先週末は数組のご来店を頂きました。近くの遊歩道も間もなく桜が満開というところにもなり、サクラの花ほころぶ様子を愛でようと多くの人が街に出ているようでした。
陽気も良くなり、外出にも出やすい状況なのでしょう。この数カ月と比べて町の人だまりも比べようのないほどのものでした。
ご来店を頂いた一組は結婚記念ということで先日奥様がお選びになったマーキース型のダイヤモンドをペンダントに仕上げた物を、ご主人と一緒に取りに見えたものです。
ご主人がプレゼントするもので奥様が是非ご主人にもその場で見せたいとの事で御同行をしたものです。
ご主人曰く、
『私には縁もないものなので良く解りません』
と言っていたのですが、帰り際には
『ダイヤモンドって男性にとっても魅力的なものですね』
という言葉になっていました。
何が変わったのかというと内胞物です。ルーペを通して数点のダイヤモンドを覗いてもらったのですが、それらの神秘と各種あるカラーダイヤモンドに魅了されたものでした。
『こんなに近くでじっくり見るものではなかったのでダイヤモンドの見方が変わりました』
という言葉に変わったのです。
当方のお客様には多くの男性客がいます。それは女性と違った観点からダイヤモンドを見ています。女性が表面からのキラメキに多くの魅力を感じるのとは違い男性はダイヤモンドの内部やその組成要素に興味と魅力を感じるようです。勿論私もそうなのですが・・・。
前述したサクラに関しても私は満開の桜並木より、桜の幹の根近くに咲いている2~3輪の花びらに興味を感じ、美しさも見とります。
人の心があり桜もダイヤモンドも価値があります。その価値は各々の見方によっては全く違う価値を見出すことができます。
悩みや悲しみという物も人の心の置きどころ一つで喜びや楽しみの変わります。そしてその感情をどの様に生かすかによって幸福感というものを感じるのでしょう。そしてその幸福感が人生の1ページになるのだと考えています。悩みや悲しみはひと時の心のヒダでしかないのです。そして、人生にはヒダもまた必要なのです。それは内胞物があって美しく輝くダイヤモンドもあるように・・・。
男性にとってダイヤモンドが権威の象徴であった時代もありますが、愛でる歓びは女性のものであり、色々な意味での探求の歓びを男性に与えてくれる物がダイヤモンドである事を改めて感じる春日和な一日でした。
陽気も良くなり、外出にも出やすい状況なのでしょう。この数カ月と比べて町の人だまりも比べようのないほどのものでした。
ご来店を頂いた一組は結婚記念ということで先日奥様がお選びになったマーキース型のダイヤモンドをペンダントに仕上げた物を、ご主人と一緒に取りに見えたものです。
ご主人がプレゼントするもので奥様が是非ご主人にもその場で見せたいとの事で御同行をしたものです。
ご主人曰く、
『私には縁もないものなので良く解りません』
と言っていたのですが、帰り際には
『ダイヤモンドって男性にとっても魅力的なものですね』
という言葉になっていました。
何が変わったのかというと内胞物です。ルーペを通して数点のダイヤモンドを覗いてもらったのですが、それらの神秘と各種あるカラーダイヤモンドに魅了されたものでした。
『こんなに近くでじっくり見るものではなかったのでダイヤモンドの見方が変わりました』
という言葉に変わったのです。
当方のお客様には多くの男性客がいます。それは女性と違った観点からダイヤモンドを見ています。女性が表面からのキラメキに多くの魅力を感じるのとは違い男性はダイヤモンドの内部やその組成要素に興味と魅力を感じるようです。勿論私もそうなのですが・・・。
前述したサクラに関しても私は満開の桜並木より、桜の幹の根近くに咲いている2~3輪の花びらに興味を感じ、美しさも見とります。
人の心があり桜もダイヤモンドも価値があります。その価値は各々の見方によっては全く違う価値を見出すことができます。
悩みや悲しみという物も人の心の置きどころ一つで喜びや楽しみの変わります。そしてその感情をどの様に生かすかによって幸福感というものを感じるのでしょう。そしてその幸福感が人生の1ページになるのだと考えています。悩みや悲しみはひと時の心のヒダでしかないのです。そして、人生にはヒダもまた必要なのです。それは内胞物があって美しく輝くダイヤモンドもあるように・・・。
男性にとってダイヤモンドが権威の象徴であった時代もありますが、愛でる歓びは女性のものであり、色々な意味での探求の歓びを男性に与えてくれる物がダイヤモンドである事を改めて感じる春日和な一日でした。