ダイヤモンドはハードなのかソフトなのかといった事に頭をひねる事が多くなってきたような気がします。それは何時も述べている様に現代の社会においてはファッション、アニバーサリー、資産といった面があまりにも出てきているせいだと思います。
野菜や魚貝を含めて調理はしても料理が必要ないものに何故調味料や多種類の組合せがあるのだろうか?
最近、話題になっている若返りの方法を書いたお医者さんの本が評判を呼んである様ですが、
中身にはなるべく食材をいじらずに食する事が若さを保つ要因でもあり、動物が自然に生きていく上で調理や調味料を必要しないでしょう。・・・とちょっと乱暴に解説するとそのような事が書かれています。
つまり、最低限の必需品があれば人間は生きて、また健康的に生活を送る事が出来、それが人間にとっては理想的なんですよ。・・・・といった事が言いたいのだと思いますが、エデンの園にヘビ
が現れて以来人間は必要不可欠なものだけでは生活が出来ない事になっています。
確かに同調できる事も多々あります。現代においてヘビが想像もしなかったような欲のレベルではないような過激な物もあり、このままで良いのかという事もあります。
多くの人々が交通機関や公共の場所でゲームをやったり、過激な風俗が当り前のように蔓延していますが、本当に良いのかなぁ・・と思わざる得を得ない事が沢山あります。それは本当に生きていく上で必要な事? と思ったり、それは無い方が良いのではと思った事があったり、起こったりしており、それが現代の社会の経済の脚光を浴びている事をいぶかしくも思ってりしています。
料理、生活、ファッション、車等、どれをとっても快適に過ごすためのソフトは必要であったり、多少超えても人間社会において必要悪であったりする部分はそれこそ必要なことであると思います。
それは聖書の中にもエデンの園にヘビが登場したように道徳的に悪なことであっても人間生活において循環という意味も含めて必要だという事でしょう。
永くなりましたが、何を言いたいかというと現代にはびこっているソフトは必ずしも人間の文化に必要なソフトだとは思わない事で経済が回り本来必要な事で経済が回っていないという事を感じ、ダイヤモンドは必要なソフトなのかはたまた不必要なものなのかという事を考えた訳です。
ダイヤモンドは必要なハードであるとともに人間社会においてこれだけ古くから徴用されているという事は歴史の証明している人間にとって必要なソフトであるという事を改めて感じ、無駄に見える事が実は生きていく上でも必要な事ある事を前提にして、もっと原理主義的にソフトを精査する時代なのかもしれないと前述の著書を読んだ時にふと感じました。
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