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2014年2月6日木曜日

メンタリズム!?

 前回にも書きましたが、ダイヤモンドのカットグレーディングに”0”からの減点方式はそぐわないということにもなりますが、本来、完璧な物ないという事を前提に考えると“0”を完璧とした減点方式ですからその点で言ってもやはり疑問を覚える訳です。

 日本人のどこかに100%の完璧は存在しなくて、例えば95%は完成しても残りに最後の完成する形を見出し、そしてその形は其々において違うかもしれないという事が前提にあるのだと思います。

 私の経験ですが、中学生の時に歴史で満点をとった事がありますが、返された答案用紙の上に示されていた点数が110点という事があり、当時の歴史の先生にお伺いしたところ

『何問かの答えに先生が考えていた以上の答えがあったのでお前の満点は110点だよ』
と言われた事があります。

 他の教科においては大した成果が出ていなかった私はせめてその先生が担当している歴史だけは頑張ろうと、独自の教科書以外の勉強をしていたのでその言葉はとてもうれしくて今でも覚えています。

 これらの事は私だけではなく少なからず経験をした人がいると思います。故に満点が100点という事が解っていても、『満点』という言葉を先生の様に表現されてもすぐ理解をし、感激をしたのだと思います。これは”0”点から始まる減点方法には出てこない現象で、加点方式ならではと思います。

 実はこの話には伏線がありました。ある授業の時にいきなり先生が私を指名し

『イスラム教における聖書となる経典は何という?髙木!!』

私が答えられずに教科書をめくっていると

『教科書には書いていないよ。お前なら知っているんじゃないかと思ったんだよ』

 本来であればガッカリされたような言葉だったのですが、恥ずかしさと誇らしさがまじりあったような奇妙な気持ちの一瞬でした。

 それからというものは先生に聞かれた事は教科書に書いていなくても勉強しようとしたものです。
お陰さまで歴史に関しては年間平均点が98点という成績を収める事が出来ました。

 卒業の時にこの事をその先生に話をすると笑ういながら

『一年生の時にお前の担任になったろう。小学校の先生からの手紙をもらい、やればできると思うが勉強に興味を示さないと書いてあったんだよ。』
というお話しをされ、

『それから一年担当して色々見ていると平均点はとるけど一生懸命やっていないという印象があったんだ。それで二年になって歴史を担当した時にたまたま読んでいたアメリカの“メンタリズム”という本の内容を試してみようと思ったら見事にお前がはまったんだよな』

 私が初めて“メンタリズム“という言葉を聞いたのはその時が初めてでした。先生曰く、日本語にはないけど言葉の投げ方による操心術にみたいなものと言われたのを覚えています。

 多くの展示会で目にし、耳にする言葉がありますが
『お安いですよ。お似合いになりますよ』等々のお声掛けがあります。

 はたして、その事は販売につながる可能性を高くしているのでしょうか?

 私はそうは思いません。ほめる事は決して悪い事ではありませんが販売の場所ではむしろ何かの前提がない限りは売らんが為の疑念を持たれる可能性の方が高まるのだと思います。

 つまり、長所ばかりあげていると折角の長所がかすみます。ある程度の短所をあげる事により信用と長所がさらに浮かび上がるという事があります。ダイヤモンドに完璧が無いようにほとんどの宝石には欠点があります。しかし、その欠点を補う以上の魅力と価値がある訳です。それは特に精神的な物が大きい訳です。

 長所を生かすという言葉がありますが。短所は長所を生かす最強の石杖でもある訳です。

 少し長くなりましたが、今話題になっているメンタリズムですが日本においては言葉や数字以外の相手の挙動により判断や誘導を促すという方法が商売の中に随所に使用をされてきました。

 メンタリズムとは言いませんが、多くの老舗の商法を見習うことにより本来の感性をビジネスにする事を理解が出来るのではないかと思います。へつらう事は商品価値を下げることにもつながるのです。

 今の、宝石の販売方法等は消費者の心を動かす方法なくして、自らの欲求と無知識を優先していいるように思えます。単純な値引きは不信感を抱き、いたずらなお世辞は疑念を芽生えさせます。日本人はもっと工夫が出来ます。

 まだまだ捨てたのものではありません。販売の可能性は満点に向かっては限界がありませんが”0”点に向かう事は楽ですが限界があります。

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