普段から自分自身がダイヤモンドを見る時にルーペを通した内側や数字を通した市場を見る事が通常となっていましたが、ここ2.3年小売りにも携わるようになり消費者の目線でも見るようになった事がある種、今のダイヤモンドに対する考え方になっています。
ダイヤモンドの内側に見える物は自然を前提とした価格の評価基準であり、人間の技術を前提とした評価なわけで、それに現在のマーケット状況を掛け算している世界を見ている訳です。
しかし、一般の人々が見ている世界は、いわゆる外側はもっと大きな世界観であるような気がします。内側を見る事は減点を前提に見る訳ですが、外側を見るという事は加点に掛け算をする世界で、見る人によってもその見え方が違ったり、その時の状況によっても見える物が違うように思われます。
減点をするイコール欠点探しをする訳ですが、自然に対して欠点を探すという考え方に疑問を持つようになったのは、恥ずかしながら小売りに接するようになってからです。しかし実際には永い間疑問に思っていなかった訳ではありません。
ローカラーのダイヤモンドの方に魅力を感じたり、ピケと呼ばれる内胞物の多い物の方がより光を放っていると感じたりといささか自分の学んだ事との差を感じてりしていたことも事実でした。
多い時には一万個からのダイヤモンドを肉眼で検視していた訳ですが、時には選り分けた石にルーペを通してみるととてつもなく内胞物があったりする事もありました。
内側を見る事は理論的であり、外側を見る事は情緒的であり、感性的な部分があります。ある意味際限はありません。人間が価値観を感じる物である以上は外側からの見方が常道であり、その裏付けや確認として内側を見るという事だと思います。
しかし、現状はそのどちらでもなく定義付けられた完全ではない論理によって価値付けが行われています。その事がどの様にでもとれる価値観を作ってしまったのでしょう。結果的には皆が認識しやすい値引きやディスカウント表示を使うのですが、その事は根拠のない価格を前提に値引きを行うので(勿論売り手には根拠はあるのですが)不信感が募る訳です。
いずれにしても小売りに携わるようになるとやはりダイヤモンドの美しさの原点は外側にある事が実感できます。
ダイヤモンドの内側に見える物は自然を前提とした価格の評価基準であり、人間の技術を前提とした評価なわけで、それに現在のマーケット状況を掛け算している世界を見ている訳です。
しかし、一般の人々が見ている世界は、いわゆる外側はもっと大きな世界観であるような気がします。内側を見る事は減点を前提に見る訳ですが、外側を見るという事は加点に掛け算をする世界で、見る人によってもその見え方が違ったり、その時の状況によっても見える物が違うように思われます。
減点をするイコール欠点探しをする訳ですが、自然に対して欠点を探すという考え方に疑問を持つようになったのは、恥ずかしながら小売りに接するようになってからです。しかし実際には永い間疑問に思っていなかった訳ではありません。
ローカラーのダイヤモンドの方に魅力を感じたり、ピケと呼ばれる内胞物の多い物の方がより光を放っていると感じたりといささか自分の学んだ事との差を感じてりしていたことも事実でした。
多い時には一万個からのダイヤモンドを肉眼で検視していた訳ですが、時には選り分けた石にルーペを通してみるととてつもなく内胞物があったりする事もありました。
内側を見る事は理論的であり、外側を見る事は情緒的であり、感性的な部分があります。ある意味際限はありません。人間が価値観を感じる物である以上は外側からの見方が常道であり、その裏付けや確認として内側を見るという事だと思います。
しかし、現状はそのどちらでもなく定義付けられた完全ではない論理によって価値付けが行われています。その事がどの様にでもとれる価値観を作ってしまったのでしょう。結果的には皆が認識しやすい値引きやディスカウント表示を使うのですが、その事は根拠のない価格を前提に値引きを行うので(勿論売り手には根拠はあるのですが)不信感が募る訳です。
いずれにしても小売りに携わるようになるとやはりダイヤモンドの美しさの原点は外側にある事が実感できます。
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