先週の出張中に入院中の母の様態が悪くなり帰京後すぐに病院へ向かい、姉妹たちと交互に様子をうかがっていたのですが丁度帰宅中のこれから再度病院へというときに母が逝ったという連絡が姉からありました。
病院へ向かう車を運転しながら今月で96歳を迎えるはずだった母の事を思い出しながら、在りし日の母を思い浮かべておりました。
母は大正生まれであり、戦争の中青春を過ごしたわけですが、いつも思い浮かべる顔は笑顔でした。勿論私たちが育ったのは戦後ですがまだ裕福とは言えぬ時代の中に生活をしていたわけですが幼き私は母の背中での風景がなぜか蘇ることがあります。
決して楽ではなかった生活の中で母は笑顔を絶やさなかった思い出ばかりがよみがえります。
母は教えたくれたのです。
『人生は前にしか進めない、だから前向きでいることが人生の意味なんだよ』
と笑顔でい言っていたような気がします。
ここ数年いわゆるホームでの生活だったのですが、幼き頃の事故のせいで70歳になるころには目が不自由になり、明かりが解るほどの視力になり心配をしていたのです。
しかし、母はいつでも歌を歌い明るさで介護士の皆さんや入居者の皆さんのいつも中心言いました。訪問するたびに皆さんに
『高木さんがいるといつも明るくなります』
と言われ息子としてもちょっと誇らしかったような気がします。
いま改めて思う事は『前向きという事は人生そのもので決して特別なことではない。』という事と
母を見ていて思う事は明るく過ごすことは前向きではなく人生そのもののテーマであり、それが人生というものであるという事です。
過去には戻れないし、前に向かう事が人生そのものであれば人生に反した生き方はやはり苦しく、難しくそして試練でもあるわけです。試練というものは自分から創りだし、苦労というものは自らが生み出しているものなのであろうと母を思い出しながら思うわけです。
https://ameblo.jp/diamonrow
病院へ向かう車を運転しながら今月で96歳を迎えるはずだった母の事を思い出しながら、在りし日の母を思い浮かべておりました。
母は大正生まれであり、戦争の中青春を過ごしたわけですが、いつも思い浮かべる顔は笑顔でした。勿論私たちが育ったのは戦後ですがまだ裕福とは言えぬ時代の中に生活をしていたわけですが幼き私は母の背中での風景がなぜか蘇ることがあります。
決して楽ではなかった生活の中で母は笑顔を絶やさなかった思い出ばかりがよみがえります。
母は教えたくれたのです。
『人生は前にしか進めない、だから前向きでいることが人生の意味なんだよ』
と笑顔でい言っていたような気がします。
ここ数年いわゆるホームでの生活だったのですが、幼き頃の事故のせいで70歳になるころには目が不自由になり、明かりが解るほどの視力になり心配をしていたのです。
しかし、母はいつでも歌を歌い明るさで介護士の皆さんや入居者の皆さんのいつも中心言いました。訪問するたびに皆さんに
『高木さんがいるといつも明るくなります』
と言われ息子としてもちょっと誇らしかったような気がします。
いま改めて思う事は『前向きという事は人生そのもので決して特別なことではない。』という事と
母を見ていて思う事は明るく過ごすことは前向きではなく人生そのもののテーマであり、それが人生というものであるという事です。
過去には戻れないし、前に向かう事が人生そのものであれば人生に反した生き方はやはり苦しく、難しくそして試練でもあるわけです。試練というものは自分から創りだし、苦労というものは自らが生み出しているものなのであろうと母を思い出しながら思うわけです。
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