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2013年9月30日月曜日

ダイヤモンドは変わらない!?

 二週間連続で同じような感覚を懐きました。先週末ご来店頂いたお客様が2ctのラウンドのダイヤモンドをお探しで、店内のダイヤモンドをご覧になっていたところ3ctのプリンセスカット(スクエア)が気になったようで
 
『こちらはなんていうカットなんですか?キラキラしてとっても綺麗ですね。』

 多少カラーのあるプロポーションの綺麗なものだったのですが、テリが強く、展示品の中でもひと際目を引くものだったので結果的にはそれをお求めになっていったのですが白い、円(マル)のダイヤモンドがお希望だったのですが、ローカラーではありましたがテリの強い大きな物になった訳です。先々週は多少色がありますがやはりテリのある1ctをちょっとかけるハート型のダイヤモンドが当初の円の白いものから変更された事は前回書きましたが今回もという事です。

 1978年、春 ロサンゼルス

 私が日本から渡米をして数カ月経った頃、ポンコツのフィアットを手に入れて、やっと自由にロサンゼルス市街を走れるようになった頃。『シアーズ』という大型安売り店に入りビックリした事がありました。

 店内に入ってすぐにアクセサリーやインテリアと一緒に宝石売り場があったのです。真にスーパーの延長みたいな売り場の中にです。もっとびっくりしたのは2ctとか3ctのダイヤモンドがその中にはゴロゴロと飾られていた事です。

 よく見ると黄色めなものではありましたが、日本で学んできたダイヤモンドの概念を取っ払わなければいけない瞬間でした。日本では婚約市場が大きかったこともあり、小さくて品質の良い白い物が主流であったし、大きくても2ctか3ctでしたが小さいものと同様に白くて品質の良いものばかりでしたので高額な上に誰でもが手に入れる事の出来るものではありませんでした。

 しかし、ショーケースに入っているダイヤモンドはどれもこれも綺麗に輝いており、一種の迫力を感じた事を覚えています。業界に入った頃から一種の宗教のように小さくても白く品質の良い物をと教えられていた私はそんな種類のダイヤモンドを見る事もなかったのでビックリしたのを覚えています。

 アメリカに暮らすようになると、多くの人が大きなダイヤモンドをしていて、アメリカの経済力の凄さをまざまざと見せられた思いでした。ある米国人の友人に尋ねると
『大きなダイヤモンドに限らず、大きな車や大きな家は成功のシンボルだからね。』
といわれ、なるほどと思ったのを覚えています。

 さらにダイヤモンドの輸出をしていた彼は
『日本人は小さなダイヤモンドを欲しがるし、実際に当社から輸入する日本の会社もほとんどが0.2ctか0.3ctしか買わないからね。理解が出来ない事の一つだね。ダイヤモンドは大きい方が価値がある事は解っているよね。』

 『勿論解っているけど。日本では一般的な考え方ではないね。』
と私が言った事を覚えています。

 当時の米国では余程のダイヤモンドでなければグレーディングレポートはついておらずその事はあまり重要な事でもなかったのです。なぜなら自らの価値観で求めるものであって第三者の価値観で求めるものではなかったからです。

 前述の例のような事を見ていると日本も変わったなぁ・・とつくづくと感じます。何よりもそれらのダイヤモンドを見ている顔が笑顔で幸せそうであり、見ているこちらもホッコリとした気持ちになります。自分の価値観で物を見るという事は心が素直であり、幸福を手に入れる第一条件だと考えています。俗世に生まれた現代人の中でその事自体を感じれる仕事をしている事は幸せです。

 拝!!
 

2013年9月26日木曜日

ダイヤモンドビジネスの新時代!?

 ダイヤモンドが日本で本格的に根付いてどれくらいだろう。勿論小生が身を置かせてもらってからでも40年を経過しようとしていますので50年はゆうに経つでしょう。

 丁度、40年ほど前にグレードという物が認識され始めて4Cグレードが歩き始めた頃でその頃はまだ完全ではなかったけれど、ダイヤモンドのビジネスを行うには十分でありました。

 何故十分かというと販売に関してはブランドが出来、価格が先行していたので、グレードは添物であり、大きな要因でもなかったのです。つまり、幼児の自転車の補助輪みたいなもので販売の経験の浅い販売員のみに必要なものだったからです。

 ここ十数年でその補助輪がついている事が当たり前になり、その事を自慢げに売る人々も随分増えた訳です。しかし、最近では補助輪の基準が一定ではないという事や自転車の性能の方が大事である事に気がついて来た消費者が多く現れてきた訳です。しかし乗り手は相変わらず幼児のままなのですが・・・。

 補助輪を外してみたら意外ときちっと走る自転車は少なくなってきた訳です。それは何故かというと補助輪が自転車にとって必要ではないと思っている海外へどんどん逆流してしまったという事があるからです。

 回りくどい言い方をしましたが、補助輪が必要のない消費者が沢山増えてきたので、販売側も補助輪なしで自転車に乗れるようにならないといけませんよという事ですが・・。

 ダイヤモンドは本来の魅力や価値はグレーディングレポートがついていなかった時代から認められたものであった事に回帰する状況というか、市場は成熟してきていると考えた方が良いのでしょう。

 つまり、高度成長の何も解らなかった時代から浮かれお金に任せていた時代、それを悪用とは言わないが、利用し、膨らんできたダイヤモンドビジネスは縮小から定着に向かい、成熟が始まったのです。

 もう、マーケットをあおってくれるようなシンジケートもありませんし、消費者の認識も違います。これからのダイヤモンドビジネスは文字や数字といった補助輪に頼るのではなく本来の感性や価値に基本をおいたビジネスとなっていくのでしょう。もう一つの時代は終わった事に気が付いている人は多いと思います。新しく、そして本来の姿に挑戦をしましょう。

 温故知新・・・。

2013年9月24日火曜日

不思議!?

 昨日、友人の娘さんが来ていた、話をしているうちに将来について迷っているとのことですこし話をしました。彼女は美大を卒業後目指していたテキスタイルの仕事をすべく、タイの繊維工場に数カ月とどまったりと活発に活動を行ってきました。

 『何故に迷いがあるの、今まで一生懸命にやってきたのに…。』
と私、

 『そうなんですけど、予定では26歳までにはきちっとした仕事にしたいと考えていたんですけど後4年間では難しいかなぁ・・と思って』

 彼女曰く、色々と知れば知るほどまだまだ知らなければいけないことが多いと考えるようになって、基本的には好きだけではだめでビジネスにならなければいけないと考えるようになってきたらしい。

 基本的にすべてを知る事は難しく、経験や知識で何を生み出せるかが基本的なビジネスマインドである事とを話し、物であれシステムであれ創造する事が基本で、その創造したものが世間に受け入れられるかどうかだと思うよと話すと

『髙木さんのお仕事はやはりデザインとか造り方でですか?』
と聞かれ、

 『天然のダイヤモンドは人が造れる訳でも、進化させる事が出来る訳でもないし、販売に関わるシステムもほとんどやりつくされてきたので、難しい事をしているとは思っているよ』
と話しながら、私自身も首をかしげる思いでした。

 人にとっての必需品である事が前提でビジネスは行われている訳ですから、精神的にであれ物理的にであれ、何らかの必要とされる価値がそこになければビジネスにはならない訳ですが、皆がマネをし、過剰になったり、使い古されたものには誰もお金を払わない訳です。

 ダイヤモンドは創造できるものではありませんが、マネが出来たり、過剰になったり、使い古されたりする物でもありません。しかし、ビジネスのチャンスとしては非常に狭い範囲のビジネスである事も事実です。

 物理的な将来は限りなくないビジネスでありながら、何故か疲弊、消耗するビジネスでもない事も事実です。それは過去の歴史が証明しています。

 物理的には変わらないダイヤモンドですが、世界観という観念的価値が消える訳でも創造できない訳でもありません。しかし、そこに物が存在する分厄介なビジネスである事も事実です。

 若い女性のものすごく単純な疑問が自らのビジネスを振り返るきっかけになり、如何にも不思議なビジネスに自分が就いているような気分を感じた一日でした。

2013年9月17日火曜日

心の眼!?

 真に台風一過とでも言いたくなるような朝を迎え、気分も良く迎えた週明けでした。
先週末にとある女性が来店をし、その一週間ほど前に彼と来店をし、選んでいった婚約指輪の最終確認にいらっしゃったものでした。

 目的は勿論、先日見定めていった0.5ctのラウンドを決めにいらっしゃったのですが、話をしている最中に傍らのハート型のダイヤモンドが気になっている様子。

 私自身もそれに気がついていましたが、0,5ctの話を進めている最中に
『私、ちょっとこのダイヤモンドが気になっています。』と
傍らにあったハート型のダイヤモンドを示しました。

 そのダイヤモンドは若干バイオレットぽい色のあるテリの綺麗な形の良いものでしたが、人によっては色があるからと敬遠をするかもしれないものですが、彼女は
『この色が何となく気になっています』
との事。

 最初は色々なお店で、下調べをしてきたようで、やはりグレードとかを気にしているようでしたが、話しているうちに素直な目でダイヤモンドを見て頂く事が出来たのでしょう。この事は私自身が一番うれしい事です。

 ダイヤモンドはいつも言っている事ですがグレードや価格が決まる前から価値がある物ですからそれらを基準に決めるものでも、人間が作ったものでもありません。つまり、心の感じるままに選ぶ事が必要とされるものです。

 全ての人間の価値基準は基本的には心の感じたままに決める事が自然なのです。男女の間でも打算的に選んでも決して幸福を手に入れる事は出来ません。何事においても・・・。

 彼女は一番自然のままで心の眼でダイヤモンドを選んだのです。それは彼女が如何に素直で素晴らしい人かという事を感じさせる場面でした。

 気持ちの良い台風一過の朝の気分です。

2013年9月14日土曜日

2020年!?

 東京オリンピックが2020年に開催が決まり、取りあえず目出度し目出度しといことですが、これらを今一賛成しない人もいますが、何処の世界にも一言を言いたい人はいます。それは人と視点が違うという事で解決です。

 ところで、視点違いで言えば2020年もう一つの人類の記念があります。それは35年前に地球を旅立った宇宙ロケット『ボイジャー』です。つい最近太陽系を飛び出したニュースを目にした人も多いかと思いますが、木星や土星の写真を送ってくれた『ボイジャー』はいよいよ太陽系を飛び出し、2020年には地球との交信の限界を迎え、人類の技術を超えた宇宙の彼方へと去っていく年なのです。

 勿論、天体望遠鏡ではその先まで確認をする事は出来るのですが、人類の創造した物体が太陽系を飛び出した事を凄いと思うかどうかはこれまた色々な人がいると思います。銀河系を飛び出した訳ではないのですから、ビルを飛び出した位で日本を飛び出した訳ではない位の事にもならないのですから。

 でも、数億年前には微生物みたいだった人類がロケットを作って、打ち上げてる事を考えたらこれはもう奇跡以外の何物でもないのですよね。その人間が作ったロケットが人間のコントロール外に飛び出していく記念の年が2020年なんです。これはやはり凄い事です。もしその外に生物が存在したらという事を前提に36言語が収められたテープが運ばれているという事です。勿論日本語もです。

 ダイヤモンドで出来ている星が存在しますが、何百光年先で発見されていますがこれを手に入れる事が出来たらという方もいますが、これを手に入れた瞬間にダイヤモンドはタダの石になります。それは希少性がなくなるからだという事はお解りいただけると思います。

 人類が発見をしたダイヤモンドが珍しい訳ではなく希少性は人類側で、ダイヤモンドは既に存在をし、大きく言えば人類よりダイヤモンドの方が存在としては大きいのです。ダイヤモンドは人類と違って絶対的存在として君臨している訳です。自然の中の絶対的存在とはその存在なくして、自然はあり得ないという事で、ものすごく大げさに大きく判断するとしたら、ダイヤモンドの存在が無ければ人類の存在はあり得ないという事に将来関連付けをされるかもしれません。

 昨年、イギリスのTVの特集でナノ技術を使ってダイヤモンドで癌を抑制するという仮説がたてられたという事を報道しておりました。案外本当かも知れません。人間もダイヤモンドも元は炭素という元素なのですから。

 一寸、飛躍しすぎましたか? 

2013年9月6日金曜日

良識!?

 昨日、ご来店をされたお客様から
『ファンシ―・イエローとベリーライトイエローはどう違うんですか?』
という質問を受けました。

 質問の趣旨はファンシー・イエローは高価で、ベリーライトイエローは安価な印象があるけれどどう違うのかということでした。

 このような質問をよくされる事がありますが、常々書いている事ですが改めて、説明すると基本は業界側が販売をしやすくする為に高価である事の基準に近いニュアンスを表現方法とし使用している為の誤解であります。

 本来ベリーライトイエローという表現はファンシーイエローのトーン(色合い)の低い物を表現する言葉でしたが、何時の日かグレードをDカラーから始まるメジャーの色合いの低い物を表現する言葉として使用するようになりました。それはDカラーがNO1として始まるとL、M,Nカラー等になるとグレード的な表現方法としてネガティブなイメージがあると勝手に思い込んだ人々が前述のような表現方法でそれを逃れようと目論み、たまたまそれが大手といわれる企業と鑑定会社が主体となっていたので一般化した訳です。

 いわゆる世界的に表現方法としては使用される事のない日本独自のグレードとして独り歩きし、経験少ない販売員たちがその表現方法を広めたという事です。

 以前にも書きましたが真珠の品質を表わす『花玉』という表現は本来、浜揚げした状態で手を加えていない上級品で入札などの基準になる物を表わす言葉ですが、今ではネックレスなった物や通販等で良く見かける表現となってしまいました。それ自体すでにその評価の範疇外である訳で
車の免許を持っていない人をF-1レーサーと言っているようなものです。

 また、ルビーの最上級品の色を表現する『ピジョン・ブラッド』というのも本来はミャンマーのモゴック地区の鉱山で採掘された物を前提としていましたが、現在はその近隣のものも含めております。
しかし、いずれにしても非加熱処理である事が前提ですが現在は加熱処理をしている物も一部の鑑定会社や業者は最上級品を表わす『ピジョン・ブラッド』という表現を使用しています。

 これらはいずれも国際的には認知されているにしても公的な表現ではないという事を逆手にとった表現方法であり、意図的である事は間違いがありません。そのような事を続けることは将来的にマイナスになる事が多いのですが、最近では海外の業者が活躍している事もあり、国内の将来を懸念するような事はないのでしょう。勿論、国内の業者も多いのですが、どちらにしても良識の問題という事になるのでしょうね。

 これを良しとするかどうかはあなた次第という事ですね。

2013年9月5日木曜日

北風と太陽!?

 商売というものは、物を必要としている人に必要としている物を販売するとい事ですが、単純にお腹のすいている人に食品を提供すればそれが商売になるし、頭の痛い人に薬を提供すればこれも商売になります。

 これらは当り前の事ですが、上手くいかない商売は扱っている物に必要性を感じてもらえていないからと単純に考えればよいのです。じゃあ、本当に必要とされていないのか?しかし、他では売れている・・ということのなると何かが足りないという事です。

 例えば、ダイヤモンドが売れない。当り前ですね・・普通に考えれば実用品のようにも見えないし、取り急ぎ必要なものとしても感じられない。では、今後ダイヤモンドの商売は無くなるのか・・という事になると、そうではないでしょう。

 必要と思ってもらえれば売れるという事になる訳ですが、以前は『婚約指輪はダイヤモンド』『給料の3ヶ月分が妥当な相場』というようにシンジケートを中心に業界が通説を作っており、それが出来ることが結婚を出来る条件といったような常識があった訳です。ですから婚約やプロポーズをしようと思ったらダイヤモンドは必須品だった訳です。昨今のチープ思想により若い男性は『そんなことに執着するような女はダメだ』みたいな自分の甲斐性のなさを押し付け、それに反応する女性はその事を口に出さなくなってきました。

 では今後どうすればよいのか?

 童話の中の『北風と太陽』にその答えはあります。つまり、北風が吹いて寒くなればセーターもコートも欲しくなる訳で、その反対に太陽が出て暑くなれば帽子も欲しくなれば冷感商品も欲しくなる訳です。

 ではどうすればダイヤモンドが欲しくなるのか?

 その為にはダイヤモンドとは何ぞや?という事と何故に必要かという事を理解して頂かなければなりません。ダイヤモンドというのはあくまでも感性としての商品ですから絵画や彫刻とも重なる部分があります。つまり素晴らしさの啓蒙があって感動を感じてもらう事が出来ます。生まれながらの感性でそれを感じる方は勿論いますのでそこには説明はいらないと思いますが。

 ブログをご購読頂いている方からご連絡があり、地方に住んでいるいるのでその地区の推薦できるお店を紹介して頂けないかといお問い合わせが以前ありました。勿論日本中のお店を存じ上げるわけがないので、『グレードや価格を中心に説明をするようなお店は避けた方が良いかもしれません』とお答えしました。なぜならお客様はそんなところに本当の必要性を感じてはいないからです。『良い品質でなければ』と言う御客様は確かにいます。しかし、これは本当に理解をしている訳ではなく過去の販売側のセールストークに乗って売るだけで希望の物を探したら、想像を超えた価格になり、買うのはやめたという例は良く聞きます。

 本質である『北風と太陽』の力のないお店はその力を付ける必要があるでしょうし、その力をつけれないところは説明をしなくても売れる商売に転身をした方が良いのかもしれません。その力を付けるのはプロフェッショナルの意識と努力があれば出来る事だと思います。

 商売はあくまでも高い所から低い所に流れる水のようなものです。その状況が作れなければ何事も難しいのです。

2013年9月3日火曜日

長所、短所と価値!?

 世の中に完璧なものがあるとしたら、その事が欠点になる事もあります。つまり、完璧なものはそれ以上の価値を創り出す事が出来ないので、そこに価値観というか興味をを持つ人は少くなくなると言えます。

 人類という自然の創作物は勿論完璧ではない故に価値を持ちます。というより人間以上に完璧なものを自然が作り出すことは不可能に近いと思います。ただし、今はその完璧な自然の創作物である人類の視点での価値観の話をしたいと思っています。

 物というものは長所と短所が組み合わされて、その物が本来持つべき本質に照らし合わせて価値が決まります。単純に言うとダイヤモンドは綺麗で希少性があり、耐久性があるという本質を損なわなければそこに完璧さは求められないという事です。つまり、短所としての認識がある内胞物であれ、それが長所である美観や耐久性を損なわなければ問題はないのです。

 世の中の物は長所と短所で出来あがっており、その割合によって価値が上がったり、損なわれたりするものです。

 私自身は長所、短所を併せ持つ事が物事の完璧だと思ってります。つまり、そのバランスで世の中は回っているのだと思っています。ゆえに冒頭に有る完璧なものはその事が欠点であるという考え方になっています。

 ただ、そのバランスが本来の価値を生み出しているのだと考えているという事です。その中で何が重要かというと地球上に存在するほとんどの物が変化なり、進化なりするという価値の中で不変であるという絶対的価値な価値も存在するという事です。そこには長所、短所の存在はありません。

 地球が存在する前から存在し、地球が破滅してもなお存在するであろう価値というものがあります。それは勿論ダイヤモンドで人類という奇跡の存在の後のダイヤモンドは研磨がされ、その前のダイヤモンドは自然が創りだしたままのダイヤモンドであり、人類が滅びたとしても研磨されたダイヤモンドは人類の存在を証明してくれます。

 その価値の大きさは正直想像を超えるものであると考えますし。書いている私自身ですら頭で解っていてもそれを測る手段を持ちません。なぜなら、この価値には人類にとっての長所も短所もないからです。つまり、人間の存在を超えた価値のなのです。

 人間がグレーディングによる価値をダイヤモンドに見出していますが、それはあくまでも各論的価値であり、総論的価値とは存在そのものであるという事を綴りたいのです。各論的価値をセールスポイントにしていても本来の価値を説明する事になりません。

 物を売るという事は購入者が必要性なり、価値を感じなければその衝動にはなりません。各論的価値というものはトレンドや時代によって変わり、実質的価値を持たなくなります。もし、説明をするのであれば総論的価値の方がより可能性を増す訳ですが、それは本当に難しい永遠の課題でしょう。しかし、驚いた事に経験からすると興味を持った人はそれを想像し、頭に浮かべる事も出来るのです。

 つまり、感性とは想像とか理解を超えた事を感じる事が出来るのですね。

 ダイヤモンドはその事を超えている価値がある事を述べたいのですが、うまく伝わったでしょうか?  また続きを書きます。