前回輸入分のファンシーカラーもおかげさまでほぼ完売状態になり、改めてカラーダイヤモンド人気を実感して次第ですが、絶対的な市場がまだ小さいという事も言えます。
今週、展示会に参加をさせて頂いた際にとある紳士にイエロッシュ・グリーンの1ct石を購入して頂きましたが昨日お電話を頂き、
『実はご相談があります。』
と突然の切り出し、
と当方も困惑気味に応対しました。
『先日頂いたカラーダイヤモンドなのですが、私は本当に価値を解っているのでしょうか?』
『というのはどういう事ですか?』
『勿論気に入っているのですがこんな高価な買い物をして良いのかな・・と思ったんです』
このようなご相談は良くあることですがダイヤモンドが必需品ではない贅沢品であるという事が前提に皆さんはお悩みになる事は多くあります。
総論を語ると長くなりますのでファンシーカラーに限ってお話しをさせて頂くと、通常のダイヤモンドつまり、白いものに比べると非常にレアなものですが希少性やある種の感性をお持ちの方にはたまらない魅力のあるもので一部のファンシーカラーを除けば高価であることも間違いがありません。
車で例えるのであれば、移動や物を運ぶ事が出来ればそれで良いはずの物が一般車両からスーパーカーまで車として存在します。現在のように交通機関が発達して時代であれば車そのものが贅沢品という立場にあります。
フェラリーやランボルギーニといった物もあればプリウスのようなECOカーまで多種多様です。実用的ではない車やECOを意識するのであれば乗らない事が一番良いのですがそれでも人はそれを望みます。何故でしょうか?
人々が生きていく上でやりがいやモチベーションが必要である事は勿論ですが、それは人によって対象物も違う訳ですよね。つまり、実用的ではないように見えるそれらの対象物は実は人が生きていく上で最も必要な実用品な訳で、ただそれが人それぞれだという事だと思います。
その上で個々のモチベーションの上がる対象物は過去の経験や環境によって違いが出、対処物が変わってくるのだと思います。
同じような対象物を持った人々が多くいて、その対象物に希少性を含めた特別感があればそれは高価なものになっていくという事だと思います。それがダイヤモンドであったり車であったりする訳ですね。そして、それらの対象物は資金の用意で毛では手に入らず、あらゆる条件がそろわなければその手には入らない物であり、だからこそそこには価値があるのだと思います。
ダイヤモンドのように多くの人々に理解をされながら出れ氏もが手に入れる事が出来ないものは
手に入れる事の出来た幸運を楽しむべきなのでしょう。
同じ会場にいらしていたご婦人は1ctのマーキース型のダイアヤモンドをお求めになりましたが、
その方の一言が印象的でした
『大きいダイヤモンドをやっと手に入れる事が出来ました。今、持っているものは祖母と母が買ったものであって自分が買ったものではないので、祖母と母がそうしてくれたように私も手に入れて子供に伝えたいと思っていましたの・・。一生懸命働いてやっと手に入れるところまで来ました。そんな時にこんな良いダイヤモンドに巡り合うとは大変にありがたいです。』
これらの話を電話口でお話をさせて頂いていると突然、
『社長、ありがとうございました。今理解が出来ました。実は私は恵まれていてその事が理解できていなかったようです。何故か元気が出て来ました。』
といったかと思うとあっという間に電話の会話が終わりを告げました。
良いアドバイスになったかどうか解りませんが、今回手に入れたファンシーカラーの物も特に目的としていた買付でもなく、偶然手に入れたものでした。少しでも多くの人に知ってもらおうと価格に関して手にして頂きやすい価格にさせてもらったつもりでしたが多くの手に入れた方からのお声を聞くと私自身もモチベーションが上がってもっと良い物をご紹介しようと気合が入ります。
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