ハンコの廃止を河野行革大臣が提唱していますが、それはハンコがだめだという事ではなく行政の時間の無駄を言っていると思いますが、ハンコ議連の国会議員達はなぜか議論がずれている方にいっているようですね。
ここで考えなければいけないことは『無駄』という事ですが、実際には無駄が経済を動かしているのであって合理的な事ばかりを追っていると経済は回りません。実用性だけを追うのであればファッション業界はほとんど機能しないでしょう。
ハンコというものも無駄という事ではなく、その業界の考え方、次第ではいくらでも経済を回す要因にもなるのです。例えば特殊なハンコであれば高価であっても使ってみたいというようになるでしょう。生活の中で実用性だけを追うのであれば殆どの業界は成り立ちません。
ある意味『無駄』は人類にとって必要不可欠であり、大げさに言うと『無駄』が無いのであれば人間の生きる意味もない訳です。感情と意識の生物である人間は他人との差によりアイデンティティーを持ちそれが生きる意味だと考えます。
ダイアモンドというものは『無駄』と考えれば無駄なものですが、なぜに現実として世の中に流通しているのかというと過去には権力の象徴であり、それは社会を収める上で必要不可欠なものであり、現代においては財産であり、時には投資の対象にもなります。
象徴であったり、見栄であったり、贅沢であったり、趣味であったりと経済の源となるものの殆どがある意味『無駄』なわけですが、味気の無い食べ物、デザインの無い衣類、四角いだけの住まいといった衣食住だけでも生活は出来るわけですが、人には抽象的ではありますが『うるおい』が必要なわけです。そしてそれが経済なわけです。
ダイアモンドはある意味では実用性と情緒といった両面を持ち、経済の基盤である『無駄と実利』の両面を持った経済を象徴する典型的な物だと思っています。
AIとういうものはあくまでも利便性の範囲であり、絶対にAIが人を超えることはありません。それはAIは主役ではなく脇役であり、主役はあくまで人間だからです。つまりAIのシェアが増えすぎると経済が破綻をすることになる訳です。
デジタル化は一見無駄を省いているように見えますが実際には別に無駄と創りだしています。つまりAI化はイコールデジタル化とはならないのです。
デジタル化が進みペーパーレスと言われ始めてからどれくらい無駄な紙がどれくらい増えたかを考えても分かります。更に言えばデジタル化が進みその危うさゆえにどれ位の犯罪が増えたかを考えるとやはりそこには無駄が増えたように見えます。つまりデジタル化も経済を創りだしているわけです。
今後はデジタルとアナログの割合の塩梅を考えることが最も大事な事であり、どこまでもデジタル化が進めばよいというものでもありません。AIのゴールは無人化ではないのです。
経済はあくまでも『無駄』が回しているのであって合理性では経済は回りません。あくまでも利便性までがデジタルで進んでよい範囲なのでしょう。
ダイアモンドは『無駄』も『利便性』も持っている経済の象徴的な物だと言えるのです。勿論、多くの場合ダイアモンドの持っている側面を理解をしている方は少ないと思いますが。
0 件のコメント:
コメントを投稿