二週間連続で同じような感覚を懐きました。先週末ご来店頂いたお客様が2ctのラウンドのダイヤモンドをお探しで、店内のダイヤモンドをご覧になっていたところ3ctのプリンセスカット(スクエア)が気になったようで
『こちらはなんていうカットなんですか?キラキラしてとっても綺麗ですね。』
多少カラーのあるプロポーションの綺麗なものだったのですが、テリが強く、展示品の中でもひと際目を引くものだったので結果的にはそれをお求めになっていったのですが白い、円(マル)のダイヤモンドがお希望だったのですが、ローカラーではありましたがテリの強い大きな物になった訳です。先々週は多少色がありますがやはりテリのある1ctをちょっとかけるハート型のダイヤモンドが当初の円の白いものから変更された事は前回書きましたが今回もという事です。
1978年、春 ロサンゼルス
私が日本から渡米をして数カ月経った頃、ポンコツのフィアットを手に入れて、やっと自由にロサンゼルス市街を走れるようになった頃。『シアーズ』という大型安売り店に入りビックリした事がありました。
店内に入ってすぐにアクセサリーやインテリアと一緒に宝石売り場があったのです。真にスーパーの延長みたいな売り場の中にです。もっとびっくりしたのは2ctとか3ctのダイヤモンドがその中にはゴロゴロと飾られていた事です。
よく見ると黄色めなものではありましたが、日本で学んできたダイヤモンドの概念を取っ払わなければいけない瞬間でした。日本では婚約市場が大きかったこともあり、小さくて品質の良い白い物が主流であったし、大きくても2ctか3ctでしたが小さいものと同様に白くて品質の良いものばかりでしたので高額な上に誰でもが手に入れる事の出来るものではありませんでした。
しかし、ショーケースに入っているダイヤモンドはどれもこれも綺麗に輝いており、一種の迫力を感じた事を覚えています。業界に入った頃から一種の宗教のように小さくても白く品質の良い物をと教えられていた私はそんな種類のダイヤモンドを見る事もなかったのでビックリしたのを覚えています。
アメリカに暮らすようになると、多くの人が大きなダイヤモンドをしていて、アメリカの経済力の凄さをまざまざと見せられた思いでした。ある米国人の友人に尋ねると
『大きなダイヤモンドに限らず、大きな車や大きな家は成功のシンボルだからね。』
といわれ、なるほどと思ったのを覚えています。
さらにダイヤモンドの輸出をしていた彼は
『日本人は小さなダイヤモンドを欲しがるし、実際に当社から輸入する日本の会社もほとんどが0.2ctか0.3ctしか買わないからね。理解が出来ない事の一つだね。ダイヤモンドは大きい方が価値がある事は解っているよね。』
『勿論解っているけど。日本では一般的な考え方ではないね。』
と私が言った事を覚えています。
当時の米国では余程のダイヤモンドでなければグレーディングレポートはついておらずその事はあまり重要な事でもなかったのです。なぜなら自らの価値観で求めるものであって第三者の価値観で求めるものではなかったからです。
前述の例のような事を見ていると日本も変わったなぁ・・とつくづくと感じます。何よりもそれらのダイヤモンドを見ている顔が笑顔で幸せそうであり、見ているこちらもホッコリとした気持ちになります。自分の価値観で物を見るという事は心が素直であり、幸福を手に入れる第一条件だと考えています。俗世に生まれた現代人の中でその事自体を感じれる仕事をしている事は幸せです。
拝!!
『こちらはなんていうカットなんですか?キラキラしてとっても綺麗ですね。』
多少カラーのあるプロポーションの綺麗なものだったのですが、テリが強く、展示品の中でもひと際目を引くものだったので結果的にはそれをお求めになっていったのですが白い、円(マル)のダイヤモンドがお希望だったのですが、ローカラーではありましたがテリの強い大きな物になった訳です。先々週は多少色がありますがやはりテリのある1ctをちょっとかけるハート型のダイヤモンドが当初の円の白いものから変更された事は前回書きましたが今回もという事です。
1978年、春 ロサンゼルス
私が日本から渡米をして数カ月経った頃、ポンコツのフィアットを手に入れて、やっと自由にロサンゼルス市街を走れるようになった頃。『シアーズ』という大型安売り店に入りビックリした事がありました。
店内に入ってすぐにアクセサリーやインテリアと一緒に宝石売り場があったのです。真にスーパーの延長みたいな売り場の中にです。もっとびっくりしたのは2ctとか3ctのダイヤモンドがその中にはゴロゴロと飾られていた事です。
よく見ると黄色めなものではありましたが、日本で学んできたダイヤモンドの概念を取っ払わなければいけない瞬間でした。日本では婚約市場が大きかったこともあり、小さくて品質の良い白い物が主流であったし、大きくても2ctか3ctでしたが小さいものと同様に白くて品質の良いものばかりでしたので高額な上に誰でもが手に入れる事の出来るものではありませんでした。
しかし、ショーケースに入っているダイヤモンドはどれもこれも綺麗に輝いており、一種の迫力を感じた事を覚えています。業界に入った頃から一種の宗教のように小さくても白く品質の良い物をと教えられていた私はそんな種類のダイヤモンドを見る事もなかったのでビックリしたのを覚えています。
アメリカに暮らすようになると、多くの人が大きなダイヤモンドをしていて、アメリカの経済力の凄さをまざまざと見せられた思いでした。ある米国人の友人に尋ねると
『大きなダイヤモンドに限らず、大きな車や大きな家は成功のシンボルだからね。』
といわれ、なるほどと思ったのを覚えています。
さらにダイヤモンドの輸出をしていた彼は
『日本人は小さなダイヤモンドを欲しがるし、実際に当社から輸入する日本の会社もほとんどが0.2ctか0.3ctしか買わないからね。理解が出来ない事の一つだね。ダイヤモンドは大きい方が価値がある事は解っているよね。』
『勿論解っているけど。日本では一般的な考え方ではないね。』
と私が言った事を覚えています。
当時の米国では余程のダイヤモンドでなければグレーディングレポートはついておらずその事はあまり重要な事でもなかったのです。なぜなら自らの価値観で求めるものであって第三者の価値観で求めるものではなかったからです。
前述の例のような事を見ていると日本も変わったなぁ・・とつくづくと感じます。何よりもそれらのダイヤモンドを見ている顔が笑顔で幸せそうであり、見ているこちらもホッコリとした気持ちになります。自分の価値観で物を見るという事は心が素直であり、幸福を手に入れる第一条件だと考えています。俗世に生まれた現代人の中でその事自体を感じれる仕事をしている事は幸せです。
拝!!