先日友人がフェラーリを購入しましたが家の駐車場に入らず、新築をする羽目になった事を話しておりました。まったくもって笑える話ですが、本人はいたってまじめで、小さなころからの夢であったフェラーリのオーナーを実現した訳です。
実はダイアヤモンドに関してはよくこの種の話と比較して話される事が多いと思います。ダイヤモンドに否定的な多くの男性は必ず
『車とか家には実用性があるけど、ダイヤモンドのような何の役にも立たない物を何故欲しがるのかが解らない。』
といった会話をよく耳にしますが、これは身勝手な言い分で、車に興味のない人にはファラーリを買って家まで改築する人の神経は理解できないのです。
車を持つ事は業務を除いて交通手段の発達した現代では贅沢でもあります。ましてや実用範囲を超えた高級車は何をかを言わんやです。エコカーといったって、もしエコを気にするなら乗らなければ良いということにもなります。
つまり、ダイヤモンドの関しても同じ事で心の豊かさや満足感を与えてくれたり、励みだったり、プライドなどを満足させてくれるという事に関しては同じレベルの事なのです。
但し、一般的なダイヤモンドで言うと車などほど高価ではないという事です。なぜなら、一般的に高級車レベルの満足感を得るだけであれば百万から五百万円の間であるでしょうし、保有期間にお金が掛かる事もありません。
ましてや後日販売することも可能である事を考えるとどちらが実用的化という事だと思います。一部の例外を除けば答えは明白です。
ダイヤモンドは引き継ぐといった別の名目もあります。つまり系図のような役割もしてくれる訳です。手に入れた方の思い出が何十年、何百年とダイヤモンドも通じて語り継がれていく訳ですし、その事が本当は最も大事な事なのではないでしょうか。
勿論、何を大事するのかは人それぞれですからいお互いの趣向は認め合う事は大事なことだと思います。また、それを批判することもどうかと思いますからね。
お互いを認め合う事は人間社会を構成する上では原点といっても良い事ですから・・。
あえて言うなら時代を超えてきたものはダイヤモンドだけです。
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