべてがブロックチェーンにより管理をされるようになるのかもしれません。