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2013年4月26日金曜日

気持ちよい!?

 昨夜知人のジャズピアニストが横浜のライブハウスで今年のグラミー賞のトロンバーン奏者と共演をするので・・という事で行ってきました。

 久々のライブでしたが横浜馬車道の一角にある小さなライブハウスは非常に心地よく音楽を聞かせてくれるところでした。

 閉店後、すぐに横浜へ向かい約30分後にライブハウスへ到着。道すがら初めての行くライブハウスであったので周りを見ながらの散策は非常に心地よく、ちょっと異国観のある馬車道は昼間見る光景とはちょっと異なり、迷う事すら心地よく感じました。

 到着後、軽い食事をとり演奏が始まるとラテン・ジャズを中心とした構成はとても心地よく、大きな音の中で軽い眠気さえ誘われました。

 ダイヤモンドを見ているうちにダイヤモンドの中につい誘われて気分的にさまよう事がある方が時々いらっしゃいますがまさにその気持ちです。一瞬その世界に染まり身を置く事の心地よさは何物にも代えがたい幸福感です。

 特に、ピアニストの彼女は昨年出産をし、ほぼ一年育児に追われる毎日で音楽的に枯渇状態になった時に愛娘の寝顔を見て、突発的に書いたというオリジナル曲は素晴らしかったですね。

 昼寝顔という事で仮のタイトルは『シェスタ』ということでしたが、まさにスペイン語で『昼寝』。私もその音色につい誘われて上下の瞼がコラボレーションしそうになり、気持ちの良い空間に誘われていきました。

 二時間半程のライブが終わり、外に出た時には日付の変わる手前という事もあり、気持ちよく酔った中年サラリーマンや酔っぱらって意見を交わす若者達が馬車道でたむろをしており、その背景となっている昔ながらの建築様式を残したビル群はさらに異国情緒を演出していました。

 久々の気持ちの良い夜でした。

2013年4月23日火曜日

何故にダイヤモンド?

 一昨日、長年のテニス仲間と久しぶりに食事をし、中には始めて席を同じくする仲間もいました。
その仲間から急に

『以前から髙木さんと食事をしたいと思っていたけど、なかなか機会がなかったし、共通の話題もなく、髙木さんはしょっちゅう海外で仕事をしているイメージがあってお誘いしにくかったんですよね。特にダイヤモンドの仕事をなさっていると聞いて、より自分とは縁がないと思っていたんですよ。だからいつか機会があったら何故にダイヤモンドは価値があるのかを聞いてみたかったんですよね』

と唐突に。
 普段ロッカールームなどで軽口をたたいている仲間がそんな風に私も見ていたなんて一寸驚きました。

 『何故にダイヤモンドに価値があるか?はっきり言うと私にもよく解らないですね』
『エッツ!?』

 つまり、美しいだけでは他にも幾らでもあるし、美しいけど他の価値があるものである事が前提なのでしょうから。その価値というのもある条件の元、人間の役に立つ物という事が条件になるでしょう。砂漠で喉が渇いた時に役に立つのはお金ではなくお水でしょうから。

 ある種の条件に対しての汎用性が高いという事が価値の高さを表わすのでしょうから、絵画が何故価値があるのかと言われたら、色々な条件が付加をされ人々が価値を認めるのでしょう。

 ダイヤモンドにどういう条件が付加されて価値が高くなったのかを説明することは出来るのですがそれが何故ダイヤモンドだったのかを説明しろと言われると解らないと答えるしかないのです。

 最初にダイヤモンドを商売にしようとした人は何故にそう考えてのかが解らなければ説明が出来ないのです。その事の説明が出来るとすればダイヤモンドのビジネスに携わっている人間でなくとも出来るのだと思います。

 発見当初のダイヤモンドは必ずしも美しいものではなく、どちらかというと硬さが優先されたものです。そこで研磨技術が開発をされ、初めて美しさが認められたのです。故に何故ダイヤモンドに価値を見出したのかと聞かれると『解らない』と答えるようになるのです。

 勿論、現在何故価値があるのかを説明をする事は難しい事ではありません。人間によって価値を裏付けられるようになってからの事であればという事ですが・・・・。

 ただひとつ言える事は人間にとって本能的に綺麗だと思わせるだけの魅力が原石状態でもダイヤモンドにはあったという事であろうと思います。

 現代においては換金性や投機性が裏付けられており、はっきりとした価値があるのですがその起源を考えると小さな女の子が河原で綺麗な石を探して大事な宝物にするようなことなのでしょう。

 何事もそうでしょうけど一部の人間が発見をした価値を多くに人間が共有し始めて公の価値になっていくのでしょうからダイヤモンドの価値に関しても同じような事が言えるのであって皆が綺麗だと思っている事が一番の価値なのでしょう。

2013年4月22日月曜日

大きなピンクダイヤモンド!?

 先日のサザビーNYのオークションで久しぶりというか、相変わらずというか、目を見張るダイヤモンドが落札されました。

 Princieダイヤモンドと言ってゴルコンダ産のピンクダイヤモンドですが、重量が35.65ctsで落札価格が3932万ドル(日本円39億32100万)という途方もない金額でこの種のオークションは未だに健在というか高騰を続けております。

 金の価格が急落し、お金の移動が始まった感もありますが、ダイヤモンド市場は未だに人気があるといえるのでしょうか。

 ダイヤモンドの市場でも今回の日本の内閣が進める経済政策には興味を示しており、今後の成り行き次第では今だ世界のダイヤモンド市場の10%を占める日本の市場の復活が期待されると評価をしています。

 現在のダイモンド市場にはファンドマネーも参入しており、価格の頭打ちは考えられない状況にあります。但し、いつも書いている様にジュエリー素材の市場に関しては経済状況の影響を受けやすいのでその限りではありません。

 今回のサザビーのオークションに関しては総額で53億円を超える出来高でしたが、その中で前述のピンクダイヤモンドの他に74.79ctsのD VVS TYPEⅡa のペアシェイプが14億円で落札をされましたが、両方でほぼ90%の売上高を占める事を考えると、以前大半の売上を占めていた絵画がなりを潜めて、ダイヤモンドがその主役の立場に入れ替わった事を感じます。

 投資市場ではダイヤモンドがより安全で効率の良い対象である事を認識しているようです。

2013年4月20日土曜日

ダイヤモンドの買付!?

昨日、俳優の柴俊夫さんのチャリティーイベントに顔を出す際に、たまたまニューヨークから帰っていた柴さんの御友人を車でピックアップしていきました。

 彼女の御主人は国連の方でお仕事をされている方で時々帰国をなさるそうです。数年前まで毎年のように仕事で訪れていたNYの話などで車中盛り上がり、NYのダイヤモンド街に時々足を運ぶというお話しをしていて

『沢山の黒い服を着たジュイッシュ方達が歩いていますよね』

と言う話の広がりからダイヤモンド買付の話題にもなりました。

 もう、三十数年ダイヤモンドビジネスに携わり、いつも不思議なことは完璧と思った買付になる事は100%あり得ないという事です。

 私自身の買付は裸眼でチェックをして、照りの強い物を再度ルーペで品質をチェックをするという順序で作業を進めますが、毎度チェックをしたダイヤモンドと価格のバランスやその時の市場価格とのバランス等々買付の決め手を見つけるまでの時間との闘いです。

 妥協をしなければ買付は出来ないし、妥協をしていれば自分の思う良い物を提供できないと考える事の兼ね合いが何時も難しいのです。勿論、無理してまで妥協をする事は期待をしている消費者に対する裏切りにもなるし、そのしっぺ返しは必ずくることも経験の中から身についています。

 勿論、価格を気にしないで完璧なものを買う事は簡単なことではない買付の中でも、そう難しい事ではありません。しかし、消費者にとっての購入意欲をそそる条件というのは様々ですから、品質なのか大きさなのか価格なのかがはっきりとしていない要素の中で最大公約数を見つけることはそう簡単なことではありません。

 多くのバイヤーは大手のメーカーの注文の物を買付するという作業ですが、私の場合は直接のマーケットですから自分のアイディアの中で買付する物を決めていかなければなりません。その上で新たに提案する物を探していく訳です。

 大きな流れを説明するとこういう事ですが、実際には一つ一つグレードのついていないものを自分の目でチェックをしていくという作業は色や内胞物のチェックだけではなくカットのバランスやジュエリーに製作された時の状況を想像しながらの作業は好きでなければ出来ないだろうなとも感じます。

 結論から言うと人間と同じようにダイヤモンドには一つ一つ個性があります。人間に似合う衣類やヘアスタイルがあるようにダイヤモンドにも似合うジュエリーのデザインや留め方があります。それを瞬間的にイメージをする事が買付の一番のだいご味であり、楽しみなのです。

 但し、女性客の多くはダイヤモンドの素材そのものに関心を寄せる事が多く、今まで裸石のままで提案される機会が少なかっただけで、女性の方がダイヤモンドの買付には向いているのだろうと私自身は思っています。

2013年4月16日火曜日

ダイヤモンド・カットの変遷!?

 最近、欧米諸国ではクッション・カットがはやり始めています。この大きな要因としては過去数年原石の値上がり等もあり、プリンセス・カットと同じような原石から若干の歩留まりの悪さがありながらも実質的に高値で取引されるという理由もあります。

 クッション・カットについては昨今に開発されたものではありませんが、しばらくの間あまり取扱いが増えてはおりませんでしたので日本のマーケットでは稀な存在と言えるでしょう。

 原石からどの様な形にカットをされるかは原石次第という事になりますが、一般的な八面体のものであればラウンドにカットされるより歩留まりも良いという事で、スクエアでありながら、エメラルドカットやステップに比べて面も多く、キラメキの多いプリンセス・カットに研磨される事が多くありました。日本でも一時は大変な人気もあり重宝されていたものです。

 しかし、マーケットが成熟してくるとラウンドに比べて効率の良い事を知っているマーケットはプリンセス・カットにそれほどの価値を見出してはくれなくなりました。そこで歩留まりがあまり変わらずカット面も多いクッション・カットの登場となってきた訳です。

 まだまだ日本ではそこまでの需要はありませんが欧米諸国の雑誌を見ると随所に目にする事が出来ます。もし、このまま景気が上昇を続ける事があるのであれば明らかなダイヤモンドの新しい戦力にはなってくると思います。

 プリンセス・カットは登場してまで40年前後だったと思いますが、私の友人が開発に携わっていたという事もあり、格別の思い入れがあり、TVショッピングでも積極的に採用をした思い出があります。その友人も数年前に他界し、色々な思い出が走馬灯のように駆け巡る半面ダイヤモンドのカットの変遷を感じます。現れては去りといった事を繰り返しているカットの中ではやはりラウンド、ハート、マーキース、ペアシェイプ、オーバルなどのメインになる形にはやはり魅力があります。

 原石の状況と人間の経済性を組合わせた形の決定は常にダイヤモンドの原石に軍配が上がります。人間の欲による状況でダイヤモンドは自由にはなりません。原石の形による、その後のあり方はまさに人生そのものを感じます。

 亡くなった友人モティ・イスラエルに思いを馳せながら今度はどんなカットが開発をされるのだろうと楽しみにしておりますが多くの場合、前述をした形に収まっていく事は想像がつくのです。

 まだまだ、多くの人がダイヤモンドのカットを見ていない事は数年の小売活動で知る事が出来ました。少しでも多くの人たちに多くの形をお見せできるように努力していきたいものです。

2013年4月15日月曜日

ダイヤモンドの評価基準!?

 この世にある物や想定されている物は全て人間が考え出している評価によって規定されています。良い、悪い、高い、低い、醜い、美しい等々の形容的な表現の対象になっているのもは全て評価基準になっています。しかし、それらには個人差があり、国や地域、時代や人種、宗教によってもその差が出て来ます。

 価値という物は個別差が少ないものほど高くなっていることに気づいているでしょうか?
時々、例に出す事の多いミスインターナショナルですが、一番多くの人が総合的に美しいと思った人がグランプリに輝きますが全ての人が同調している訳ではありません。しかし、同調しなかったそれらの人であってもグランプリに輝いた人を美しいと思っている事には間違いがりません。

 ダイヤモンドの価値に関して同じことが言えます。ほとんどの人の美しいという評価があり、その価値を確定させています。但し、そこに向き合う機会を持つ人と持たない人の違いがある事は明白です。

 我々ダイヤモンドビジネスに携わる者の役割はその機会を創造することであると思っています。ところが現代の宝飾業界ではダイヤモンドの価値を評価すべき機会というより、さらに幻想的な表現をする機会を多くしています。

 具体的に言うとダイヤモンドそのものというよりはデザイン的な補助のものとしてだったり、ダイヤモンドそのもののバリューを利用して大きく見せる工夫をしたりと、ダイヤモンドそのものの美しさを裸にして見せるといった事ではなく名前だけを利用してダイヤモンドの完全ではない部分を隠してそれ以外を強調する様な事が多くあります。

 ダイヤモンドの美しさは宝飾品の素材や飾り物としてのものだけではなく、精神的なサポートさえしてくれるような部分もあり、その事自体は非常に大きな価値だと思っています。

 ダイヤモンドにおいての評価というものは人間がする訳ですが、その基準というのは多くの人が共通して持っているものですから少しでも多くの人に見てもらう事により、、さらに価値が高まるのだと思っています。もっと多くの人にダイヤモンド自体を見てほしい、その為にデザインされたジュエリーの中にあるダイヤモンドだけではなく、裸のダイヤモンドを見て欲しい・・・。

 そんな事を考えています。

2013年4月13日土曜日

宝飾品文化!?

 わが国では宝飾品が何故に売れないのか?(実際には売れていないことはないと思いますが)
よく聞かれるフレーズに着ける場所や機会がないという言葉があります。

 しかし、実際的にはその部分よりも着けて精神的な満足感を満たしたり、着けることにより人前に出てみようという後押しをする部分もあります。何よりも販売する側の経験不足から宝飾品の場面に関係なく、その場の売上の為に勧める場合が多い事が問題の一つにもなっていると思います。

 つまり、宝飾品にはTPOがあり、場違いや季節外れのアイテムを勧めようとする事が違和感を与えてしまい、使用する機会や場所を消費者がイメージできないという事が原因にもなっているのでしょう。

 最近は勘違いをした似非デザイナー的な怪しげなブランドらしきものも多く、どう着けたら落ち着くのかという事が疑問なデザインも多く、後先を考えない事も消費者が身に着ける事をイメージ出来ない要因でもあると思います。結果的に購入する事を手控えるという事になるのでしょう。

 宝飾の文化はやはり販売する方がちゃんと宝飾品を理解し、販売するにしても消費者の使用する場面をちゃんと意識し、本当にその方に似合うだけではなく、場面を想像できるかどうかを再度考え販売を心がければ、販売も継続し、使用する機会の多いアイテムを推奨できるのだし、消費者もその宝飾品に対してのコストパフオーマンを十分に理解できるのだと思います。

 文化という物は常にそれに携わる人々によって進化し変化をさせていくものです。中世の宝飾文化がそのまま現在に継承されている訳ではありません。勿論その部分が残っていない訳ではありませんがその事がイコール場所や機会という訳ではありませんから業界そのものがその文化を発展させていかなければなりません。

 結論を言いますと販売する事を前提と考えるのであれば、本当にその商品がベストとは言わないまでもベターであるのかどうか?目の前にたまたまあった商品を勧めているのではないか?何かを隠して販売をしていないか?本当に自分は理解している商品を勧めているのか?等を考えておくことは最低限必要であり、その事が今後も安定した販売が出来る文化を根ざしていけるのだと考えます。

 

2013年4月12日金曜日

ディスクローズ!?

 今回の展示会の最中に業者さんによっては色石の製品に処理石の表示をしているところがあり、勿論していないところもありました。数人の販売員さんから質問もあり、答えをする事にためらいもありましたがあえて答えました。

 『本来であれば、ほとんどの色石には処理石という表示が必要でしょう。なぜなら、販売時にその公開をしなければいけない事は販売側の義務だからです。しかし、現状ではその公開はされていないのが事実です。』

 言葉を選びながら説明をしている自分も何か後ろめたいものを感じながら話しておりました。なぜなら、その事でこの業界を去った人たちも何人かいる事を知っていましたので迷いました。

 こんなことを気にしなければいけない事を避け、ダイアモンドのみの世界に身を置いているのですから・・・。

 つまり、業界そのものの体質でもあり、やむを得ない事でもあるのですが自然の状態のものだけでは展示会場にも店頭にもほとんどの商品がなくなる訳ですから・・・。と言いたいのですが、実はちゃんとディスクローズをすれば良いだけの話なのですが残念ながら多くの販売業者はそれをちゃんと説明できるだけの技量を持ち合わせてはいません。

 地球上にある多くの物事は人間の理解のもとに説明をする訳ですが、人間より先に存在するものは説明がしやすいのですが、人間が自分の都合に為にだけ作り上げた物に関しては時々説明がしにくい物もあります。

 色石と一部のダイヤモンドに関してはその典型で、あくまでも業界の都合に合わせた処理方法を作りだしたものです。本来であれば知ってもらいたくないもので、知られるまでの間であれば、一部の人間の利益を確保するには十分な『打ち出の小づち』な訳です。

 しかし、現在の情報社会の中ではその不平等さは許されることではありません。まさに公開をして販売時に説明をすれば良いだけのことであり、それを隠す必要はないないのですが処理石という言葉を消費者が嫌う事もあるのも理解できますがそれは行っていると自らに跳ね返ってきます。

 販売のしやすさだけを追う事は業界の為にも販売者自身の為にもなりません。勿論消費者をある部分では欺くことになりますので、あってはいけない事なのです。

 正々堂々とビジネスを行わなければ結果的に業界に良い人事が残らずに衰退の道を歩むことになるのだと思います。

2013年4月5日金曜日

ダイヤモンドを持つ意味!?

 昨日、私と妻と友人の女性と食事をしていた時に彼女が
『ダイヤモンドを持つ意味が解ったような気がします。』
と言うなり
『今日お友達のFさんがダイヤモンド裸石を購入してきたと興奮気味に家へいらしたの。
 普段は優柔不断の彼女が良くもすぐに決めたものだとビックリしていたんですよ』

と彼女も少し驚き気味に話してくれました。

 内容はいつもは製品で購入するので人にも一緒に行って似合うかどうかを人に決めてもらう
という事で自分では決めれないのに、裸石で見たダイヤモンドは似合う似合わないではなく、
自分が好きかどうかで決める事が出来たので、何かただならぬ興奮を覚えたと言っていたとの事でした。

 つまり、彼女は友人の言動を聞いて他人の評価という事ではなくダイヤモンドというのは、自身も感じていたけれども、自信を奮い立たせる効果があるのだと感じたという事であります。

 確かに『優柔不断は失望と疑念を持たせ、決断は希望と勇気を持たせます』、女性がダイヤモンドに対しては天才であるという事を以前にも書きましたが、この結論から言うとダイヤモンドは希望と勇気を持たせ、j決断させたという事になるのかもしれません。

 何かに熱中する人は時として人に感動を与えます。そして、天才とは何かに熱中できる人をである訳で、結果としてダイヤモンドに熱中できる女性はダイヤモンドに対して天才であるという事が出来るかもしれません。

 ダイヤモンドは多くの人は今まで人からの目を意識して購入していた場合もあると思います。しかし、それはジュエリーだったからです。裸石で見るダイヤモンドは自身の感性として選ぶ訳ですから、そこには人の目はありません。それは自らが決断をする事の出来る数少ないアイテムである事を示しており、友人の言う『ダイヤモンドを持つ意味』とは勇気と希望を持たせてくれるという事のようです。

 ところで、昨夜のワイン『ポール・ホッブス』はおいしかった。後で聞いたら日本に30本しか割り当てのないものという事で、当然後で会計を見たら勇気と希望を持たない方が良い場面と物もあるという事を知りました。  でも美味しかった・・・・。

2013年4月3日水曜日

ダイヤモンド・ジュビリーと還暦!?

 天才とは凡人と違い、その分野に置いて瞬間的に真理や根底にある物を理解するし、自分の物にする力のある人の事をいいますが、女性はダイヤモンドという分野に置いて天才であると私自身は感じています。勿論、その種の事に反応をしない人もいますが、根本的に女性の本質が強い人ほどその天分を垣間見せてくれます。

 という事で自身もそうなのですが、還暦と言うとなぜか男性のイメージが強く、赤いチャンチャンコ(現代では赤いベストとかになるかも)をはおる的な感じがします。第一に還暦の意味は人生一周してもう一度赤チャンに戻ることを意味していますが、現代において60歳が人生一周な感じもしませんし、女性にその感覚もないのではと思っております。

 そこで数年前にエリザベス女王の在位60周年で話題になった『ダイヤモンド・ジュビリー』ですが
還暦という事ではなく60周年の祭としてお祝いし、その贈り物としてダイヤモンドを贈るという習慣を根づかしてみたくなったのです。

 日本ではクリスマスやバレンタインデーのように西洋の習慣を日本式にアレンジをしている物は沢山あります。とはいっても60年頑張ってきたことは大変なことなのだと思います。そこで耐久性があり、輝き続けているダイヤモンドをその象徴として女性に対して贈るというのはどうでしょう。

 以前にも書きましたがダイヤモンドは人生の象徴的なところがあります。完璧な人生を歩む人はあまりおらず、皆が個性を持って生きています。人生を生きていく上で耐え得る程度の苦悩しか人々は持っていないのですが、時として苦悩を大きく考える事もあります。

 つまり、宝石のダイヤモンドとして、中には色々な物を抱えながらも美しさと耐久性を持ち合わせ、時には小さな内胞物や色が付いている事を悩みますがそれもやはり個性で、個々にとっては美しいく見える。
 と言った意味では人生と似ているというという事ですが・・。

 現代の60年は一つの通過点です。その大きな通過点に一つのお祭りとして『ダイヤモンド・ジュビリー』を執り行うというのはどうでしょうか?ジュビリーとはヘブライ語(ユダヤ語)を起源にしたお祭りと言った意味があります、是非皆で検討をしてみたらどうでしょう。男性にダイヤモンドも悪くないと思います。