北朝鮮とアメリカを見ているとだんだんどちらの理屈が正しいのかと思わざるを得ません。元々はアメリカや我々の世界観やメディアの報道により北朝鮮の無謀ぶりが目についたものですが、だんだとやはり大国の理屈ではないかと考えた時に北朝鮮が核ミサイルの保有国になった時点ではその大国の理屈が脆くも崩れていく様を感じざるを得ません。
現状、経済力の問題は何ら機能していませんから武力のバランスだけでいえば量の問題ではなく結果的には五分と五分という事になってしまいました。
それぞれの正義を考えると相手のそれは悪であり、正義も悪もそこいらじゅうに存在し、力の優劣により正義が決まるような気もします。
それらは人間の常であり力がある人が言えばその理屈が通ってしまう事はままあることです。しかし、別の人が力を持つと何時かその理屈は崩れていくものです。
例になるかどうかわかりませんが人が亡くなってちゃんとした葬式を上げなければ遺族は鬼畜がごとく言われた時代もありますが、現在では密葬、家族葬が多くなってきました。以前であればその規模で行えば何か後ろめたいことかあるのではないかとさえ思われました。
しかし、現代ではそれが多くなり、その理屈を皆が理解をするようになり、それが合理的で故人にとってもよいのだとか希望であったという理屈になっています。
ダイヤモンドの鑑定書なる物も以前であれば絶対的な物として国内を席巻していたのです。しかし、実は絶対的な物ではないと理解が始まった時点ではそれが絶対的な物ではなく単なる品質証明書だということになります。
時と場合と人によっては変わるという事が理解をされてくると今度はそれが当たり前になってきまう。世の中は時代と環境により物の見方とか正義が変わってくるのだなと感じています。
その理屈でいえば私が以前から提唱をしていることですが、『墓石の代わりにダイヤモンド』というという事ですが、一見暴論のように感じますが同じ石であることは勿論のことですが永く引き継ぎ遺族子孫の周りに置くという事を考えると、現代のように無縁仏が増たり、霊園が倒産をする時代になるといよいよ本悪的に考えてもよいのではないだろうかと思っています。
以前であれば自分の入る墓を造り一人前という部分もありましたがその終活作業が残された人々の都合を考えた事ではないので、残された人々のにとっては迷惑な場合も多々あります。
ただダイヤモンドであればいつどこでもどこまでも身に着け、周りにおいておけるので合理的でもあります。今後は一考が有っても要のではないでしょうか。
時代や背景が変わると常識や正義も変わります。残念ながら合理的に物を考えることがどの時代にもどの環境にも適するものであり、情報や時代に流されないことを起点に物を考えることが物を理解する原点だと考えています。北朝鮮問題もやがて合理的に解決をされるでしょう。決して武力のような非合理的なことで解決ができる問題ではないのです。
『情緒』とは時として悪になるのです。
https://ameblo.jp/diamonrow
http://diamond-exchange.jp
現状、経済力の問題は何ら機能していませんから武力のバランスだけでいえば量の問題ではなく結果的には五分と五分という事になってしまいました。
それぞれの正義を考えると相手のそれは悪であり、正義も悪もそこいらじゅうに存在し、力の優劣により正義が決まるような気もします。
それらは人間の常であり力がある人が言えばその理屈が通ってしまう事はままあることです。しかし、別の人が力を持つと何時かその理屈は崩れていくものです。
例になるかどうかわかりませんが人が亡くなってちゃんとした葬式を上げなければ遺族は鬼畜がごとく言われた時代もありますが、現在では密葬、家族葬が多くなってきました。以前であればその規模で行えば何か後ろめたいことかあるのではないかとさえ思われました。
しかし、現代ではそれが多くなり、その理屈を皆が理解をするようになり、それが合理的で故人にとってもよいのだとか希望であったという理屈になっています。
ダイヤモンドの鑑定書なる物も以前であれば絶対的な物として国内を席巻していたのです。しかし、実は絶対的な物ではないと理解が始まった時点ではそれが絶対的な物ではなく単なる品質証明書だということになります。
時と場合と人によっては変わるという事が理解をされてくると今度はそれが当たり前になってきまう。世の中は時代と環境により物の見方とか正義が変わってくるのだなと感じています。
その理屈でいえば私が以前から提唱をしていることですが、『墓石の代わりにダイヤモンド』というという事ですが、一見暴論のように感じますが同じ石であることは勿論のことですが永く引き継ぎ遺族子孫の周りに置くという事を考えると、現代のように無縁仏が増たり、霊園が倒産をする時代になるといよいよ本悪的に考えてもよいのではないだろうかと思っています。
以前であれば自分の入る墓を造り一人前という部分もありましたがその終活作業が残された人々の都合を考えた事ではないので、残された人々のにとっては迷惑な場合も多々あります。
ただダイヤモンドであればいつどこでもどこまでも身に着け、周りにおいておけるので合理的でもあります。今後は一考が有っても要のではないでしょうか。
時代や背景が変わると常識や正義も変わります。残念ながら合理的に物を考えることがどの時代にもどの環境にも適するものであり、情報や時代に流されないことを起点に物を考えることが物を理解する原点だと考えています。北朝鮮問題もやがて合理的に解決をされるでしょう。決して武力のような非合理的なことで解決ができる問題ではないのです。
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