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2013年3月29日金曜日

ダイヤモンドの処理石!?

 沢山の処理石が世間にあふれている事は業界を含めて周知の事実となっておりますが、その見識に置いて意識の低さがある事は否めません。

 ダイヤモンドの処理石に関してはよく取り上げられ、物議を醸し出す事も良くある事ですが、他の色石に関してはあまり大きくは取り上げられません。例えばルビーにしてエメラルドにして他の多くの宝石にしても大部分は処理石です。パールに至っては処理をしていてもエンハンスメント(高揚、増進)と言った言葉で誤魔化さざるを得ない現状に有ることは業界に携わっている人間であれば皆が理解している事です。

 さて、数日前に業界仲間と何処までの処理はありなのか?特にダイヤモンドに関してはという論議になり、KM処理、ドリル処理はOKであるがHPHT及びコーティング、トリート(ボンバード)に関しては如何なものかという見解でありました。

 つまり、素材そのものを変化させる物は問題があるが、補填等を目的とした処理に関しては問題があるという事ですが、この事に関しては幾つかに分けて考える必要があると思います。一つにはエメラルドのようにクリべージ等に油脂等の含浸処理を行うが素材そのものに変化を与えるものではないもの、それからルビー等のように熱処理をして本来の色ではなく色上げをしてします方法と大きく言えば2つに分かれます。

 含浸処理に関しては液状のものを使用し、場合によっては自然の状態に戻せる物とKM処理のようにガラス状のシリコン等を使用し、それを除去しにくいものとあります。また、これに置いてもドリル処理をしたものと自然のクリべージに処理したものにも分かれます。

 熱処理やトリート(これも1種の熱処理も施されますが)、HPHT等のように完全に素材そのものを変えてしまい元には戻すことが出来ないものとに分かれます。

 このほかにもレーザードリルのように内胞物の問題点を処理してしまう物もありますが、いずれにしても告知が必要なものばかりです。

 ダイヤモンドに関してはCVD(人造ダイヤモンド)なども出ており、モラルを前提とした業界であらねばならないないのですが、現状その扱っている人々がこの現状を知らないという事もあり、専門知識が最も必要な職種でありながら、その現状は悲惨なものです。

 何処までの処理であれば告知を前提としてビジネスとして許されるのかという事を考えると、現実には全くの天然の宝石を前提にしているとその辺に宝石がほとんどなくなってしますのも事実です。しかし、モラルを持って線を引く時代がやってきているのかもしれません。

 私自身は含浸処理までは範囲かなと考えますが、真珠業界のようにほとんど色付けをしている状況もあります。拡大解釈をしなければある種の範囲まではやむ得ないとは思います。

2013年3月28日木曜日

ダイヤモンドと人生観!?

昨日店頭で中を覗いている母子連れらしき方達がショーケースの中の裸石を覗き、何か気になったのか店内にお入りになり

『あの~こちらはルースでダイヤを扱っていらっしゃるんですか?』
と恐る恐る入ってこられたのは娘さんの方で

『中にもまだたくさんなるので、ご覧になってください』

『エッツ、まだ沢山あるんですか?』

色々お話しするうちに欲しいダイヤモンドがあるけれどデザインが気に入らないのでルースで探していると事で、何処へ行ってもなく、たまたま店頭のルースが眼に入ったとの事でした。

『こちらはハート型のダイヤが多いんですね?』

『はい、ハートが一番個性が出ますし、ご自分に合う合わないも解りやすいですからね。』
と話し、

ハートは原石次第で形が変わっていき、研磨が終わった形が誰にでも会うように研磨する事なんて不可能に近く、合理性で考える中では研磨する人たちの自由にはならないというような事をお話しさせて頂いていると

『それって人間みたいですね。だって、人間は生まれてきて皆に愛される訳ではなくても、誰かには愛されるようになっていますものね。』

 ヒョンな事から出てきた言葉ですが、確かにその通りで人間も環境によって培われてきた自身の主張は正しくても、他人の主張する事もやはりその人からすると正しい訳で、大きく社会が評価をする標準的な主張がスタンダードとして受け入れられる訳ですよね。

 ダイヤモンドに関して皆が興味を持つ部分は其々違いがあります。例えばブラウンのダイヤモンドにしか興味がなく白いものは全く興味がないという方もいましたし、黄色味がある方が温かみがあって好きという方もいますし、形に関してもそれは言えます。勿論それらは少数意見でもあると同時に、そこまで真剣にダイヤモンドを見る機会が日本では少ないと言えるでしょう。

 大きく捉えると日本で評価が高いハート&キューピットと呼ばれるカットのものは日本でしか評価がされにくい少数意見でもある訳ですが、環境がそれを高く評価されるように整えられたものです。
それはそれで間違いではないのですが世界基準ではないという事です。

 つまり人間も其々の意見は其々の環境で培われた物なので、それなりに評価をし、大きな目で見るとそのスタンダードはどこにあるかという事を考えておかねばならない。そして、意見だけではなく容姿に関してもそのような事が言える訳です。

 ダイヤモンドのビジネスを長く携わってきて、持っていた人生観を言葉は違えど一言で表現をしたお客様に脱帽です。

 その後、そのお客様はすごく気になると言いながら、おひとつお求めになっていかれました。

2013年3月27日水曜日

ダイヤモンドと婚約指輪!?

 今朝、通勤路で若い母親と二人の子供に久しぶりに出会いました。健康のため駅までの2キロの道筋を歩き始めて2年半が経ち、時の移り変わりを感じる光景でした。

 歩き始めて二、三日目のことでした。小さな男の子が目の前で転び、そのままになったいたところを妊婦である母親が手を貸す事も出来ずにおき上がる事を促しておりました。私がその子に手を差し伸べたところ、自分で立ちあがり、はにかんだ顔をこちらに向け恥ずかしそうにしていたものです。

 その後、しばらく見かけることもなくいたところ、バギーに赤ん坊を乗せた母親の後を幼稚園用のバッグをブラブラさせ、歩いている親子連れを見かけました。以前私の前でこけていた男の子で今度はしっかりと歩いておりました。その後しばらくその光景をほのぼのとした気持ちで見かけていたものです。

 二人の子供は、其々に周りに興味を持ちながら、キョロキョロとしながら母親の周りを歩いており、下の女の子も大きな傘をさし、一生懸命に母親と兄の後を追っていました。

 僅か2年半ほどの移り変わりに、大きな意味での自然の素晴らしさを感じ、反面変わらない事の意味を通勤の道すがら考えておりました。普段から変わらないダイヤモンドの価値や意味を唱えてきたこともあり、逆に変わる事の素晴らしさも実感した訳でもあります。

 本来、婚約指輪はダイヤモンドである必要もない訳ですが、多分1940年代のアメリカからでしょうが婚約指輪にダイヤモンドを贈るキャンペーンが始まり、日本でもその後、婚約指輪にダイヤモンドを贈る事が当然のようになってきました。

 『変わらぬ愛』の代名詞のように謳われ続けてきたダイヤモンドですが、何故にそこで変わらぬ事が一つの価値として捉えられたのであろうと考えると、意味があるように感じます。

 時代とともに色々なものが移り変わる事は自然の摂理でもあります。ではなぜ変わらない事が?
と考えると原点なり、基本という事が見えて来ます。つまり、変わることは表面的なことであり、原点、基本というのもは変わってはいけない事であり、それゆえ変わらないという事に価値があるのでしょう。

 変わらないでほしいという象徴にダイヤモンドが比喩として使われた事は、一種の悲哀でもありますが、逆にダイヤモンドの意味を感じるような気がします。

 それゆえ宝石であるダイヤモンドですから、後世にも大事にされるものであってほしいと思う訳です。私が以前から宝石の条件の中には品質は入っておりませんよ。と唱えておりますが、『美』を損なわない程度の品質で良く、それ以上に大きさを重視してほしいというのは、あと後の人にも大きく美しいがゆえに継がれていく価値を解ってほしいからです。

 変わりゆく事の凄さや、希望ということを実感するとともに、だからこそ変わらない価値の大事さを感じながら、徒然なるままに歩いた今朝の通勤路でした。

2013年3月25日月曜日

多重課税とダイヤモンド!?

 地中海に浮かぶ小さな島の金融問題がアベノミクスに水を差そうとしています。私も何度か訪問をした事のあるキプロス島が今問題になっており、メディアを騒がせています。

 ある種のタックスヘブン国であるキプロスには多くの外国人の銀行口座があります。特にロシアの資産家の多くがこの国の銀行に口座を持っています。

 経済の問題で揺れるECですが、キプロスも例外ではなく、島の半分を占めるギリシャテリトリーは本国と同じく経済の危機に見舞われており、これを救うべくECは条件として預金口座にある残高に対して課税をせよという要求を出しています。

 これは、二重課税であると反発する国民と預金者達が騒いでおり、日本のメディアも同じような意見を述べているところが多いようです。

 しかし、日本では多重課税が当たり前になっており、それが大きな問題として取り上げられたことは少ないと記憶しています。

 一度、所得税なりを払った物に対して、例えば資産を持てば、取得税その後は固定資産税、そして子供に渡せば相続税とこの上ない多重課税であります。もし、これがダイヤモンドの取得であればそれらの後に課税をされる事はありません。正確には相続に関しては申請をしなければという条件が付きますが・・・。

 日本では3代続けば自分の土地は無くなると言われますが、本当はそれはおかしい事だと考えていますが、あまり話題にもなりません。

 キプロスの話に戻りますが、あの小さな島に確かではありませんが2兆円以上の預金があるという事ですが、ほとんどが外国人の預金です。どこの国でもお金を保全する為に他国にお金を預ける輩は沢山いるもので、それらの方法が上手くいかなくなると、また金やダイヤモンドにお金が集まってくる可能性が出て来ます。

 現に今の金やプラチナの高騰はその傾向の表れでもあります。ダイヤモンドに関して昨年は平均で12.5%ほど値下がりをしているとはいえ、それは工業用やジュエリーの材料の小粒のダイヤモンドの話であって、大粒や希少性の高いものは値を上げ続けています。

 一つの提案としてですが、お金から物へという時代がきていることは間違いがなく、多重課税のデメリットを避ける意味でもダイヤモンドを日本人はもっと真剣に考えてみたらどうでしょうか?

 ここ2~3年、造幣局では1円玉を作ってはおりません。それはプリペイドカードやネットなどの台頭にある事は否めません。それは貨幣の時代が終わり始めている事の兆候であるとともにその裏にある危険を回避するには価値ある『物』を持つ事の重要さを示唆しているような気さえします。

2013年3月21日木曜日

ダイヤモンドはミスユニバース!?

 先日、地方の小売店にお邪魔した時にご来店をしていたお客様が

『私は、ダイヤモンドの価値が解らないのよね』

 とつまらなさそうにおっしゃっていたのですが、ダイヤモンドの価値を理解する人がどれくらいいるのかは解りませんが、皆が皆ダイヤモンドに価値を見出しているとは私も思っておりません。

 例えば、以前は魅力を感じていいたけれど現在はあまりという方もいらっしゃいます。それは、眼の問題もあり、ダイヤモンドの視覚的魅力というのは表面と内部からの反射の誤差を感じる事だと思っているのですが、年齢とともに視力が落ち、この魅力を感じにくくなっているのが一つの要因だと思います。

 ダイヤモンドがキラキラ光っているのは解るけれど光学的魅力に関しては今一つ感じないのだと思います。

 もう一つ、ダイヤモンドの価値は心の価値ですから、外見的な人間の魅力も人それぞれですから、多くの人が美しいと認めたミスユニバースでさえ万人がそう思う訳ではありません。しかし、間違いなく多くの人が認めたがゆえにミスユニバースになる訳で、ダイヤモンドもその点では多くの人が美しさを認めた美しさという心の価値を持っている訳です。

 ダイヤモンドの美的価値というのは欲望から来るものではないと思っていますが、多くの魅力は欲望の先にあること否めません。但し、価値というのは個々とってのものと、多くの人にとってのものとに分かれるともいますが、ダイヤモンドは明らかに後者であるがゆえに財産的価値も伴ってきたし、ユダヤ人の歴史も彩ってきたのでしょう。

 ミスユニバース以外にも各国から選抜されてきたミス達も明らかに美しいと思います。しかし、それが皆それぞれの好みになるかどうかは解りませんが。ミスユニバースになる事で別の価値が付加されることは間違いありません。そういった価値感の中にダイヤモンドはあるのだと思います。

2013年3月15日金曜日

ダイヤモンドと品質!?

 本日の深夜から工事が始まり、いよいよ東横線が不便な交通機関の一歩を踏み出すと思っています。渋谷の乗降客の大半が渋谷JRや銀座線井の頭線等に乗り換える客も多い、東急の触れ込みでは埼玉と横浜がより便利にという事ですが、既存の湘南ライナーを始め問題があるとは思えないし、もし繋ぐのであれば銀座線だろうと考えるのは変ですかね。

 東急は今までも何かをやらかします。狙いがいつも利用者目線ではないので最終的には失敗をするケースが多い様に思います。ヒカリエを含めた商業施設の集客を目論んでいるのであろうけど、どうでしょうか?何より乗り換えの不便さは東横沿線の人々の批判の集中砲火。例えば、今までの東横線から銀座線に乗り換えは僅か1分、しかし今後はヒカリエの地下5階から地上3階へ渡り廊下を使って約10分、どうなんでしょうか?

 ・・・と、ひとくさりで、不満からスタートではありますが一見消費者への利便性をうたいながら実は提供側の都合という事は我らが宝石業界に置いても一緒です。

 宝石の条件の中には品質というのはない訳ですが、強いて言うなら美観という事になるのでしょうが、美観は人それぞれに置いて感じ方も違いますが一般論で言うとVVS,VSクラス、もっと言うならSI-1を含めて一般の方が眼で理解をすることは非常に難しい事です。一般の方が理解を出来るのは輝きと大きさ、ファンシーカットでいえばその形までです。

 1CTのファンシー、ヴィヴィット、レッドが億の単位の価格がついた事がありましたが、これはI-1,つまりピケでした。しかし赤いという事が希少性という意味で宝石の地位を確保させたわけですがピケだから赤いけど価値がないと言ったら笑われるでしょう。

 何が言いたいかというのは前述しましたが宝石の条件に品質はないのですが、日本においては品質という事が業界の都合で優先された為に多くの消費者に宝石のダイヤモンドを持つ機会を奪い、なおかつ業界の売り幅を狭くしたという事が言いたいのですが、その為にはもっと広い視野を持つとともに消費者目線で販売を心がける事が必要なのです。

 言葉が足りないところもありますが、以前の記述の延長としてお読み頂きたいのです。ただ、東急に文句を言いたいだけではないのであしからず。

2013年3月9日土曜日

ダイヤモンドは宝石?

 前回にも書きましたが、ダイヤモンドは扱う人によってその性格が変わってくるような気がします。その上でダイヤモンドというだけで宝石なのかどうかという事を考えてみると当り前の事ですがダイヤモンドと言うだけで宝石とは言えない訳です。

 宝石の条件を当てはめて検証してみると、条件の中の希少性という事を考えるとその最大要因は大きさでしょう。鉱物ですから一つの結晶として採掘できるものは大きくなればなるほど希少性が増します。それでも大きければ良いかという事になると条件の中の美観がなければだめだという事になります。

 勿論、希少性という事であれば記念や遺品等のような情緒的な希少性ではなく物理的な皆が認識するものをいうのですが、ダイヤモンドでいえばどれくらいの大きさであろうかと考えるとやはり0.5CT以上という事が言えるでしょう。もしくは1ct以上という事は言えるのではないでしょうか。

 日本では以前より小さくても品質の良いものと言った表現もありますし、お店によってはそのような表現をしているところもあるでしょう。しかし、ダイヤモンドに永年携わっている方なら解ると思いますが基本的には宝石ということで考えるなら間違いです。

 誤解をされると困りますが、婚約指輪等で使うものを否定している訳ではありません。使用しているのは間違いなくダイヤモンドです。ただ、それは他の価値観であり、宝石としてのダイヤモンドではないという事です。先に書きましたが情緒的価値ではなくフラットに表現するとという事です。

 それではダイヤモンドを買う人がいなくなるという事になりますが、そうではありません。最高品質のものを望めば一部の人しか手に入れる事は出来ないでしょうが、ダイヤモンドはそれだけのチョイスではありません。

 宝石の条件の中には美観性、希少性、携帯性、耐久性、換金性とをうたっていますが、品質を条件には一切触れていません。つまり、4Cを基準にした時の高品質は必ずしも宝石の条件の下では合致したものではありません。食べ物や観賞品の好みに個人差があるように宝石の美観性の中も個人差はあります。

 例えば、ブラウンカラーの色にこだわる方もいれば、イエローカラーを好む方もいらっしゃいます。その範囲を考えると必ずしも高額品になる訳ではありません。だれもがピカソを良いと思う訳ではないという事です。

 また、希少性で大きさをたまたまホワイト系のダイヤモンドを前提に分けましたが、ファンシーカラーとなるともっと小さなサイズになるでしょうね。しかし、その中でもやはり、大きな物が希少性を増す事には違いがありません。

 大胆に分けると、小さなサイズの品質の良いものであれば幾らでもあります。しかし、美観を前提とした1CT以上のダイヤモンドはそうそうありませんので、宝石としてのダイヤモンドという事になると分ける線はそこなのかなという気がします。

 日本のマーケットでは古くから品質という事を前提において来たために、扱っている業者の都合で小粒なものを主体に扱ってきました。しかし、小粒のダイヤモンドを表わす〝メレー”という言葉は0,25CT以下を指します。でも以前は多く人が0.2~0.3ctを婚約指輪としていたのです。

 多くの原因が4Cという画一化した中での安易な販売方しか出来なかった業者側の未熟さゆえの事だったのです。本当の宝石のダイヤモンドを販売する人たちが多く現れる事により、業界が絶えることなく未来があるのだろうと考えています。

2013年3月5日火曜日

ダイヤモンドのビジネス⁉

 今、イスラエルにいてフト考える事があります。というのは色々な人々と話していて、この人間は本当にダイヤモンドが好きなのかなぁー?と思うわけです。

 勿論、日本にいても思う事ですが、同じものを商っている気がしません。どのレベルでビジネスをしているのかにもよりますが、あえて分けようとすると、不思議な気がします。

 ジュエリーの材料として携わっている人、金融のようにただ動かして幾ばくかのコミッションだけを考えている人、ブライダル業界の中での携わり、財産としての紹介をしている人とか私のように心情的な価値を打ち出す人と様々であります。

 どれが本来のビジネスかは別にして、色々な事を考えます。一つ言える事はイスラエルの多くのダイヤモンドに携わっている人は最終マーケットから遠くまた、彼らの時代背景もあり、日本人の思いとは少し違います。また、インド人達が多くなってきましたが歴史的には彼らが一番古く、やはり日本人のそれとは違います。つまり、彼等の多くは稼ぎの手段として身近であり、真剣さに違いがあるわけです。

  最近では、踊らされるように日本人らしくはないダイヤモンドビジネスを行なっている日本人も多くいますが感心をすることではありません。結果、ダイヤモンドの価値を下げ、自らの首を締めており、それに気がついていないからです。

 いつか彼らが去り、本来の姿は限定できませんが、皆が夢を持ち、ダイヤモンドのように輝いている業界になって欲しいものです。

 以前のようにー。

2013年3月1日金曜日

ダイヤモンドとユダヤ人!?

 いよいよ3月に入り市場も動き出してきた様な気がします。明日から取引所での仕事を楽しみにイスラエルに向かいます。

 何故、ユダヤ人がダイヤモンドに関わっているのかは良く聞かれる質問ですが、私自身ユダヤ人達から聞いた話しか解りませんが今から30年ほど前に友人の祖父から聞いた話ですが、

『我々ユダヤ人は祖国を失ってから、いつも其々地に馴染むようにしてきたがユダヤ教を捨てることはなかった。その為にいつも距離を置かれた状況にあり、職も生活も安定をしていない日々を過ごしていた。迫害をされる時にはいつも私達が生贄にされてきた。唯一、力を持つ事が出来たのはお金を持った時だけで、それさえも力で奪われる事もあった。』

 話し始めると一時間以上の時間を費やし、時々遠くに目をやりながら収容所での事や家族の事を思い出しているようでした。

 『我々は、いつも移動の出来る状態にいなければならなく、ダイヤモンドのような皆が共通の価値を持ち、隠し持てるもでなければならなかった。一番便利な方法はそのビジネスに携わる事だった。結果として、ダイヤモンドの研磨工仕事が是であったと言える。』

 イスラエル建国前にパレスチナ人のベンジャミンというナタニアという今のイスラエルの中心より少し北にある町の市長が産業を起こす意味でオランダから多数のユダヤ人のダイヤモンド研磨工を連れてきたところからイスラエルのダイヤモンドの歴史は始まるのですが、そのパレスチナとユダヤ人がもめている事も皮肉ではあります。

 友人の祖父は最後に
『日本人は追われる事がなく歴史を進めてきたので、その場での良い物やその場での価値のある物を追求してきたと思うのだが、我々はそこに価値観はないのだよ。全てのお金は持って歩けるものに集約をするこれが大事だと思っているんだ。』

 確かに私の友人たちはお金を持っているのけれど、決して華やかな物や外的要因にはお金を使わない人たちが多い。それは一見ケチにも見えるし、貧相にも見える。しかし、彼らにはあまりそんな事には興味がない様にも見えます。現代の若いユダヤ人達は必ずしもそうではないのですが、居場所を得て、もう50年以上も経ちますので時代の変化も致し方のないところではありますが、
2千年間の歴史が50年で変わる現代にも怖い物がありますね。

 しかし、必然とはいえダイヤモンドやお金、金融がユダヤ人達の本懐とは思いませんが、現代の世界はユダヤ人哲学が主流である事は確かに疑問を持たざるを得ません。また、現在の日本人達の向いてる方向も別の意味で怖いなと思います。

なぜなら、3代で失う土地の価値観というのは如何なものでしょうか?