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2014年4月27日日曜日

ダイヤモンドはなぜ高いのか?(下)

 最近、TVショッピングやチラシ広告などで量販を前提とした安価なダイヤモンドをよく見かけることがあります。そこで逆になぜあんなに安く売れるのかとい疑問も多くの消費者は考えます。

 しかし、多くの場合は消費者の『ダイヤモンドは高い』という概念を利用しているだけで実際には安いということはほとんどありません。実際に受け取ると決して綺麗ではなかったり、思ったより小さかったりします。

 ズ~とダイヤモンドが高価である説明しているわけですが、以前にも書いたかと思いますが、宝石という概念という中のダイヤモンドと他の目的にを持ったダイヤモンドは違いがあります。

 もし、宝石という概念に当てはまらないものであれば安く売ることはそれほど難しくはありませんし、実際にはそれほど安くはないということになります。

 宝飾品の脇役の材料として使用されるダイヤモンドとそのメインに添えられるダイヤモンドとは当然価値が違います。また、以前工業用として使用されていたものともやはり違いがあります。(現在は人工ダイヤモンドや小粒のものが使用されている場合はあります)

 
 『ダイヤモンドはなぜ高いのか?』
 それは希少性があるからです。

 美しく、希少性のあるダイヤモンドはやはり高価です。そしてその希少性というのは何を指すのかといえば最初に来るものは大きさで、その次に来るものは色でしょう。そして、品質です。

 つまり、宝石の条件である、希少性、美観性、耐久性、携帯性があり、そこに換金性が生まれてきますのでそれも条件の一つになる訳ですが、それらを前提とした物の中での話になるかどうかということが大きな問題になるのです。

 つまり、どんなに綺麗でも小粒のダイヤモンドにどれだけの価値があるか。もちろん物としての価格はありますが、それは宝石としての価値とはイコールではないのです。

 
 多くの人々はダイヤモンドという言葉で一緒くたに理解をしているようですが、宝石のダイヤモンドは一定の条件下では買った時の価格の10分の1やそれ以下になる心配はする必要がないのです。

 因みに私も以前はTVショッピングをやっておりましたが、やはり良いものを供給しようとすると希少性の壁にぶち当たりました。『大量に仕入れたのでこの価格を実現しました』ということは宝石の世界ではありえないのです。

 希少性、故にダイヤモンドは高価なのです。
そして今それは資産としての形を整えようとしています。

ダイヤモンドはなぜ高いのか?(上)

 よく質問されることに『ダイヤモンドはなぜ高いのか?』
というものがあります。

 答えは『希少性があるからです』
ということになるのですが、

 希少性があるだけなら他にもあるといわれそうですが、そこに誰もが認める美しさがあります。しかし、そこまでなら他にも存在があるかもしれません。

 ここからが大きな違いだと思うのですが古今東西、つまり時代を超え場所を超えてもダイヤモンドの価値というものは変わらないのです。物によってはあの時代は価値があったけどとか、日本では価値があっても外国に行ったら価値はあまり認めてもらえないというものもあります。

 単なる時代背景や場所柄、才能を含めた他の付加価値とは違うものをダイヤモンドは持っているのです。それは他力の保護や創造された価値ではなくダイヤモンド自体に備わった耐久性があり、自然が創造した価値があり、また移動させるときに各段な準備をする必要がない携帯性も備えているからです。

 つまりは言語や文化が違っても関係なく認められる価値がダイヤモンドにはあり、それは世界共通である訳です。物に価値があればそれは高価になるという可能性があることは誰もが理解を出来る訳ですが、それではなぜ皆さんが金額に対する疑問を持たれるのかというと事です。

 ダイヤモンドは実用品ではないということを前提に使用価値がないということがひとつには上げられます。しかし、一般的には実用品ではなくても価値のある物は他にもたくさんあります。例えば絵画だったり、他の芸術品やスーパーカーのようなものもあります。

 人が創造をした価値を理解することはそんなに難しいことではありませんが、自然が作った価値を認めることは難しいのかもしれません。多くの自然が創造した価値というものは何らかの形で消費や使用することにより恩恵を受けることが出来るので体験として理解をすることが出来るのでしょう。

 ダイヤモンドは消費をしない資源です。つまり、一般的に考えれば何にも使えないものなのです。
それは贅沢品でそれを象徴することにしか価値はないと思われるので、余計に高価であるというとらえ方をされるのでしょう。

 ダイヤモンドもそうですが金なんかも自然が生み出し、人間が創造した価値なわけですが結果的には金がだんだん理解をされてきたように、ダイヤモンドもある意味での理解が出てき始めたのも最近の買取りブームで恩恵を受けた人が多く出てきたからだと思います。

しかし、実際にはまだまだ理解をしきれない人は高価なのは理解していてもなぜに高価なのかを理解しきれないでいるのでしょう。

2014年4月24日木曜日

グレードの推移!?

 前回、ダイヤモンドのグレードについて価格を決めるものではなく、価格の違いを説明するものと書きましたが、この違いは世界一率であればグレードにより価格が決まるといっても過言ではありませんが(流通、経済、為替等の事情は除く)多数の鑑定会社や多数の資格と多数のグレーダーによるものであればそのことを前提に価格が決まる訳がないという意味と宝石は本来そういうものではない…という意味で書いています。

 一つの環境条件下であれば価格の違いを説明するということで道具としては問題はないと思いますが十分ではないということです。

 現在のように宝石としてというよりも投資や財産保全という意味でのグレード条件は世界が認める一定条件を満たしているという元ではグレードが価格を決めるといってもよいのかもしれません。

 しかし、実際にはG.I.A等のグレードを条件にオークション等で価格が決まっていますので、両方の言い分が通るのかもしれません。つまり、グレードが価格を決める目安になっているということと目安ではあるが、それにより自動的に価格が決まっているわけではないということです。

 グレードの導入期は誰もが価格の違いを説明を出来なかったので、各々の販売会社がG.I.A
グレードをもとに独自の表示方法をとり、価格の違いを誰もができるようにしていたのですが、途中から中立とか第三者といった一見フェアな感じのする言葉を使い,販売会社が最後の責任を逃れるために民間鑑定会社のグレードを重用しはじめたのです。

 しかし、残念ながら鑑定会社も利益を追求するビジネスとして行っている以上大量に依頼を出す販売会社の内容は甘くなりますし、時には同じ鑑定会社が以前とは全く違ったグレードを出すことにより社会問題にさえなったこともありました。

 現在はやっと本来の仕事の意味を理解してきたのか、余り極端な違いは減ってきたようですが、まだまだ責任を逃げようという要素はあります。

 
 また、セッティングしたダイヤモンドのグレードに対しては責任を持つことはありません(石留段階で疵がつく場合があるので)が何らかの保証でもないことをもっと明確にするべきでしょうね。

 
 実質的には販売会社が責任を持つものなので出来るのであれば販売会社でグレードをつけることが望ましいのでしょう。自らのグレードは甘くなるといわれますが経験上は逆で外から指摘をされないように厳しくなるのが傾向です。

 結果的に責任逃れという部分が多くの理由だと考えられます。ただし、現在のGIAおよびメジャー鑑定会社は以前よりはるかに研究は重ねられ内容的には十分に充実はしていると思います。あとは人の問題だけでしょう。営利を追求してはいけないということもないわけで、あとは倫理が真中にある業種であることを理解してもらえれば良いだけです。但し絶対的なものではないことは明記しておくべきだとは思います。

『時と場合によってはグレード結果は変わります』とね・・・・。

2014年4月23日水曜日

ダイヤモンドの売り方!?

 

 ある販売員さんが
『ダイヤモンドの販売は難しいですね。4Cの説明をしたら大体終わりですからね。』
と話しかけてきました。

 
 最近よく耳にする話ですが、『色石に関しては?』と尋ねると

『色石は好みもあるし、ある程度はお客様に合わせて上等の色の説明を出来るし、
 何より色として合う合わないの説明ができますからね』
という答えが返ってきます。

 本来4Cのグレードの勘違いから始まっていることですが、ダイヤモンドも色石も基本的には説明や販売方法は変わらないのです。4Cの説明がセールストークになっていること自体が勘違いなのです。

 いつも言うことですが4Cのグレード表示が価格を決めているわけではなく、色石に比べて違いが分かりにくいものなので知識のあまりない販売員が価格の違いを説明することができるように文字化したものがグレード表示であるわけです。

 もしちゃんとした知識を持っていたならば、4Cのグレード表示は必要のないもので、現に色石の場合はグレード表示があるわけではありません。それでもちゃんと販売されています。

 つまり、ダイヤモンドの販売方法も色石の販売方法も大差はありません。お客様の中には黄色いダイヤモンドの方がお好きな方もいますし、大きいサイズの方が好まれる方もいます。

 ダイヤモンドのグレード表示の説明をすることによりかえって販売を難しくしている局面もある訳です。どちらが良くてどちらが悪いということでの説明はあまり感心しません。すべてをちゃんと説明すればよいのですがカラー、クラリティー、カットどまりの説明で終わる為に"小さくても品質の良い方がいい‼"という勘違いが生まれる訳です。

 婚約指輪等のその瞬間だけを切り取れば決め事として上質な方がよいということになるのですがそれは宝石としてではなく婚約指輪としてということです。しかし、長い人生の思い出として買うのなら生涯身に着けれるものをすすめるべきでしょう。多くの女性は年齢とともに婚約指輪をすることもなく、大きめなサイズを求めていくようになります。

 我国独特のマニュアル化した販売方法は本来の価値や意味を惑わすことにもなります。現に色石では多くの販売員が自ら工夫をして販売をしています。ダイヤモンドも同じこと言えるわけで、自らの感性や知識(より知ることは大事ですが)で販売やお客様の感性を大事にした説明は際限なくあるはずです。

 
 真珠に関しても同じような間違いを犯しているようで、何かのセールポイントを作りたいのだろうが"花玉"のような表現を使い、またしても言葉でまやかそうという感じがしています。

 いずれにしても自ら表現や知識を身に付けることはプロとして当たり前のことですが、その事自体で販売することが大事なわけでレッテルやタグをあまり頼らないようにした方がよいのではないでしょうか。そうすれば限りない販売方法がある訳です。

 もちろん、お客様に予算が多くあるのであれば多くのことは解決をするのですが・・・・。

2014年4月19日土曜日

紡ぐ(つむぐ)!?


 Gem(宝石)とJewerly(宝飾品)の根本的な違いは自と他であると考えています。


 ジュリーとは本来実用品の延長にあり、その素材として贅沢品を使用しているのです。
つまり、ジュエリーとは階級や所有を示す実用的な装飾品だったり、ボタンやピンのような実用品であったものをある時代から材料に宝石や貴金属を使用するようになって、それがファッションを伴って進化してきたものです。

 一方、Gemはその名の通り英語の蕾を表す言葉を語源としており、小さくて硬く、愛らしいものに比喩されるように自身の感受性を刺激するものとして当初は存在していたものです。

 ジュエリーは他人の目や価値観をベースにしたものですが、宝石はやはり自身の感性を刺激するものです。つまりは根本的に両方の成り立ちは違うものですが、両方が出会うことにより現代の宝飾品が成り立ってきたものです。

 

 宝石の美しさや耐久性、希少性そして携帯性がより一層ジュエリーの役割のステージを押し上げたといってよいでしょう。そのことにより一つ一つのジュエリーが持つ意味が出来上がり、王冠だったり、勲章、モーニング(喪)ジュエリーのような特別な意味を持つものとして成立をしてきたわけです。

 
 宝石と装飾品が紡ぐ家族や国家の歴史と物語をつなぐ役割は単なる貨幣で表す価値ではないと考えています。歴史や思い出が貨幣で測ることができないように一流のジュエリーの価値は単なる価格ではないのです。


 美しくて、希少性があり耐久性に優れているからこそ成しえる役割をもっと評価をしてもよいのではないかと考えます。世の中のすべてのものが何らかのもので紡がれているのではないでしょうか。


 人と人、物と人、物と物あらゆるものが『紡ぐ!?』を意識する時代が来ているような気がします。もっと、それぞれの価値や意味を正当に評価するだけの意識を持っていたいものです。

 それが出来たときにジュエリーは完成するのです。ジュエリーとは人生の成熟度を表すもので、
それを理解する人がそれを扱う権利があるのでしょう。
 

2014年4月9日水曜日

ダイヤモンドから見えるもの!?

 ルーペを通してダイヤモンドを見始めて数十年になりますが、一つとして同じダイヤモンドに出会った事がありません。同じようにカットをされていても何処か表情が違うものです。

 先日、何時ものようにルーペを覗いていると「あれ、このダイヤモンド何処かで見た覚えがあるなぁ!」と思いつつ、その事をなぞり始めました。手に持っていたのは2ctsのマーキースカットでした。

 私が社会に出て間もない頃、勤務先の所属部署であった宝石部においてはまだまだ下っ端だった私は日々ダイヤモンドを覗くことを義務付けられておりました。

 その中で、私がダイヤモンドに興味を持ち始めた6.12ctsのPINKでフローレスの物と同時期に5ctsのPINKでたしかVSクラスだったと思いますがマーキースカットの物がありました。

 この時期はその会社も昇り盛りで日本国内でその社名を知らない人はいないのではないかというぐらいに盛況を極めておりました。そんな忙しいさなかで、私は日々ダイヤモンドを見る事を続けていた訳ですが、ある日上司から

 『このピンクの5ctsのマーキースはどれくらいのクラリティーだと思う?』

と問いかけられ、その石を覗き始めました。

 『VSの一番だともいますが・・・。』
 
『そうか、よく出来た。来週から私の出張に連れていくからその準備をしろ。』

 訳も解らず返事をしましたが、それが私の業界デビューの瞬間でした。その後この上司には色々なことを教わり、今はリタイアをしておられますが現在でも尊敬をしております。

 小生がのぞいていた2ctsのマーキースはその時の5ctsのものと極似しており、除いているうちに当時の事を思い出していたものでした。

 私自身GIAの理想的な形より若干細めな物が好きという事もあります、正にこの二つの石は私の好きな形であり、大きさこそ違いますが同じ表情をしていたのです。

 ダイヤモンドを覗いていると色々な過去が見えて来ます。改めて感じた瞬間でした。

 

2014年4月4日金曜日

バーゼルフェア!?

 世界で最も歴史があり、ジュエリーフェアの最高峰といわれる、スイスのバーゼルフェアも幕を閉じ、ダイヤモンドが中心ではないのですが、やはりそこでもダイヤモンドの品不足等は感じられたようです。

 シンジケートの方も今後しばらく原石のコントロールをしながら市場を見ていくとの方針も打ち出さし、しばらくの間はなだらかな上昇を演出していくようです。しかしながら5ctsアップの品不足や、変形等の米国での重要の高さを考えると今後も興味深い状況が続きそうです。

 ところでバーゼルフェアは時計の展示会としてスタートしましたが、現在のような形になったのは1972年からといわれています。現在ではバーゼルの会場の他にチューリッヒ郊外にも会場がありいよいよもって大きくなってきたような気がします。

 規模においてはラスベガスや香港に劣りますが、宝飾と時計の展示会としてのレベルはやはりバーゼルが一番だと言えるでしょう。多くの出展業者は国境を挟んだドイツから毎日のように通ったりと宿泊施設もままならないほどの混雑状況に田舎町であるバーゼルはなるのです。

 早い人々は数年前からの予約で市内のホテルをおさえており、我々も会場に行く場合はチューリッヒに宿をとり、一時間かけて毎日通っています。今年は参加が出来なかったので、会場前のホテルのレストランで提供するこの季節ならではのホワイトアスパラを賞味できないのが残念です。

 小生が社会へ出て最初に就職したところがスイス時計の輸入商社だったこともあり、バーゼルに対する思いはある種畏敬の念すら抱いているところもあります。しかし、その後ラスベガスのJCKの日本代理店やニューヨークのJAショーに出展をする頃になると何とかバーゼルフェアに負けないようなものが出来ないかと思いを巡らしていた事を思い出します。

 現在では訪問をするだけの立場ですが、やはりバーゼルフェアはステージが一段違うような気がします。その後に開設された同時開催のジュネーブの時計宝飾フェアはまた一段と雰囲気があり、現在の日本の業界が忘れた本来の宝飾業の神髄が感じられて、居心地のよささえ感じます。

 日本の業者もその世界観をもっと勉強し、またその存在さえ知らない人達は本当の宝飾業を知る為にも一度訪問をする事をお勧めします。

2014年4月1日火曜日

ダイヤモンドのバランス!?

 ダイヤモンドをフェイスアップで見ていると煌きも含めて綺麗なものですが、G.I.A(米国宝石学会)によるカット評価による物でも全ての人が欠点のないカットの物を評価するのかというとそういう訳ではなのです。

 勿論、研磨や対称性、理想とする形状かどうかという事を客観的に評価をする事は出来ます。つまり、3EX などと評価をしていますが、総合的な評価となるとG.I.Aにおいては出しておりません。
なぜなら、総合的な評価というのは主観的なものだからです。

 つまり人間同士でも好みが違うように人によっては必ずしも3EXが最上級に見える訳ではないという事です。現実に現在のカット評価の基準というのはG.I.Aが長年にわたってのモニタリングをした主観的データーを数値化したものですが、数値的に低級なカット評価のものが現実には25%を超える人々に受け入れられおり、トップ評価のカットの物においても数%の人が評価をしていないというデーターも残っているそうです。

 数値的なおかつ客観的観点から言えば理想的なカットであっても必ずしも人間の眼は同様の評価をしないという事ですね。ただし、数値的評価の高い物は決して違和感がないのは事実です。

 それではという事ですが、以前から黄金比という人間が美しいと感じる比率がありますが、それはダイヤモンドの中にはあるのかというと、実は私がダイヤモンドの中で一番のお気に入りのバランスは側面から見た時のバランスです。

 あのスーパーマンのマークのような形状ですね。あれなんですが、実は黄金比率をしているんです。・・・・・・と言われるまでもなく知っているよという人がいるかもしれませんが、アイデアルカットといわれるトルコフスキーカットは物理的に数値が出されたものであり、ましてやフェイスアップを基準として考えてものです。

 フェイスアップを前提とした美しさを求めた時に側面からの形状が人間が安心感や美を感じる黄金比つまり、直径と深さの関係がほぼ8:5になっているなんてダイヤモンドはやはり凄くないですか?

 ダイヤモンドのバランスというのは煌きだけではなく、形状にも美しい前提があるという事は人間の感性と云うのは自然から身に付けられたものですから、当然美を追求した時にその身についた感性にあっていくのも当然と言えるのでしょう。

 つまり、ダイヤモンドのバランスと云うのは人間が見て美しさを感じる原点のようなものな訳です。スピリチュアル効果があるというお客様が多くいらっしゃいますが、理屈ではなく自然回帰の入口なりスイッチにダイヤモンドはなるのでしょう。