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2018年6月8日金曜日

物の価値⁉

 先日ダイヤモンドのシンジケートの大手であるデ・ビアス社が人工ダイアモンドの販売を始めるという事を書きましたが、今回のラスベガスのショーの中でもデ・ビアス社がその説明に苦労をしていたとのことでした。

 ダイアモンドもジュエリーの素材の一つであることには変わらないのですがそれが天然であれ、人工であれ構わないという世の中になってきていることは事実でしょう。

 以前であれば百均で物を買う事はその場しのぎが出来れば良い程度の動機で購入をしていたと思うのですが、現代の世の中では実用品を始め一つの雑貨のジャンルとして百均が存在をしています。

 つまりはクオリティーの程度に拘るというより使えればそれでよいという実用品を多くの人々が望んでいるという事になります。

 しかし、物造りの日本としてはクオリティーの高さこそが日本の売りですから、大雑把になった市場に対してはもっぱら弱いという事になります。

 つまり、日本で海外製の安価なものが蔓延れば蔓延るほど日本の経済は弱っていくのです。勿論、金融関連の非製造に関しては良いかもしれませんが、一般の多くの人々は何らかの形で国内の物造りの流れの中に関わっていますから、経済の根底そのものは必ず崩壊していきます。

 間に合わせのものが中心に来る社会は町がなく将来がありません、日本の繁栄は数百年前から物造りに拘ることにより成り立ってきたものです。戦後日本が経済大国になってきたのもその基本があったからです。

 物の価値というものは使えれば良いというもので落ち着くのであれば包丁も金槌もいりません。ましてやそれらを追及する老舗といわれる伝統技術は何の役にも立たないという事になります。

 しかし、人間は人と違うものを追求しなくなったら存在価値がありません。皆と同じものの良いのであればAIがコントロールし、AIが作り上げていくものだけで良いのです。

 人間の根本には人よりより良い生活や人より収入を上げたいという欲求が大なり小なりあります。それは皆と同じものを使い同じことを行っていたら、そんなことは起きません。

 つまり、間に合わせの商品というものは時間とコストというメリットはあるのですが物の価値があるわけではりません。物の価値が認められない社会が成長を続けていく訳はないのですから、物の価値を理解し、使用するという世の中こそが今あるべき姿のではと考えてしまいます。

 間に合わせの商品はファンドなりのフィンテック社会の人々を一時的に潤すことは間違いがないでしょう。しかし、人々の成長には文化というものが必要です。物造りを追求し無くなれば文化もなくなり、成長も止まります。それこそAIに支配された世の中になってしまうのかもしれません。

 物の価値というものは大事なものなのです。
http://diamond-exchange.jp/
https://ameblo.jp/diamonrow 

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