明けましておめでとうございます。
今年も一年ダイアモンドを通して色々と書いていきたいと思っています。
あくまでも私見を徒然なるままに書き記すだけですが・・。
正月、三ヶ日のTV放映の中で気になる番組がありました。BSですが侍スピリッツを
武士道を始めあらゆる武道をを通して海外に紹介し、放映したものでした。
番組の中でリポーターである外国人格闘家が彼の修業をしてきた空手と本来の原
点となる空手の違いを知っていくのですが、その中で何故鍛錬をして強くなる必要が
あるのかという問いかけに多くの鍛錬者は
『強くなり体を鍛錬し身体を武器にする事により、相手を傷つけず、相手から殴られ
ても我慢して耐えれる精神を鍛えるためです』
と答えておりました。
つまり、自分自身が強くあればいつでも勝てるという余裕が生まれ、結果として精神
的余裕が相手を攻撃しないという状況が生まれるという事ですね。
武士はなぜ鍛錬に励むかというと相手に刀を抜かさせない胆力と気力を身に
付けるためであって決して相手を傷つける為ではないという武士道に共通したもの
を感じます。それは術を鍛錬する事により道を究めるということでしょう。
精神的肉体的に何かを身につける事により、自信を持ち精神に余裕が持てる結果
むやみな争いを避け、また卑屈になる事はないという事でしょうか。
以前と言っても相当前ですが、上司に
『何故ダイアモンドを買うのですかね?』
と尋ねると
『ダイアモンドは単なる宝飾品を買うという事ではないよ。本物のそれなりのダイアモ
ンドを身につけるという事は持っている人の誇りなり、自信になるという事だよ。』
『自信ですか?』
『そうだよ。ダイアモンドをを持つ意味は色々あるけれど、一番には自信だよ。ボロ
着てても心は錦という言葉があるだろ。つまり、心の錦ではないけど目に見える錦
なんだよ。』
『つまり、自信を持てる物を持っていたら卑屈にならないという事ですか?』
『心の問題という事なんだけれど、相手の見る目という事もあるからね』
久しく思い出す事はありませんでしたが、この会話に近いものを前述の番組で感じ
ました。
ダイアモンドは確かに物ではありますが精神的な意味合いが多い事も事実ですか
ら、二つの話が『自信』というキーワードで繋がった訳です。
昨年の『絆』という言葉が出るたびにダイアモンドにまつわる話が出ておりましたが
精神的な意味合いも多いダイアモンドは既に『ダイアモン道』という事でしょうか。
新年一発目のダジャレかもしれませんが通ずるものはあると感じた三ヶ日でした。
0 件のコメント:
コメントを投稿