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2013年11月29日金曜日

継ぐ!?

 2日前にいらしたお客様は母娘連れで知人の紹介で足立区よりいらっしゃいましたが、当店のある自由ヶ丘からみると東京の端から端にご足労を頂いた事になります。

 御商売として呉服屋さんを営んでおられるという事で、お母様の方はやはりメーカーと協賛でジュエリーの販売にも携わってこられたということでした。

 『何故、当店で?』
と単純な質問をさせて頂くと知人である紹介者に以前から当店の事を聞いていたので一度
来店をしてみたかったということでした。

 『本日はどの様な物を?』

 『実は、この娘が来年の春には結婚をするので彼女に私から指輪をあげたいのですが、
ただあげるのではなくそれまでの間、私が身に付けていた物を彼女には上げたいんです。』

 御商売が三代続いた呉服屋さんですが、昨今の呉服離れであまり娘さんに満足な事が出来ていなかったという事。本来は指輪等は娘さんの婚約指輪があるのですが、普段使いの指輪で自分の思いのこもった物を身に付けてほしいとの事でした。

 つまり、昨今の事情から商売は今の代で終わる事になるのですが、自分達の思いを娘さんに継いでほしい、それにはやはりダイヤモンドが良いのではないかと思われたとの事です。

 これから、半年間母親が身に付けていたもの娘さんに渡すという事で娘さんも気に言った物が良いという訳です。

 自分が身に付けていた物を子供に身に付けてほしいという事は多くの親が思う事でしょう。しかし、現代においては多くの部分で難しと思います。服やその他の装飾品では劣化やトレンドもあり、その時代、時代にそぐわない物がありますから。

 お母様の経験からダイヤモンドがやはりその役割を担って継いでもらうには最適だと思われたようです。本来のダイヤモンドの役割の一つはその事ズバリなので私自身もうれしい気持ちになりました。

 呉服というお仕事も本物の技術で作られた物が少なくなってきた事が、現代の衰退につながってきたとお母様は仰いながら色々は事を思い浮かべられているようでした。

 呉服生地も以前は機械織りではなく、一本、一本糸を紡ぎながら織り上げていったものという事でお話しされていました。

 社会のように人と人が一本の糸となり、紡ぎあげていった人間模様が出来あがる事が理想なのでしょうが、機械織りのような現代社会はやはり少し違うような気がしてきたひと時でした

2013年11月22日金曜日

凡!!

 常日頃というより、ある程度の人生を送ってきて日々感じる事は『平凡ほど非凡な事はない』
という事です。

 確かに才能を発揮し、異才を放つ事は素晴らしいと思うけれど、多くの場合他の事に関しては一般的ではない人が多いと感じてしまいます。しかし、たまたまそれが時代や条件に受け入れられた人は才能を持った人となりますが、受け入れられなかった場合は只の変わった人という扱いになるだけです。

 私が考えるのは、平凡に何事もなく人生を送ってきた人はほんの一握りで、サラリーマンにしても何処の総務部にでもいそうなごく一般的な人というのは意外と少ないと感じます。一介の経理マンと思っていた人が多額な使い込みをしていたりと、意外と平凡そうな人はいそうでいないというのが実感です。

 つまり、多くの人は何らか変わっていて当たり前だし、何らかの環境の変化を受けて人生を変えざるを得なかった経験を持っていると思います。故に、何の変哲もなく人生を送りきるお父さん達やお母さん達は色々な事に瀕してもそのポジションを変えずにきたという事になりますので、これはもう如何に非凡なことかと考える訳です。

 地球であれ歴史であれ、進化や変化というのはつきものです。またそれがあって歴史が創られ。環境も変化や進化をしてきました。

 ある種それは普通の事なのです。

 そこで、変わらない事の価値という物を、見方を変えれば極希少の価値という事になるのではないでしょうか。ダイヤモンドに関しては変わらない事の価値が前提となっていますが、それは皆が理解をしているようで実は理解をしていないような気がします。多くの人はその魅力的な外見に価値を見出しているのだと思います。

 何か人と変わったり、ものすごい事を考えついたりすることだけに注目しがちですが、本来は長い目で見るとそれなりの才能人は定期的に表れ、何らかの形で歴史を変えていくのでしょうけれど、その結果の弊害はその後に必ずくることは歴史が物語っています。勿論その問題に対しても人類はクリアをするケースもある訳ですが・・・。

 多くの進化や変化を認めたくないという事ではなくて、変わらなく普通である事の大事さにも眼を向けても良いのではないでしょうか。色々な意味で。

 こじつけのようですが、ダイヤモンドが不変であるという事の価値が感覚的には皆さんも解っている訳ですが、それを実質的に価値としての理解をしている方は少ない様に思います。

 なぜならそれを理解するには、対比としての人類の歴史はあまりにも短すぎるのでしょう。それも了解の上での見解なのですが、変わらない事や変えない事にもっと価値観を見出してみても良いのではないでしょうか。

 自然破壊や環境へ変化をその時の経済の為だけに行う事はもしかしたら、その後の結末を早くしているだけなのかもしれません。

 変わらないでいる事、平凡でいる事はある種の安心感でもあります。人々にとって安心感こそが究極の価値と考えています。

 “凡”とは普通で変わらない事と捉えられていますが、それは難しい事だと日々感じています。

 

2013年11月20日水曜日

ダイヤモンドの買取問題!?

 先日、とあるお店で二十年ほど前に求めたダイヤモンドを一寸物入りということで、買取業者に持ち込んだところ購入した頃の10分1の査定をされたという事で相談がありました。
 
 数軒の買取業者を回ったところでとても落ち込んだという事で、内容を確認したところ2ctアップのライトイエローでペアシェイプとの事、その時点で私はなるほどと感じた訳です。

 一般的にはほとんどの買取業者は古着屋だったり、リサイクルショップの、いわゆる副業に近い形でやっているところが多く、さらにここのところのブームで急きょ採用された従業員達がほとんどと考えて良いでしょう。

 つまり、素人がほとんどですから、まともな査定はあり得ません。故にグレーディングレポート等を持っているとミスジャッジさえしてくれます。先日も2年ほど前に70万円で買った2ctを70万円で引き取ってもらったという話もありました。さらに、違うレポートを間違って持っていったらそのまま引取ってくれたという話までありました。

 簡単に言うとファンシーカットだったり、ファンシーカラーというのは買取業者本人達もほとんど見た事がないので幾らで引き取って良いのか解らないのです。看板を掲げているからとそこにはプロがいるという事は他の業種も含めて、必ずしもいえないわけです。

 リサイクルダイヤモンドというのは基本的にあり得ない訳ですが、リサイクル業者が行っていたので、多分その呼び名が多くなったのでしょう。しかし、名のあるダイヤモンドのほとんどがそれに当たる訳で、 基本的にダイヤモンドがリサイクルされる訳ではなく人間の方がリサイクルされていると考えた方が良いでしょう。ダイヤモンドが変わる訳ではないのですから。

 もし、ダイヤモンドを何らかの形で買取を希望するのであれば、信用の出来る宝石店(チェーン店のようなところは除外)に持ち込む事が一番のお勧めです。なぜなら、普段販売もしているので馬鹿な査定はしないでしょうし、何軒かにはちゃんと価格を査定する事の出来るお店もありますのでお勧めをします。

 ダイヤモンドの買い取りの基本は枠代やデザイン料等の付加価値は除かれるのが普通で、勿論販売時の小売店の利益等も除かれます。それは何の業種でも当り前の事ですがダイヤモンドや貴金属に関して言えば洋服や家具等とは違い相場があり、価格が付かない事はあり得ません。

 現に金に関してもダイヤモンドに関しても買った時の価格やそれ以上の価格で売る事が出来たという例も沢山あります。他の業種ではまずあり得ない事だと思います。

まず業者側が色眼鏡で見られないようにちゃんとプロの説明が出来るように期待したいものです。

 そういえば、昨日のキャロライン・ケネディ駐日大使が身に付けていた二連の真珠のネックレスに対して、今朝のTVでドン小西なる怪しげなファションアドバイザーなる人間が数十年前の大使の母親のジャクリ―ヌが真珠のナックレスを着けて写っていたファンション誌を待ちだして『大使の身に付けている真珠のネックレスは母親譲りの物で母親に対するい想いが強い事を感じますね』などと自信を持ってコメントしておりました。

 実はジャクリ―ヌ・ケネディがしていたのは南洋真珠で、キャロラインが着けていた物は明らかにサイズが違います。普通に考えれば大使の物は見た限りでは日本のアコヤ真珠で間違いがないと思います。ましてや礼儀としても当り前だと考えますが、著名なるF・アドバイザーはそれが理解できなかったのでしょう。多くの視聴者は『そうなんだ』と感心をしていた事でしょう。

 看板だけで信じてはいけないという事ですが、判断をする事は確かに難しいですよね。

2013年11月16日土曜日

ジョン.F. ケネディ!?

  昨日、新たな駐日大使としてキャロライン・ケネディが米国より来日しました。我々の世代でなくとも彼女の父親を知らない人は少ないでしょう。

 小生も小学生の頃御多分にもれず大変憧れていました。多くの政治家が立候補のたびに『東北のケネディの・・・・。』とか『難波のケネディ・・・・。』などと形容詞を使っていたのを覚えています。多くの政治家も当時のJFKには憧れていたのでしょう。

 1070年代中頃アメリカにいた小生はあるアンティークショップで、まだアンティークと呼べないような貴重な物を発見しました。それはJFKが1961年の選挙キャンペーン中に資金集めの為に使っていたバッジです。選挙中は米$で5ドル(当時$1=360円)を寄付し、このバッジを手に入れていたそうです。

 小生はこのバッジを目にした時に価格は$25となっており、当時乗っていたFiatの5回分の給油代に匹敵していたこのバッジを思わず購入してしまいました。

 現在でも彼の知名度と神話は続いており、JFKクラブなる物が日本にはあるそうで、その事自体もびっくりします。ケネディー家の人々は常に不運な運命にさらされているようですが、それもアメリカ人にとっては特別なファミリーである事の証しでしょう。

 因に、後にJFKとマリリン・モンローが不倫関係にあった事を知った時には若輩者であった小生にはいささかショックであった事を覚えています。その後、モンローゆかりのダイヤモンド『バローダの月』の解説をしたりするようになった時にも特別な思いを持ったのを覚えています。

 ジョンが今回来日をしたキャロラインの母親であるジャクリ―ンに贈った婚約指輪はエメラルドと角ダイヤモンドののセットになった物で、ジョンの父親が選んだ物と言われています。意外と小さな当り前の物で多少ビックリします。両方合わせても2ctとちょっと程度のものだそうです。後にジャクリーンがギリシャの船舶王オナシスと再婚した際にオナシスは彼女に40ctのマーキースカットのダイヤモンドを贈ったそうです。

 しばらくは、ケネディー旋風が続きそうですね。

2013年11月12日火曜日

ダイヤモンドのグレード!?

 本来グレードなる物とは何ぞやという事のなると、段階を本義とした目安という事で、数値でもなければ絶対的な仕分けでもないという事を前提としています。

 つまり、便宜的に一括りにしている目安という事で状況に応じて流動的であるということにもなります。

 ダイヤモンドのグレードに関しても同じ事が言える訳でして、10倍のルーペを通して熟練したグレーダ―がグレーディングをする事が基本となっている事は業界人であれば誰もが解っている事です。つまり、その熟練をしたという事にも条件はありませんのが、私の経験から行くと若い人の方が良いような気がします。

 10倍がルーペではなく便宜上顕微鏡になっていくと段階的に15倍になりそれが20倍になって内胞物を確認する事もあるでしょう。しかし、実際にはそれは既に前提を履がしている訳です。現に多くの鑑定会社は顕微鏡を使用していますが、より見やすく倍率をあげている事は想像が付きます。

 まずはカラーについてですが、D~Zカラーという事になりますが、これはG.I.A(米国宝石学会)
のカラーグレード方式ですが、其々のカラー基準はG.I.Aのマスターストーンという事になりますが、これも其々絶対的に同じものをそろえる事が出来ませんので、例えばG+なりG-なりといった同じGでもFに近いかHに近いかといった表現になっている事多くあります。つまり、同じカラーであっても同じではないのです。

 また、クラリティー(清澄度)に関しても、あえてクオリティーQuality(質)ではなくClarityを使用していることもその意味がありますが、中には勘違いをしている方もいるようです。
 この事も10倍のルーペを基本として考える訳ですがFlawlessに関してはグレードが重要視される事は必然的と思われます。現在のように投資も前提になっている世の中ではそれは大きな意味を占める事は理解できます。しかし、それ以外のVVSやVSそしてSI,Iクラスになると主観が大きな要因になる事は否めません。

 クラリティーに関してはカラー基準よりもっと大きなアローアンスがありますから特にSI,Iクラスに関しては本当に目安に過ぎないような各鑑定会社のグレーディングになっている事が多いようです。

 カットに関しては現在ほとんどの鑑定機関が寸法を確認の上G.I.Aのファセットウェアなる基準値を使用しているので大きく狂う事はないと思いますが、フィニッシュ(仕上)などに多少の差が出る事に関しても大きな問題はないのでしょう。

 重さや、カットに関しては多くの場合測定器を使用しますので大きな差はないという事になりますが、色やクラリティーに関しては時と場所と人によっての誤差がある事はやむ得ないという事はベテランのジュエラーであれば理解している事です。

 重要な事は常に誤差がある事を消費者に告知をせず、業界の常識という事で流してしまうと現在世間を騒がしている誤表示、偽装問題と同じとこになってします訳です。

 実際には消費者にルーペを使用した上で見てもらい、色も実際に見える色な訳ですから確認をしてもらい、その上でそこの環境によって見え方が違うと事をアドバイスをした上で、予算に応じて大きさなのか、色が大事なのかなどをよく話あった上でご購入頂く事が大事なのだと思います。

 色などは特にダイヤモンドそのものの特質により、色がグレードより白く見えたり、大きくも見えたりもします。また、マウンティング(石留)によっても見栄えが違ってくるということも説明をする事が大事です。

 ダイヤモンドに関わらずグレードという物は業界側が目安として消費者に示し、それに対して消費者は自らの感性で選ぶ事が大事だという事だと思います。

2013年11月9日土曜日

ダイヤモンドへの想い!?

 ダイヤモンドへの考え方は色々ありますが、多くの場合は知識がないばかりに限定をされています。例えば多くの方はダイヤモンド・イコール・ジュエリーという事になると思いますが、かつての私にとってはビジネス上のツールということでした。

 勿論、現役のバリバリの時には原石であったり、光学機器の部品としてであったり、時には財産としての需要という前提でのビジネスツールでもあったのですが、やはり多くはジュエリーの材料としての部分でした。

 しかし、現時点のように、展示会のお手伝いをさせて頂いたり、店舗での消費者のお相手をさせて頂くようになると、一寸勝手が違ってきました。

 以前にも書きましたが、ダイヤモンドを眺めていてストレスを発散する方もいれば、想いを馳せて涙する人もいる訳です。そして何よりもプライドを与えてくれます。

 単なるジュエリーについている材料と捉えると、経済状況の良くない時には贅沢の極みで無駄な物と考える人が多くいる中で、そうではなく捉える人々にとっては贅沢品ではなく心の必需品だったり、優越感の対象であってりする訳で、贅沢品とは違った想いがあります。

 先日も小さなサイズのファンシーグリーン・ブルーイーブンなるダイヤモンドをご購入頂きましたが、白い同サイズのものから考えると、数百倍の価格になる場合がありますが、その価格の問題ではなく、この地球上でそれほど多くの人が所有できないものを手にする歓びと、やはりその魅力を手に入れる事を考えると、ジュエリーの価値に置き換えたものとは決して同じにはならないのです。

 私自身が、それらの方達に教えられたような気がします。多くのジュエリービジネスに携わっている方達はその価値と意味が解らなく、販売方法に四苦八苦している訳です。

 ダイヤモンドは決して一つの顔ではなく多くの顔を持っています。早くそれに気が付く事によりマーケットが広がり、宝石という物がそう簡単に手に入る物ではなく、希少なものだという事に気が付いてもらえるのではないでしょうか。

 そうすれば、贅沢品としてではないダイヤモンドのマーケットがそこには広がってくるでしょう。

2013年11月3日日曜日

大前提!?

 またぞろ前回に述べたような事例が沢山出て来ました。多くのホテルがこの際とばかりに誤表示なのか偽装なのか、はたまた誇大表示なのかは別にしてレストランにおいての材料の内容や産地の違いを反省を込めてなのか、どさくさにまぎれてなのかは解りませんが謝罪の会見を開いております。

 なぜこのような事が起きるのかと考えてみると、消費者が物を評価する基準が他の国とちょっと違う事がうかがわれます。つまり、ある種の権威付けをするとそのまま鵜呑みにしてくれるというありがたい性格があるのでしょう。

 プロ側もそれをよく知っているのでその権威付けに合わせて表現すると価値を消費者が勝手に上げてくれるのでその手段を用いています。しかし、多くの場合それは限定のある希少性を表わす事が多いので沢山売れるとそれに近い物を準備するようになります。プロ側にとっては嘘ではなく只の過大解釈に過ぎないと考えます。

 つまり、マグロで言うと大間の漁師が上げた物はブランドとして高値を呼びますが、その隣の漁師が上げたマグロは只のマグロになる訳です。それは同じものだという事を知っているプロ側はそれを表示してもあまり罪悪感はないし、その事に関しての罰則もありません。

 これらのグレーの部分を利用しているのがプロ側であり、他人が付けた評価に値するブランド名だったり、皆がいいと言っているからといった自らが評価をしない国民性が根底にある訳です。

 それなりに権威がありそうな機関や人なりメディアが取り上げ評価したものを盲目的に信用し、疑わない素直な性格が大前提としてあるのは決して悪い事ではないのですが、その事を利用し悪用(本人達はそこまで考えてはいないけれど)するプロ側がそこにいる訳です。

 勿論、消費者が判断する事が難しい物に関してはそれなりの基準を管理し、評価する機関なりが必要な訳ですが、味覚や視覚といった感性で判断する物に関しては其々の個人が判断をするぐらいの大人であって良いような気がします。

 ダイヤモンドに関してもグレーディングレポートのような第三者の判断は素人が評価できない部分に関しては消費者保護の観点からも必要だと思いますが、それが絶対的な物のような表現やその事を利用して利益を上げようと考えるプロ側の輩がいる事も否定できません。最近は少なくなってきたような気がしますが中立であるべき第三者が提供側に立っているなんという事は本来許されるべき事ではないのですから。

 上記の事がイコールとは言いませんが、大前提としてブランドや権威に弱い国民性がどちらも要因にあると考えたほうが良いと思うし、だからこそプロ側はエリを正し、プロとしてのプライドを持った仕事をしてほしいのです。その国民の素直さを利用してはいけません。

 大なり小なりどの業界にもある事でしょうが、黒毛和牛が良いとなればそこらじゅうに黒毛和牛が出てきて、中国産のウナギの稚魚を育てて国産のウナギとして販売したり。何々産とはあくまでもそこで生まれた物を指しますが、ウナギ業界では養殖した場所で判断していると訳のわからないl事を言っていた事件もありました。

 やはり、サプライヤー側が出来るだけ正負を含めて消費者が理解をしやすいような方法で情報を提供し、消費者は自らが自分の価値観で判断をするようにする事が大前提となるのでしょう。

 ブランドバックや衣類でも造りが悪い物は沢山あるし、名が知られていなくても良い製品は沢山あります。信用とはプロの高い知識と技術とその継続性にかかっています。それを裏切ってはいけません。