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2012年7月28日土曜日

ダイヤモンドの醸趣(価値)

 ダイヤモンドは本来人間が存在して価値があるという事を前提としていますが、それは勿論人間側から考えてる価値という事になります。

4Cという価値基準に対しては人間の決めた基準である事は間違いがありませんが、何故基準まで作って価値を感じようとしているのか?

タイトルに『醸趣』という造語を使ってみましたが、そのまま醸し出す趣(おもむき)という事で使ってみました。というのはダイヤモンド自身が放つ価値を理解する為に人間が基準を作っているのだとしたらまずはダイヤモンドの放つ価値を理解する事の方が先であると考えています。

つまり、人類が存在する前から存在するダイヤモンドはその価値を認めるような進化を人類はしてきた事になります。それは現状では4Cで説明される価値も、本当はその基準が出来る前から価値がある事を認め、ダイヤモンドを販売したり、購入したりする上で理解をする価値は何かをある程度知らなければいけません。

今回行ったセミナーにおいてもダイヤモンドの価値は宝石としての価値は勿論のことダイヤモンドの価値として

1.宝飾品の素材としての価値 
2.経済的価値
3.感性に対する価値
4.情緒的価値

とタイトルを分けましたが3.4.がダイヤモンドが醸し出す趣としての価値だと考えていますが、勿論それがあっての1.2.の価値なのですが主に4Cを前提とした勝ちに等しいと思っています。

研磨された後の審美性とはいえ、人の感性に訴える力はエネルギーやパッションすら永い間ダイヤモンドを見てきた小生ですら覚えます。また、多くの物語を有名無名関係なく伝える特徴は人類が必要とする是非であったのではと考えます。

それゆえに、先に存在するダイヤモンドを人類は発見し、身の回りに置いて来たのでしょうが他の鉱物や資源のように使い勝手が有った訳ではありません。これはダイヤモンド自身が放つ魅力であるのでしょう。

人類の使い勝手による測りからではなく、ダイヤモンドが醸し出す趣を理解することは心の豊かさを目覚めさせ、本当のダイヤモンドの役割を理解することになるのでしょう。そこへの価値にはグレードや価格には反映しない価値であり、それぞれに有った『醸趣』価値を感じてもらいたいと思っています。

2012年7月27日金曜日

ダイアモンド・セミナーⅡ

 札幌はどこまでも涼しく、何処までもやさしいと感じながらセミナーを行ってきました。

1日3回のセミナーは少しきつかったけれどもご来場いただいた方やスタッフには評判が良かったとの声に少し安心をしているところです。

 セミナーとしての内容は宝石の条件とその特徴、そしてその中でのダイヤモンドの価値、一つには情緒的価値、感性としての価値、宝飾品の素材としての価値そして経済的価値と分けて御話をさせていただきました。

 其々の回の終わりには直接お話しをしたり裸のダイヤモンドを見ていただいたりしましたが、その際に皆さんに『ダイヤモンドに対する見方が変わりました』といって頂き、これまた小生の気持ちを和らげてくれる一言でした。

 ファンシ―カラーダイヤモンドに関しては限りなく北の空の下で見ると真の色を醸し出し、何処までもやさしい色を見せてくれます。多分紫外線のせいなのでしょうが、最も美しくダイヤモンドのナチュラルカラーを見せてくれる場所だと私は思っています。

 ご希望のお客様には裸石のままの状態でご覧になって頂きジュエリーのようにデザインされたものではなくダイヤモンドのその物の魅力でお求めになって頂きましたが、皆さんシンプルなダイヤモンドそのものが生きるデザインになさっていたのが良かったと思っています。

 最初と最後の回には御食事が用意をされておりましたが、小生のリクエストでユダヤ人がよく食するラムをベースにしたものとファラフェルやクスクスといったあまり日本では目にしないようなものを用意して頂き、それに赤ワイン風味のベーグルを添えてといったものでしたが、これもすこぶる評判がよく、してやったりの記街がなかった訳ではありません。

 場所はわざわざ26階の光の入るレストランを用意して頂き、取引所の雰囲気をだし、御一組毎にテーブルを用意しその前にルーペ、ピンセット、秤などを準備して頂きました。それもゆっくりとダイヤモンドを見て頂くには良かったように思います。

 主催者側も今後もぜひ続けたいとの意向もあり、もっと良いものにしていければと思っています。

2012年7月23日月曜日

ダイヤモンドセミナー。

 昨日、一昨日と近かった友人がなくなり通夜、告別式に参加をしてきました。
なくなった彼女は二十年近く前にとある寿司屋で知り合い、意気投合し、その後旦那の方ともゴルフ等をする中になり近しくしてきました。

 十年ほど前に2ctのハート型のダイヤモンドが欲しいととのことで手配をした事があり、2個用意をしたダイヤモンドは彼女の好みと私が勧めたものは違い、結局彼女が選んだものになったのですが後日

『なぜ、和さんがあちらの方を勧めたのかが解るような気がします』

といってきた、後日といっても数年経ってからの事でした。
 
『解ってくれたの?でも大事にしてね』

 この会話が昨日のように甦ってくるのはダイヤモンドがそこに存在するからであり、今では彼女の選んだダイヤモンドが頭の中を巡っています。

 ダイヤモンドを見せるそれまでは個性のある物を好む彼女にはそれ向きのダイヤモンドをと思っていましたが、彼女がそれを見ている最中の会話やデザインを聞いて

 『こちらの少し小さめの方がよいと思うよ。デザインによっては後で飽きたり、気持ちに引っかかってきたりするからね』

 『でも、私はこちらの大きく見える方がいいわ』

 このような会話で彼女の選んで方を買い求めて貰いました。

 今ではきちっとダイヤモンドには精神的な作用も後で働く力や魅力がある事を伝えるべきだったと後悔しています。ダイヤモンドにはグレーディングレポートや見た目だけではない価値や作用がある事を、その時点ではあまり告げる事は好ましくない事と思っていました。

 明日、行われるセミナー兼食事会では勿論ダイヤモンドの物理的価値と共に、恐れずダイヤモンドの総合的価値を伝える事を心に命じ、情緒や感性から見たダイヤモンドの価値や魅力についてもお話しをする際にお勧めできないダイヤモンドもある事の説明もすべきと考えています。

 亡くなった友人との間で交わされた会話を思い出します。
『私は子供がいないので、もし将来私が先に亡くなるような事があれば和さん私の持っているダイヤモンドをお金に換えて恵まれない子供たちに寄付してあげてくださいね。』

『馬鹿な事を云うんじゃないよ。順序からいってもこちらが先だよ。でもいい考えだとは思うよ』

 『そうなの、生きている間は自分で楽しんでそれが将来恵まれない子供たちの役に立つと思うとダイヤモンドの買いがいがあると思うんですよ』

 『そうだね。将来そういう事が普通に行われるようになるといいね。それもダイヤモンドの魅力だからね』

 会話を思い出すたびに最初にセミナーでお話をしようと思っていた事と中身が変わるかもしれないと思うとともに触れないでおこうと思う気持ちが錯綜します。

 しかし、間違いなく自分の中に変化があるとは考えています。有る意味では明日のセミナーに関して期待感もあり、不安感も有りです。講師がこんな事を云っていてはいけませんが・・・、。

2012年7月18日水曜日

ダイヤモンドの性能!?

 ダイヤモンドの価格基準として4つのCがあることは知られていますが、このほかにライフというものがあるということは以前にも述べました。これはあくまでも重量、色、清澄度、研磨を指していることは当然ですが、その表記が価格を決めているわけではないことも以前に記述をしました。

 しかし、誤解が多いのはそのレポートが価格基準になっているという様に思っている方が多いということです。グレーディングレポートとはあくまでもダイヤモンドの重量と寸法だけが絶対的なものでそれ以外はあくまでもそれぞれの鑑定機関の条件下による基準です。

 つまり、車でいうカタログみたいなもので、重量、排気量は法律に照らし合わせてある程度一定でしょうがマイレイジに関しては、あくまでもメーカー独自の条件で行われた参考にすぎません。また、乗り心地に関してもカタログで表せるようなことではありません。

 グレーディングレポートに関してもダイヤモンドの性能スペックを表したもので、見た目や美しさの感じ方はあくまでもそれを目にした人がどう思うかということです。
 

 今回のイスラエルの買い付けの際に何度もこのような内容が話に出てきました、それというのも今回ファンシーシェイプを中心に買い付けをしたのですが、ものが不足していることもあり、思ったものがなかなか出てこず、落胆のたびにブローカー達と話し合った結果でした。

 形や照りを何度説明しても
『今度のは最高の形でKAZの思うようなものだよ』
と見せられて何度落胆をしたことでしょうか。

 必ずしも売らんがために言っているわけではなく本当にそう思っているのです。
『GIAのレポートがついてDカラーのSIクラスメイクはEXだよ』
と言われて、グレードがついているなら間違いはないだろうと期待をしていると・・・。

 なぜにこんなに違うんだろうとガッカリしますが、レポートは間違いがないのです。ただ感性が違うだけなのです。

 ダイヤモンドの性能はカタログだけでは説明できないと改めて感じた次第であります。今回の買い付けはダイヤモンドの性能の深さを感じるには十分な試練でした。何事も終わりはないものです。

 
 

2012年7月15日日曜日

ダイヤモンドの価格?

 先月の香港ショー以来ダイヤモンドの価格が低迷しているとここイスラエルの連中も井戸端会議をしています。

 
 
 指標となるリストも若干の修正を加えなければならないと告げていますが、それでは本当に価格が下がっているのでしょうか。

答えはノーです。つまり、取引所で囁かれていることは
『損をしてまで研磨は誰もしないよ』

 多くのオーナーたちは果報は寝て待てというところですか。取引所でも品物が足りなくて多くの人々が困っているのが実情です。

 もちろん、市場在庫に関しては経済の条件が作用しますので値下がりもあるかもしれませんが
常に少ない価値のあるものに関しては研磨上りとなりますので研磨されないとすると決して値下がりは起きないのです。

 価値あるものは常にそれなりの価格であるということですね。取引所においてもそういうことですね。
 

2012年7月14日土曜日

ダイヤモンドへの出会い

現在、早朝の羽田空港・・・。

本日より、またかの地イスラエルへ参ります。
もう何回の訪問だろう?

三十余年通い始めて、多いときは年13回の渡航となりイミグレーションで
『あなたは外国人で一番の出入りだよ』
と言われたことがある。

その頃は同時に米国やヨーロッパ、香港と訪れていたのでどれくらいの時間機上の人と
なっていたのだろうか。

この仕事に付き、早40年を迎えようとしているのにいまだダイヤモンドとの付き合いが止められていない。

というよりダイヤモンドに生かされているような気もします。本来であればディーラーという過酷な仕事を続ける都市ではないのですが現在はなんちゃってディーラーだろうと思います。

自身のお店のものと大粒の依頼、そして数社の注文を受け、こなすだけの状況で年齢に見合った仕事をさせてもらっています。

今は、少しでも多くの人に本当のダイヤモンドの魅力を知ってもらうために日々伝道師状態であります。常に新しい情報を得るための買い付け仕事ではありますが楽しくさせてもらっています。

本日は羽田発の仁川経由でイスラエルへダイヤモンドたちとの出会いのために向かいます。また、
新たな出会いがあるのかと思うと年甲斐もなくわくわくします。

毎回であったことのないダイヤモンドたちに出会えますからね・・・・。

では・・・・。

2012年7月6日金曜日

ダイヤモンドに託す!?

 最近Face book上で以前からの友人とコンタクトをとる事が出来ました。旧姓も変わり最初は解りませんでしたが、明らかに私の知っている彼女でした。その後彼女の娘の写真をやはりFB上で見ることになった時に胸に熱いものを感じたのです。

35年前ほどに米国にいた頃知り合ったばかりの友人はロサンジェルスにほど近い海岸線のサンタモニカに住んでいました。彼女は日本人のボーイフレンドを持っていた事もあり、息はすぐに統合し、渡米したばかりの私の世話も焼いてくれたものでした。

彼女の家を訪問すると本当に一般的な米国の家庭で会社員の父親と主婦業の母親と高校に通う妹との4人家族で本当に私が小さいころからTVなどのホームドラマで見るような典型的な家族でした。

幸せに暮らしていた家族を一瞬にして暗くしたものは母親の癌の告知でした。体調は以前からよくないとは聞いていましたが、突然のことでしたので小生も驚き病院へ駆けつけたのは、まもなく母親の人生の終わりをつげるその時でした。

『今までありがとう』
この一言が母親の家族への最後の言葉となりました。

その際に母親から友人に手渡されたのは父親からもらった婚約指輪でした。
『これを私だと思って、代わりに皆の面倒を見てあげて』
といわれて渡された物は1カラットのダイヤモンドのついたシンプルな18金の指輪でした。

その後彼女は自らの指にはめるものは彼女の伴侶から贈られた物にする為に母親から受け継いだダイヤモンドは私が預かりペンダントにリフォームを行いました。

母親のイニシャルをもじった”J”の形にダイヤモンドをあしらった物はなかなかの出来栄えと自身も満足のいくものだったのです。

それがまさか彼女の娘の胸に飾られているとは『感無量』です。
時を超え一瞬で当時の事がメリーゴーランドのように頭の中を駆け巡り、感慨にふけ入りました。

35年あまりの時間は長く感じておりましたが、たったひとつのダイヤモンドが私を当時の時空に戻してくれて、
『KAZ,アメリカは良き友人を持ってそのアドバイスを聞き、自分で判断をする事が出来なければ楽しく過ごせないわよ。貴方ならできるわ』
と友人の母親から言われた一言。

当時カルチャーギャップとホームシックに少し陥っていた小生を勇気づけてくれたものです。最近、年のせいか何かと妥協が多くなってきている自分に嫌気がさしていた時の出来事でした。

友人の娘が着けていたダイヤモンドのペンダントは明らかにそんなん自分に友人の母親から託された小生へのメッセージのように心に感じる物がありました。当時の自分を振り返り、その頃の思いを感じ頑張ろうという気持ちになれた事はまさに、こちらの取り様でもありますが友人の母親から今の自分に贈られたメッセージのような感じがします。

多分、彼女がなくなる時に色々な思いを込めて娘に贈ったダイヤモンドだったのでしょう。

『間違いなく、あなたがダイヤモンドに託した思いは私達に届いています』

そんな一言を亡くなった友人の母親に伝えたいと気持ちと同時にアメリカに渡って初めて挨拶のキスを彼女から頬に受けた感触がわき上がってきました。

時を超えてほんのりとした気分に浸った瞬間をくれたFBとダイヤモンドに感謝です。

2012年7月3日火曜日

何故にダイヤモンド?


『何故、ダイヤモンドに価値があるんですか?』

昨日、訪れた二十代の女性が唐突に口にし、私の顔を覗き込みました。
今までも何度も向けられた質問ではありますが、何故かその質問に気持ちがひっかり一つ一つ答えて自身も再認識をしてみました。

ダイヤモンドはよく『不変の価値』と称される事がありますが、その意味は多くの人は『価値が変わらない』という事だと思っていますが、本当は『変化しない事の価値』がスタートだと認識をしています。

つまり、宇宙が出来てからあらゆるものが変化し、進化してきましたが、近視眼的に見ても歴史的に、そして環境的にも変化も必要だった訳です。これは何も人類だけに言える事ではなくさらゆる有機質、無機質問わず言える事です。

宇宙の中でも水素、ヘリウム、に次いで原始元素である炭素等の元素は変化をしないものの、目に見え人類が認識する部分ではありません。

つまり、単純炭素原子の集合体であるダイヤモンドは変化をしない人類が一番認識しているものであるともいえる訳です。勿論他にも鉱物などでは存在しますが人間が感性を含め、認めたものとしてはダイヤモンドしか存在しないのだと思います。

そういった物理的要素を含めて永く変化をしないという事が価値である事、その上で美しく、希少性が高く耐久性があるといった要素に経済的価値が伴っていてダイヤモンドの価値だと考えています。

変わらない事の難しさは昨今の政治や経済を見ていると明快に理解が出来ますが、世の中に変わらないものがあるという事は別の意味での価値観を生み出す指標になるという事にもある訳です。

総論を組む時絶対的に不変な事を目安に主を置き、その上での各論を組む事が常道だと考えますが、その都度の各論を前提に物事を進めると、昨今の政治状況のようになるのだろうと考えます。その上でも変わらない目安としての価値を大事にするという事とそれを指標にする事は重要な事なのです。

結論を言いますとダイヤモンドは変質しないという価値、その上で宝石としての価値があるという事がダイヤモンドの価値なのだと思います。そして、貨幣が其々の発行国が価値を保証している様にダイヤモンドの価値は歴史と人類が保証をしている価値なのです。そして、国破れて山河燃えという状態になって貨幣の価値がなくなったとしてもダイヤモンドの価値が変化することはないという事になります。

ただし、ダイヤモンドを取り扱う人々や組織がその価値を抹消すればその限りではありませんが、その事はその人々の存在価値をも消滅させるのでその可能性は低くなります。

故にダイヤモンドなのです。