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2016年3月29日火曜日

らしさ⁉

 大相撲春場所において横綱白鵬の千秋楽についていろいろ物議をよんでいるようですが、TVの大方のコメンテータたちの意見は白鵬に対して好意的なものが目立ちます。

 千秋楽の優勝インタビュー中に大阪ならではの野次は決して品のいいものではありませんでした。観覧するには観覧するファンのマナーというものがありますので、白鵬の取り組みに対してとやかく言えるものではありません。基本的には私自身も横綱白鵬のファンでもありますが、今回の勝ち方に関しては感心しません。

 彼自身は横綱らしさを追求して、口に出して、実行をしてきたからこそ横綱なのではないのでしょうか。以前の横綱とも認めにくい朝青龍との違いはそこにあったはずです。朝青龍に関しては相撲内容に人間性が出ていて横綱はないでしょうといえるような関取でした。過去の相撲界の恥部でもあるかもしれません。

 今回も彼のツイートで野次に対してヤジを飛ばすなら相撲を身に来るなと言っていましたが、ここにも彼の性格の未熟さが出ています。相撲を見に来る客がいなければ相撲は成り立たないし、ここにも勘違いが出ているので早々に辞めて良かったのではと思います。横綱は勝てばよいという相撲ではだめなのです。関取全体の壁となり敬愛される立場でなければいけません。

 ここで『らしさ⁉』という事ですが、其々分野に『らしさ』があるからこそ成り立っているものが多くあり守っているからこそそこに価値や意味があるという事が往々にしてあります。勿論白鵬の横綱の品格を言うのであれば」相撲界全体の品格はどうなのかと思う部分もあります。一線を越えてしまったらなし崩しになっていくのが人間の弱さでもあります。

 『らしさ』という言葉は漠然としていますが、ある意味での括りだと思います。なんでもありではいけないというある意味での自制であったりその部分の価値を守ることでもあると思います。

 話しはちょっと違いますが、 随分前ですがヘアーヌードがNGの時代にその時代の先進的と思っていたのであろうTVコメンテーターたちが『隠すから見たくなるし、見せてしまえば体に合って当たり前のことだから何ともなくなる、法律で禁止をしているから逆に犯罪の温床になる』と言っていましたが、結果的にそれが緩んでくると平気でのヘアーを見せる女子や写真を週刊誌にとらせる女子が増え、本来の恥じらいを持った女の子らしさがなくなり、結果的に現在問題になっているリベンジポルノに繋がっているような気がします。

 宝石商に関して儲かればどんな方法でも良いという考え方が結果的には宝石の信用を失い、怪しい職業のように見られるようになってきてしまい、優秀な人材が集まりにくくなり、更にはホスト紛いの自称宝石商が現れてくる始末です。

 決してそのままの良いとは言いませんが今回の白鵬事件で思った事は『らしさ』があって人は認め、その上での実績が更なる価値や敬愛を受ける事になると改めて感じた次第です。
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2016年3月26日土曜日

暴言?

 相変わらず自民党はじめ国会議員は失言のレベルではなく暴言を吐きまくっています。先日も国会議員のくせに『巫女のくせに…』といった発言でヒンシュクをかっているのがいます。確か以前に反政府的な報道をするテレビ局には財界は広告費を出すなと言った議員でありました。

 東京の選挙区の議員ですが、選挙民は何を見て彼を選んでいるのであろうかとさえ思います。今後は彼を選ぶようなことがあればなんといわれるかわかりません。

 暴言と言えばトランプアメリカ大統領候補ですが、『イスラム教徒を米国に入れるな』とかメキシコとの国境に塀を経てるなどと暴言を繰り返しているように見えます。

 しかし、フロリダやニューメキシコのようなヒスパニック系が多いところでも彼は支持をされています。つまりは既に市民権やグリーンカードを持ったヒスパニック系の米国人はこれ以上の不法移民が増えて、仕事を奪われる事は望ましくないと思っているし、勝手だとは思いますが、貧困層の彼らとは一線を引きたいと思っているのでしょう。

 イスラム教徒にしても区別がつかなければ誰がテロリストかはわかりませんから。まずは一線を画することは致し方が無いと思います。それは差別ではなく区別であろうと思っています。


 今世界中で難民や移民問題が騒がれていますが要因の一つに、欧米諸国の罪滅ぼしと一見正しそうに感じるヒューマニズムがあると思っています。ニュースなどでもコメンテーターが今の混沌の中で欧州諸国の人権に対する真骨頂を示すべきだといっている一寸ずれているコメントをするものもいます。

 以前にも書きましたがグローバル化や移民、難民問題は下手なヒューマニズムが事を大きくしています。建前で移民や難民を受け入れたが、彼らを差別することにより社会的環境を整えず、貧困にあえぐ彼らは犯罪を犯したり、テロの予備軍となって欧米世界に反発をしています。

 移民、難民にしても日本でいう『郷に入らば郷に従え』ではないですが過去の自分達の生活習慣や宗教観は最低限にして移民をした国に合わせる努力をしなければいけません。グローバル化だからと言って世界中が自分たちの見解で同じくなる訳ではありません。

 アメリカにしても自分たちの価値感を他国に押し付けることがいかに愚かであるか早く知るべきだし、日本は多くの場合そこの国に行くとその国の習慣に従う人々が多くいます。これはいかに日本人は順応性があるかという証明でもあるでしょう。

 昨今、中国人旅行者の事が取りざたされることも多いのですが、以前の日本人もそうでしたが、今ではそのような批判をされることもほとんどありません。日本は難民の受け入れに積極的ではないとよく言われますが、多くの場合外国人が日本の習慣や風習に馴染まない事が大きな要因となっています。

 現に馴染んでいる外国人のほとんどは上手くいっています。移民難民問題は難しい問題ではありますがやはりそれぞれの国で解決をする事が望ましいと思います。その為には他国は余計な干渉をしないことです。仮にその国が独裁国家であったり、粛清国家であったとしてもその形の方がその国がまとまるのだと考えた方が良いのでしょう。今の中東問題やテロの問題にしても発端はイラクのフセイン政権を欧米諸国で倒したことが始まりです。

 暴言かもしれませんが、冒頭の国会議員とはレベルが違うと思っています。
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2016年3月24日木曜日

持論!?

 持論でもあり偏見でもあるかもしれませんが、『経済的、精神的の貧しい人が増えれば増えるほど、富裕層の資産が増える』と考えています。

 例えば経済的という意味でいえばファスト・ファッションはある意味での貧困層に支えられています(必ずしも本人たちが認識しているとは限らないが)。多くのファスト・ファッションの上にいるのがファンド等のいわゆる富裕層です。勿論ファッションに限らず、その類のビジネスは低所得者層が支えています。

 共通している事は、消費文化の窮極にいるということです。一時的な単価の低いファッションに走り、短期的な使用といった様な刹那的な行動が多くみられます。ある程度のお金を出せばより良い物で長持ちをするものが手に入るのですが、安いから長く使わないし、ほころびも早い、それ故に再度購入を考える。結果供給側からすれば量を供給し、単価を下げ品質に関してはそれほどの重点を置くことはありません。

 ほとんどの商品が大量生産で安価、物というよりも価格で選び、購入回数を重ねる事により多くのファンドが中心となっている企業を支えています。

 金融でいえばお金のない人は手数料の高い銀行系の町金融を使う事になったり、カードローンを使う事になり、結果そこにお金を供給している富裕層のお金が増えるという事になります。これは特に日本の場合、国が審査を厳しくする様に大手の金融機関に通達を出し、更には法律化し、大手銀行は直接の金利の安い融資ではなく、金利の高い、銀行系の町金融やカードローンを使うように誘導し、更には銀行の手数料を義務化していますので、自ずから富裕層をバックにした金融系の資産はさらに増えます。簡単に言えばお金のある人から高利でお金を借りるのですから、お金のある人はさらに増えるという事です。貸す側は15%から20%で貸すのですから、5人に一人焦げ付いても元は取れます。実際にはそんなに焦げ付くリスクは高くはありませんから、大儲けなわけです。

 精神的な意味でいえば、不安があれば保険に入ったり、他の方法に頼ったりするわけですが、一つ間違えば『ツボ売り商法』にはまる訳です。企業であれば単純な意味での保険加入という事になるのですが、先日個人で掛け捨ての高額保険に入ったという人に会ったのですが、すでに十年で1千万円程度の掛け金を払っているという事で何故掛け捨てなのかを聞くと保険金が高いからという事でした。

 しかし、年齢とともにさらに掛け金が増え徐々に条件が厳しくなってくるという事でしたが、私からするとある程度の年齢になったらもう万が一ではないのでその準備をした方が良いのではないかと考えます。

 私の意見を尋ねられたので、『保険は最小限にして掛け捨てをするくらいならダイヤモンドを買い続けますね。』と答えました。単純に1千万ダイヤモンドを買っていたなら今頃は1千5百万位にはなっていたでしょうし、いざという事があったならばそのダイヤモンドを処分すれば、ただお金を捨てるよりは良いと考える訳です。

 さらには不安がらせてツボ等を売るのは宗教団体の常套手段です。つまり、精神的に不安になったりするすることはお金を払ってもすがりたいという形が一番手っ取り早いのです。結果宗教団体という富裕層はお金を集める事に長けている訳です。

 以上の事はあくまでの極論でもありますが、審理でもあると偏見を持っていえます。これらの制反対側にいるジュエリービジネスは皆が幸せな気持ちでなければ売れません。今の時代のジュエリービジネスの難しさはこんなところにもあるのかもしれません。
http://madam-g.blogspot.jp/
 

2016年3月23日水曜日

ダイヤモンドの報道!?

 先日報道をされた『ダイヤモンドの価格は下がっている‼』という記事に対しての質問が最近よくされることがあり、先週もセミナーの中で参加なさった方から質問をされました。

 多くの報道の場合新聞に関わらずTVであっても特集をする場合には既に環境が変わっている場合があります。昨年来都市鉱山として日本での買取りブームから出てくるダイヤモンドを海外のバイヤーが買いあさっている様な映像が流されることが多くありました。

 何時の時代の話だと思うほど情報が遅れています。2~3年前であればまだまだ理解が出来るのですが、今は既に終焉を迎えている事は業界の人間であれば解っています。どこからの情報でそのような取材をし、その取材に協力をしているところも宣伝になればと思ってやっているなと思えるような内容です。

 さて、『ダイヤモンドの価格は下がっている』という報道内容ですが、確かに以前ここでも述べた余殃に昨年一年を通して平均して、ダイヤモンドの価格は下がっています。しかし、原石の価格が下がったわけではなく、研磨済みダイヤモンドの価格が下がったという事です。さらに言えば全ての範囲で下がったわけではなく、1ct以下を中心にしたコマーシャルサイズでさらには市場として大きな0.2~0.5ctのところという意味でこれは経済状況が悪くなれば一番打撃を受けるところでありますから、ある意味では至極当然ともいえるでしょう。

 しかしです。昨年メディアはどれくらいオークション等で落札をされたダイヤモンドが史上最高額という内容を伝えたのでしょうか。勿論特殊なファンシーカラーだったり、大きなサイズであるかもしれませんが、内容を考えればセンセーショナルに報道をして、その事自体のニュースバリューがそんなに大きな物とは考えられません。

 安心してください。当たり前の理屈は今後も続くでしょうし、宝石条件の整ったダイヤモンドは下落しないことこれは断言をします。

 美しさ、希少性、耐久性、携帯性、換金性を兼ね備えたものはなんだって価値が下がる訳はないのです。もしそれらの物の価値が下がるとしたらお金やビジネスを何のために行うのかという事になってしまいます。

 その究極の位置にあるとも言って良いダイヤモンドの価値が下がることはないのです。もし、その条件が変わることが無ければということですが・・・。すべてのダイヤモンドに宝石としての価値がある訳ではありません。最近TVショッピング等で有名百貨店が大粒と称して0.4ctの決して良質とも宝石とも言えない様なダイヤモンドを販売しておりますが、これこそが宝石の信用を失墜し百貨店その物の信用を無くする常套手段なのでしょう。

 金融が怪しい現代においてダイヤモンドの規模がどれほど寄与するかはわかりませんが、少なくてもダイヤモンドの価格が下がっていくことは想像しにくいのではないかと思います。
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2016年3月21日月曜日

ジャンク債!?

 ダイヤモンドの値動きが、少し変です。昨年は平均して価格が下がっているようでした。勿論これは大粒サイズの動きとは別次元として小粒サイズが市場では振るわなかったことが主な要因ですが、ここにきてその小粒も少し動き始めています。

 これはアメリカのジャンク債の値上りに意味があるのかどうかが気になります。つまり、リーマン・ショック前夜を想像してしまいます。アメリカの金融が動き始めると色々なところに影響が出てきます。アメリカは資本主義の大元でもあるので金融が活発な事は解りますが、デリバティブ等の厄介な仕掛けが恐怖を抱かせます。

 私自身もリーマンの時には米国の顧客から集金が出来なかったという事もあり、アメリカの金融システムそのものを信じてはいません。当時、多くの金融機関米国民の税金により救われていましたがその金融機関がボーナスを出していたという事で話題になり、更には年金でもある401Kの崩壊や何百万人という失業者や、家を失った人々が路頭に迷っていました。

 しかし、金融を司っていた連中の殆どが無疵でもありました。ほとんど責任を取ることもなくのうのうとしていたわけです。現在の金融経済の汚点とも言って良いでしょう。返済能力のない人間にローンを組み、更には何軒もの家を購入させ、値上がりを演出し、更にはそこに保険を債券にしたものを販売し、ほとんど滅茶苦茶でした。

 その頃にダイヤモンドの動きが連動しているような気がするのは私だけでしょうか。一部の金融筋に金回りの良いのが現れてきたような気がします。世界の経済が一様に好調ではない中での動きです。気になります。http://ameblo.jp/diamonrow

2016年3月19日土曜日

家宝!?

 今週は3店舗ほどお客様と販売員の為のジュエリー口座を開かせて頂きました。販売員とお客様が同時に話を聞いていただいて同調をして頂くことが今回の趣旨でしたが、ことのほかジュエリーの発祥と本来の意味を御理解頂き、贅沢品ではないという言葉には反応を頂きました。

 ゲルマン地方には宝物が根付かない家系はやがて途絶えるという言葉がありますが、これは日本でいう『家宝』を指すのですが、家具にしても宝飾品にしてもその家系で大事にしている物を受け継ぎ、語り継がれなければやがて途絶えていくという事です。

 そのためにはその受け継がれるもの自体が良質の材料と良質の技術で造られ、耐久性があることであったり、皆が魅力を感じるものではなくてはならないわけですがそういった意味では立場上宝飾品が一番良いという話なのですが、単なる贅沢品と思っていた方達にはちょっと意外だったようです。

 ジュエリーには本来家系や家紋を示す役割があり、その部分での話だったのですが、販売員にとっても贅沢品ではなく、実用的な目的の物を販売するのだという意識は少し販売に対してのプレッシャーが軽くなったように感じたようです。

 何事においてもそうですが、コツコツと繋いでいくという事は現代では軽んじられているように感じますが、ある意味宝飾品からその部分を取ってしまったら、アクセサリーでよいという事になってしまいます。その為にも販売する側はジュエリーの品質管理や材料の管理をきちっとしなければいけないし、価格で売ろうなんていう考え方はことさら宝飾品の売り方として似つかわしくはないという事もわかるでしょう。

 宝石に何故耐久性が必要で、美しさと希少性が必須条件となるのか。それは単純に時代を超え、皆に愛されなければいけないし、造りが重要なのもやはり時代を超えなければいけないからです。

 当たり前の宝飾品の条件が当たり前でなくなった現代において宝飾品の販売が難しくなったのは解る様な気がします。売る側も買う側も本来の価値と、意味を理解していないのだと思います。

 車でいえば本来は走って移動するものなのですが、途中からインテリアやデザインに傾倒するあまりに、売れなくなったので価格競争に打って出たら気が付いてみたら走らない車を売っていたといった感じなのでしょうか。皮肉が過ぎましたが・・・。

 しかし、本来の意味と価値から外れてしまうとどんなものでも販売することは難しくなります。
今回のセミナーでは時間が短かったとはいえ有意義な時間を過ごせたと感じ、機会があればいずれ又という気持ちになれました。http://ameblo.jp/diamonrow

2016年3月16日水曜日

結果!?

若い頃は結果が全てだという風に自然に考えていました。学生時代はスポーツで、社会人になってからは売上だったり数字が全てと思っていました。

 しかし、今の年齢になってみると色々と考えることがあります。それは催事となどを見ていても数字が優先するあまり、本来の目的に対しての価値感を置き去りにしているように思えます。

 人は何にお金、つまり対価を払うのかというと自身が感じる価値に対してであることは間違いがありません。しかし、結果を追うあまり本来の価値感を感じてもらうのではなく、結果に対する合理性を求めているように感じます。更にはその合理性にも反している様な様子が見られます。

 本来の価値を説明することなく、一か八かの方法論はやがて一時的な結果が出ていても間もなく終焉を迎えます。

 難しいことを書きましたが、結果が出なくてもとは言いませんが方法論として決して合理的ではない方法であっても、そこに新たな価値を生んでくれるものが見つかるという事です。コツコツと人から見たらまどろっこしいように見えることでもそのコツコツを積み重ねるからこそ見えるものがあるという事です。

 内容が良くなかったけれど結果オーライという言葉をよく聞きますが、スポーツでもなんでも一流の人になるほどその事を否定します。
『勝敗では負けたが相撲では勝った』といった言葉があります。私自身もこの言葉を釈然と聞いたわけではありません。単純に勝たなければ意味がないと考えたわけです。

 しかし、相撲は千秋楽まで二週間ある訳です。そう考えると安易にその時勝ったから良いという訳ではなく二週間相撲を取って優勝をする事に意義がある訳です。つまり過程が上手くいっていれば結果は自ずから付いてくるという事なのです。

 一流の人ほどその場の結果を気にしません。何故なら一瞬は一里塚でしかないからです。勿論一勝、一勝積み上げていくことは大事です。しかし、勝負とは言いませんが人生においてもビジネスにおいても一発勝負ではありません。

 ギャンブルのように一発勝負のものに過程も経験も必要が無いかもしれません。しかし、人生を含めて一発勝負事はそんなに多くはありません。コツコツと積み上げるからこそ価値があることもあります。

 私がよく使う言葉に
『現実とはその日の飯を食う事ではない。明日、明後日から如何に飯を食っていくかだ。』
という言葉を使います。その日の飯は我慢しても将来食べていけるようにすることが大事だという訳です。その日暮らしのような数字を追い求めても、同じ苦しみを毎日味わう事になります。

 結果が出ないかもしれないけれど、それ故にに見えてくるものもあります。それが経験となり将来の結果にたどり着くのだと思います。http://ameblo.jp/diamonrow

2016年3月14日月曜日

言葉の取り方⁉

 言葉の役割として自らの意思を伝える、決まったことのアナウンスメントをする。気持ちの表現をする等々あるのですが、伝言というものは間に入って人間の能力であったり、意志であったりで中身が違う事が良くあります。

 伝言の言葉だけを受け止めれば喧嘩になったり、喜んだりすることがあるのですが、その前後の話次第では意味が反対になったりもします。それは間に入って伝える側にある種の意図があると余計です。

 人から聞いたことは伝えた人間の性格やその言葉のいくつかのパターンを想像しなければいけない事もままあります。

 先週、の展示会にお邪魔をした時にこんなシーンがありました。とある老御夫婦がおいでになり以前から気になっていた2ctのダイヤモンド再度ご覧になった時の事です。
『やはり、このダイヤモンドは綺麗だね。』
とご主人が他も見てこられたという事でポツリとつぶやいたのです。
『そうね。このダイヤモンドであれば欲しいわ。』
と奥様・・。

 私も販売員もこれならお求めになるだろうと期待をしました。席におつきになったのでそのダイヤモンドをお持ちして暫しお話をさせて頂きました。間もなくして席を離れると販売員からお求めになると思いますという事でした。その理由としてご主人がお金を出すという事で、奥様はこのダイヤモンドが欲しいという事なのでもう間違いはありませんという事でした。

 決まったとものと思い席に戻らずにいると販売員が来て今度は見送りますという話でした。私自身『エッ‼』と思い、何か失礼でもあったのかと席に戻りお話を聞くと御主人が
『お金は私が出すので家内には是非持ってもらいたい。貴女はどうなの?』
と奥様を振り返ると奥様は
『このダイヤモンドであれば欲しいわ。』

 私はまたまた混乱し、お話を続けて聞いてみると奥様は
『私たち間もなく80歳なんですよ。そしてダイヤモンドを買って渡す子供も孫たちもいます。でもね・・・。』
『この人が貯めてきたお金を出させると自身が気持ちで申し訳ないという思いでこのダイヤモンドを持つことになるんですよね。折角持つダイヤモンドであればそのような気持ちでは持っている間何時もそれを考えていなければいけないわ。』
という理由でした。

 最初、販売員も途中までの話でもう決まったように思い、私に伝えてきたので私もそのつもりでおりました。それゆえに何故という気持ちがあり、お話を伺いました。

 もし、奥様がダイヤモンドを見て『申し訳ない。』言う気持ちではなく『ありがたい。』という気持ちでダイヤモンドを見て頂いたら本当の意味があったのだろうと思います。しかし、奥様のお言葉はそれを超える愛情であったり、感謝の念がこもっておりました。私自身はそれ以上お奨めすることはありませんでしたが奥様のお人柄を感じ、私自身も幸せな気持ちのなりました。

 完全に決まったと思ったものが実はそこに反対の事実が存在したと感じる言葉のやり取りでした。http://ameblo.jp/diamonrow

2016年3月11日金曜日

繋ぐこと⁉

 5年前の午後3時前 突然の大揺れで驚いていると店内の方から大きな音が聞こえました。
『ガシャーン‼』
 揺れを気にしながら事務所から店頭に出てみるともろくも砕け散ったブルーのお皿の破片が散らばっていました。

 まだ揺れの続いている中で落胆とも、腹ただしさとも違う感情が沸き上がってきました。しかし、その揺れはその感情をも、集中できないようなもので、慌てて外に出てみると電柱が揺れ、電線がたわんでおりました。

 東日本大震災は5年経った今でも私たちの胸に呼び起こすものがあります。被災された方達に対する思いは勿論の事ですが、私個人の中にも無念な思いがあります。

 ショーケースから飛び出し、割れていたものは100数十年前にロマノフ王朝のお抱え宝飾商でもあった『ファヴェルジェ』の製作した絵皿でした。手に入れ感動した私は皆さんにも見て頂こうとして店頭中心部のハイケースに展示をしていたものですが、なぜかそのハイケースの扉だけ空いていた様なのです。

 割れてしまった絵皿そのものは仕方がないのですが、本来であれば責任をもって保管し後世にまで伝えなければならない立場にいた自身に怒りと情けなさを覚えたのです。

 優れた物を後世に伝えるにしても色々なものがありますが、割れやすかったり、摩耗しそうなものに関しては管理するものが細心の気を配らなければなりません。また一方で耐久性が高く、保管さえきちっとしておけば何百年、何千年と世の残っていくものもあります。

 私は最近、過去の想いを形にしたくてヴィンテージジュエリーを取り扱い始めました。時代に関係なく良い造りをし、良い材料を使ったものは耐久性も高く、その時代を後世に伝えるべく役割を十分担う事が出来るものなのでその思いを伝えようと思っているのです。

 ダイヤモンドのビジネスを行ってきた訳ですが、ダイヤモンドそのものは時を超えることは周知の事実です。しかし、それを身につけながら継承をしていくには現在の造りは十分ではありません。多くの優秀な職人を失っていったのも事実ですが、現在では技術も進みCADなどでの製作がご殆どです。勿論そのほとんどが鋳造になりますから、手作りで行われていたいわゆる鍛造とは強度がおのずから違ってきます。

 現在では価格を追ったものがほとんどのために容易な製造方法が使われている事は一部仕方がないとは思っていますが、やはり自身が業界に入った頃の技術を消費者の方々にも見て頂きたいとの思いから、ヴィンテージの取り扱いを始めたのです。

 消費者の方達にもその魅力と価値が十分に伝わるのか評判も上々で、伝わること、その事がうれしくてたまりません。ジュエリーとはその時代を反映し時代を繋いでいくものでもあります。扱っている自分たちがそれを無視していては業界の発展もありません。

 今後も一つの基準を造りながら繋いでいくことに尽力出来れば良いかなとも思っています。あれから5年、3月11日をいかに風化せずに繋いでいくか大きな課題でもありますが、日本人其々が考えていかなければならないことのなのでしょう。http://ameblo.jp/diamonrow

2016年3月5日土曜日

香港ショー2016MAR!?

 香港ジュエリーショーとジェム&ダイヤモンドショーを見てきました。GEMショーの方が2日早く始まっておりましたが、会場が空港近くという事もあり、交通の便は本会場でもあるコンベンションセンターからフリーシャトルで1時間ほどの時間で列車を使うと香港島まで30分プラス移動時間で40分ほどでしょうか。

 今回の印象は欧米人が多かったように思いますが多くの出展者も同じように感じていたようです。GEMショーの方は初日はそれなりの入りであったようですが、二日目、三日目と徐々に人出が少なくなってきたようです。

 実際には体感としてですがかなり落ち込んできたように思います。ここ数年殆どの香港ショーに顔を出していますが、明らかに中身自体が悪くなってきたように思います。確かに出展者は増えているようですが、多くの場合現状が難しくなってきての挑戦ですから結果が出なくて当然なように感じます。

 特徴として今回はアンティーク業者の出展が明らかに増え、リサイクルを主体としていたところも顔を変え、アンティークのカテゴリーで参加をしておりました。多くのアンティーク・ジュエリーを見ていると現代でも十分に通用するものから、これは最近のものではないのかと思うものまで多く出展をされています。

 アンティークの場合、米国の業者が多く、如何に過去米国にそれなりのジュエリーが集まっていたのかを感じます。多くの過去のブランド品はやはり見ていて圧巻であり、哲学を感じるものがあります。現代のコストを追っかけた物とは明らかに違いを感じます。

 時間もなく、多くは見る事が出来ませんでしたが久しぶりにフェリーで会場入りをしてみると香港の夕暮れや夜景が華やかであることを改めて感じる次第でした。http://ameblo.jp/diamonrow


2016年3月1日火曜日

時代を超える⁉

 宝石の条件の中に耐久性というものがありますが、この意味している事が時を刻むといった本来の人類の中にある常識という物と相反するという物のような気がします。つまり、時を刻む針があるとすれば耐久性というものはインデックスであると思う訳です。

 耐久性があるがゆえに時代を超えてその時代を示すという意味では目盛りそのもので、その役割は人類が時を刻むうえで目安になるものを指すのだと思います。

 宝石は地球誕生以来存在し、地球の成長や変化を示してきました。その存在は悠久の進化を遂げた来た人類の梯子の段のようなものです。耐久性の価値や重要性はそこが基本であると思っています。

 宝石は勿論ですが、人間が造ったものにも耐久性は十分な価値をもたらします。それはジュエリーに関しても言える訳です。耐久性は造り、素材、デザイン等の条件がそろって初めて成り立つ価値といえるのです。

 最近の流行としてのファストファッションや量産品のようにその場で間に合えばよいといった耐久性を無視したものは確かに価格的には安いかもしれません。しかし、その物がプラスの価値を持つことはありません。

 ジュエリーのに関してもCADが全盛の時代であって、手作りが軽んじられています。何が違うのかと言えば歴然としたものはないとほとんどの販売者は思っていますが、実際にはそうではありません。CADをベースとしたキャストという鋳物と手作りの鍛造品では地金を硬さや張りが全く違います。

 まして、大量生産品には再生地金が使われることが多くあります。実質的な金商は変わりませんが地金の粘りが違います。つまり、手作りのものは刀鍛冶のような作業になりますが、キャスト物はただ型をとるだけですから当然耐久性にも差が出てきます。勿論技術によりますが・・。

 耐久性はその造られた時代を未来に運ぶメモリーカードのようなものですからその価値は重要です。宝飾品石合わせにしてもきちっと合わせて無理が無いゆえに耐久性に寄与します。それは低価格化にはむしろ不要なものです。

 時代背景が良ければ時間もお金も技術もかけています。それゆえにヴィンテージ物のすばらしさは世代を超え受け継ぐ価値というものが大きく反映されます。

 人々にはそこにある本当の意味の宝飾品の価値を理解してもらいたいものです。
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