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2014年2月27日木曜日

ダイヤモンド、前回に続き!?

 前回は40年前の価格を前提に記述しましたが、5、3、1ctと上がり幅の違いがわかった頂けたと思います。因みに10ctはというと40年ほど前には明確な資料がないので2000年の価格と比べてみます。

 5ctに関しては約2.63倍、3ctに関しては2.45倍、1ctに関して言えば1.62倍になっていますが、10ctに関して言えば約4.8倍になっています。勿論この数字はある一定のグレードを指しています。

 2000年の価格と書きましたが、ここ十年の価格の推移と取って頂いて結構です。そしてこれらの数字は米国ドルで表しておりますのでご承知ください。もし、日本円にしたらどうなるかというと、さほどの差はありません。$1=79~123円の間で動いておりましたが、平均すると100円位だからです。

 つまり、為替が約2,5倍の違いがあっても大粒石になるほど問題は無くなる訳で(リスクが少ない)これは宝石の条件である希少性はダイヤモンドにとっては一番が大きさである事を表わしています。

 過去の小さくても品質の良い物という心情的な物は理解をするとしても、合理的に考えるとダイヤモンドは大きさだという事になります。勿論美観を前提としていますが・・・。

 普段は感性や情緒的な事をブログに描いてはいますが、ダイヤモンドに関して言えば両面が存在するという事になります。勿論、色石に関しても処理石ではないという事を前提にすると同じことが言えますが、現状の市場では大部分が処理石である事を考えると、ダイヤモンドの特徴的な価値と言えると思います。

 前回の少し書き足りない部分を補わせていただきました。

2014年2月25日火曜日

ダイヤモンドの値上がりの推移!?

 昨夜取引所の仲間との話で0.5ctの価格が熱くなっているという話が出ていましたが、それは特にここ2,3カ月に顕著な現象です。

 今までも書いておりましたが、大粒どころの値上がりについては述べて来ましたが1ct以下は市場次第と言ってきましたが、現状はその市場動向が優先しており、中国や東南アジア等の途上国の需要が増してきています。

 今までは中国等の金持ちがケタ違いの需要を見せて来ましたが、今は一般庶民にもその波がき始めて事を表わしているのでしょうか。かつての日本がそうであったような兆候です。

 1ct、3ct関しては特に価格の強さを感じてはいない最近ですが、あくまでも小粒石はトレンドですからいつまでも価格の強さが続く訳ではありません。ここ一年は値上がりを続けるでしょう。

 一方で、日本のバイヤーに関しては彼らの望む価格の15%~20%上になっている現状では手の出しにくい現状である事には変わりはありません。まさに伸び盛りの市場と縮小し始めている市場の差なのでしょう。これはかつて日本と米国の間で起きた現象に似ています。

 勿論、中国や発展途上国だけではなく、韓国や中国からの移民が急激に増えている米国での需要も大きくなってきている現況もあります。以前の米国の市場とは明らかに変わりアジアマーケットが米国の中に形成されていっている訳です。

 ただし、全体的なダイヤモンドの価格の動きが大きく変わった訳ではありません。ある一定の期間を区切って展望をした時には間違いなく、ダイヤモンドの大粒石は値上がりをしているのです。

 例として1983年つまり今から30年前の指数を1として表すと

5ctサイズの価格を1とすると2013年には4.73倍(米国ドル)
3ctサイズの価格を1とすると2013年には4.27倍
1ctサイズの価格を1とすると2013年には1.57倍になっています。

これに円価格を当てはめてみると

5ctサイズの価格を1とすると2013年には2.11倍
3ctサイズの価格を1とすると2013年には1.91倍
1ctサイズの価格を1とすると2013年には0.70倍

 日本円での換算を見るとビックリするかもしれませんが実はそれだけ日本の円は強くなり1983年には$1.00が235円だった物が現状は100円前後ですから円換算をするとこうなる訳です。大きなサイズの値上がりとサイズごとの率の違いが歴然とします。

 一昨年は$1.00が80円前後でしたから何度も如何に今がダイヤモンドの買い時であるといったか解りませんが、その時に買った方達にほ本当に感謝されています。

 希少石になる大粒は為替や市場動向に関係なく値上がりし、一般庶民が動く経済状況の中で動く小粒石はある程度の核にのリスクもあるという事になります。勿論ドル考えればほとんどの場合値上がりをする訳です。つまり為替をにらんで投資をすれば外れる事はあまりないという事です。

 これらが何を示すかという事は投資を対象とするような石のサイズとジュエリーなどに使われる石のサイズの価格要素の違いな訳です。過去の日本には物品税なる物や関税なる物が合計で約20%近くのっていましたから実際の価格の違いはもっとあるかもしれません。

 一般の方も見ている事を考慮し、実際の価格ではなく単純に数字だけで示しております。
上記した数字は平均という事で決してファンシーカットやファンシ―カラーを考慮したものではありません。 

2014年2月22日土曜日

北山修とダイヤモンド!?

 今朝早めに起きてBSチャンネルを見ていると北山修さんが出演をしていました。北山修と言ってピンとくる年配の方達は多くいいると思います。そうです、あの伝説のフォークグループ“フォーク・クルセイダーズ”の一人です。1960年代にたった1年だけ活動をしたグループですが、多くの人の記憶に残っています。

 現代の若者には中学で習う『あの素晴らしい愛をもう一度』や『イムジン河』という歌で知る人も少なくないでしょう。コミックソングのような『帰ってきた酔っぱらい』は思春期の我々には衝撃的だったものです。

 そして、他のメンバーの加藤和彦やはしだのりひこは他の音楽活動へ向かうが、北山修は精神科医への道へと進みます。そのご、芸能界からは消え、TV出演も40数年ぶりとの事でした。

 その時の事を北山氏は
『人生の為に音楽をやるのは良いけれど、音楽の為に人生を送ろうとは思わなかった』
と言っておりました。

 今回は時間が経ったという事とサングラスを掛けてという事で出演をしたという事で、もう一人の自分を表現できる年齢になったけれどやはり何らかの化身をするスイッチが必要だったということでサングラスということでした。

 多くの人は建前と本音を持っている訳で、芸能人やパファーマーは建前で表現をしている事が多いので、沢山の人の期待に応えようと演じているのだと思います。しかし、そこには本音の自分もいる訳で、つまり、北山氏が言いたかった事は建前の為に自分の人生を送りたくはなかったという事でしょう。

 しかし多くの人は、仕事を持ち、それは誰かの期待に応えようとしている事も事実だし。建前にしろ本音にしろ、どちらも自分な訳です。その付き合い方は前回の浅田選手のところで書いたように
期待に応えようと建前だけを前面に出そうとするとやはり難しい物があります。そこには自分の為という本音も必要なのです。

 其々との付き合い方は人それぞれですが、やはり化身をする瞬間には何らかのスイッチが必要だろうと思います。私の場合は仕事柄ルーペを構えると気持ちがダイヤモンドの中へグッと入っていきます。

 人は人生を送る上でいくつもの岐路があり、その助けになるスイッチは必需品なのかも知れません。ジュエリーの起源は生きる為の化身から始まっています。最も弱かった哺乳類の知恵として化身をし、外敵を脅し、攻撃から逃げる為に用いてきた刺青や化粧、羽飾りが現在のジュエリーの起源です。

 化身をする事により自分が強くなったり、相手を脅したりといった物に実用性を加味し、それをより価値を高めてきたものが現在のジュエリーです。

 北山氏の発言は人間の本質を表わすものだと感じた訳です。人間という生き物は生きる為に二つの顔を持つが、やはり建前と本音を切り替えるスイッチは必要であり、そのスイッチは其々が経験をしてきた過程の中で見つけてきた物なのでしょう。

 ダイヤモンドは多くの人に自信を与えて来ました。それは人々が人工的に作ってきた権威や物語によるところも多いかもしれませんが、間違いなく人類の進化してきた過程のなかで培われてきたDNAに即していたものだったのでしょう。

 ダイヤモンドは間違いなく、気持ちを切り替えるスイッチとしての役割を担っているのです。大リーグやアメリカンフットボールにはダイヤモンドを入れたチャンピョンリングが授与されます。これは誇りと威厳を表わす為に与えられる栄誉です。

 ある大リーガーが言っておりました
『チャンピョンリングを手に入れる為に野球をやってきた訳ではないが、リングがあるのとないのでは人生の送り方が違う』

 彼は引退後にドラッグに染まるのですがリングがある事で立ち直れたと言っておりました。その時には只のドキュメントとしてしか見ていなかったので名前は忘れましたが、その事をフッと思い出しましたのが北山氏の言葉でした。

浅田真央とダイヤモンド!?

 今回のソチオリンピックでの女子フィギアスケートでの浅田真央選手のパフォーマンスには多くの国民が感動をした(無神経な元総理を除いては)と思います。

 前日のショートとは一変したフリーのパフォーマンスを見て感動をした人々の心はその瞬間だけをフォーカスしたものではないのだろうと思います。つまり、多くの人々は10年前ほどの可愛い真央ちゃんから現在の彼女を見ていてそのストーリーをベースにして彼女の滑りを見ていたに違いありません。

 それゆえに結果的にはメダル以上の感動を見ている人々に与え、メダルが霞むくらいの印象を見ている人々に与えたのでしょう。メダルを取ることは結果論としては大変な事だと思いますし、どれくらいの偉業であるかは理解しているつもりです。

 勿論、そのベースを持っている事と感性を兼ね備えていなければ、今回の棚ボタ元総理のような発言をするような人間もいるのでしょう。

 人はその瞬間ではなく、それ以前の歴史や物語があって、さらにその素養があってこそ感動や衝撃が起きるのだろうと思います。

 今回のショートでは滑る瞬間に団体でのミスが頭に浮かんだということでしたが、それは理屈ではなく、湧いてきた感情が体がその反応を覚えていて、それゆえに起きた身体硬直だろうと思います。それもやはり過去の経験ゆえの衝撃だったのだろうと思います。

 人間は芸術であれ、スポーツであれ、何らかの経験なくしては価値や感情の変化は起きないと思います。ヘビを無条件で怖がることも過去の周りの人の発言や感情によってすり込まれたものだという事です。もし、事前の情報がなければヘビをも怖がることはないでしょう。

 今回の真央ちゃんに対する感情は多くの人々に対する彼女の人柄や物語という事前に与えられた情報を多くの人間が持っている感性が作用してのことだと思います。勿論他の受賞者や選手にもそれぞれの物語があり、苦労をしてきたと思います。

 ダイヤモンドに関しても間違った情報を与えられている限りは、見た瞬間の感動にはつながりません。ダイヤモンドを見て綺麗だと思う感性は多くの人が持っています。その上で正しい情報が与えられて初めてメダルを超える感動を感じられるのだと思います。それが価値なのでしょう。

 しかし、残念ながら同じ情報を得ていてもそれに作用するだけの感性を持ち合わせてはいない価値観の人々がいる事も事実です。決してそれは冷めているのではなく感性が乏しいだけなのです。

 物事の意味は計算や理屈だけで答えが出るものではなりません。肌で感じ育成されてきた感性、素養や経験で答えを見つける物もあります。多くの答えは感性で見つけ、計算や理屈で後付けをしているだけだと思います。

 今回の真央ちゃんの演技はまさに、肌で感じた感動でした。勿論それは彼女の物語を知っていたからこそだと思います。

 ダイヤモンドが美しい事は多くの人が理解をしています。そこに物語が付いてこそ真の価値が出てくるのだと思います。

 今回の真央ちゃんのフリーの演技はまさにダイヤモンドそのものでした。

2014年2月21日金曜日

CVDダイアモンドと処理石!?

 先日、海外の業者からCVD(Chemical Vapor deposition)を扱ってみないかという問いがあり、勿論そくざに御断りをしました。つまり,人造のダイヤモンドですが昨年もこの事に触れましたがGIAでは2007年に確認をしたと言っておりましたが、既に市場には私の記憶ですと1990年代半ばには米国で流通をしておりました。

 同じく、普段の発言から色石に対してネガティブな考えを持っている様に思われがちですが、それも違います。

 基本的な考え方の中に宝石の条件、美観性、希少性、耐久性、携帯性、換金性ということが頭の中にある訳です。

 1980年代初めにバンコク等でサファイアやルビーの買付を行っていた時に、たまたまあるヨーロッパのブランドのバイヤーと一緒になりました。彼の行動を見ていると多くの商品をスル―しており、お気に入りがないのかなぁ・・位に思っておりました。

 夕食を共にする事になり、その時にその事を聞くと彼は
『うちのブランドは既に200年以上存在し、今後も数百年続く事になるから処理をした色石は扱えないんだよね。まだ技術的には未知数で数十年で色が変わるかもしれない物は扱えないからね』
と話し始めました。

 確かに色石によっては数年で色のさめてくる物もある事も事実だし、何より希少性という面で矛盾が出てくると考えた事を覚えております。その後エメラルドの買付を行っていたコロンビアでも同じような経験をしました。

 つまり、処理をしていない色石に関しては美しい物も多いし、どちらかというと好きだと思いますが数も少なく実際には宝石としての価値も高いと思います。しかし、処理石を排除した瞬間からビジネスも成り立たないという事になりますが、それは業者側からの理屈である訳です。

 CVDに関しては1970年代にはGEにより発表もされており、実際には看破方法も発表されることなく流通していた可能性もあると言われております。

 勿論、両方ともディスクローズを前提に販売する事は問題ないと思いますし、価格によっては問題になる事ではないと思います。但し、自分自身は、宝石として販売する事に抵抗が少しあるという事です。

 一般的には販売方法として処理石という事を前面に押し出しては説明をしていないように思いますし、処理のルビーに対してさえ『ピジョンブラッド』なる表現を使ったりもしています。それはいかにも希少石であるといった演出になるので表示法違反に取られかねない販売方法である訳です。

 両者に共通している事は希少性という宝石の条件に当てはまらない行為である訳ですが、一つ違う事は処理石の場合ベースとなる石の存在が必要であるという事と処理後の正確な結果が解らないという事です。しかし、CVDに関しては工業製品ですから将来的に大量生産が行われる可能性があるという事になります。

 勿論、製造のし過ぎは本来の価値を失う事になるので意味がなくなるとは思いますが・・・。

 本来の宝石を扱う事を考えるとニッチな市場になり、大きなビジネスになりにくいという事にもなる訳です。ダイヤモンドを中心に扱うという意味はそういう事ですし、ブログのタイトルからもダイヤモンドを中心に述べるので誤解も招くのかもしれませんね。

2014年2月19日水曜日

ダイヤモンドと人間!?

 よく、才能はあるけれど開花していない人の事を“ダイヤモンドの原石”という表現をしますが、これは何時の頃からで、誰が言い出したんだろうと考える事があります。

 つまり、ダイヤモンドの原石に接していた訳ではない日本人には表現できない言葉である訳なので、海外とりわけ研磨文化の古いオランダかベルギーなどのあたりから出てきた表現だと思います。

 実際の原石は確かに美しいとは言えませんが、素人の人が見ても表面を磨けば綺麗に輝くだろうと想像をさせる逸材である事は事実です。さらにファンシ―カラーの物に限って言えば、特にブルーやグリーン等の濃い色は想像とは異なる美観を表わす事があります。

 自分自身の周りにも原石と思われる若者は沢山いますが、必ずしもその周りにいる研磨士達が優れているとは限らないので残念に思う事も多々あります。

 以上は例え話ですが、実際に人間がダイヤモンドのなることは可能なのだろうか?
答えはイエスです。

 実際に現在もペット等の亡骸を預かり、そこからダイヤモンドを作りだすというビジネスは国内でも数社で行われています。私も実際に友人がペットのお骨を預けてダイヤモンドにしてもらったというものを見せてもらった事があります。

 確かに造り出したことは事実なのでしょうが、小型犬から1ctのダイヤモンドが取れるとは思わないので(大きさ、圧縮率等を考えると)その点の関しては首をかしげる部分ではありましたが、心の問題でもあるのであえては言及しませんでした。

 確かに8000万年~1億年前に創られたダイヤモンドは海生類が地中に取り込まれ高温高圧が加わったものですので炭素化した物の結晶がダイヤモンドですから嘘ではない訳です。

 倫理的に人間をダイヤモンドにする事は色々と物議を起こすでしょうが、文化が変わり常識が変わる事は歴史が証明しています。いずれ人間をダイヤモンドにする事があるのかもしれません。

 もう少しの間、例え話で満足をしておこうではありませんか。

2014年2月17日月曜日

急がば回れ??

 先日来の大雪の為に北海道で足止めをくらい、という事でえらい目にあいました。一部の同業者が羽田行の便は無理と判断し、新潟に飛び、新幹線で東京に向かうという事で新潟に旅経ちました。しかし、その後連絡があり新潟からの新幹線はやはり大雪の為に動いていない事が解り、新潟で足止めという連絡入りました。

 今回、せっかちの私には珍しく、ノンビリ行こうと覚悟を決め翌日の午後早めの便が取れ、それで帰京をしました。結果的にはあまり変わらなかったような気がします。

 もう、十数年前になりますが当時テルアヴィブで仕事をしており、父が危篤という一報受けましたが、その時のイスラエルはゼネストの真っ最中でニュースによると4,5日は空港も開かないという事でした。

 顔見知りのタクシードライバーに相談したところヨルダンの国境までは乗せていってくれるという事で話がまとまり、夕方過ぎに国境に辿り着きました。そこから国境を超え既に日の落ちた街を路線バスに乗り首都のアンマンに辿り着き、空港から一路、今内戦でもめているシリアのダマスカスへ向かい、付いた頃は既に深夜の12時を回っていました。

 ダマスカスからさらにオランダのアムステルダムへ、そして、さらに札幌へ向かい、そして東京にへ・・・・。長い旅路でしたが帰国した後に知った事ですが私がテルアヴィブを発った翌日に空港は再開したということでした。つまりもっと早くたどり着けたのです。

 何事もウサギとカメの例えの方が正解のような気がして、意味は違うかもしれないけれど急がば回れという事は必ずしも今回は正解ではなかったような気がします。

 我々の仕事には急ぐことによる瞬間的なメリットと結果がでてくる事はあるかもしれませんが、長い目で見ると必ずしも良い結果になる事は少ないのです。

 回りくどくなったのですが宝石の販売において値引きや安売りは一時しのぎにしかならない事は歴史が物語っています。現在の販売方法の多くは宝石を売るというより値引きやディスカウントを売っている様に見えます。

 永い間諸先輩が培ってきた宝石の価値を利用して値引という手段でビジネスをする事は、身を削っていく事と同じなので将来はないでしょう。他人が作ってくれた価値を食いつぶす姿は宝石の商売には似つかわしくはありません。

 全くの値引きが悪いと言っている訳ではありません。気に入ってくれたものがお客様の予算に合わない時にお手伝いという意味での値引はありだと思いますが、最初から値引きをするから買いなさい的な売り方は何時から根付いてしまったんだろうと思います。

 宝石の魅力や価値を説明する事は本当に知識と経験がなければ出来ません。しかし、その事により価値を作り続けてきたのです。ジャンプの葛西選手ではありませんが『レジェンド』にこそ価値があるのだと考えます。

 つまり、価値を継続してきた事が『レジェンド』であり、それを繋ぐ事が宝石の価値を高め意味を待たせるのです。昔の名前を利用して値引き販売する事よりも将来も継続する価値を作り上げることこそ宝石の価値があるのです。

 切り売りはレジェンドの価値を下げます。つまり、売り方の価格が売っている本人の価値のです。何事も簡単ではなりません。この事が真の『急がば回れ』という事になるのかもしれません。

 宝石の価値を高めれば黙っていてもそれなりの売り方ができるようになるのだと確信しています。売り方でこれ以上自らの価値を下げる事はやめましょう。

2014年2月11日火曜日

新年のダイヤモンド市場!?

 先週末の大雪とオリンピックそしてついでに都知事選挙とあわただしい日々が続いています。貿易黒字の幅も減り、実際にアベノミクスは機能しているのかというと少し疑問であります。

 大手の企業の利益が出始めてるとはいえ、多くはリストラや体質改善赤字部門の切り離しが大きな要因ですから資本主義の原則から言えばベアがアップする事はかなり難しいと言えるでしょう。さらに、4月からの消費税と下手をすると・・・・・・・。と考えます。

 しかし、ダイヤモンドの世界市場に目を転じてみると大粒の特殊石をはじめ価格は昇り基調にあるようです。しかし、0.3ct~0.7ctの上昇率に比べ1ct、特くに3ctの価格の上昇の鈍化が目につきます。その様相は一般マーケットが動き始めた事を示しております。これは中国を始め新興国の一般大衆の動きが出てきたことを示します。

 現在、世界の市場はGIAやAGSのレポートを前提としたネットマーケットがここ2,3年台頭してきている。実際に加盟している約13,000(主催者発表)の世界のダイヤモンド業者がダイヤモンドの売買をネット上で行っている。

 既にこの市場自体をリサイクルとしての位置付けをしていますが、このニュアンスは現状の日本での買取のリサイクル市場ではなく、業者間でのやり取りを前提としていますが、主催者側はこれでの利益を考えてはおらず、手配や配送の案内もしてくれています。

 近い将来この市場に一般の消費者も参加わする事も念頭においており、もしそれが実現するようだと本当に市場が変わることが考えられるし、投資ダイヤモンドビジネスの台頭を見てもそれほど遠くない未来に実現をしてくることだと思います。その頃にはポインターのサイズまでもそのサイトの中で売買をされるようになるのかもしれません。

 新年の市場の動きがイコール上述したことに繋がるという事ではないけれど、明らかに新年の市場動向はここ2,3年の動きとは違うという感じがします。日本からの輸出幅も減ってきており買取市場の動きも鈍ってきた現状で、インド市場やイスラエル市場の活発に動き始めた現象は半年後くらいに何らかの変化を日本市場に知らしめるだろうと思います。

 大雑把な書き方をしましたが異常ともいえた最近の状況に変化が出てきた事を表わしたかったのですが、詳しくは徐々に書いていきたいと思います。

2014年2月6日木曜日

メンタリズム!?

 前回にも書きましたが、ダイヤモンドのカットグレーディングに”0”からの減点方式はそぐわないということにもなりますが、本来、完璧な物ないという事を前提に考えると“0”を完璧とした減点方式ですからその点で言ってもやはり疑問を覚える訳です。

 日本人のどこかに100%の完璧は存在しなくて、例えば95%は完成しても残りに最後の完成する形を見出し、そしてその形は其々において違うかもしれないという事が前提にあるのだと思います。

 私の経験ですが、中学生の時に歴史で満点をとった事がありますが、返された答案用紙の上に示されていた点数が110点という事があり、当時の歴史の先生にお伺いしたところ

『何問かの答えに先生が考えていた以上の答えがあったのでお前の満点は110点だよ』
と言われた事があります。

 他の教科においては大した成果が出ていなかった私はせめてその先生が担当している歴史だけは頑張ろうと、独自の教科書以外の勉強をしていたのでその言葉はとてもうれしくて今でも覚えています。

 これらの事は私だけではなく少なからず経験をした人がいると思います。故に満点が100点という事が解っていても、『満点』という言葉を先生の様に表現されてもすぐ理解をし、感激をしたのだと思います。これは”0”点から始まる減点方法には出てこない現象で、加点方式ならではと思います。

 実はこの話には伏線がありました。ある授業の時にいきなり先生が私を指名し

『イスラム教における聖書となる経典は何という?髙木!!』

私が答えられずに教科書をめくっていると

『教科書には書いていないよ。お前なら知っているんじゃないかと思ったんだよ』

 本来であればガッカリされたような言葉だったのですが、恥ずかしさと誇らしさがまじりあったような奇妙な気持ちの一瞬でした。

 それからというものは先生に聞かれた事は教科書に書いていなくても勉強しようとしたものです。
お陰さまで歴史に関しては年間平均点が98点という成績を収める事が出来ました。

 卒業の時にこの事をその先生に話をすると笑ういながら

『一年生の時にお前の担任になったろう。小学校の先生からの手紙をもらい、やればできると思うが勉強に興味を示さないと書いてあったんだよ。』
というお話しをされ、

『それから一年担当して色々見ていると平均点はとるけど一生懸命やっていないという印象があったんだ。それで二年になって歴史を担当した時にたまたま読んでいたアメリカの“メンタリズム”という本の内容を試してみようと思ったら見事にお前がはまったんだよな』

 私が初めて“メンタリズム“という言葉を聞いたのはその時が初めてでした。先生曰く、日本語にはないけど言葉の投げ方による操心術にみたいなものと言われたのを覚えています。

 多くの展示会で目にし、耳にする言葉がありますが
『お安いですよ。お似合いになりますよ』等々のお声掛けがあります。

 はたして、その事は販売につながる可能性を高くしているのでしょうか?

 私はそうは思いません。ほめる事は決して悪い事ではありませんが販売の場所ではむしろ何かの前提がない限りは売らんが為の疑念を持たれる可能性の方が高まるのだと思います。

 つまり、長所ばかりあげていると折角の長所がかすみます。ある程度の短所をあげる事により信用と長所がさらに浮かび上がるという事があります。ダイヤモンドに完璧が無いようにほとんどの宝石には欠点があります。しかし、その欠点を補う以上の魅力と価値がある訳です。それは特に精神的な物が大きい訳です。

 長所を生かすという言葉がありますが。短所は長所を生かす最強の石杖でもある訳です。

 少し長くなりましたが、今話題になっているメンタリズムですが日本においては言葉や数字以外の相手の挙動により判断や誘導を促すという方法が商売の中に随所に使用をされてきました。

 メンタリズムとは言いませんが、多くの老舗の商法を見習うことにより本来の感性をビジネスにする事を理解が出来るのではないかと思います。へつらう事は商品価値を下げることにもつながるのです。

 今の、宝石の販売方法等は消費者の心を動かす方法なくして、自らの欲求と無知識を優先していいるように思えます。単純な値引きは不信感を抱き、いたずらなお世辞は疑念を芽生えさせます。日本人はもっと工夫が出来ます。

 まだまだ捨てたのものではありません。販売の可能性は満点に向かっては限界がありませんが”0”点に向かう事は楽ですが限界があります。

2014年2月4日火曜日

ダイヤモンドの減点と加点!?

 ダイヤモンドのカットグレードについては常に矛盾が付いて回りました。その大きな要因は米国式の減点方式にあり、さらに加点方式で教育を受けた我々日本人による勘違いが挙げられています。

 米国においては教育試験や採点方式が減点法が取り入られており、G.I.A(米国宝石学会)によるグレーディング方式も例外ではなく減点方式になっております。日本においては満点による加点方式がなじんでいる訳で私も当初このことに戸惑いを持った事を覚えています。

 ゼロを完璧な物とみなしそこからの減点方式は、ゼロが完ぺきである事が絶対的条件な訳ですが、もし、ゼロが完璧でなかったとしたら採点方式があっていたとしても結果自体が違う事になります。

 過去には私自体もG.I.Aに対してその矛盾を指摘をした事があり、その結果それが是正されたこともありました。つまり当初のトルコフスキー型アイデアルカットは物理的にも光学的にも正しかったと考えますがその導き出し方や条件が変われば必ずしも同じ結果が出るものではないという事が解ってきたのです。

 無疵なりほぼ無疵に近い条件下にあるもので無色にちかいものを前提とした時にはアイデアルカットも減点ゼロという事のなるのですが、多少色が付いてくるとか光の進行を妨げる内胞物があるとか、ダイヤモンドそのもののライフ(照り)がある物に関しては必ずしも最上級の結果になるとは限らない事はプロのほとんどの人が気が付いていた事です。

 その結果、現れたのがファセットウェアというG.I.Aが打ち出したカットグレード方法です。3000万を超えるモニタリングと十数年をかけた結果の意集大成です。本来は数学的に導き出した結果をからの減点方式でしたが、人間の感性の集大成の結果をゼロとした減点方式になったのですが、人間の感性ですから結果がゼロという事はないと思います。

 公表はされていませんが結果的には日本的な加点方式が実務的になっているのではないかと思っています。つまり、個々によっての条件で判断される部分を、記述式のように10点は上げられないけど5点は上げようというような採点方法になっているのではないかと考えています。

 考え方や条件によって異なるグレーディング方式はこれからも修正をされていくものだと思いますが自然が創造する物にやはり完璧な物はありません。実際に4Cグレーディングも一部の条件下にある品質には有効ですが、それでも有効という程度です。

 人によっての好みや価値観が違い、そこに自然な物の価値がある訳ですから完璧を前提とした減点方式や此処によって違う加点方式をダイヤモンドに持ち込み、全ての判断材料にする事はやはり無理があると言えるでしょうね。