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2018年10月29日月曜日

ダイアモンドの買取⁉

 先日TVを見ていると宝石貴金属等の買取屋さんの取材内容を放送していました。多くの場合経験豊富な鑑定士が在籍しているという内容でしたが、私自身が見たところそれほど経験が豊富とは思えない買付内容に思えました。

 実際にダイアモンドの買付け技術とは一朝一夕にできるものではないのですが、実際にはGIA(米国宝石学会)のレポートが付いているか日本の鑑定機関のレポートが付いているかで内容が違うという事でしたが、更にはGIAなのかほかの機関なのかでも買取り金額が違うという内容でした。

 ここで既に言っていることと行っていることの矛盾があるのですが、気が付いていないようでした。経験豊富な買取技術を持っていればグレーディングレポートは関係ないし、ましてや機関の違いなども関係がないはずです。いうまでもありませんがダイアモンドは一緒なので発行済みのグレーディングレポートは関係ありません。ダイモンドそのもので判断するものですから・・。

 ましてやその買取店ではダイアモンドの価格決定要因は一万か所以上の査定ポイントがありますとまともなことも言っています。それであればレポートは参考程度のもののはずです。

 昨今の場合はこれらの買取店のことも有るのでしょうがますます宝石の価格に疑問がもたれるようになりました。

 勿論本来は彼らのせいだけではなく販売時の高額提示の大幅値引きが問題なのは間違いがありません。しかし、昨今はダイアモンドの価格もある意味わかりやすくなってきたのですが、催事等においてアクセサリーのようなものを無茶苦茶な売り方をしているところも多くあるようです。

 ダイアモンドの関しては私自身も努力をしていますが金融商品等の一部としての存在価値が高間待っている現代においては証券取引所的な存在のダイアモンド取引所の存在が一番望ましいと考えています。ただし、ジュエリーとしてのダイアモンドと財産保全用のダイアモンド等は大きさや希少性などでその基準を明確にする必要なあると思いますが。
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2018年10月25日木曜日

真実は?

 日本人ジャーナリストの安田さんが帰国をしてめでたいことではありますが、ここ数回書いている内容でサウジのジャーナリストの殺害と全く関係がないように見えることが気になってしょうがありません。

 前回書いたようにトルコ政府から執拗に出てくる証拠の映像と音声ですが、これほどの証拠は何の準備なくして出来るだろうか?という事です。

 勘繰ると殺害されたジャーナリストとトルコ政府の目論見が外れた結果の事ではないのだろうか?とさえ感じるのです。

 反サウジのトルコと反体制のサウジのジャーナリストと彼が結集したイスラム連盟(不詳)なるもののイスタンブール事務所開設等は当該国であるトルコ政府の承諾なくしては難しいと思います。

 更にはサウジより断交をされているカタールという国にはトルコ軍の基地があり、更には当初反サウジから組織されたアルカイダのビンラディンの支持者でもあったサウジのジャーナリストとの組み合わせを考えたときに正義の旗印のもとサウジを弾劾しているトルコ政府はいかにも弁論の自由及びジャーナリズムを守る急先鋒のように見えます。自国内はむしろジャーナリストに抑圧的な政策をとっているように見えますが・・・。

 今回の安田さんの解放情報は数日前から囁かれていたそうですが、トルコ政府とカタール政府の協力の上に実現をしているところが先の事件と被るのです。

 つまり、追い打ちのようにトルコとカタールはジャーナリストの救済に力を入れている国のように映ります。サウジのジャーナリスト殺害事件への執念と日本人ジャーナリストの救済の公表の仕方は良いプロパガンダのようにも見えます。サウジの印象を悪くし、自らの正義を皆に知らせるには最も良い機会を持ったと言えます。いま世界はサウジが悪人でトルコが正義の味方のように見えます。

 当該国のサウジからすると国家反逆罪を目論んだ本人を処罰しただけであり、仮に今回殺害犯を仕立てたとしても暫くしたら殺害犯国家の危機を救った英雄になるのではないでしょうか。北朝鮮の金正男殺害と何ら変わらないのに北朝鮮に対しては何処も弾劾をしていません。これも不思議です。

 再度言いますが、決して今回の事件を肯定しているわけではありません。更には安田さんの解放は本当に良かったと思ています。私が言いたいのはメディアは本当に中立に立って物を見ているかという事と真実がほんとに調べられているのかという事です。

ちょっとへそ曲がりかもしれませんが疑問なんですよね。
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2018年10月24日水曜日

真実と事実⁉

 麻生大臣が昨日言い放った『不摂生に払う医療費はバカバカしい。』この発言は一理あるし、誰もが一度は思うかもしれない事実でもあります。

 糖尿病であることが解っていても食生活を改めなかったり、健康に悪いとわかっているのに喫煙をやめないという輩が多いことも事実かもしれません。これらの人々の多くは自分の命だからという言葉で意志の弱さをはぐらかしていますが、そう言いながらでも体調を壊すと病院へ向かいます。

 麻生大臣にしてはまともなことを言ったのですが、やはりそこは彼の浅さですから自分の立場をわきまえていないというか理解をしていないと言わざるを得ません。勿論自身の立場をわきまえていないからする発言も多いのでしょう。

 その一言の延長線上には『能力のない政治家に税金を払っているのはバカバカしい』という国民がいることも忘れてはいけないし、これらの言葉の事実の裏に真実があるわけです。

 真実と言えば前回も書きましたがサウジアラビアの記者殺害事件ですが、トルコ政府から事実と思わしき証拠が次から次へと出てきます。それは不思議なくらいです。

 殺害現場からの生中継かと思うような録音であってり、なぜか大使館の中の映像の録画が流れたりと本当に治外法権の大使館の中の映像かと思うようなものが次から次へと出てきます。

 確かにこれらは事実でしょう。しかし、個の背景を色々と詮索してしまいます。本当は元々とトルコ政府とこの殺された記者の出来レースであったのではないかとも思えます。それが殺害までのシナリオではなくサウジを追い詰めるための演出だったのではないだろうかという事です。

 前回書いたようにトルコ、イランでサウジの包囲網を模索していた事実もあります。また、この記者に対してのトルコ政府の便宜は色々と噂もあります。

 今回日本人ジャーナリストが解放されたというニュースが昨日流れましたが、反サウジのカタールからの情報であり、更にはトルコの国境での町での開放はカタール、トルコがある意味密接な関係にあることを示しているわけでのあります。

 サウジの転覆を狙っていた記者とサウジから国交断絶を突き付けられたカタールと以前からサウジの盟主面を苦々しく思っていたトルコのタッグは当然考えられることです。それらの事実は事実として本当の真実は見えにくくしている事実であることも間違いがありません。
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2018年10月23日火曜日

メディアの偏重⁉

 いつも思う事でもありますが、メディアの偏重についてです。今までも書いたことがありますが、特に私自身はイスラエル問題でのメディアの偏重に疑問を持ってきました。

 それはどちらかに偏ることなく事実と真実とその根拠となるニュースソースを検証して伝える者であったほしいと思っているのですが、、多くの場合緊急性とニュースバリューを理由に事実と真実の根拠を確認することなく報道しているように見えます。それは結果がどちらが正しいという事ではありません。メディアが報道をした内容により視聴者が判断をすれば良いからです。

 残念ながら多くの場合はその大衆が判断をすべき根拠が乏しすぎるような気がします。

 今回トルコでサウジアラビアの関係者によるジャーナリストの殺害報道に関してもやはり首をかしげる部分が多くあります。

 事件後なぜこれほど多くの情報がトルコ政府から発せられるのかが不思議でなりません。治外法権のはずの外国の大使館で起きた事件での出来事に対して、いくら当該国であったにしてもあまりにもサウジアラビアを追い詰めるような執拗な情報が多く出され過ぎています。

 ここにはサウジ対トルコの因縁があることを知っておかなければなりません。トルコはイランとともにカタールという国を擁護しており、実際にトルコ軍に対してカタールは基地を提供しており、又カタールにはアルジャジーラという反サウジアラビア報道の多い放送局があり、更には中東湾岸諸国でありながらサウジアラビアから断交をされている国でもあります。

 これらの単純な背景だけではなく殺されたと思しき記者はかの同じサウジ出身のオサマ・ビンラディンのある意味の支持者でもあり、反体制活動を行ってきた人でもあります。さらにはイスラム同名(不詳)を組織し、その本部をトルコのイスタンブールにおいており、それをトルコ政府が容認していたともいわれております。

 トルコ、イランといったある意味反サウジ国の支持を得ていたとなると、サウジアラビアからすると国家転覆を狙う国家反逆罪に匹敵する犯罪者のようなものです。単なるジャーナリストという訳でもなかったとすると、現在のロシアや北朝鮮の例もあるように処分対象になる標的であることは間違いがありません。

 そこにトルコ政府が乗じてサウジを追い詰めようとしている節も見られます。これは決して今回の事件が正当化されるものではありませんがそのような側面もあることをもっとメディアも伝えてほしいという事です。

 ジャーナリストというものも実際にはその組織のありようによってはそれぞれの国の形態に対してはテロリストのような存在にもなるという事も今後は考える必要がありまそうです。
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2018年10月19日金曜日

ダイアモンドのカット⁉

 昨日ダイアモンドの引き合いがあり、詳細を尋ねると
『実は同一グレードのものは手元にあるんですが、なぜかテリがないんですよね。』
 つまり、カットがエクセレントでVSクラスのものだけれど光がないので他の物をお客様に勧めたいという事でした。

 ダイアモンドのカットに関しては今までも色々と議論をされてきましたが、人間の経験値による評価が一番間違いがない訳ですが未だに数字と文字の信仰が絶えないようです。

 確かに計算上の評価数字もあるし、それが間違いだとは言いませんが、あくまでも評価基準になったものはし白く透明度のある1ct前後のものが基準になっていた訳ですから他のサイズや色等によっては当然見え方が違うわけです。

 全てにおいていえるわけですが、カラーがDであればどんな品質、カットであっても綺麗かというと勿論そうではありません。無疵であればどんなものでも綺麗かというとそうでもありません。勿論カットも同じことが言えるわけです。

 カラーダイアモンドを始めローカラーのものは白でいうエクセレントカットになると必ずしもきらめきを発してはくれないし、むしろ色だけが濃く見え美しさを損ないます。1日1万を超えるダイアモンドを検品していた立場からの経験値でも必ずしもエクセレントイコール綺麗となりません。

 それ故にGIA(米国宝石学)のファセットウエアは意味があるわけです。3400万件相当のモニタリングの末に数値化し,ダイアモンドのカットに当てはめたものなわけです。しかし、これだけでも完璧という訳でもありません。年代、男女、人種によっても見え方が変わります。

 それ故に冒頭のようなことが出てくるわけです。つまり、クラリティも良いカラーも良いカットも良いしかし、輝いてはいない。このケースの場合多少のクラウディであったり、傾向性が強かったり、そのダイアモンド自体の特性であったりするわけです。

 以前からダイアモンドの価格は4Cだけでは測れないと言い続けてきましたが、最近の事象を多く見るとやはりその是正は早めに行う必要があるという事を感じます。今のカットグレーディングの仕組みや評価を変えろというのではなく、その説明を変えたほうが良いという事です。

 つまり、グレードは目安であって絶対的な物ではないことはプロであれば誰でもわかっていることですから、きちっとして説明をするべきだという事です。
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2018年10月17日水曜日

前向きの意味⁉

 先週の出張中に入院中の母の様態が悪くなり帰京後すぐに病院へ向かい、姉妹たちと交互に様子をうかがっていたのですが丁度帰宅中のこれから再度病院へというときに母が逝ったという連絡が姉からありました。

 病院へ向かう車を運転しながら今月で96歳を迎えるはずだった母の事を思い出しながら、在りし日の母を思い浮かべておりました。

 母は大正生まれであり、戦争の中青春を過ごしたわけですが、いつも思い浮かべる顔は笑顔でした。勿論私たちが育ったのは戦後ですがまだ裕福とは言えぬ時代の中に生活をしていたわけですが幼き私は母の背中での風景がなぜか蘇ることがあります。

 決して楽ではなかった生活の中で母は笑顔を絶やさなかった思い出ばかりがよみがえります。

 母は教えたくれたのです。
『人生は前にしか進めない、だから前向きでいることが人生の意味なんだよ』
と笑顔でい言っていたような気がします。

 ここ数年いわゆるホームでの生活だったのですが、幼き頃の事故のせいで70歳になるころには目が不自由になり、明かりが解るほどの視力になり心配をしていたのです。

 しかし、母はいつでも歌を歌い明るさで介護士の皆さんや入居者の皆さんのいつも中心言いました。訪問するたびに皆さんに
『高木さんがいるといつも明るくなります』
と言われ息子としてもちょっと誇らしかったような気がします。

 いま改めて思う事は『前向きという事は人生そのもので決して特別なことではない。』という事と
母を見ていて思う事は明るく過ごすことは前向きではなく人生そのもののテーマであり、それが人生というものであるという事です。

 過去には戻れないし、前に向かう事が人生そのものであれば人生に反した生き方はやはり苦しく、難しくそして試練でもあるわけです。試練というものは自分から創りだし、苦労というものは自らが生み出しているものなのであろうと母を思い出しながら思うわけです。
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2018年10月16日火曜日

何の為のダイアモンド⁉

 先日、某百貨店の男性のお客様とお話をする機会があり、その際にそのお客様から、なるほどなという質問がありました。
『高木さんはダイアモンドのプロという事ですが、何故にダイアモンドを皆が購入するんですか?』
というシンプル過ぎるくらいの質問でした。

 多くのお客様が思っている質問かもしれませんし、単純に『綺麗だから身に着けたいし、欲しい』という方もいらっしゃるかもしれません。しかし、それだけであればそこまでも高額なものでなくても良いのではというのも方もいらっしゃるでしょう。

 実際には販売している側の人間もストレートにこの質問をされると答えに窮すると思います。つまり、現在の販売に携わっている人間には難しい問題なのです。それ故に価格やグレードといった
十分ではない答えと販売方法になるのでしょう。

 多くの場合は購入される側の価値観に関わってくる問題なのですが、さまざまであることは否めません。何故ならコマーシャリズムの中の影響で価値観を持たれる方もいらっしゃるでしょう。例えば『婚約指輪は給料の3ヶ月分ですよ。』と言われればそうゆうものなんだと考える人もいるでしょうし、単純に綺麗なものだから手に入れたいという価値観の持ち主もいるでしょう。

 私自身はダイアモンドはステータスであり、プライド(誇り)であると考えています。つまり、元々はダイアモンドというものはなぜに注目を浴びたのかというと富の象徴であったり、権威の象徴として使用されたものと歴史が物語っているのです。

 現代のダイアモンドは日常的なジュエリーに始まり、婚約指輪や記念日等に使われるようになり本来の意味とはかけ離れているような気がしますが、これらの意味合いも又昔からの富や権威の象徴の流れの延長線上なのです。それゆえにそれを損なわない販売方法が必要なわけです。

 前述のお客様に尋ねました。
『それではどのような動機でお越しになったのですか?』
お客様曰く
『結婚をして30年になるのでここまでの妻へのお礼と自分がここまでやってあげられるよになったという自分への証と何よりもダイアモンドは魅力的だからです。』
といった内容でした。

 私自身はその答えを聞いてまさにお客様自身がご理解を頂いていることで、そこに高額の価値を感じられるのであればそれが答えであり、販売する側もそれをさらに価値を上げる販売方法が価値そのものなのだと理解をしています。
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2018年10月6日土曜日

ダイアモンドは『相棒』⁉

 ダイアモンドの価値を考えると時々困惑することがあります。ダイアモンドの価値という意味ではいつも書くように資産なり投資といった考え方やジュエリーとしての価値といったようなものがありますが、実際にはそれは何の価値だろうと考えるわけです。

 資産というものが与えてくれる価値、投資といったものが与えてくれる価値、そしてジュエリーが与えてくれる価値と考えるとそれは『何だろうか?』という事を考えるのです。

 価値とはお金ではないことは皆さんも理解が出来ると思いますが、お金が価値を表す目安であることは間違いがありません。それでは価値とはと考えると『脳が益と感じるか、もしくは幸と感じるか』という事だと考えています。『益』は実利、『幸』は付加価値という事になります。

 そこで考えられることはダイアモンドそのものが価値があるのではなく、その世界が作り上げたものが価値であるという事です。

 つまり、ダイアモンドが自然に持っている美観というものが人間に与える影響も実はその前提が先祖からの文化が作り上げたDNAの中に携えられているものであるという事です。人間も最初は単なる『光る物』、『硬いもの』という印象しかなかったものが光というものが脳に与える効果として感情の刺激があるという事です。

 人が光を見たときに感じる安ど感や気分を持ち上げる効果があることは皆が知っているのですがそのメカニズムは解明されていないそうです。

 ダイアモンドはあらゆる光とプリズム効果によりあらゆる色を持っています。それをより効果的に知らしめることダイアモンドのビジネスであり、それが結果的に利益や幸福感といったものを人々に感じてもらい、それが価値なわけです。

 つまり、ダイアモンドビジネスというものは利益と幸福感を人々に届ける仕事であり、ダイアモンドはその『相棒』なわけです。ダイアモンドは物であり、物ではないのです。

 それが実用品を含めた物販とは基本的に違うものなのだと考えるわけです。実用品に関しても使用できるというだけで価値なわけですが、そこにデザイン性やブランドを関することにより高額になるのです。それは価値の最初に『益』があり、更に『幸』を人為的に高めたものです。

 ダイアモンドは最初に『幸』があり、更に後天的に『益』が高められたものです。それは現代のマーケティングにおいてもブランド戦略にしてもこの順序は変わりません。

 『相棒』を大事にするかどうかはそれを取り扱う人々の人間性でもあり、その価値の高低を表すものでもあるわけです。

ダイアモンドはビジネスの『相棒』であり、物ではないのです。
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2018年10月5日金曜日

ダイアモンドの高額化⁉

 ダイアモンドの業界はここ数十年で変革や再編が行われてきましたが、一方でダイアモンドの区別化が進んできました。

 ダイアモンドでも一般ジュエリーに使われるような1ctを前後しているものには価格の変化はなくむしろ時代と物価上昇を考えれば値下がり傾向とも言えます。しかし、この辺はデザインや造りにおいて変化や付加価値をつける事が出来ますので市場が認めるかどうかだけの問題になります。

 一方で3~5ctを超えるものに関しては高額化が進み既にジュエリーの範疇といってよいのかどうか首を傾げる部分もあります。

 つまり、過去の業界の変化の結果ダイアモンドの市場においても大きな変化が起き、ジュエリーとしてのダイアモンドと財産としてというかと投資をも対象としたダイアモンドにく区分けというか区別がなされてきているのです。元々ダイアモンドは権威であったり、資産としての物でしたが近代においては庶民のジュエリーの対象物でもありました。

 これはもう少し業界も真摯に受け止めていかなければならない問題です。何故なら以前にも述べましたがシンガポールを始め世界ではダイアモンドの金融化が始まっているのです。

 今までのグレードを重視したダイアモンドというよりも、一部では既に行われているダイアモンドのフィンガープリント(指紋)化やシンガポールのダイアモンド取引所がスタートを初めたk麻生通貨のようなブロックチェーンシステムの導入によりグレードがなくても個体の証明ができるようになるとグレードではなくダイアモンド個体の特徴の登録により同一性の証明が出来るわけです。

 その辺が稼働してくると贅沢品というジャンルから資産としてのジャンルに移行をするわけですから大粒ダイアモンドの高額化はむしろ歓迎をすべきこととなる訳です。

 今後の展開次第により付加価値の付き過ぎたものは価格が調整され実質的な価格になるべき変化が起きてくることは間違いがありません。実際に大粒ダイアモンドのDI、F等の価格の値下げがそれを証明してるといってもよいでしょう。

 今後あらゆる経済情勢により価格の調整は行われていくでしょうが、大粒ダイアモンドの資産化は流れとして変わりはないでしょうけれど。我々がそこにいかに拍車をかける事が出来るかが一つのポイントになるでしょう。
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2018年10月3日水曜日

ミラノの秋⁉

 以前はテルアビブへの出張の際はミラノ経由で行く場合も多く、この町での楽しみは勿論ファッションもありますがなんといってもグルメです。

 私自身の宿泊はいつもミラノ中央駅の近くのホテルで地下鉄を利用し、繁華街ドウーモ広場の近くで食事をするというルーティーンでしたが、いつもこの季節になると楽しみが旬のポリチーニでした。

 ドウーモ広場の近くの横道にそれた所に『サンタルチーア』というミラノなのにと思うような名前のリストランテがあります。ここは創業が1929年と聞いていますので世界恐慌の年という事になります。古くより有名人が出入りをし、趣のある店構えで名物はナポリピッザなのですが総じて不味いものはありませんが私のここでのこの時期のオーダーは必ず『ポリチーニ』のオイルソテーです。

 オリーブオイルの香りに若干の岩塩の味付けだけというものですが何とも言えず味わいがあります。そして一緒に食するペペロンチーニはこの地を訪れる楽しみでもあります。

 まず好みではお昼頃は予約客でいっぱいなので急に言っても席をとることは難しく、私自身も何度か玄関で待たされたことがあるのですが、ここのオーナーと思わしきご婦人といっても当時でも70歳はゆうに過ぎていたと思うのですが、このおばちゃんあしらいがまた何とも楽しみでした。

 まず、入口まで迎えに来るのですが人数を確認し一人であることがわかると急に腕に彼女の腕が私の腕に絡みつき『せっかく来たんだからカウンターで待ってて頂だい』となんとなく甘えた声色を使いカウンターへ促します。その動きは正に『やり手ババア』という感じなのですが、それがイタリヤ人女性がやるとなぜか心地が良いのです。

 毎年数年この行動を続けていると彼女もそのルーティーンに気が付き顔を合わせた瞬間に『ポリチーニが入っているわよ』と声をかけてくれるようになりました。ここ数年は他国経由で行くことが多くなり、最近は寄れていないのですが秋の気配を感じるといつものその趣のある店構えと白いジャケットをまとったウエイター達が食事をサーブする様子とその『やり手ババア』の事が気になります。

 私自身も多くの人々に紹介をしましたがだれ一人として首を傾げた人はいませんでした。近々改めて食しに訪れたいと思う今日この頃です。
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2018年10月2日火曜日

ダイアモンドの価値⁉

 ダイアモンドに関わらず宝石というものの価値は実用品ではない分、取り扱っている人間の扱い方一つであるという事は否めません。

 例えば同じ羊羹であっても2軒の老舗と言われる者同士が、片方が原価に対して約二割余分にお金をかけて付加価値を創り出せば、一方の上代の3倍の価格で販売をすることが出来るというデーターが以前出ていたことがあります。これは実際にある2軒の老舗を比べて物です。一方は庶民的な物、一方は御使い物として有名なところです。

 つまり、1.2倍のコストで3倍の価格で販売が出来るのであれば広告宣伝を始め、パッケージ、包装紙等々にお金をかけてより付加価値を演出できるという事になります。

 冒頭の宝石の取り扱いという考え方も似たところがあり、ハイブランドのように自らの付加価値を上げることを試みることにより取扱商品の価値をも付加価値が上がるわけですが、宝石そのものにはもともと付加価値がありますから、ここでハイクラスの宝石を取り扱う事でよりその価値は高まります。

 一方で宝石の付加価値を下げるような販売方法は取扱業者の価値をも下げますから、一時うまくいってもそれは長続きがしません。しかしその販売方法を永遠に続けようとしている業者もいます。

 最近顕著なのは催事販売やTVショッピングでしょう。以前のTVショッピングはそれなりの宝石を仕入れ努力なり、流通形態の変革等により価格を下げてそれなりの評価は受けていたと思います、しかし、これはあくまでも宝石品質を維持してのものでした。

 現状のTVショッピングを見るといかにも劣悪なものであったり、過度な表現であったりとおよそ購買者を欺くようなものであることは世間の評判を聞くまでもありません。それはおよそ宝石とはいいがたいものです。

 つまり、TVショッピングに関わらず今の販売方法は本来の宝石の価値でもある。ステータスや付加価値といったものを蔑む様な販売方法に他なりません。

 今の販売方法を続ければ続けるほど取り扱っている宝石の価値が損なわれていくことに気が付かないのか、もしくはとりあえず今市場からお金を吸い上げればよいと考えているのかのどちらかにしか感じられません。

 宝石の価値を理解している人々に宝石の販売に従事してほしいものです。
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