ページビューの合計

2012年3月26日月曜日

本当のダイヤモンドリング

先日、スイスのジュエラーから150ctのダイヤモンドで出来た指環が公表されました。
ダイヤモンドそのものをくり抜いて作られたものですが、勿論、元々の原石に真中に大きな内胞物
があったとか何かの理由があったのだと思われますが思いきったものですね。

 一見ばかげた無駄の骨頂みたいな事ですが、宝石本来の意味を別にすれば小さくて、必要のない高価な物ですから、宝石自体その物が無駄なものという事になりますね。

 最近、以前の社会主義国家や半島の某やくざ国家といわれる国などの映像を見る機会が多くありますが、大きなビルが建ち、沢山のビルがそこには有りますが何故か荒涼としているような印象を感じるのは私だけでしょうか。

 確かに綺麗に整頓され、生活にされているそれらの景色ではあります。自由主義社会に有る様な無駄に見える華やかさがそこにはないのが要因でしょう。無味乾燥なその風景には我々日本人には何か背筋が冷えるものを感じます。

 一方、自由主義社会はと言えば過度の装飾や風紀の乱れなどの行き過ぎたものを感じない訳でもありません。無駄なものをどう捉えるかにもよりますが現代の社会にはこのような両極端な存在があるというのも不思議な気はしますが豊かさという事を考えると答えはおのずから見えてきます。

 人間生活の上で無駄と捉えるか、豊かさと捉えるかは別として必要不可欠なものであり、経済の大半は形のない物や、一方的な考え方をすると無駄といわれるもので世界は回っています。

 豊かさや無駄にお金が回る事により、世界の経済が担保されていると言っても過言ではないしょう。もとより歴史上続いている唯一の経済源は無駄に見える心の価値に対する対価である事を我々は忘れてはいけないのでしょう。

 一見、ばかばかしく見えるダイヤモンドのリングですが経済の象徴のように見えます。そして、ダイヤモンドはその延長線上にある事をご理解いただきたい。

0 件のコメント:

コメントを投稿