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2020年10月31日土曜日

宝石の今後⁉

 宝石の本来の価値でいえばあまり第一条件には持ってこられないのですが『換金性』というのが実質的価値と言って良いでしょう。他の『美観性』『希少性』『耐久性』『携帯性』といった条件に関しては実質的価値の上に乗っかっての物です。

 つまり、根本的には実質的価値というものはあまり表に出されてはきませんでしたから、それ以外の条件の曖昧とした情緒的価値である手に入れる人の誇りであったり、成果であったり、見栄なども含めた象徴的な物が価値のように創り上げられてきたものです。

 しかし、ここ数十年その創り上げられた価値を損なわんばかりの売り方をしてきたわけです。つまり、ダイアモンドのグレードというものを筆頭に真珠でいえば『花珠』を始めルビーの『ピジョンブラッド』のようなような本来の表現の意味合いとは違う内容で鑑定機関も巻き込んだ形で誤魔化しながら業界はここまで来ました。

 勿論、物事というものは何が真実かという意味では曖昧としていますが、過去の歴史を振り返ると何故に長い年月宝飾品が価値を持ち続けてきたのかという事を考えると、ある時は王位の象徴であったり、権力の継承者の証であったり、業績等の成果の褒章であったり、金メダルをはじめとした競技等の結果の証であったりと宝飾品としての意味合いを十分に造りあげてきたのです。

 それらが希少性を含む物語とか造りの技術とかいったその価値を語られること無く、価格と買い安さをアピールされながら販売が行われてきたのですからその価値は必然として本来の価値は失われてきます。

 実際には大粒ダイアモンド等の財産性や投資性などの本来の価値が謳われること無く、更にはそれ以外の情緒的価値さえも損なわれ、先人たちが創り上げた価値を積み木崩しがごとく崩しながら販売が行われてきたのが実情でしょう。

 今後はやはり、宝飾品としての本質に触れながら販売をしていくことが求められ、更には消費者を上回る知識を持つことが販売者に求められることでしょう。宝石、宝飾の新たな価値を創り上げる事が出来るかどうかにより業界が生き残れるのかどうかの試金石ともなるのでしょう。

 宝石の価値を語ることのできる人がひとりでも多く表れることを望んでやみません。それからの宝飾品なのですから・・・。

2020年10月29日木曜日

勘違い⁉

 新型ウィルス対策として今度の年末年始に17連休の提案ウィルス対策をしている政府ですがこの際のコメントで担当大臣である西村氏から『今回の提案に対して旅行業界からも好意的に受け止められている』との発言をし,まんざらでもないような顔をしていました。

 この人は何か勘違いをしているようですね。感染防止に対しての提案をするのに旅行を推奨するような発言をするという事は意味を理解していないでの担当大臣として発言をしているとしか考えようがないですね。

 本来感染防止であれば今回に関しては三が日の参拝は自粛をしてほしいという要望を出すか密集を避けるために臨時の参拝所を設置をするとかいうなら理解もしやすいので密集を避けるために休日を増やして旅行をしてくださいともとれる発言は何をかいわんやですね。参拝を分散してくださいで止めるのなら理解をしますが・・・。

 過去の例を見てもゴールデンウイークの自粛で第一波が収まり、お盆の帰省を控えた為に一時感染も低迷をしましたが『GO TO キャンペーン』が始まり、拡散が広がりを見せ政府が旅行や外出を促すたびに感染が広がった事実をもっと見つめる必要があるのでしょう。

 今の政府に関わらず現代の日本においてもっと本質的な事実と真実を見つめる必要があるのではと考えることが最近多くあります。経済と感染防止を共存という考え方に反対はありません。ただ、どちらに重点を置くかという事になると誰が考えても感染防止に決まっています。

 先日さるデパートさんでの事ですがお呼びが掛かってお客様にダイアモンドの説明をしてほしいとの事で先に説明をしていた販売員さんからバトンを受けお客様に対したところお客様から『どうしてこちらのダイアモンドはお高いんですか?』いう質問をいきなり受けフリーズしてしまいました。

 一呼吸を置き『どちらの物と比べてという事でしょうか?』という問いかけに海外のインターネットに出ている物と比べてという事でした。私はこの人は何を言っているのだろうと唖然としてしまいました。販売形態が変われば当然価格も変わるわけですが、インターネットのサービスと百貨店のサービスは当然違うし内容が全く違う事は現代人であれば当然理解をしていることです。

 それよりも不愉快というかこんな説明をしようがない内容を私に振った百貨店側です。本来であれば小売価格に関しては当然小売店が管理をするものです。現代においてはメーカーは希望小売価格でしか対応はできません。つまり、小売販売関してはどれくらいコストがかかるかは小売店自身でなければ解りません。それ故に価格の疑問がお客様から起きたときには小売店である百貨店が説明をするべきことなのです。

 前述の西村大臣にしても価格を尋ねたお客様にしても私に説明を振った百貨店のスタッフにしても大前提となる本質を勘違いした発言や行動は何でもかんでもデジタル化のせいにするつもりはありませんが、もう少し肌と肌を介した社会関係が必要ではないのかと感じるわけです。

 ダイアモンドの説明もデジタル化も否定をするものではありませんが、身の丈に合った環境というものが有るような気がします。『過ぎたるは及ばざるがごとし』ですか・・・。

 

 

 

2020年10月28日水曜日

今伝えたい事⁉

 新型コロナ禍の中イスラエルもやはり長きにわたりロックダウンをしてきましたが、まだ、ロックダウンは続くのですが先日大使館より連絡があり、入国許可が下りたという事でした。

 やっとイスラエルに渡れるという事でほっとしていたのですが、帰国後の14日間の隔離は必要だということでイスラエル国内では7日間限定で仕事をすることは出来るのですが、帰国後のスケジュールを全てキャンセルをしなければならないという事はよほど考えて渡航計画をしなければと思っています。

 今回はイスラエル国内の移動が多いという事とゴラン高原にも足を延ばすこととなっているので周辺のレバノン、シリヤ、ヨルダン等の国境付近もネット上で確認を行っていたところある記事が目に入りました。

 それは話には聞いていましたがレバノンの国境にいるシリヤの難民の子供たちの事で難民の子供達の誘拐が後を絶たないというものでした。

 その誘拐された子供達が発見をされるときには内臓を取り出され投げ出されているという事でした。難民たちは子供たちの臓器を売って生計を立てているという事は耳にしていたのですが、それはあくまでも取り出しても問題の無い臓器の話です。写真には身体が縫合をされている子供たちが写っていました。

 先進国では移植用の臓器を待っている子供達や患者が多くいることは認識をしていますが実態は綺麗事ではなく、一人の人間を助けるために一人の子供が犠牲になることへの疑問を感じるわけです。

 中国では臓器売買の為の子供の人身売買が行われているという事は知っている人も多いと思いますが、シリアという私自身にとっては遠い国と感じていない国なのですが、そこの難民の子供達の臓器を商売目的で誘拐し殺傷をするという極悪人達がいるという事実を知っている人は少ないのではないでしょうか。

 飢餓に苦しんだり生きる環境が難しい子供達への支援は多く聞きますが体を切り刻まれている子供達のことが報道されることはあまりありません。

 人間という残酷な生き物を俯瞰してみることはあまり機会としてありませんがこの様な記事を目にすると・・・・・。

 一方では不幸にも病気なり怪我なりで臓器移植による手術を待っている人がいて、その人を助けるために臓器手配が行われ、そこに違法に暗躍をする密売業者がおり、それを如何にも合法がごとく表に出し、完治を皆でお祝いをする先進国がそこにはあるわけです。

 難民の子供が殺されその臓器が高額で売買される真実をもっと世界に広めることは出来ないだろうか?

 普段恵まれない子供達の為のチャリティーで末席を汚している立場ではありますが、それ以前の人間としての考えなければならない事を感じた時間でした。

2020年10月10日土曜日

ダイアモンドが経済⁉

 ハンコの廃止を河野行革大臣が提唱していますが、それはハンコがだめだという事ではなく行政の時間の無駄を言っていると思いますが、ハンコ議連の国会議員達はなぜか議論がずれている方にいっているようですね。

 ここで考えなければいけないことは『無駄』という事ですが、実際には無駄が経済を動かしているのであって合理的な事ばかりを追っていると経済は回りません。実用性だけを追うのであればファッション業界はほとんど機能しないでしょう。

 ハンコというものも無駄という事ではなく、その業界の考え方、次第ではいくらでも経済を回す要因にもなるのです。例えば特殊なハンコであれば高価であっても使ってみたいというようになるでしょう。生活の中で実用性だけを追うのであれば殆どの業界は成り立ちません。

 ある意味『無駄』は人類にとって必要不可欠であり、大げさに言うと『無駄』が無いのであれば人間の生きる意味もない訳です。感情と意識の生物である人間は他人との差によりアイデンティティーを持ちそれが生きる意味だと考えます。

 ダイアモンドというものは『無駄』と考えれば無駄なものですが、なぜに現実として世の中に流通しているのかというと過去には権力の象徴であり、それは社会を収める上で必要不可欠なものであり、現代においては財産であり、時には投資の対象にもなります。

 象徴であったり、見栄であったり、贅沢であったり、趣味であったりと経済の源となるものの殆どがある意味『無駄』なわけですが、味気の無い食べ物、デザインの無い衣類、四角いだけの住まいといった衣食住だけでも生活は出来るわけですが、人には抽象的ではありますが『うるおい』が必要なわけです。そしてそれが経済なわけです。

 ダイアモンドはある意味では実用性と情緒といった両面を持ち、経済の基盤である『無駄と実利』の両面を持った経済を象徴する典型的な物だと思っています。

 AIとういうものはあくまでも利便性の範囲であり、絶対にAIが人を超えることはありません。それはAIは主役ではなく脇役であり、主役はあくまで人間だからです。つまりAIのシェアが増えすぎると経済が破綻をすることになる訳です。

 デジタル化は一見無駄を省いているように見えますが実際には別に無駄と創りだしています。つまりAI化はイコールデジタル化とはならないのです。

 デジタル化が進みペーパーレスと言われ始めてからどれくらい無駄な紙がどれくらい増えたかを考えても分かります。更に言えばデジタル化が進みその危うさゆえにどれ位の犯罪が増えたかを考えるとやはりそこには無駄が増えたように見えます。つまりデジタル化も経済を創りだしているわけです。

 今後はデジタルとアナログの割合の塩梅を考えることが最も大事な事であり、どこまでもデジタル化が進めばよいというものでもありません。AIのゴールは無人化ではないのです。

 経済はあくまでも『無駄』が回しているのであって合理性では経済は回りません。あくまでも利便性までがデジタルで進んでよい範囲なのでしょう。

 ダイアモンドは『無駄』も『利便性』も持っている経済の象徴的な物だと言えるのです。勿論、多くの場合ダイアモンドの持っている側面を理解をしている方は少ないと思いますが。

2020年10月7日水曜日

イスラエルワイン(2)⁉

  イスラエルワインの本格的な幕開けは建国後の1983年設立のゴラン・ハイツ・ワイナリーのワイン造りでしょう。米国のカリフォルニアから導入されたカベルネ・ソーヴィニオンなどのボルドー品種の栽培醸造技術は世界中から注目されることとなり、その後90年代に入るとゴラン高原以外の各地でもブドウ栽培や醸造が行われ、現在ではブティックワイナリーを含む300を超えるワイナリーが存在しています。

 現在では多くの国際コンクールで受賞をするイスラエルワインは少しづつ我が日本でも販売をされるようになりましたが、世界に比べてまだまだ知名度が低いのも事実です。

 私自身がイスラエルワインの評価をすることはおこがましいのですが、一番の魅力はその物語でしょう。現代のボルドー品種に加えアラブ軍の攻撃で根こそぎ抜かれた古代品種を現代のイスラエルの最先端技術により発見された種のDNAを培養し現代に再現させたワインの醸造などが行われているという事でしょう。

 あのダビデ王やイエス・キリストが飲んでいたであろうワインが現代に蘇っているのです。それは聖書の中だけではなく、ダ・ヴィンチの描く絵画の世界の中にも現代の我々が浸れる瞬間でもあるわけです。

 古の時代へ想いを馳せながら味わうワインは他国のワインとはまた別の意味合いがあり、ワインの味わい方の一つであると考えるわけです。つまり、古代品種に関わらずイスラエルワインの特徴は聖書の世界と最新技術の融合する現代のワインともいえるわけです。

 私自身は新世界のジャンルに仕分けされるイスラエルワインは本来であれば旧世界のジャンルに入るものだと考えますが、フランスやイタリアなどの旧世界のワインに比べ環境や伝統・経験を生かしているというよりもユダヤ人の持つ最新テクノロジーを生かしているという意味では米国やオーストラリアなどと同様の新世界に仕分けされることはやむを得ないのかとも思います。

 イスラエルワインの発展に寄与しているのは多くの場合前回に記したエドモンド・ロートシルト男爵(ラフィット・ロートシルトのオーナー)などのように世界的に有名なフランスなどのワイナリーのオーナーがユダヤ人であるという事も大いに関係しているでしょう。

 因みにロートシルトは英語読みではロスチャイルドと読み皆さんがよく知っているユダヤ人の名前になります。その後も多くのユダヤ人のワイン造り手が世界中からイスラエルに戻りその発展に寄与したことは想像に難くないでしょう。

 現在では1882年い設立されたロートシルトの『カーメル』とゴラン・ハイツ・ワイナリーを2大ワイナリーと言っても良いでしょうが、それに続くワイナリーが続々と現れて今では多くのブティックワイナリーも世界中のワインコンテストで金賞などを多く受賞していますのでとても飲みごたえのあるワインが多くあります。

 ぜひ皆さんも一度は試してみてください。

2020年10月6日火曜日

イスラエルワイン(1)⁉

 最初にイスラエルに行ってから約45年という月日が経ちましたが、多い時には年間13回イスラエルに渡るという時もありました。ある時パスポートコントロールで係官に声を掛けられて 

『貴方が外国人でこの一年間で一番イスラエルに出入りをした人ですよ。』と言われ冗談で

『何かご褒美でもあるの?』というと

『上等なワインでも差し上げましょうか。』と笑いながら答えてくれた時に初めてイスラエルのワインを意識しました。

 本来ワインも飲みますがビール党であった私は殆ど一人で食事をすることが多く、イスラエルのビールは日本の物に近く日本と同じように冷やして(当時殆どの国は常温でドイツにいたっては温めてありました)提供をしてくれるという事もあり、食事の時は殆どビールを飲んでおりました。

 係官の言葉をきっかけにイスラエルのワインを飲むようになり、この国のワインの上等さを知ることとなり、この事もきっかけとなり、ワイン・エキスパートの資格も取る事になりました。

 初めて聞かれた方はびっくりするかもしれませんがイスラエルのワインの歴史は古く旧約聖書の中ではあの有名な『ノアの箱舟』のノアはとてもワイン好きな飲んベイであったことも記されていますし有名なダ・ヴィンチの『最後の晩餐』ではキリストと12人の弟子たちがワインを傾けているところが描かれています。

 つまり、聖書の地であるイスラエルのワインはフランスやイタリアよりはるか以前からワイン造りが行われてきたわけです。しかし、5000年の歴史を誇るともいわれているワイン造りはアルコールを否定していたイスラム教に支配をされていた1200年の間すべてのワイン用のブドウの木が引き抜かれ、ワイン造りが行われてきませんでした。

 近代イスラエルワインが再興されたのは1882年フランスの有名なシャトー・ラフィット・ロートシルトのオーナーであるエドモンド・ロートシルト男爵の手によって行われたのです。

 

次回へつづく・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年10月1日木曜日

ダイアモンドの価格⁉

 ダイアモンドの価格がここ5年間下がり続けたいたことは以前にも書いていますがここにきて上昇をしている部分があります。

 先日 デ・ビアスとアルロサが1ct以下の原石の価格を下げるという事を発表したばかりですがこの辺が現在のダイアモンド価格の彩というかダイアモンドをもっと分析したうえでセグメントをする必要があるところでしょう。

 1ctから1.5ctのところのGカラーアップ SI1アップのところが米国で品不足とともに価格の上昇がみられます。これは今回のCOVID19の影響であると言われています。最近の傾向に見られることですが災害や大きな事件の時にはブライダルが売れる傾向にあります。

 実際に日本でも3月以降ブライダルが好調という事もありますが、これは勿論新型ウィルスの影響であり、 東日本大震災の時も同じような傾向がありました。更に言えば9・11貿易センターテロの時にも同じような現象が起きました。

 人々の心が不安定になるときにお互い寄り添おうとする心理が働き『絆』を深めておこうという事になるのかもしれません。

 ダイアモンドの価格の変動は更に大きなサイズのところにも表れています。これは金融がらみとなり資産性や投資といったダイアモンドの側面が現在の金融市場の動きと連動をしていることは明らかです。

 前述のそれではなぜに大手鉱山会社が原石の値下げを発表したかというとブライダル市場も多層化をしていてある一定の業界(IT関連等)はやはりバブルに近い状況にありますが一般の市場は極めて不況と言ってよい状況にあります。

 つまり、恵まれた若者層とそうではない若者層が極めて明確に存在し、その差がブライダル市場に出ているのだと思われます。

 現代のダイアモンドの価格は決して画一化されておらず、以前の様なシンジケートが価格をコントロールしていた時代とは異としており、ある意味市場原理により価格が決まってきますので健全であるともいえるわけです。その意味では一般的な1ct以下のサイズに関しては経済状況に極めて影響をされるという事でしょう。

 つまり、ブライダル市場、情緒市場、財産市場、投資市場とダイアモンドはどの部分での取り組みをするかでマーケット価格をみなければならなくなったと言えるのです。