ページビューの合計

2019年3月27日水曜日

投資運用としてのダイアモンド⁉

 現在、投資、運用の両面としてのダイアモンドの取り扱いを行っているのですが、ここ数年とても活発に動いていた市場ですがここにきて若干の停滞を迎えています。その大きな原因の一つとして投資市場の不安定さでしょう。

 多くの場合ダイアモンドは最後の投資運用物件になります。つまり、他の投資市場が活発な時には同じくダイアモンドの動きも活発なのですが全体の市場に暗雲が立ち込めるとやはりダイアモンドも動きが鈍くなります。

 しかし、ダイアモンドには更なる他にはない動きがあります。それは更に動きが鈍くなるとダイアモンドが動き始めます。これは近代の投資用ダイアモンドの特徴です。以前であれば戦争が起きたり国情が不安定になると投資用ダイアモンドの価格は跳ね上がりましたが、これは理屈も簡単で安全資産としてのダイアモンドの地位みたいなものだったわけです。

 近年は投資市場のIT化が進められ世界中どこへでも一瞬にして投資を行う事が出来るようになりました。それ故に資産の非難が容易になったという事もあり、必ずしも有効動産であるダイアモンドへ目を向けることが、特に若い資産家はなくなってきたのです。

 日本では元々動産としてのダイアモンドの地位はそれほど高くはなく、むしろ贅沢な厄介ものみたいな空気が一部の人々にはあります。しかし、日本においても最近では投資用というよりも財産の保全という意味での取得という事も多くなり、事情は少しづつ変わってきたという認識があります。

 実際に私自身のビジネスのメインになっているといっても良いでしょう。特にマイナンバーの普及を政府が急いでいることも有り、多くの銀行口座はマイナンバーと連動するようになってきていますが、ここにも事情があるようです。

 現在、財務省では口座の預金残高に対して課税をするという政策を練っているようです。つまり、不動産に対する固定資産税の課税があるように流動資産税なるものを画策しているわけです。
 これと似たようなケースとして昨今話題になった仮想通貨の利ザヤに対する課税が話題になりましたが、理屈から言うと同じようなことです。この利ザヤに関しては単年度ですがこれを恒久的なものとしてとらえようという事なのでしょう。

 この動きが公になってくるとダイアモンドの需要は増えてくる可能性はあります。ダイアモンドには資産としての課税がされると事は今のところありませんから可能性はあります。というよりそうすべき時代が来ると確信しています。
https://ameblo.jp/diamonrow
 

2019年3月26日火曜日

利便と懸念⁉

 ここのところイスラエルでの利便性や昨今のAIやITのおける懸念を書いてきましたが、現在国連において自立型兵器の規制や開発の抑止をテーマに議論が繰り広げられていることはあまり知られていません。

 利便性でいえば生活が豊かになるという前提ですが、AIやITが進むことにより世界が共通のいわゆる道具を持つことになります。本当にそれが生活が豊かになるという事かという疑問がどうしても脳裏をかすめるのです。つまり、生活の豊かさというものは世界共通なのかどうかという事も含め、その豊かさというものが疑問なのです。

 現状世界中の夜景のすばらしさはLEDを中心にしたコンピューター制御のライトアップです。つまり。AIやITにある意味任せた人口の夜景です。確かに綺麗ですがなぜか感動が深くありません。それは同じ景色が他でも見られるような気がするからかもしれません。当然人口のものですからどこででもみられるものになる訳です。

 世界はお国柄というものを前提に文化や個性が成り立っています。それらの消滅はAIやITにより行われるのではないだろうかという懸念があるのです。いわゆるお国柄の文化や景色、個性がそこにあり人間の感動というものも深くなるのだと思うのです。

 これらの部分であればまだ許容範囲かもしれません。しかし、前回も書きましたが全自動の自動車が本当の意味での自動車。つまり、AIが搭載された車が出来上がる途上にあります。既にこれらがハッキングの脅威にさらされていることは周知の事実です。人間の開発スピードを超えたAIのハッキングソフトはいとも簡単に出来上がります。つまり、コンピュータで出来上がった車はAIの攻撃により大事故を起こすことも可能なのです。

 冒頭に書いた自立型兵器は正にAIを搭載した人間の判断を必要としない兵器です。ドローン型や戦車型等々はすでに開発段階を経て完成間近となっていますがその規制はありません。

 テロ対策として顔認証し、テロリストを特定攻撃が出来るというものですが、顔認証を書き換えられたらどうすのだろうという事も考えます。

 本当にこのままの進化という恐怖を放っておいてよいのだろうか?

 子供たちの人間教育も含めてこのままで良いとも思えません。政治家にもAIを加える時代が来る必要性があるのかもしれません。

 しかし、それも良いことだとは思えません。
https://ameblo.jp/diamonrow

2019年3月23日土曜日

人間のスピード⁉

 最近、仮想通貨のブロックチェーンが18歳の少年に破られ通貨を盗まれたという事件がありましたが、私自身は当初仮想通貨に対してはブログ上でも肯定的なことを書いていました。

 AIのスピードという概念なくして考えていましたが、AIのスピードは勿論人間の計算スピードをはるかに超えることも理解をしています。しかし、実際には経験値のない速さでAIは進歩をしているわけです。

 生まれた時からAIに接している子供たちはそれを駆使することを学んでいますので(勿論特殊な子供達ではありますが)既存のどんな優れた人々が考案をしたものでもあっという間に超えていきます。その結果安全を前提とした仮想通貨のシステムをあっという間に十代の少年がゲーム感覚で破っていったわけです。

 最近の欧米の車はナビではなくインターネットを搭載した車が多くなってきていますが、車とネットを結び直接搭載ナビではなくいつでも最新ネットの地図情報でドライブをするケースが多くなってきています。

 しかし、ここにきてその車自体をハッキングする事態が生まれてきています。つまり、現在の車はコンピューターにより制御されていますのでネットを通してその車を制御することが可能になる訳です。

 現在、全自動の車が開発を進めていますが、これらの車は勿論コンピューターで制御をされるわけですが、車を開発している間にそれらを制御するソフトやアプリも開発をされているわけです。

 つまり、人間がモノを開発するスピードよりもAIが創りだすものの方がはるかに早くなっているわけです。これは勿論AIというものは人間が開発をしたものを追っかけていく訳ですが、その積み重ねの結果人間を出し抜く時代に入ったともいえるのです。

 進化することは大事です。しかし、人間に適したスピードというものが有ります。勿論今後はその対策も取られるのでしょうが、AIはあっという間にその対策をクリアしていくことでしょう。だからと言って車と外部を繋げなければ全自動の車は成り立ちません。

 AIの進化が過ぎると人間が退化をすることは過去の歴史が教えてくれています。ここで立ち止まらなければと取り返しの付かないことが起きるような気もします。
https://madam-g.blogspot.com/

2019年3月22日金曜日

好きな事⁉

  昨日、シアトルマリナーズのイチロ-選手が引退の発表をしましたが、一野球選手の引退というよりも一つの歴史を見ているような気がしました。

 誰もが時を経て一つの区切りをつけなければならない時が必ず来ます。それが次へのステップに見えるのか退く姿に見えるのかは人それぞれだとは思います。しかし、彼のその姿は退く姿というよりも道程にさえ見え、シネマのクライマックスシーンのようにも見えました。

 確かにオープン戦を見ている時から『おやッ?』と思えるシーンが何度かありました。やはり、動体視力の衰えは気が付かないうちにあったのでしょう。体の衰えは自覚がしやすいものですが眼の、特に動体視力に関しては気が付きにくいものです。

 多くの人はある年齢になると目が見えにくくなったり、近くのものがぼやけたりと気が付きやすい変調は解るのですが事動体視力に関しては一般の生活をしている分にはなかなか気が付きません。

 野球選手の中でも多くの普通の選手は体力の衰えを感じ引退するのでしょうが、イチローレベルになると体力の衰えではなく一瞬を見極める動体視力が大事なのでしょう。しかし、それはなかなか気が付きにくく彼もそれを気が付いているかどうかは解りませんがそれが引き金になっていることは間違いがありません。

 私の仕事自体も動体視力が重要な仕事です。つまり、沢山のダイアモンドを見るには焦点距離をいかに早く合わせる事が出来るかどうかという事になります。若き頃1時間で平均400ピースのダイアモンドを見ていたのですが、ある年齢に達したころには1時間で280~300ピースに落ちていることに気が付きました。一個一個見ているときには気が付かないのですが時間単位で見ていると明らかに処理個数が減っているのです。

 それに気が付いた時にはショックというよりそろそろスタイルを変えなければいけないなと思った記憶があります。大量に取り扱う事から内容で扱うようになったのはその頃からです。

 また、イチロー選手が記者から『現役で貫き通したことは何ですか?』という質問に彼は
『野球を愛し続けれたことです。』と答えていましたが、

私自身が『なぜ仕事をしているか?』と聞かれるとイチロー選手ではないですけれど『ダイアモンドの仕事が好きだから』という事になるのかもしれません。

彼も常々子供たちに言っていました。
 『自分が夢中になれるもの、本当に好きなものを見つけなさい。』

 私自身も知らないうちに好きな物を見つけていたのかもしれません。
https://madam-g.blogspot.com/

2019年3月19日火曜日

ダイアモンド取引所⁉

 イスラエルに来るのは殆どがダイアモンドのビジネスが目的ですが街中で40年余り前初めて来た時よりここ数年の変化に目を見張ることがあります。

 一つには世界トップクラスのITによる変化です。街中にはレンタルサイクルがそこいら中においてあり、さらには同じくキックボードがあります。これらは電動でGPSが装備されているのでどこで乗り捨ててもよいわけです。さらにはクレジットカードやスマホによる登録で都合の良い場所で見つけたものを使用してもよいわけです。クレジットカードのスキャンやQRコードも読み込みにより使用することが可能なわけです。



 勿論これらの変化だけではなく、町中にAI、ITが最大限に生かされた機能が充満しているわけです。我々のビジネスにおいても例外ではありません。

 テルアビブのダイアモンド取引所においても出入りするすべての人間は指紋認証の必要があります。メンバーの場合はあらかじめ発行されているIDカードにより入場し、セキュリティーを通過し、そのカードによりタッチしたセンサーにより起動した指紋認証により入場をします。

 さらにエレベーターも乗る前に降りる階をタッチパネルにより選択しエレベーターを待ちます。それ故にエレベーターの中には行先ボタンはありません。

 さらに昨今のマネーロンダリング問題もあり、取引をされたインボイスは自動的に取引所事務局と所内の取引先銀行に連動し、事務局と銀行が税務署の役割も担っています。つまり、あとで奇妙な数字の動き方をするとすぐに解ってしまします。勿論税務署もありますので最終的に三者間で適合しなければなりません。

 それらは殆どがこの国のテクノロジーにおいて行われています。もしかしたら世界でも生活においてはある意味最も進んだ国かもしれません。あとは細かい衛生観念と時間に対する意識かもしれませんが、のんびりとした就労姿勢はむしろ人間にとっては良いのかもしれないと日本人の私は思うわけです。
https://ameblo.jp/diamonrow

 

2019年3月15日金曜日

人造ダイアモンド元年⁉

 今朝TVで『合成ダイアモンド元年』というタイトルでオンエアがありました。私はあえて合成ではなく人造という言葉を用いているのですが、それは本物に似せる為に作られた異成分の物を以前は合成と表現をしており、今話題そのものは明らかに天然ではないものの本物です。

 その人造のダイアモンドについてのレポートではあったのですが『元年』という表現もいささか首をかしげるわけですが、現在この件を話題にしたがっている人々(扱おうと思っている人も含めて)の知識不足であることからセンセーショナルに扱われています。

 以前なら述べているように人造ダイアモンドに関しては米国を筆頭に二十数年の歴史を持ちネット上でもディスクローズされてきていたことで、日本でもすでに2010年にはGIAにより国際宝飾展を始めあらゆるところで公表をされていることです。

 ただ興味のない人や勉強不足の宝石店等が多かったことは事実です。更に番組の中で京都の老舗宝石店が取り扱いを始めたという事でレポートがあったのですが、その中でそこの社長と名乗る人が『我々でも間違えることがある』という表現をしておりましたが、そのような無用な発言が消費者に不信感を招くのです。本当にこの店で扱っていて大丈夫なのだろうかとさえ感じました。

 実際には真贋を判別することは国内大手の鑑定会社であればほぼ100%に近い確率で可能です。それ故に今後は真贋に関しては一流鑑定会社の鑑別書を必要とするでしょう。勿論グレードに関しては別問題ですが・・・。

 その中でも女性は自分で買うのなら人造でも良いが貰うなら天然に限るという本音を漏らしていましたが、この先宝石の販売員が知識をつけていくとまた違った形位になるのであろうと思っています。何故なら元々宝石というのは心も問題であり価値観です。さらにそこに加わったのが換金性という宝石の条件が出てくるわけですから、その両方を保有しない人造石に関してはどちらも得ることのできない単なるアクセサリーとなるのでそこに果たして高額を本当に支払うのでしょうか?

 前回にも書きましたが世界的にはすでに価格の下落は始まっています。しかし、スワロスキー等のアクセサリーブランドはガラスでさえあそこまでのプロモーションで高額販売をしておりますので人造ダイアモンドのブランド販売に関してはそれなりの成功を収めるでしょうが、その力のないところは行く末に困難が待っていることは否めないでしょう。
https://ameblo.jp/diamonrow

2019年3月7日木曜日

裏と表⁉

 昨日カルロス・ゴーン氏が保釈となり、拘留期間の長さに対して内外から批判や賛否のこの声が上がっていました。拘留は勿論逃亡や証拠隠滅更には関係者との口裏合わせから隔離するために捜査期間中の行われるのですが、ここで疑問があります。

 奇遇という訳ではありませんが同日に森友問題の籠池夫妻の裁判が始まりました。無論当たり前のことではありますが、決して彼らの理屈を容認しているわけではありません。疑問は彼らの拘留期間はゴーン氏の3倍にあたる300日という事です。

 ゴーン氏のケースは海外に関わるケースも多く、捜査にも時間や検察の手の届かない人々も対象になりますから理解が出来るような気もします。

 しかし、籠池夫妻の場合は殆どの対象相手が役所であったり、役人であったりする訳ですから本来逃亡は別にしても証拠隠滅や口裏合わせはほとんど考えられません。ましてや結審をするまでは推定無罪の原則で考えれば懲役に近いような日数を拘留しているわけです。

 その間には実効性を疑われる役人の処分や移動が行われてきました。一方の対象者たちの役職や担当が変わり実態が変更されているのに何のための拘留だったのであろうと考えるのはおかしいのだろうか?

 籠池夫妻の実態も知らないし、メディアを通しているだけではそこのところは解らないし、知りたいとも思いませんが、拘留理由に関しては本当に理解が出来ないと考えるのは普通の事だと思っています。

 彼が言うように国策拘留なのかどうかは解りませんが、物事には裏表があることは子供ではないので理解をしていますが。この事に関してはあまりにも合点がいきません更には各メディアもゴーン氏の拘留に関しては疑問を投げかけていましたが、こと籠池夫妻に関しては何らインフォメーションがありません。

 もし国策としたならば何を隠し、何を裏で行ったのかを考えると安倍首相に突き当たることは容易なことです。もう既に終わったかのようになっている森加計問題はもう一度掘り下げる必要があるのではないかと考えます。

 最終的に安倍夫妻が関わっていなかったとしても『忖度』のみでそこまで行われてきたのならその方が大きな問題ではないだろうか。
https://ameblo.jp/diamonrow
 

2019年3月4日月曜日

AI,ITの意味⁉

 昨今は勿論IT があり、AIがあることは当たり前で世の中は非常に便利になったと思う反面怖さも感じています。

 AIは過去のデーターの積み上げから瞬時に判断を下し、更には反応をする人工頭脳であることはご存知の通りであり、ITはアナログ、デジタルに関わらず情報を素早く運ぶ情報技術であるわけです。

 そしてこれらが現在の社会を司っているといっても過言だはないでしょう。そしてこれらの恩恵を受けて手間暇が省かれていることも事実です。そしてそれを社会の進化というのでしょう。

 ただ手間暇に割かれる時間というものは決して省かれてよいものだけではないと感じています。何故なら子供たちはその無駄に見える手間暇を学ぶことにより生きていく力を身に着けていくものと思っているからです。

 AI,ITが進むことは決して悪いことではありません。しかし、その進化の陰で人間の退化が始まっている事実を見据えて未来を考えるべきでしょう。時に良いことかどうかという事を一度立ち止まって考える必要があるのではないかと思うのです。

 すべてが自動化し、手足を使わなくても生活できることは便利です。大体、本当に健常な人々までにその恩恵が必要なのでしょうか?

 身障者やお年寄りに掛ける能力を補足し、一般生活に障害がないという意味でのテクノロジーとしては理解できますが果たしてそれ以上の進化は必要なのでしょうか?

 身近な例でいえば私たちが若き頃は営業に出ても顧客の電話番号を始め関係各所の100件以上になる電話番号を普通の事として覚えていました。しかし、プッシュフォンの短縮番号、携帯電話、スマホと進化するうちに番号を覚える能力がどんどん無くなったような気がするのです。

 子供たちの前頭葉に萎縮現象が見られるという恐ろしいデーターがアメリカの研究チームから出ておりました。原因の一つとしてスマホのゲーム等が考えられるそうです。今の子供たちは辞書を開く必要がなく暗算をする必要もなく、物を数える必要もないのです。

 手間暇とはある種の経験であり、知識なのです。それは生きる原点を覚えるという事でもあります。電気が止まっても生きていく力であり。災害にあっても耐えていく力なのだと思っています。

 進化を否定する訳ではありません。しかし、それは人間のペースでの進化であり人間のついていけないAIのペースであってはならないような気がします。

 人類が失っていく能力を補う進化であれば問題はありませんが、人間の能力を奪っていくような進化は問題です、特に子供たちには手間暇を掛けることを覚え、その上での知恵と経験を学んでほしいと考えるのです。

 デジタルとアナログの共栄こそが文化の進化なのだと考えます。
https://ameblo.jp/diamonrow