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2010年12月29日水曜日

沢山の一言

 年末を迎え、この一年を振り返り小生が考える時に口にした一言を特集してみようと考えました。
その一言を振り返ることでどういう一年であったか望年して、新年に生かそうかと・・・。

 皆さんもお付き合いください。

1. ストーリーを優先されるものがジュエリーであり、コストが優先されるものは
  商品である。

2. 誰もが手に入る方法で、誰もが手に入れることが出来る価値は、既にジュエリ
  ーとしての価値はない。

3. 結果を求めるにはそれに比例した対価を払わなければならない。

4. ビジネスは権利の前に義務がある。しかし、人生は義務の前に権利があるよう
  に誤解しやすい。

5. やらなかった後悔はやった後悔より尾を引く。

6. 目的と言う結果が明確であれば準備が出来る。それは準備がなければ結果が
  出ないということである。

7. 体験と学習は与えられるより臨むほうが中身も濃く、楽である。

8. 今の自分は過去の結果であり、今の自分は未来への過程である。

9. 凡人の中には非凡なくらい平凡な人間がいる。そして、必ず回りに一人は
  いる。ただし、沢山はいないのが不思議である。

10. 自らの優しさが、必ずしも相手に心地よいとは限らない。

以上が今年の一節毎につぶやいた一言のほんの一部です。
多すぎてややこしい一年だったなぁ~と思っています。

はたして来年に繋がるのやら心配です。


2010年12月28日火曜日

ダイアモンドの原石

 よく、能力があり発揮できていない人の事をダイアモンドの原石に例える事があります。
それは、自分でその能力を理解しているのではなく、周りの人間が発見する場合が多く、
自ら『私はダイアモンドの原石です』とは言いませんよね。

 他の力により磨かれて初めて輝くという意味では確かにダイアモンドの原石の比喩は
あたっているかもしれません。
 なぜなら、ダイアモンドも本来は美しさゆえの価値ではありませんでした。

 硬いというだけの価値であったダイアモンドの原石は後に磨かれることによりその真価
を現わしてきました。その後ダイアモンド研磨技術の進化によりその価値は一段と増してきて、
その輝きは宝石の中でも群を抜いた美しさです。

 しかし、面白いもので輝きが増すごとに必ずしもその物の輝きを好まない人が出てきます。
つまり、研磨技術の進化により細かな煌めきが増え、その煌めきが人によっては
『ギラギラしてあまり好きではない』という人も出てきます。

 ダイアモンドの原石には色々な形をした物があり、その形によりどのような形に研磨をするか決められる、その際にはいかに効率の良い経済的な形にするか(如何に重量を多くとれるか)
も考慮の上、決めれれます。しかし、重量がとれても形として美しくなければ、また内胞物が
多く含まれていると価値も下がります。

 内胞物を避け、美しい形がとれ重量もそこそこに仕上がる事が一番良いにですが、必ずしも
そうはなりません。またそのように仕上がってもその先の研磨技術によりギラギラして『嫌だ』
と前述のように言われる場合があります。勿論そのギラギラが好きだという人もいますが・・・。

 形、重さ、内胞物の有無の考慮、ここまでは現代技術でコンピューターである程度結論を
出すことができます。問題はこの先に嗜好的価値を左右する問題が出てきます。
 それはダイアモンドにどれくらい面を施すかとか、微妙に角のアングルを変えたほうが良い
等の見た目の問題です。勿論、多くのダイアモンドは大きな物はそんなにありませんから
見た目にさほど一般の方は気がつかないかもしれません。(供給側の理屈です)

 最終的に出来あがる研磨されたダイアモンドは必ずしも研磨師の思惑で仕上がる訳では
なく、あくまで原石の形、つまりダイアモンドに研磨させられているといった方が良いのかも
しれません。

 人にも同じことが言え、研磨師である指導者や上司の都合で能力が引き出されるわけ
ではなく、あくまでも原石である本人の要素や性格に合った指導方法をとらなければ素晴らしい
能力が開花するわけではない。

 『部下は上司の信頼を失っても仕事で取り戻せるが、上司は部下の信頼を失うと仕事で取り戻すことは出来ない』
という言葉がある。

 研磨師は原石を間違った方法で研磨するとその損失は大きい、しかし、ダイアモンドは
ダイアモンドである事に変わりはない。

 前回の心技体の項で述べた競技者たちは良い研磨師似合ったのであろう。いずれにしても上司であれ、指導者であれ最終的には原石たちに育てられているという半面も確実にあると思います。
 『ダイアモンドの原石』の例えは真理なのかもしれません。
 
 

2010年12月27日月曜日

心技体

昨夜の全日本フィギア選手権女子フリーを見ていて感動すらしました。

 技術は勿論の心の演技における部分は大きいのだなぁ・・と真央ちゃん
だけではなく、安藤、村上両選手を見ていてもそう感じました。

何事でもそうですが技術があり、強いだけでは真のチャンピオンになれない。

 横綱白鵬を見ていて今年感じた事は彼自身の目標でもある大横綱双葉山
に近づいたような様な気がする。

 本来、大横綱の条件として立ち合いを受け、取組み相手の組み手を前提
とするものです。ゆえに、立ち合いで飛んだり、勝つために手段を選ばなかった
同じモンゴル出身の某横綱はなかなか皆が認めないところもありました。

昨夜同時に放映していた亀田兄弟にも同じことが言えるかもしれない。

 それぞれの競技や試合を見ていて観客が応援し、感動をするのには何かの理由が
あると思います。石川遼選手を見ていても技術や身体はまだまだでも心がついてきている
様な気がします。

 フィギアの三選手を見ているとその道程を見ているようで競技以外の何か別の物を感じた
のは私だけではないと思います。

 心技体とは永遠に目標にしていくためのカテゴリーなのかもしれません。それは何も
スポーツ選手だけに言えるものではなく、それぞれの分野のスペシャリストには全て
に通じる事で、それは物であっても同じことが言えるのでしょう。

心の琴線に触れる事は何においても充実感と心に潤いを与えてくれます。

 『感動は見せかけでは与えることはできません。
  また、人は心を開く事が出来なければ感動をすることはできません』

 それぞれの価値観という言葉がありますが、共有する価値観で誰もが認める価値観は
双方の心の持ち方なのでしょう。但し、その条件は卓越した価値である事です。

2010年12月24日金曜日

クリスマス・イブ

1977年12月24日   ロスアンゼルス夜

 ロスアンゼルスのダウンタウンからウイルシャー通りを西に向かいサンタモニカの手前を
右に折れると、突き当たりにUCLA(カリフォルニア大学LA校)がある。

 そのお膝元にウエストウッドという小さな町がある。
御存じ方も多いと思うし、耳にされた方も多くいるでしょう。
この通りの中ほどに『イエスタデイ』というイングランドパブとカントリー風を
混ぜたようなレストランがあり、そこで学生をはじめ若者たちが大騒ぎをしていた。

 友人に連れられて私もその中もに加わったが、決して狭くない店内は百数十人の客でごった返していた。トイレにもたどり着くにも酔っぱらった若者たちをかき分けていくのは大変で、途中途中で
他のお客にお酒を飲ませられながらのトイレの到着でありました。

 用を足し、店内に戻ろうとしたところでした。ザワザワとした中に大きな声が響いていました。

『若者諸君、本日は大騒ぎをする日ではない。静かに教会に向かい、イエス様の為に、自分の為
にお祈りをする日である』 とよく通る声である。

 声の主を探すとその様相にビックリした。
白いひげをアゴに蓄え、サンタクロースの帽子をかぶり、その姿はそのものでした。

『聞こえたか?みんなわかったな!!』

突然の事に若者たちは当然のように大ブーイング。
『ひっこめ、サンタクロース爺』

『ハッハッハハ~ッ』
大声で笑う姿はサンタクロースそのもの・・。

『冗談だよ。若者たち、時代は変わった、大いに飲み騒ぎイエスをお祝いし、
 このめでたい行事を未来へ。アーメン』
と突然豹変・・。

 面を食らって、何が起きたのかよく事情が解らない私に友人は
『彼はビバリーヒルズの住人で沢山の学生を面倒みている人だよ』
と囁いてくれた。

 『さあ~、今日は私の奢りだ気持ちよく騒ぎ、気持ちよくお酒を飲んで忘れる事のない
クリスマス・イブにしなさい』

 『メリー・クリスマス!!』

突然の訪問者に店内は上へ下への大騒ぎ (表現があっているかどうか、解らないが・・。)

それからというものは飲み放題状態が続き、この店の名物ドリンクであった
《フローズン・マルゲリータ》 はそこらじゅう宙を舞っている状態が見受けられました。

 それから数時間後、気前の良い紳士の姿はなく、そこの勘定がどうなったかもわからなく
しこたま飲んだ私は店外に出て、友人の車でハリウッドに向かいました。(当時でも違反である)

 その夜の事を時々思い出すことがある。そして、同時に当時のアメリカの凄さやその時代に
アメリカで過ごしたことが大事な財産となっています。

 最近の若者は海外に出たがらないと聞くとさみしい気がする。一つの場所しか知らなければ、
一つ分の場所の経験しかできない。それもまた人生かもしれないが、他を知った上で、その人生を
選んでほしいと思います。

 まだまだ人種差別が残っていたアメリカではあるが沢山の財産を私にくれたような気がする。
そして、今もそのサンタクロースは私に中に存在し、何時でもその時代に誘ってくれます。

 それは決して、過去を引きづっている訳ではなく、未来を提示してくれているような気がします。

『メリー・クリスマス』

2010年12月23日木曜日

 I T 社会

ITが普及してというかIT社会になって時間もだいぶたった。

でも、なぜかしっくりこないのです。

 馴染まないということではないのですが、以前にも述べた総論と各論に
近いものがあるのですが、元々はと言えば『離島も首都圏も平等』になる
といった未来像がありました。

 確かにビジネスにおいては地方も大都市圏もある意味においては差がなく
なりました。しかし、先日TVを見ていて離島では中学校を卒業すると本島の
高校に行くために家族ごと移り住むので人口の過疎化がどんどん進んでいる
ということです。

 このIT社会においてはインフラで整備ができているようで一番必要なところで
行き渡っていないように感じます。なぜなら、この時代、ネットを通して高校教育
等はいくらでもできると考えます。それは通信教育をはるかに超えた環境です。

 インターネットを使い本島の高校の授業を同時に受ける事はさして難しい話では
ないはずで、本来はそういうこと基本にITは使われるはずだったと思います。

 ビジネス偏重の時代なのか世の中の考え方の偏重なのか、違和感を感じるのは
私だけでしょうか?
 『そもそも論』としての総論が各論に曲げられてるような気さえします。
ゲームの配信やスキャンダルの配信、ましてや出会い系サイトを一生懸命やっている
くらいならもっと他にやることがあるような気がします。

 政治の世界においても、小沢問題がその取り巻きの連中が、
さも小沢氏が言っていることが正しいかのような擁護論を振り回しています。
 彼らの言っている理屈はほとんどの国民は分かっているわけです。
司法の場に移っているとか法を順守しての行動であるとか・・・。

 ここでも、そもそも法律は政治家が立法府で作っているものなのだから法を
順守して当り前で、その上で、政治家は法律さえ守っていればよいのか、
ということだと思います。つまり、政治家は倫理観が一番大きく前提となり、
法律に触れていなくても倫理として行ってはいけないことが沢山あるわけです。

 政治には金がかかり、政治家はお金が足りないと嘆いている若い政治家が
多い一方で、なぜ一人の政治家があんなに沢山の秘書を抱え、お金を自由にできるのか?
・・・単純な疑問を国民は持っています。
どちらの言っていることが本当なのか?
もしくは特定の政治家にはお金が集まるようになっているのか?

 これらの疑問には司法の場とは関係なく、国会という場で議員として何らかの
結論を出すことは当り前だと考えます。

 IT社会、政治、ビジネス、人間社会など関係なく、本来はという考え方をすること
によって見えてくる事は多いのではないでしょうか。
 世の中にある事物は何かの理由があって存在しています。
事物に理由を後付けしていると、間違っていないように見える事が実は目先の事
になったり、その場限りの事になったりしてしまうのではないでしょうか。
逆に言うと事物がそこにあるということは何かの理由があって存在しています。

 事物の存在の『そもそも論』を考えてみる事も現代においては必要なことではないでしょうか?
何時もの事ですがダイアモンドにも存在理由があります。
何の役にも立っていないようで最も人類と永く寄り添い、歩んできた事には理由があります。
そこに気がつかないことが現代の偏重状況を現わしているようです。

 もう一度立ち止まって考えてみたらどうでしょうか。正月も近いことですし・・・・・。

 

2010年12月22日水曜日

ダイアモンドのこぼれ話(その3)

有名人はダイヤモンドがお好き!?

 ダイアモンドに関しては色々な物語を時代を超えて運んでくれるということは書いてきました。
その顕著な例がダイアモンドの歴史においては最近の話になりますがマリリンモンローの話が
有名です。

マリリン・モンローの《バローダの月》

 マリリン・モンローの共演者でいちばん彼女を引き立てたのはダイヤモンドと言っていいのではないでしょうか。

 映画『お熱いのがお好き』の中でも豪華なダイヤモンドのブレスレットが役の上で重要な位置を占めていた。

過去、貴族や財閥のものされていたダイヤモンドだったが、地方回りの歌手が富豪からブレスレットをプレゼントされて喜ぶシーンは、誰にとってもそれが特別のものではない身近に起きるかもしれないことを印象付けたようにも見えます。

 彼女の有名なミュージカル映画《紳士は金髪がお好き》の中で彼女は「女の子はダイヤモンドが最高のお友達」と歌い上げるシーンがある。これがダイヤモンドの現代的な存在感を決めたと考えてもいいでしょう。

 財閥でもない普通の女性が「ダイヤモンドがほしい」と言い、それをとんでもないことと考えずに、ごく普通にかわいらしい女の子がおねだりしただけと見える。何か現代に通ずるような気さえします。

 彼女は常にパーティーではダイヤモンドを身に付けていました。ダイヤモンドは決して上流社会といった印象のない彼女が地位を築く、一因となったと言えるでしょう。

 彼女が身に付けていた中で特に有名なものは《バローダの月》と呼ばれるペアシェイプで24.04カラットのカナリア・イエローのダイヤモンドです。
 
 インドのマハラジャ(藩王)の手を離れた《バローダの月》はマリーアントワネットから実家のハプスブルグ家にいた母マリア・テレジアの元へ、その後、数人の手を経てマリリン・モンローの手元に渡りました。

 このダイヤモンドは元々インドのバローダ地方の藩王(マハラジャ)ガエクワル家の物であったためにその名(ザ・ムーン・オブ・バローダ)の名が付けられました。伝説もまた、その後のモンローを彷彿するもので、「身に付けた人は歴史に名を残す」といわれ、モンロー自身がそれを実証したことになります。

《バローダの月》は現在、大きな声では言えませんが日本にあります。
 
 ここ数年、国内のメーカーによりこのレプリカが販売されてきたが、イエローのペアシェイプを身に付けることで、モンローの気持ちを楽しむのもジュエリーを楽しむ方法の一つではないでしょうか。

このほかにも、モンローをイメージして製作されたジュエリーが数多くあります。代表的なものは、ハリー・ウィンストンが製作し、滝をイメージした「ウォーター・フォール・イヤリング」でしょう。細かいダイヤモンドが流れるように連なったフォルムは優雅であり、女性のいたずらっぽさを表現したデザインです。

このようにダイアモンド一つで過去の有名人に想いを寄せたり出来るのですから皆さんもぜひご自分を未来の世界へ誘ってくれるダイアモンドに想いを馳せてみてください。

2010年12月21日火曜日

足りないもの。

 相手にとって足りないもの、必要なものを渡して対価を受け取るのが
ビジネスの基本です。

でも、その前に足りないと思ったり、必要だと感じてもらわなければビジネスの根拠になりません。それを感じさせる手法が必要です。横文字でいうマーケティングですよね。

 それは物心両方に言えることで、ある時は食料品屋であり、ある時は宗教であるわけです。
つまり、物資であり、文化であり、環境であるわけで自然に起きうる足りないもの、必要なものであればビジネスの形成に問題はありません。しかし、それでもそこに何かの差がなければビジネスで勝つことはありません。デザインであったり、価格であったりするわけです。必需品に差が出れば売れるという単純な理屈になります。これを一次的ビジネスとします

 環境ビジネスは以前はありませんでした。
でもみんなが『地球は危ない』と叫び始めるとエコビジネスが生まれる。
『肥っていては健康に悪い』と皆が言い出せばダイエットビジネスが生まれる。
『将来に不安がある』と言えば占いビジネスが流行る。
 つまり、これらは宗教に近いものがあり、人心の不安や不信を揺さぶることにより、
何かを足りなく感じさせ、必要だと思わせるマーケティングです。これはあえて言えば
仮想市場である二次的ビジネスです。(本来、必要かどうかは別ですが・・・・。)

宝石はどうすれば必要だと思われるのだろうか?
相手が『足りない』『不安を埋めたい』と思ってくれ、それを解決するのは宝石だと思ってくれなければ売れません。しかし、そんな対象の物ではありません。
宝石のビジネスは一次的でも二次的でもありません。しかし、何千年の間続いている
ビジネスである事は事実です。宝石は足りなくも必要でもないかもしれません。

ではなぜ?

 一次的、二次的問わず本物である必要はありません。食べる事が出来、着る事が出来、ましてや気持ちがまぎれれば良いとというレベルであればという部分があります。

 宝石である条件として美観性、希少性、耐久性、携帯性、換金性という条件があります。
これらは何も宝石だけに当てはまるものではありません。
 
 長い時を超える物という事に関しては本物でなければ残りません。それはそのもの自体に価値があると同時に周りが価値を感じなければなりません。それは物だけではなく老舗といわれるお店であったり、技術であっても同じことが言えると思います。

 宝石は人類より長い歴史を持ち、自然から生まれた唯一の物です。つまり、足りないものでも
必要なものでもなく一緒に存在して当り前の物です。あえて言えば人間がいつも意識をしていなければならない感性の存在です。

 ダイアモンドを見て『かわいい!?』 とか 『ドキドキしちゃう!?』という方がいます。この感性は見ていて不思議な感じすらします。

 何故か懐かしい感じすらします。

 本物を素直に見る感受性だったり、感性の豊かさを感じます。

結論から言うと人類に足りなくなった物を教えてくれる存在が宝石であり、本物であったりするのでしょう。

 時代を超えて本来あるべき姿を教えてくれるものが本物であり、その象徴的なものにダイアモンドがあると考えています。その姿がなくなった時には何も生まれなくなります。

 素直に本物を理解する目を持ち、見極める事は大げさにいえば人類の将来を左右すらするのではないかと思います。流行り物が悪いのではありません。それが本物である事を願っているだけです。

 現代人はあまりにも見失ってきた物が多すぎる気がします。

今一度、本物を見る目を養いたいものです。