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2019年5月28日火曜日

プロ意識⁉

  2003年の初夏、丁度ラスベガスJCKショーの開催時期に出展をし、灼熱の外気に触れながら宿舎から会場に向かい会場に一歩踏み入れるとその中の冷気が肌に心地よく、私自身はその事自体が決して嫌いではなくむしろご機嫌でもありました。そんな時にある一通の招待状を貰いました。

 ラスベガスのJCKショーはリゾートホテルべネシアンにつながるサンズコンベンションセンターというところで行われていたのですが、その招待状のその場所とはちょっと離れた某ホテルの一室が会場となっておりました。私は灼熱の外気の中を駐車場に向かい車に乗り込むと外気より更なる暑さに迎えられエンジンをかけエアコンで少し車内を冷やし、会場へと向かいました。

 そのホテルの一室に顔を出すと長身の眼鏡をかけた男性が迎えてくれました。名前はもう忘れましたが人造ダイアモンドメーカーのGemsisのCEOでした。

 彼の話によるとJCKショーへに出展依頼を数年申し込んでいるが合成ダイアモンドという事で出展を許可されずにいるという事でした。結果的に同時期に近くに会場を設けてアピールをしているという事でした。話の内容は、彼のここまでのいきさつや活動について説明をされ、ぜひ協力をしてもらえないかという事でした。

 話の内容というのは彼は軍人でソ連崩壊の折にソ連に派遣をされ、その際に人工ダイアモンドの製造機に出会ったという事でビジネスになると考え除隊をし、製造機を手に入れGemsisiを立ち上げたという事でした。

 勿論、その前からその噂は耳にしておりましたし、興味もあったという事もあり、詳しく聞くと既に米国内では約40店ほど、さらには香港に法人を立ち上げているということでした。そして条件としてネット上で取り扱いを公表するという事で不正を防ぐという事もしておりました。しかし、当時の日本においてはまだまだ業界の知識不足という事もありましたのでその場での返答は控えました。

 実際には確認は取れておりませんがその前にすでに日本には入っていると確信をする事はできました。それというのはまだ旧ソ連崩壊前に日本にはソ連からにダイアモンドの輸入が行われていたのですがGemsisのダイアモンドの製造機械が旧ソ連製であったという事から結びついたのです。

 旧ソ連崩壊の数年前にある事件があり、その時に大量のダイアモンドが警察に押収され、そのダイアモンドの鑑別依頼を受けた事があります。その時にはまだ人造ダイアモンドの知識も余り無く、考えたもいませんでしたが経験上の肉眼ではそのダイアモンドに違和感を感じていたことがありました。

 当時の計器上ではダイアモンドであることは理解しつつも当時大量にダイアモンドを見ていた自身の経験が違和感を発していたのです。もちろん今となってはその確認をとる方法はありませんが、当時の鑑定機関はダイアモンドとしてグレーディングレポートを出しておりました。

 その後ディスクローズされた取扱店の中に当方の取引先でデトロイト郊外のお店も入っておりましたので後日訪問をし、確認をしてみるとそこの店主は
『何の問題もないよ、ちゃんと説明が出来るからね。』
と意外とも言えるくらいに簡単に返答をしておりました。

 つまり、アメリカの場合怪しげな業界という前提がないので、ちゃんとした説明をすれば何の問題もないことでした。私は反面羨ましさを覚えた記憶があります。

 当たり前のことですが説明をしにくいとか疑念を持たれるというのは販売側の問題であってお客様にちゃんとした説明が出来れば問題がないという事はある意味当たり前のことでそれが出来ないという方のレベルに問題があるという事を痛切に感じました。つまりプロ意識の欠如です。

 その後私の業界に対する考え方が変わってきたような気がします。
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2019年5月24日金曜日

扇動する輩⁉

 最近Y経済研究所によるセミナーが行わられ題材が『合成ダイアモンドの今後』という事であったらしいのですが、その中で数年後には宝飾業界の中でのダイアモンドの割合いの12~15%のシェアを占めるだろうという内容であったという事でした。

 参加をした方からのお話では合成ダイアモンドは今後の業界を左右するとさえ言及していたようです。

 以前から述べていますが合成(人造)ダイアモンドに関してはすでにある意味解決をしなければならないことですが、既に結論が出ていると言って良いでしょう。日本では今騒がれていますが米国では既に法律でも定義付けられている問題でもあります。なぜに今更ここまで大きな騒ぎにしようとしているのかが理解できません。

 Y経済研究所とな大手の機関ではありますが、事宝石業界においては胡散臭い事ばかりをあえて行っているのかいつも大騒ぎをしてはセミナー開き結局は何の解決策も示さずにぼやかしてしまうことが多い組織だと私は認識をしています。私自身も迷惑をこうむった過去があります。

 まずダイアモンドとは炭素の同素体であることは皆さんご存知ですが、他にも炭素の同素体はグラファイトを始め存在します。それをなぜダイアモンドというのかと考えると硬度や電気伝導率に優れさらには希少性が高く何より天然の鉱物であるという前提にあると思います。

 更には宝石というのは天然であることが前提で希少性があるという定義があります。つまり、天然でもなく希少性でもない炭素の同素体といっても良いわけです。本来であればダイアモンドというネーミングそのものがおかしいともいえるわけです。

 現在では全世界で月産50CTともいわれる現在では希少性も何もあった物ではありません。現在では天然の1/2~1/3の価格で販売をされているようですが、いずれ1ctサイズが数万円から数千円で販売をされるようになるでしょう。既にいろいろなところで価格の下落が進んでいるようですが量産品とはそういうものです。

 ましてや宝石ではありませんから重量表示に『CT』を使う事も如何なものかと思いますし、そのような販売をすることが問題なのでしょう。つまり、宝石業界がそんなものを取り扱わずに普通の売り方さえしていればなんの問題もないことです。業界自体が違うのですからそのようなものに宝石を扱っていながら混ぜ込ませようとする輩が問題なのであり、合成ダイアモンド自体が問題なのではありません。

 それを如何にも宝石業界の新しい流れのように講釈を述べる輩は如何なものかと思います。

 慌てないことが大事です。
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2019年5月22日水曜日

付加価値と実質的価値⁉

 先日、某百貨店での展示会の話ですが10ctのダイアモンドの展示の横に同じくスーパーカーが展示されておりました。たまたま同じような金額でもあったこともあり、ご夫婦で来場をしていたお二人が会話の中で
『僕は同じ金額であったら車がいいなぁ。』
とご主人が言うと奥様は
『私はやはりダイアモンドかしら。』
とありがちな会話なのですが、ご主人が私の方を振り向き
『どう思います?売っている方に聞くのもなんですが。』
という問いかけがありました。

 思わず私は本音に近いことをつぶやきました。
『こう言ってなんですけど、もし此方が震災になったら車を使用することは出来ません。その上財産として持っていくこともできません。勿論ダイアモンドは可能です。』
更に
『このような事を言っては何ですが、紛争ダイアモンドという言葉があるようにダイアモンドは武器との交換貨幣代わりに使われることも有りますが、車はその代わりにはなりません。つまり、車は付加価値ですがダイアモンドは実質的価値とお考えください』
と答えるとご主人は
『なるほどそういう考え方なんだ。』
と納得しておりました。

 勿論付加価値を優先するのか、実質的価値を優先するのかはその人ぞれぞれですが、一般的に西洋の人は合理的な考え方をしますので実質的価値あるものをまず手に入れておいて余裕をもって付加価値の物を手に入れるという考え方があります。

 根本的に日本人は情緒的価値を重んじる傾向にありますが、それは島国というある意味安全な国から生まれた情緒でもあるのでしょう。少しでもおいしいものが有るとどんなに並んでも手に入れて食べたいという考え方は西洋の場合それなりの富裕層の考え方(勿論、並ぶことはありませんが)であり、一般大衆の思考ではないと思います。

 又、大陸と島国の違いでもある木材という加工のしやすいが耐久性がない物の文化と石材という加工が難しいが耐久性の有る物の文化の違いでもあるのでしょう。

 ダイアモンドを説明するにあたり、現代のグローバル化の時代においては世界基準で物を考えても良いのではないか思う場面ではありました。

2019年5月21日火曜日

民主主義とは⁉

 戦争発言の丸山なにがしという国会議員が連日報道されていますが、極右議員というのは何処の国にもいます。更には海外の多くの国で現在は極右政党が台頭をしていますし、米国の大統領もその一部でしょう。それが民主主義というものではないかと思っています。

 その国会議員をやめさせようという動きはどうなのかと考えます。勿論彼の発言は論外だし、実際にはただの酒を飲んだうえでの失態であることは本人が一番よく知っていると思います。しかし官僚出身の彼にはそれを取繕おうとする体質があるのでしょう。

 彼の将来は池袋で交通事故を起こした元官僚の思考を連想させられます。自分のせいではなくあくまでも他に責任があると言わんばかりの言い訳は見ていて醜くさえあります。

 ましてや地元の選挙民やそれを推薦した政党までが一緒になって彼を攻めています。勝ち馬に乗ったように連日報道するメディアや他の国会議員に関しても首をかしげますが、一番は推薦をした政党の代表が一緒になって彼とツイート等でやりあっている姿です。代表の彼も若いのでといっても50代半ばでしょう。ひたすら責任を感じて陳謝すべき立場にあるはずです。

 この民主主義の国では基本何も言っても良いのですが、倫理観やマナーさらには決められたルールの中での話です。彼の今回の発言は多くの人々が不愉快に思う事でしょう。しかし、彼が国会を言論の府というのはチャンチャラおかしい話ですが、確かそこに哲学があれば通る話です。そして、それを認め国会に送り込んだ政党や選挙民がいることも確かです。

 ただ今回の丸山議員の発言はそんな哲学やその内容を選挙の公約にしたとも思っていませんが、その人となりや考え方のすり合わせを行ったうえで政党が推薦公認をしているはずです。それ故に公認政党の責任は重いもいのです。だからといって簡単にやめさせろというのかというとそうもいきません。それが民主主義であり、そういうリスクはあるという事を理解したうえで議員を選ばなければなりません。

 一連の中での心配は世の中が皆うち揃って彼への攻撃をしていることです。彼を擁護するという意味ではなく、メディアよ本当にそれでよいのか?、選挙民よ自らの選んだ議員に対してやることはないのか?公認政党よ責任の取り方というものをもっと考えなくてよいのか?という事です。

 SNSやネット社会の影響もあり、皆が一様に同じ方向に流れる危険性を感じています。もっと斜めに見てみてはどうだろうか。https://ameblo.jp/diamonrow

2019年5月20日月曜日

言葉の選択⁉

 先日とある百貨店さんの展示会のお邪魔をした時の事です。入口のメインに飾ってある大粒のダイアモンドをお客様に案内をしている若くもないと言える40代の外商員が
『こちらのダイアモンドは少し黄ばんでいますがテリも良く大粒ですので価値としても十分にあります。』
 私は横で聞いていて理解に苦しむとは言いませんが褒めたいのか蔑みたいのかと首をかしげるばかりです。

 勿論状況を見ればお勧めしているので蔑んでいるとは思いませんがダイアモンドを評価する言葉として『黄ばんでいる』という言葉を初めて聞きました。現実はこんなものなのだろうとダイアモンドのビジネスは勿論な事現代の言葉の選び方が偏向していることを改めて感じた次第です。

 最近というか現代において若者や一部の若作りな大人が良く口にする言葉として『ヤバい‼』と連呼をするような場面に出会います。過去には『都合が悪い』とか『危険』といった否定的な言葉として使われ更にはどちらかというと反社会的組織の人間が使った言葉ですが、現代においては『凄い』とか『信じられないとか』といったむしろ肯定的な言葉として使われることが多いのには驚かされます。しかし、現代の意味がそうであっても決してオフィシャルな場所やフォーマルな場所に適しているわけではありません。

 言葉というのは時代とともに意味も移り変わることは間違いがありませんが、語源が反意なものであれば使用する場所を考えなければなりません。冒頭の外商員も『黄ばむ』という言葉が否定的な言い方として理解をしていなければ論外です。

 普段の会話の中でも同じ言葉がを使うにしてもTPOがあることは多くの人が理解をしていますが、そのそれぞれの人が育った環境により使う意味合いや言葉の強さが違ったりもします。

 更にはその使い方と行動が一致していなければその言葉に何の意味を持たないことも有ります。よく後での言い訳ではありますが『そんな意味でいったわけではないのだけれど・・。』という事がありますが、誤解を与える言葉の使い方というのも話す側の言葉足らずだったり、聞く側の知識不足だったりします。

 話し上手な人は聞き上手ともいわれますが話し方というのは知識と経験そして理性というものが
その言葉の選択をし、人に話の真意を伝えるものだと感じるわけです。

 自戒の念も込めて『言葉の選択』はきちっとしなければと思います。
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2019年5月18日土曜日

責任の所在⁉

 昨今起きている交通事故の大概は安易に高齢ドライバーとか若者の暴走という結論になっているようですが、果たしてそうだろうかという気がします。

 確かに事象の表面に出ている事だけでいえばそうかもしれないし、それ以上の深読みは必要ないかもしれませんが、現代においては情報や検証が過去とは違い顕著に詳細や周囲状況が集められます。

 多くの現代の事故要因に関しては私自身は車の運転が簡単になり、そこに大きな要因があるように思っています。つまり、免許の取得が簡単になり、本来車の制御知覚能力のない人間までが街にあふれているような気がするのです。

 絵画でもなんでもそうですが基礎が出来ていて、それをくずし結果そこに芸術性が認められるわけですが車の運転も同様にまずはマニュアル車が運転出来てからAT車に乗るなり、マニュアル車に乗るようにすれば本来の車の制御性というものが理解が出来ると思っています。つまり、凶器になり得るという事の認識が出来るという事です。

 その裏には車産業や行政の事情や策略を感じてならないのです、薬に関してはあれ程厳しく規制をしているにもかかわらず車に関してはリコール問題が頻発しているように意外とずさんなわけです。つまり昨今の交通事故地獄の目立たない要因にはそんなところがあるような気がします。

 目の前に起きている事象に関してはどうしても目に見えることを要因としがちなのは何も交通事故だけではなく組織の悪化要因だったり、業界の業績不振に関しても同じようなことが言えます。

 会社の場合は責任者の責任というよりは従業員の責任になりがちであるし、多くの場合が中間責任者の能力の無さが要因であり、その責任を上層部にうまく報告をする能力にあります。
 最近も明らかに不振の要因の一部が責任者の方にあるにもかかわらず従業員がリストラをされるという不合理を目にしてきましたが、責任者本人は責任者であるにもかかわらず責任をとる様子も見られません。

 業界においても不振は安売りが大きな原因であり、努力不足が自らの将来を封じ込めているわけです。しかし当事者たちは目の前の要因を原因にしたがりがちです。その場で売れればよいという考え方が今の状況を作っているわけです。

 責任の所在というものは広がれば広がるほど見えにくくなります。しかし、ほとんどの場合ご都合主義で目先を追ってしまいがちな面が要員にあります。これほど情報化が進んだ時代でも、人の欲望や都合が責任の所在を簡単にすることには進化が殆どないという事をを改めて痛感をするわけです。

 『苦あれば楽あり、楽あれば苦ありです。』

都合の良い事だけを先にやっていれば、当然後にはそのしっぺ返しが来るのです。
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ごつごうすyぎで





















































































































 

2019年5月10日金曜日

保育児への交通事故⁉

 今回、滋賀県において痛ましい交通事故がありました。直進車と右折車の衝突事故のあおりを食って交差点にいた保育園児の列に直進車が突っ込み二名の園児を亡くした事故です。原因は右折車による前方注意ということでした。

 ここには問題点が二つあります。

 痛ましい事故ですが運転手の注意不足という事故は多く当たり前でうが、今回も問題の事故現場をTVで見ているともっと二次被害を食い止める事が出来た事故であることが解ります。つまり、ここの交差点では同じような事故が以前にも起きているという事ですが、二次被害が起きうるであろうという想定が出来るところにガードレールがなかったという事です。

 T字路の交差点で直進方向はスピードが出しやすく事故としたら右折車と直進車の衝突は十分に想定が出来ます。そして、衝突車が二次的な被害を及ぼすとしてら園児たちのいたコーナーでしょう。しかし、その想定は歩行者には当てはまりません。今回の保育士さんたちが横断歩道の何の落ち度もない法定の位置に立っていたのですから。

 しかし、びっくりしたのはその横断歩道の歩行者が待機する場所にガードレールの一つもついていないという事です。これは明らかに国のミスであることは間違いがありません。外国であれば明らかに国が訴えられるケースでしょう。

 そして、もう一つは今回の事故現場には両車両共に衝突後のブレーキ痕がなかったという点です。ぶつかって気が動転していたことは理解をしますが、もし運転能力がもう少し高い人であればどうであったでしょうか。ブレーキを踏んでいたのではないでしょうか?

 現代の車社会においてはオートマ車が殆どといっても良いくらいで、コントロールは極端な話ハンドル、ブレーキ、アクセルのみです。つまり、本来のマニュアル車のような車を制御する能力のない人も安易に運転が出来るという事です。

 最近の事故を見ていると老若男女関わらず、スピードの制御やハンドルの制御が出来ずに起こしている事故が多くあります。先日の池袋の元役人が起こした事故なども、もしマニュアル車であればと考えるとあそこまでの大きな被害にはなっていなかったでしょう。つまり、ギヤの連動がありますからあの状況ではエンストを起こし衝突前に停車をしていたでしょう。

 もう一度マニュアル車を運転する能力があるかどうかで免許の配布を決めてみたらどうでしょうか。その上でオートマ車を運転する分には構わないと思います。高齢者も年齢ではなく運転能力の不足において免許証の返納をするのであれば納得がいくのではないでしょうか。本来の車の制御能力というものは車任せであってはいけないのだと思っています。

 事故だけを見ていると勿論ドライバーに責任があるのですが、背景には安易な免許の配布であったり、車の性能の制御の問題であったり、国交省の交通インフラなバランスの悪さもあるのでしょう。ガードレールにしても本来なくても問題がないところに設置していたり、不必要な信号機が設置されていたりと予算の問題ではない別の理由がそこにはあるような気がします。
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2019年5月9日木曜日

留守情報⁉

 昨日某有名美容クリニックのT院長宅に泥棒が入ったというニュースが流れました。このニュースの際に当たり前だろうと思ったのは、この院長の家族構成や生活動向などはしょっちゅうメディア等でも流れているし、ましてや本人がSNSで今どこにいるかを配信していたということですから驚きです。

 起きて当たり前のことが当たり前に起きた事です。つまり、今自分は留守にしていて誰もいませんという事を同時配信しているのですから当然と言っても言い過ぎではありません。

 現時点ではスマホを使う限りGPSの確認情報をそれぞれのアプリを使用する際には必要になります(全てではありませんが)。そうなると本人がどこにいるのかという事はある意味駄々洩れ状態になっているわけです。

 特に皆が一生懸命発信をしているSNSは泥棒にとってはこれ以上ない情報源です。私自身もSNSを使用しますので海外にいるときでも時差をつけてあげています。つまり、SNSにアップした時には自宅に戻っているわけです。

 日本人は治安や危険に対して無関心とか鈍いという言い方を良くされますが、まさにこう言ったことを指しているのだろうと思います。私自身は南米や中近東、更には世界で一番殺人が多いと言われた頃のロサンゼルスにおりましたので一般の方よりはその辺の意識は高いと思っています。

 これは単に日本は平和だからという問題ではないように思います。何故なら世界的事件が国内で起きても日本人はあまり気にしないところがあります。ましてや事件そのものを他人ごとのように思っているところがあります。『オウムサリン事件』に関しても世界中では史上最大のテロ事件と報道されたいたにもかかわらず日本人はテロという認識はほとんど持っていなかったようです。更にはその後3,4年は世界で最も危険な国として米国の国務省の旅行者情報に挙げられていたくらいです。勿論ほかの国でも同様でした。

 私が知る限り日本赤軍が起こしたハイジャック事件の『よど号事件』やテロ事件の『テルアビブ空港乱射事件』は日本人が世界で初めて起こしたテロ事件です。つまり、この後にイスラム原理主義者やパレスチナ解放戦線、北アイルランド運動などにテロという概念が生まれてきたのだと思っています。

 つまり、日本人は大事を大事として捉えることを得意としないところがあります。これが良いのか悪いのかはわかりませんが、少なくとも現代においては異常な感覚と世界の人から思われても仕方がないという事でしょう。

 日本人は簡単に何でも信用しすぎると海外の人間はいいますが、オレオレ詐欺を筆頭に単純な詐欺事件で引っかかってしまうのは海外ではあまり耳にしません。それゆえに自分が留守ですよという情報を安易に外に漏らしてしまうのでしょう。勿論昔の日本ではそれも大丈夫であったのかもしれません。

 しかし、現代に日本には外国人を始めSNS時代に育った人間が沢山います。日本人の良いところを失くせとは言いませんが、もう少し時代が進むという事は善もあれば悪もあるという事を認識したも良いのではないかと思うのです。

 自分にとって便利なことは他人にとっても便利であるという事です。そしてその他人の中には必ず悪人がいるという事です。
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2019年5月7日火曜日

ダイアモンドの今後⁉

 前回に述べたように平成という時代は変化の多い時代だったという事はダイアモンドに関しても言えることです。

 4Cという単純な価値観からタイプ1タイプⅡ型といったいささか専門的なものに加え、鑑別技術の向上により原産地等の特定をする技術の進歩のより付加価値にさらに付け加えるというビジネスの始まりです。

 つまり、希少性の高いタイプⅡ型が付加され、更には既に歴史上の鉱山となり物語だけが語り継がれているインドのゴルコンダ鉱山産のようなダイアモンドであることが更なる付加価値となる
時代になったのです。現にオークション等では特定されることにより高額なハンマープライスなっています。最近ではマリリン・モンローで有名な『バローダの月』などもその例になります。

 しかし、これらの詳細なる付加価値がどこまで必要なのかは疑問なところではあります。それというのはダイアモンドのタイプにはⅠ,Ⅱ型とありますが、この中のⅠ,Ⅱの其々にさらにa,bそれぞれがあることはご存知の方も多いのですが、さらに細かくa,bの中に次なるa、bがあることまで知っている方は少ないと思います。

 更にダイアモンドにはエクロジャイロ型とペリドタイド型と別れていますのでこれらを網羅し付加価値性を高める事には果たしてどれくらいの意味があるのだろうと思っています。もちろんこれらの技術はダイアモンドの資産性を始め、希少性等を証明するための手段として出ていきましたのでイコール駄目だという事ではありません。

 しかし、ダイアモンドというものはそのものが希少性の高いものですからそこまでの希少性を追う意味があるのかという事です。勿論その証明手段を持っていることは今後のダイアモンドの資産性や市場性を考えると必要不可欠なことだと思います。

 販売に専門性は必要ですが消費者にそこまでの情報を流す必要があるのかという事と販売員がそこまでの知識を持ち、更にはそれを使うチャンスがあるのかというと答えは『ノー』という事になります。

 勿論知識として持っていることは必要だと思いますが鉱物学を専攻しているう訳ではありませんからそのようなことがあるという意味での知識があれば十分だと思います。過去には販売員の知識の無さから市場を壊してしまい、消費者から怪しげな目線を投げかけられるきっかけになったことは間違いがありません。それ故に最低限の知識が必要であることは否めません。

 多くの特に催事等に従事している販売員は知識の浅さというものを軽視する傾向があります。特殊なものなのでその場の誤魔化しがきくと思っているわけですが、多くの場合には興味を持っている消費者は知識を持っていますので冷ややかな目線でいることに気が付かないのです。

 ダイアモンドの今後というという事になるとジュエリーとしてのダイアモンドと宝石としてのつまり資産性を含めたダイアモンドという販売形態の違いを出していく必要があるのだろうと思っています。

 そして、それは間違いなく目の前にきているだろうと思っていますが、前回書いたような世の中の変化に合わせたものでなければならないと感じています。
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2019年5月6日月曜日

最後に残るもの⁉

 時代は平成から令和へと変わりましたが、『平成という時代に何が残ったか?』というより『何が淘汰されようとしたのか?』

 ビジネスというものが大きく変わり、電話が携帯へと変わり、そしてスマホへと変わりました。ここで何が起きたのかというと商売というものが路面店がショッピングモールへ変わり、そして通販からネット販売へと変わりました。つまり、待ちという商売から攻める商売へと変わったのが平成という時代でした。

 そして、令和という時代は更に変化をし、買うから借りるの時代になりつつあるのでしょう。例を挙げると車のシェアリングだったり、レンタルの多様化だったりするのでしょう。つまり、現代の若者は所有欲というものがなく必要な時に必要なだけ借りる事が出来ればそれでよいという事になるのでしょう。これは勿論経済的な背景もありますが、その背景から生み出された価値観なのかもしれません。

 現在は『億ション』が売れているという評判がありますが、これにはいくらかの業界の戦略的な物が見られます。しかし、一方で『億邸』が動き始めています。一定の所得のあるサラリーマンへは『億ション』という事になるかもしれませんが、若き資産家達にはイージーオーダーのマンションよりも自分の価値観で建てることのできるフルオーダーの一軒家の方が良いのでしょう。

 同じ億の金額を出すのなら場所や時間のフリーランスのある彼らには邸宅を建てる方がオーナーという性分にはあっているのかもしれません。

 この傾向を定義づけするならば昭和から平成になり価値観を変えざるを得なかった人々が先祖帰りのように一部の人が自らの価値観を顧み始めたという事なのでしょう。

 つまり、大量生産の実用品をこれでもかこれでもかと供給をされ、後れを取るまいと買い続けた時代に少し陰りが見え、それがデフレを起こし、その場で儲ければよいというビジネスが氾濫し、それにヘキヘキとしてきた人々はもっと自分らしい価値観を見つけ出そうとし始めようとしているように見えます。

 ただし、それは簡単に仕分けできるわけではありませんが、所有するものと借りるもの、更には安価で良い物とお金を掛けるべき物という変化でもあるのでしょう。

 これからもネット通販なるものやTVショッピング等は残っていくビジネスでしょう。これらは攻め続けなければ終わりますが、一方待ちの商売である店売りというものも淘汰されていくことでしょう。

 つまり、消費者は実用性や付加価値というものとどう関わっていくのか、更には実質的な資産というものとどう関わっていくのかという点を明確に分け始めています。それゆえに大量生産の物に対しては実質的な合理性を求め、自らにとって付加価値があり、更には皆が共有する資産性の高いものに対しては所有欲を掻き立てられ始めているのです。

 令和のビジネスというものはオンリーワンを目指すのか、はたまたスケールメリットを目指すビジネスを目指すのかをはっきり分けなければならない時代になるのでしょう。強いて言うなら、ここでもアナログ対デジタルの対決ではなく選択をしなければならない時代なのです。

 そして、現代の成功をした若者たちはそれを起用にこなしているように見えるのです。更にはその変化に置いて行かれている若者も多く見られるのです。むしろその下地を持っている熟年の人々の方がその変化にはついていっているように見えます。

 いずれにしても『平成』という時代に変化をしたものが『令和』という時代となって熟成し、そのビジネスが残っていくのでしょう。それはもしかしたら『昭和』という時代にヒントがあるのかもしれません。
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