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2018年6月29日金曜日

何故に今ダイヤモンド⁉

ビットコインなどの仮想通貨への金融庁の厳しい介入は利用者保護という面目では建前が通っているように見えるのですが、本来の仮想通貨はそれぞれの国や政府に感知をされないという体で始まっているはずなのでいささか腑に落ちないところもあります。

 もし各国の政府の関与を受けるのであれば何ら今までの通貨と変わらないわけでただキャッシュレスという今までにもあったシステムに他ならないのではないだろうか?

 現状世界はITの世界で回っているので以前のアナログの時代よりもっと危険が内在し、過去にはなかった犯罪が生まれています。それは利便性を追う事により管理が追いついていかない法律と現状があります。

 確かに放っておくとマネーロンダリング等の不正が多く発生するかもしれませんのでそれはそれで結構だと思いいます。確かに現状は以前と違い、あっという間にお金を稼ぎ、更には不正といっても法律には触れない状況が続いています。

 しかし、IT化が進む現代は以前のアナログ時代と違い何においても手間暇がかかりません。現状はそれぞれに政府がそれらを管理するために、日本でいえばマイナンバー制度や一億総管理社会を目指そうとしていますがそれにはIT化が不可欠です。

 マイナンバー等も個人情報保護法もそれを前提として出来てきたわけですが実際は情報が駄々洩れで以前の個人情報保護法がなかった時代の方がもっとプライバシーが守られてきたわけです。

 こんな時代はアナログこそが自らを守り、自らの財産を保全する訳です。

 昨日中国からのお客様が来店をされ、その中での会話として
『中国では習近平が政権を取っていた来情報の管理が厳しくなり、ビジネスが非常に難しくなった。』と言っておりました。

 その中で中国人の富裕層はなぜにダイヤモンドを買うのかという会話になり、それはアナログであり唯一政府が管理をできないものだという認識だという事です。つまり、不動産等の資産の保有を認められない中国では動産等の保有に走る傾向があるが、それらの大半にはITというヒモついいており、政府が管理をする手の中に常にあるという事でいつ巻き上げられるかわからないという事です。

 そんな中それらの監視の届かない範囲としてダイヤモンドがその役割を果たしているという事です。それは日本にも同じことが言えて、正しい税金の使い方をしない政府に対しては正しい納税をしないという考え方があっても良いのではないかとも考えるわけです。

 それは法律の追い付かないIT関連に対して法律の目があるように、アナログの中にも法律に触れない目があります。それを今の時代象徴しているものがダイヤモンドなのかもしれません。
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2018年6月27日水曜日

ブランドの凋落⁉

 先日ご来店を頂いたお客様がさるブランドのファミリーセールに招かれて行ってきたという事で、内容というのは皆さんが知っているブランド数社分が一堂に集まり、30~40%、物によっては90%OFFというとんでもない値引き率だったようです。

 勿論建前としては社員とその家族という事ですが、それは本当の建前でその関係者以外でもどうぞいらっしゃいという形態のものです。本来であれば社員価格でもほとんど割引にならずブランドイメージを保ってきて消費者に対する責任を果たしてきたものですが、変わったものです。

 一時は飛ぶ鳥を落とす勢いでもあった欧米各ブランドでもありましたが、現状においては凋落という言葉が当てはまるような事態になってきています。

 日本人のブランド好きは有名ですが皆が皆そういう訳でもなく物を見る目とか物の本質というようなものを見る手立てがない人々がそれだけ多いという事にもなるのでしょう。つまり、有名なものであれば自分のアイデンティティの代わりになると思っている人々が多いのかなとも感じます。

 しかし、本質的には日本人は良いものを選び育んできたがゆえにそのものが暖簾、つまりブランドとして成り立ってきたのであって、今の日本人のブランド好きとはちょっと違っているような気もします。

 その多くの要因は金融ゲームに乗ってしまった各ブランドの創家の跡取りたちの意識の低さでしょう。ファンドに多くの株を売ってしまう事により自分の取り分の確保を優先し、先人が培ってきた伝統や信用を放棄してしまった結果なのでしょう。

 ファンドが付くという事は売り上げ、利益という数字を大前提としますので伝統や技術といったものの重要性は軽んじられ、本来のその礎を創ってきた部分をないがしろにすることになるのです。

 今回のファミリーセールも最大手の皆さんが良くご存知のファンドグループですが、今では本国で製造されているものは少なく多くのものは中国や他の国々で作っているようです。特にそのファンドの大株主は中国資本であるという事ですから中国人オーナーの中国製製品を皆が喜んで買っているという事になります。

 そこには本来の哲学や理念はありませんから名前だけがそのブランドであるという事で、日本のファミリー向けファッション量販店と何ら変わらないわけです。

 一時的な売り上げの為に転換をしてつぶれていったブランドは過去にもたくさんあります。現状のブランドもやがてそのようになっていく入り口にいるのでしょう。
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2018年6月26日火曜日

宝飾業⁉

 先達ての香港国際宝飾展で旧知のスイスの業者との会話で『時代が変わり、むしろ昔のビジネスに変わってきた』と言う話になり、若き業界の雄たちは戸惑っているように見えるという彼の感想を聞きました。

 どこの国にも華やかな時代があり、その瞬間黙っていても売れる時があり、それが真実だと信じてしまう事は仕方がないのですが、そのビジネスの本質というものを見失ったり知る努力を怠ったりするとその市場から退出を余儀なきされます。

 つまり、宝飾業の本質というものは宝石の原則に向かっていかに忠実であるかという事ですが、時としてそれを忘れてしまう事があります。それが日本でいえばババル後の30年です。

 日本のバブル後の30年は安く大量に売ることが正とされてきたし、現実にはそれで成功らしきを収めてところもあります。しかし、現在は殆どのところが目立つことなく退出の準備をしています。

 宝石というもののメリットというものは場所を取らない、人手が必要がない、管理に手間取らないしお金もかからないというものです。しかし、多くのこの30年を生きてきた業者はそれを履き違え、規模と販売量を上げることを考えてきました。

 500万の売り上げを上げようとすると10万円の物を50個売ろうとする者と50万円の物を10個売ろうとする者と100万円の物を5個売ろうとする者と500万円のものを1個売ろうとする者がいたとしたら後者の者から順番に正解であり、賢者は1個販売する努力をするものです。

 つまり、50個のものを販売するための人数と時間と経費が必要であり更には粗利も必要になります。しかし、一個の販売には人も必要ありませんし、経費も必要がありません。強いて言うなら時間ですがそれらはコミュ二ティーの中で解決が付く問題です。

 更には粗利もそれほど必要がありませんので顧客にとってもリーズナブルは価格になる訳ですが、実際に販売側の利益の額は大きくなります。勿論それなりの要素はありますが、宝飾業を行う基本なわけです。

 スイスの業者は彼の代が二代目で以前から5人程度を前提に運営をし、150億円前後の売り上げをあげています。以前と違ってきたのは扱っている宝石の価格帯と規模です。

 ピンクダイヤモンドの30ctを始め9ctのブルーダイヤモンド等がゴロゴロしています。

 彼曰く『今こそが本来の宝石商が活躍する時代だ‼』

私自身も同感で似非宝石商が消滅をする時代に入ってのだと彼の話と品揃えを見ていて実感をしたわけです。
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2018年6月25日月曜日

ダイヤモンドと通貨⁉

 このブログ上でも何度か仮想通貨について触れてきたことがありますが、通貨が近い将来消えてなくなる。つまりキャッシュレスの時代に入るのですが通貨の歴史を考えるとその事自体に疑問を持つことがあります。

 通貨の概念として1.支払い 2.価値の尺度 3.蓄蔵 4.交換手段のどれかに当てはまると通貨となるのですが、そこには古くから貨幣として貝殻から始まり、銀や銅、そして金、更には紙が使用されてきたのですが、そこには先人の工夫がされ何千年という間その役割を果たしてきたのです。

 国々より違いや時代による違いは常にその環境や条件を反映し、フェアなものとしてその存在をを成してきたわけです。

 しかし、現代においては仮想通貨の存在を待つまでもなくキャッシュレスから始まり、ポイントシステムなどといった貨幣の代わりになる仕組みは脈々と出来上がってきていたのですが、仮想通貨においてはさらに貨幣の単位までもなくしてしまい、更には国境をなくして時代をも超えていく存在になろうとしているのです。

 勿論世の中はそちらの方向に進んでいっていることを否定をするつもりもありません。しかし、過去には通貨というものの存在がお金という概念の基に物の考え方やあり方を創り上げてきたと思うのです。

 その一番の例としてユダヤ人を考えます。通貨という概念があったためにユダヤ人の歴史がつながったといっても過言ではありません。お金を稼ぐとかお金を稼ぐという考え方が彼らを生き永らえさせたような気もします。

 実際に現在の経済の仕組みだったり、彼らが作り上げたといっても良いダイヤモンドのマーケットというものはその典型的な例だと考えます。

 現状のダイヤモンドは見事に前述の貨幣としての条件に当てはまり、現代では闇市場での武器の代金だったり、闇のお金の象徴的な役割をしています。あえて言うなら実在する仮想通貨の役割を成しているといってもよいでしょう。

 ダイヤモンドはその美しさと比類なき存在としては消滅することはないでしょうが、現状の通貨は存在そのものが危ういどころか消滅の状況にあるのです。

 貨幣の存在はある意味権力の象徴だったり、経済の潤滑油の役割を成してきたのですが、その存在自体がPC上の概念となった時に果たして経済は回っていくのだろうかという疑問が生まれます。

 言葉でうまく表現はできないのですが、単なるVRの世界観になると目に見えてくる景色も環境も変わってくるのではないだろうかとさえ感じます。おカネが人の目に留まるところには存在をしなくなるわけです。

 ダイアモンドというものは仮想と実在の中間に存在をしているという意味では稀有な存在と言えるでしょう。

 誰かのPCの中にゲームのポイントがごとく貯められていく数字が通貨になる訳です。ここいらで少し歩みを止めてはと思う今日この頃です。
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6月の香港ジュエリーショー⁉

 先週末恒例となっている香港宝飾展に足を運びました。私の場合はダイヤモンドの業者が世界中から集まるという事でジュエリーというよりダイヤモンドの選定という作業のために訪れるのですが、色々とそれぞれの趣旨があるようです。

 今回驚いたのはタイと思しき国のお坊さんが来場をしていたという事です。何の目的かと尋ねるわけにもいかなかったのですが、一部の業者と首から入場票を下げて談笑をしておりました。

 勿論日本と違いますのでそこに清廉さを求めるつまりもありません。確か数年前だったと思いますがタイの道楽坊さんが酒まみれで女性を周りにおいて自家用ジェットで遊び惚け、その上何らかの罪で逮捕をされていたニュースを見たことがあります。

 日本でも建前を通してはいてもそれに近い事件や僧侶を見かけることはあります。一概にタイのお坊さんだけが俗めているとは思いませんが、会場でのその姿は確かに異常ではありました。

 香港の出展者に聞くと今回は入場が少ないうえに顧客というより中国の職人たちが多い様でという趣旨の事を言っておりました。つまり、デザインのコピーや造りを盗み見しているケースやひどいのになると平気でショーケースの中にある商品をスマホで撮影をしているとのことでした。

 ここで面白いのは香港の彼らはそれらの輩を『中国の連中』という呼び方をしているという事です。我々から見ると同じ中国人じゃあないかと思うのですが、香港の彼らからするとやはり本土の人間と自分たちは違うという自覚があるようです。

 今回は全体的に入場者数も少なめで目立つのは日本パヴィリオンくらいで恒例の真珠部門と日本のリサイクル部門だけは多くの人であふれていました。しかし、それだけで一概に良かったのかというとそうでもなく前段で行われた神戸宝飾展での決定した商品の受け渡し機会として使われる場面も多く、必ずしも結果には結びついてはいないようです。

 実際にも日本人や欧米諸国の人々を見る機会は少なく、大多数が中国人でした。本土持ち込みの難しい中国人の業者は神戸で注文、支払いを終わらせ香港で受け取り、いくつかの方法を使い中国本土に持ち込むわけです。

 私自身はダイヤモンドの選定を木曜日、金曜日早い時間に終わらせ、多くのユダヤ人が仕事を休む土曜日には他の商品を一部見て回るというローテンションがもう随分と続いてはいるのですが、今回のように毛色の変わった人々が多く集まり、更には日本ディビジョンが他の国の出展ブースに比べディスプレーや商品が貧相であったことを考えると時代が変わり始めたのかと感じざるを得ませんでした。
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2018年6月20日水曜日

デ・ビアスとラパポートの戦い⁉

 デ・ビアスとは人知れるダイアモンドのシンジケートの最右翼であり、ラパポートはダイアモンドの最大の情報メディアでもあり、知る人ぞ知るという両社であります。

 デ・ビアスに関してはたびたびこのブログでも触れていますが、現在のダイヤモンド業界の礎を創った組織であり、若いころの私自身も盲目的デに・ビアスの事を信じ、この会社がダイアモンドの価格を調整している以上はダイアモンドの価格は崩れないと思っていました。

 しかし、現実は1980年代には崩れ、その虚構は見事に1990年代には消滅をしたのです。

 デ・ビアスの力は現代においてもそれ相応の力を有してはいるのですが、1990年代にLVMHグループと組むことにより小売りへと参入をしてきたのです。

 更には原石受給者(サイトホルダー)制もやめ、あらゆるシステムを試しては止め、この繰り返しの結果一人蚊帳の中に引っ込んでしまったような様子もありました。

 一方、ラパポートはダイアモンドの価格表をワラ半紙的な発行物から始め、今では多くの素人バイヤーはこの価格表を頼りにビジネスをしています。結果ラパポートの信者が増え、今での業界の一大メディア化となったのです。

 この両者が今争っているのです。

 デ・ビアスとしては自己の販売システムを確立するために余計な価格評価やその運用実態をさらし物にはしたくないという反面、ラパポート側では業界に透明性を謳い、少しでも情報を手に入れたいという思惑があります。

 つまり、デ・側としては過去のように自らがコントロールできる仕組みを作りたいと思っているのですが、ラ側では少しでも情報を開示させ自らのニュースバリューを上げたいと思っているのです。

 その為デ・側は参加のForever マークを取り扱う業者には約定を書かせすべての情報を非開示にするように求め、更にはラパポート自体をも攻撃をしているのです。

 一方ラパポート側は業界の透明性を旗印にGIAはじめ世界ダイヤモンド工業連盟等々と組みデ・ビアス社に対して鉱山からの情報開示を要求しているのです。

 どちらにも言い分として通る部分がありますが、時代が変わってきていることにも両社が気づいても良いのではと傍から見ているとそう思うのです。
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2018年6月18日月曜日

誤魔化し⁉

 一般社会において一面では正しいが実態で考えるとそれはおかしいのではという事が多々ありますが、それが政府なり行政が行っているという事になると一面だけをとらえて法律に反映をさせるという事はあまりにも無謀に感じています。

 よく政府の発表で一人の若者が2.5人のお年寄りの生活を支えていますとか、数年後には一人で4人のお年寄りを支えなければなりませんとか年金問題をとらえて行う事があります。

 本当だろうか?そこまでの問題にしてはあまりにも管理がずさんでもあります。消えた年金問題もまだ解決をしていないものを放りっぱなしでもあり、更にはその管理情報の流出等々考えるととても年金問題を真剣に考えているとは思えません。

 実際に日本に就労人口は6,600万人余りですが、そのうちほぼ25%以上に当たる約17,000万人60歳以上の労働者です。もちろんこの人々は年金も収め看護保険なども収めているわけです。場合によっては年金を受け取ってもいません。

 つまり、実際には年金受給人口は3000万人強ですからその半分は60歳以上の労働者が払っていることになります。また、働いている高齢者は高収入者も多いのでその金額はさらに多くなります。その上で高齢就業者はさらに増え、いずれその受給者たちもいなくなります。

 実際には生活保護者の若者とか定職を持たない若者が多いので政府の発表は反面正しいように聞こえますが、トータル的には決して正しい発表とは言えません。ましてや年金から所得税や開度保険料を天引きをしているわけですですから年金の払いっぱなしみたいな表現は間違っているわけです。

 政府の年金に対しての失策は過去の歴史も物語っているわけですから、年金に関しては社会主義的な方式を取りたいのはそこに別の石があるような気がします。事実であっても真実ではないといった誤魔化しがそこには垣間見れるような気がします。
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2018年6月8日金曜日

物の価値⁉

 先日ダイヤモンドのシンジケートの大手であるデ・ビアス社が人工ダイアモンドの販売を始めるという事を書きましたが、今回のラスベガスのショーの中でもデ・ビアス社がその説明に苦労をしていたとのことでした。

 ダイアモンドもジュエリーの素材の一つであることには変わらないのですがそれが天然であれ、人工であれ構わないという世の中になってきていることは事実でしょう。

 以前であれば百均で物を買う事はその場しのぎが出来れば良い程度の動機で購入をしていたと思うのですが、現代の世の中では実用品を始め一つの雑貨のジャンルとして百均が存在をしています。

 つまりはクオリティーの程度に拘るというより使えればそれでよいという実用品を多くの人々が望んでいるという事になります。

 しかし、物造りの日本としてはクオリティーの高さこそが日本の売りですから、大雑把になった市場に対してはもっぱら弱いという事になります。

 つまり、日本で海外製の安価なものが蔓延れば蔓延るほど日本の経済は弱っていくのです。勿論、金融関連の非製造に関しては良いかもしれませんが、一般の多くの人々は何らかの形で国内の物造りの流れの中に関わっていますから、経済の根底そのものは必ず崩壊していきます。

 間に合わせのものが中心に来る社会は町がなく将来がありません、日本の繁栄は数百年前から物造りに拘ることにより成り立ってきたものです。戦後日本が経済大国になってきたのもその基本があったからです。

 物の価値というものは使えれば良いというもので落ち着くのであれば包丁も金槌もいりません。ましてやそれらを追及する老舗といわれる伝統技術は何の役にも立たないという事になります。

 しかし、人間は人と違うものを追求しなくなったら存在価値がありません。皆と同じものの良いのであればAIがコントロールし、AIが作り上げていくものだけで良いのです。

 人間の根本には人よりより良い生活や人より収入を上げたいという欲求が大なり小なりあります。それは皆と同じものを使い同じことを行っていたら、そんなことは起きません。

 つまり、間に合わせの商品というものは時間とコストというメリットはあるのですが物の価値があるわけではりません。物の価値が認められない社会が成長を続けていく訳はないのですから、物の価値を理解し、使用するという世の中こそが今あるべき姿のではと考えてしまいます。

 間に合わせの商品はファンドなりのフィンテック社会の人々を一時的に潤すことは間違いがないでしょう。しかし、人々の成長には文化というものが必要です。物造りを追求し無くなれば文化もなくなり、成長も止まります。それこそAIに支配された世の中になってしまうのかもしれません。

 物の価値というものは大事なものなのです。
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2018年6月7日木曜日

ダイアモンドの価値の理解⁉

 先週買付をしたダイアモンドが続々と入荷し、今回は特に5ct以上の買付けが多かったせいかスタッフも目を輝かせて見入っていました。

 普段ダイアモンドを見慣れている彼らにとっても大粒のダイアモンドはまた特別でもありますが、特にダイヤモンドの価値を理解しているとこの上なく感動するものなのでしょう。

 人間誰しも価値観は必ずしも一致をしているわけではありません。それぞれなのですが、前提としてそのものの知識、経験を持っているかどうかは価値判断において大きな違いが出ます。

 Aという人間にとっては特に価値を見出されることがなくてもBという人間にとってはとてつもなく価値があるものという事がままあります。

 例えば陶器ですがマニアにとっては数億円のものでも他の人間にとってはただの焼き物くらいにしか感じないものもあります。しかし、多くの人はこれが数億円するという事になると価値があるように感じるものです。また、知識が身に付くことによりそこに価値を感じ始めるものもあります。

 ダイヤモンドのように以前から皆が価値のあるものだと思っていても、扱っている人間の知識の浅さにより本来の価値よりも低く感じさせているものもあります。

 ダイヤモンドの価値というものはいくつかの歴史により形作られてきたものが有ります。一つには旧約聖書からの引用によるものが有りますが、近代においては1700年代にポルトガル政府がダイアモンドを担保にロスチャイルドよりお金を借りたということも有ります。一番には1870年代に誕生をしたダイアモンドのシンジケートの存在があります。

 このシンジケート自体は1920年代に倒産をしておりますがその後の復活をしたシンジケートのキャンペーンにより世界中にブライダルを通してそのダイアモンドの価値を広げたという事もあるでしょう。

 勿論、多くのオークッションでのその落札価格の高額さからその価値観は広がってきたということも有りますが、多くの啓蒙活動が多くの場所で行われてきたことがその要因として大きいわけです。

 しかし、冒頭の知らないものには価値を感じないという事においては、社会というものはおのずからそのようなもので、価値を構築できたものが皆に共有される事により価値を感じさせていくのです。

 感性に訴える価値としてのダイヤモンドはその美しさで魅了しますが、そのほかの側面として実質的価値として存在がそこにあることは皆が知ることにより更なる価値を生み出していくのだろうと思っています。
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2018年6月4日月曜日

デ・ビアスの錯乱⁉

 ダイアモンドのシンジケートでもあったデ・ビアス社が人造ダイアモンドのジュエリー販売を行う暴挙といっても良い行動に出ました。

 デ・ビアス社は1980年代より他のダイアモンド鉱山会社との競合が難しくなり、自社の株回収や小売りへの展開等々いろいろな試みをしてきましたがあまりうまくいった例が乏しく、最後の手段が人工ダイアモンドかというものです。

 人工ダイヤモンド製造そのものに関しては元々事業として、その天然より丈夫という特性をいかし工業用としてはすでに取り扱いをしていたと思うのですが、今回はデ・ビアス社の根幹とも言っても良いような宝飾品としてのダイアモンドの問題であります。

 本来のデ・ビアス社はいまでいうファンドの原点みたいな組織であり、資金を集めてダイアモンドを独占し、市場をコントロールするというシステムを構築した組織ですが、同時にダイアモンドの価値を上げるという啓蒙活動に終始してきた結果の今のダイアモンドの価値でもあります。

 独占しようとする規模以上にダイヤモンドの鉱山が出てきた為に独占コントロールするための買い付け資金がショートし、結果、他社との競合をせざるを得なくなってしまった過去があります。

 今までにも組織維持の為に色々と策を練り、LVMHと組み小売りの展開やミレニアムダイヤモンドの発売などあらゆる手を打ってきましたがそれらはすべて天然のダイヤモンドに意味があるからです。

 つまり、彼らは自らのアイデンティティーを手放してしまったことになるのです。幸いなことは現時点でのデ・ビアス社は単なる鉱山会社の一つに過ぎないという現実です。

 本来のダイアモンドビジネスとしての姿勢であるのなら今回は明らかに間違いだとするのですが現代のデ・ビアス社は単なる現代のファンドに落ちぶれてしまっています。それ故に配当優先のビジネスを優先する訳です。

 しかし、一番の稼ぎ頭がダイヤモンドである現状は変わりませんからこのこと自体が市場に悪い影響を与えなければ良いと考えますが・・。

 他の鉱山会社がそれを追随するとは思えませんし、人工ダイヤモンドの世界はすでに中国が席巻していますからあまり大きな結果が出るとも思えません。

 人工ダイヤモンドとの違いを打ち出しての価値構築こそがデ・ビアス社の根幹だと思うのですがデ・ビアス社の終焉の一幕でなければ良いと考えるのは私だけでしょうか。
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