今年もあとわずかです。
不思議な事を思い浮かべました。
それは、後僅かではありますが未来です。つまりこれからの事ですから時間に限定
を付けるという人間の概念は不思議だなと思った訳です。
宇宙の始まりから考えると過去を振り返る事は何ら不思議ではないのですが未来に
時間を付ける概念に不思議さを感じるのは私だけでしょうか?
過去を検証できる事は勿論理解できるのですが未来を測る事は結果的には過去を
振り返った事にしかならないような気がしてきたのです。
今でも宇宙のどこかで惑星が生まれ、そして爆発を起こしている訳ですが元々は
以前にも書いたかもしれませんが素粒子という極微細な物な訳で、それが地球を
何倍にもしたような惑星や物体になっていき、さら変化をしている訳です。
それを考えると前述した『今年も後僅かです』という言葉が不思議な訳です。
壮大な宇宙の営みの中の一つに『今年も後僅かです』という事象が入ってくるのかと
思うと人間の思考と言おうか創造性は物作りという意味ではなく凄いなと思います。
正確に言うと未来に確約されている事は何もないのですが、人間の思考の中である
程度の事が実際に起きて事象が進むという事はものすごい事で、それを日常として
すごしている事を考えると人類の頭の中は宇宙の奇跡と言っても過言ではない様な
気がします。
その延長で考えると人間の想像することはその奇跡の上にあるので、裏返して言う
とその中でどんな事を考えだしたとしても大したことではないのだろうと思います。
つまり、人類として存在し、近未来とはいえその想像がつく事自体が凄い事なのです
からそれ以上の事は取るに足らない事なのかもしれません。
エジソンにしてもホ―キンス博士にしても歴史の偉大な人々にしても超奇跡の上で
の事ですから、大した事がないのかもしれません。
とりとめもなくなりましたが、『今年も後僅かです』という事自体が実はすごい事なの
かもしれない、なんて年末に考える事では無いかもしれませんが・・・。
あまり深くはとらないでくださいね。漠然と思っただけですから。
それでは来年は良い年でありますように・・・。
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2011年12月30日金曜日
2011年12月26日月曜日
価値
クリスマス・イブの土曜日の昼下がり、颯爽とドアを開け店内に入ってきたのは
時々このブログでも登場する女流建築士の友人である。
『先日、展示会で見つけておいたペンダントを見に来ました』
今月の初旬に取引先の展示会に案内をして気に入っていた物をお取りし、改めて
見てみたいと来店をされた訳です。
『どうですか?髙木さん』
『いつもと雰囲気は違うかもしれないね』
とその際に同行をしなかった私が答えると
『デザインが変わっていて良いかなと思ったんですけどね』
『改めてみてみるとやはり、一つ石の方が良いかもしれないなぁ~』
とつぶやくと
『ところで、今回家の改装をしているんですけど、片づけていたら今まで買った
洋服についてくる予備のボタンがなんと靴箱の2つ分になっていたのよ』
『それはすごいね。それって何着分くらいなの?』
『数百着分にはなるわ』
『それはすごいね』
『そっこで私は考えたの。ストレス発散もあって買ったんだけれど着ていない物も
含めて、置く場所とか考えるとダイアモンドのコストパフォーマンスはすごい。』
『随分飛躍したね』
『いや飛躍じゃあないと思うわ。だって流行もないし、ずーっと使っている事が
出来るし、しまうのに場所はとらないし、後で造り変えだって出来るでしょ』
『確かにそうだけど、着るものも大事だからね』
『勿論そうですよ。でも娘にもあげる事が出来るし、いざとなったら価格は解らない
けど、売ることもできるでしょ。勿論売るつもりはないけど絶体的に価値があるわ』
『そう言ってもらえるとうれしいね。本来の価値を理解しているとお金を使うのだっ
ら何に使うかという事を頭において使うと良いからね』
『そうなんですよ。ストレス解消にお金を使うんだったら絶対にダイアモンドがいい
と思う。だって後悔がないから・・。』
『今まで使ったお金は相当になるなぁ~て、ボタンを見ながら考えていたら、ホント
に無駄遣いをしたな~と思いますよ。』
経験やキッカケで価値観が変わってくる事はままある事ですが価値が変わらない
物に価値を見出す事が成長なのかな・・と思いながら彼女の話を聞いていました。
価格を下げずに価値をあげる事は供給者が心掛けなければならない基本では
ありますが、消費者も経験を経る事により価値を理解し、価格を理解するという事
は市場や経済を潤滑に回る為には必要不可欠な条件である事を彼女の会話に
より大げさではありますが改めて感じた次第です。
価格を下げて市場を独占すれば結果的に勝利といった現代のグローバル経済の
まやかしにそろそろ社会も気がついても良い時なのかもしれない。グローバル経済
に向かっての規制緩和というものについては多くの経済学者も反省をしている現在
でもあります。
一人の勝利のために他の犠牲者はやむ得ないといった経済は決して健全ではあ
りません。未だにマーケットに支配率を目指す経済書を書いている若い経済エコノミ
ストもいますが内容を見てもあまりにも稚拙で出版社も良く出したものだと考えます。
価値を損なう市場理論はある部分では正解でしょうが全てではなくジャンルによっ
てへは市場原理が本来の価値を失わせることもあるのではないかと憂うこともあり
ます。
価値を守ることは価値を理解することから始まり、価値を守るためには市場原理
に身を任せるでけではだめだという事でしょう。
時々このブログでも登場する女流建築士の友人である。
『先日、展示会で見つけておいたペンダントを見に来ました』
今月の初旬に取引先の展示会に案内をして気に入っていた物をお取りし、改めて
見てみたいと来店をされた訳です。
『どうですか?髙木さん』
『いつもと雰囲気は違うかもしれないね』
とその際に同行をしなかった私が答えると
『デザインが変わっていて良いかなと思ったんですけどね』
『改めてみてみるとやはり、一つ石の方が良いかもしれないなぁ~』
とつぶやくと
『ところで、今回家の改装をしているんですけど、片づけていたら今まで買った
洋服についてくる予備のボタンがなんと靴箱の2つ分になっていたのよ』
『それはすごいね。それって何着分くらいなの?』
『数百着分にはなるわ』
『それはすごいね』
『そっこで私は考えたの。ストレス発散もあって買ったんだけれど着ていない物も
含めて、置く場所とか考えるとダイアモンドのコストパフォーマンスはすごい。』
『随分飛躍したね』
『いや飛躍じゃあないと思うわ。だって流行もないし、ずーっと使っている事が
出来るし、しまうのに場所はとらないし、後で造り変えだって出来るでしょ』
『確かにそうだけど、着るものも大事だからね』
『勿論そうですよ。でも娘にもあげる事が出来るし、いざとなったら価格は解らない
けど、売ることもできるでしょ。勿論売るつもりはないけど絶体的に価値があるわ』
『そう言ってもらえるとうれしいね。本来の価値を理解しているとお金を使うのだっ
ら何に使うかという事を頭において使うと良いからね』
『そうなんですよ。ストレス解消にお金を使うんだったら絶対にダイアモンドがいい
と思う。だって後悔がないから・・。』
『今まで使ったお金は相当になるなぁ~て、ボタンを見ながら考えていたら、ホント
に無駄遣いをしたな~と思いますよ。』
経験やキッカケで価値観が変わってくる事はままある事ですが価値が変わらない
物に価値を見出す事が成長なのかな・・と思いながら彼女の話を聞いていました。
価格を下げずに価値をあげる事は供給者が心掛けなければならない基本では
ありますが、消費者も経験を経る事により価値を理解し、価格を理解するという事
は市場や経済を潤滑に回る為には必要不可欠な条件である事を彼女の会話に
より大げさではありますが改めて感じた次第です。
価格を下げて市場を独占すれば結果的に勝利といった現代のグローバル経済の
まやかしにそろそろ社会も気がついても良い時なのかもしれない。グローバル経済
に向かっての規制緩和というものについては多くの経済学者も反省をしている現在
でもあります。
一人の勝利のために他の犠牲者はやむ得ないといった経済は決して健全ではあ
りません。未だにマーケットに支配率を目指す経済書を書いている若い経済エコノミ
ストもいますが内容を見てもあまりにも稚拙で出版社も良く出したものだと考えます。
価値を損なう市場理論はある部分では正解でしょうが全てではなくジャンルによっ
てへは市場原理が本来の価値を失わせることもあるのではないかと憂うこともあり
ます。
価値を守ることは価値を理解することから始まり、価値を守るためには市場原理
に身を任せるでけではだめだという事でしょう。
2011年12月24日土曜日
ダイアモンドの美しさ!?
今夜はクリスマス・イブであります。
やはり、クリスマス寒波は効きますね。
但し、お店のディスプレーや街中のイルミネーションは綺麗にはえて
美しいですね。ところでダイアモンドですがやはり美しく照明に輝いております。
『ダイアモンドの美しさは感じるもので考えるものではない』という事を云う人もいますが、確かにダイアモンドは人々の心を育てるものであり、人によって美しくは見え無いというものではないと思います。
『美人の貴女、安心しなさい。皆が貴女を美人と思っている訳ではありません』とい
う事が一般的な人間社会ではありますが、ダイアモンドは皆が美しいと思うもので
あります。
つまり、ダイアモンドの美しさは心で見ているのです。
子供たち大半がサンタクロースの存在を信じているのはみているのではなく、感じているのと同じなのです。
教訓
『目に見える物が感情を支配するが、直感がそれを否定するときがある。』
直感を信じましょう。
さあ~ッ、今夜はサンタクロースが子ども達の前に現れるのかな?
ダイアモンドは目に見えるサンタクロースなのですよ。素直にながめてみましょう。
『メリー・クリスマス!!』
やはり、クリスマス寒波は効きますね。
但し、お店のディスプレーや街中のイルミネーションは綺麗にはえて
美しいですね。ところでダイアモンドですがやはり美しく照明に輝いております。
『ダイアモンドの美しさは感じるもので考えるものではない』という事を云う人もいますが、確かにダイアモンドは人々の心を育てるものであり、人によって美しくは見え無いというものではないと思います。
『美人の貴女、安心しなさい。皆が貴女を美人と思っている訳ではありません』とい
う事が一般的な人間社会ではありますが、ダイアモンドは皆が美しいと思うもので
あります。
つまり、ダイアモンドの美しさは心で見ているのです。
子供たち大半がサンタクロースの存在を信じているのはみているのではなく、感じているのと同じなのです。
教訓
『目に見える物が感情を支配するが、直感がそれを否定するときがある。』
直感を信じましょう。
さあ~ッ、今夜はサンタクロースが子ども達の前に現れるのかな?
ダイアモンドは目に見えるサンタクロースなのですよ。素直にながめてみましょう。
『メリー・クリスマス!!』
2011年12月19日月曜日
ダイアモンドの旅立ち!?
先日、たまたま派遣会社の社長とお話をする機会があり、この会社で派遣をして
いる宝飾関連の派遣社員に関するセミナーを行ってほしいとのことでした。
最近、展示会等で私自身も経験していますが、ダイアモンドに関する知識が豊富
な消費者が増えている事が気になっているという事もあるようです。
『実は、先ほど友人からメールがあり、そちらの会場にタイプⅡのダイアモンドは
ありますかと問い合わせがあったのですがどうでしょうか?』
展示会場にいた私のところに来てそう尋ねたのは熟年の紳士でした。何でもダイ
モンド好きの仲間が集まってメール上でやり取りをして其々の行った会場の情報を
やり取りしているのだという事です。
そのほかにも知っているだけでファンシーカラーのダイアモンドだけを集めて互い
に見せ合う会を模様しているとか、今までとは違った観点でダイアモンドに興味を
持ってきた人々が現れた事は私自身は歓迎をします。
現代の日本においてはジュエリーの世界だけでのダイアモンドという価値で市場が
形成をされてきたので市場ではあらゆるトラブルが起きる原因となってきました。
ダイアモンドの本来の価値については以前からブログでも述べてきているので此
の場では簡略をするとして、さらに価値観としても現代においては変化が現れてき
ている点に注目をしています。
前述のようにダイアモンドを趣味の世界で見ている人や、財産の保全として考え
ている人、工業用素材の一つとして考え、物理的見地から興味を持っている人と
勿論宝飾品として憧れている人、そしてその中でも単なるブライダルの儀式用品
と考えている人と挙げればきりがないほど多角的用途と言ってよいのかあります。
自身でも挙げていて、そういえば随分と色々な見方があるなと驚いていますが
それだけ現代においてはダイアモンドの見方が色々なのでしょう。
まさに過去の日本独自の4Cや価格競争を基本とした文化に別れを告げ、本来
ダイアモンドの価値へと旅立つ瞬間に立ち会っているような気がしており、正に長年
自身が頭から離れずにいた事が現実になってきた実感があるのです。
本当は心の底から4Cのまやかしをぶちまけたい心境を抑え、誤った知識を並べ
立てている街中の宝石店をどれだけ諌めたいと思ってきた事だろうか。しかし、私
自身も業界にいてトラブルを起こそうと思っている訳でもないし、現実に本当のプロ
達は今の状況を良いとは考えていない訳で時間が必要である事は認識をしていま
したから其々の範疇で少しづつ変えたいと思っていた事も事実です。
私自身も自ら店舗の運営に関わる事になり、また川下である小売の場に居合わ
せる機会も頂き、それなりの啓蒙の活動を続けています。
そんな中の冒頭のような市場の変化は真に心強い訳でありますが、今後益々
ダイアモンドの本来の価値を広げていけるよう微力ではありますが努力をしたい
と思っている訳です。まさにダイアモンドの夜明けは間近なのだと期待しております。
いる宝飾関連の派遣社員に関するセミナーを行ってほしいとのことでした。
最近、展示会等で私自身も経験していますが、ダイアモンドに関する知識が豊富
な消費者が増えている事が気になっているという事もあるようです。
『実は、先ほど友人からメールがあり、そちらの会場にタイプⅡのダイアモンドは
ありますかと問い合わせがあったのですがどうでしょうか?』
展示会場にいた私のところに来てそう尋ねたのは熟年の紳士でした。何でもダイ
モンド好きの仲間が集まってメール上でやり取りをして其々の行った会場の情報を
やり取りしているのだという事です。
そのほかにも知っているだけでファンシーカラーのダイアモンドだけを集めて互い
に見せ合う会を模様しているとか、今までとは違った観点でダイアモンドに興味を
持ってきた人々が現れた事は私自身は歓迎をします。
現代の日本においてはジュエリーの世界だけでのダイアモンドという価値で市場が
形成をされてきたので市場ではあらゆるトラブルが起きる原因となってきました。
ダイアモンドの本来の価値については以前からブログでも述べてきているので此
の場では簡略をするとして、さらに価値観としても現代においては変化が現れてき
ている点に注目をしています。
前述のようにダイアモンドを趣味の世界で見ている人や、財産の保全として考え
ている人、工業用素材の一つとして考え、物理的見地から興味を持っている人と
勿論宝飾品として憧れている人、そしてその中でも単なるブライダルの儀式用品
と考えている人と挙げればきりがないほど多角的用途と言ってよいのかあります。
自身でも挙げていて、そういえば随分と色々な見方があるなと驚いていますが
それだけ現代においてはダイアモンドの見方が色々なのでしょう。
まさに過去の日本独自の4Cや価格競争を基本とした文化に別れを告げ、本来
ダイアモンドの価値へと旅立つ瞬間に立ち会っているような気がしており、正に長年
自身が頭から離れずにいた事が現実になってきた実感があるのです。
本当は心の底から4Cのまやかしをぶちまけたい心境を抑え、誤った知識を並べ
立てている街中の宝石店をどれだけ諌めたいと思ってきた事だろうか。しかし、私
自身も業界にいてトラブルを起こそうと思っている訳でもないし、現実に本当のプロ
達は今の状況を良いとは考えていない訳で時間が必要である事は認識をしていま
したから其々の範疇で少しづつ変えたいと思っていた事も事実です。
私自身も自ら店舗の運営に関わる事になり、また川下である小売の場に居合わ
せる機会も頂き、それなりの啓蒙の活動を続けています。
そんな中の冒頭のような市場の変化は真に心強い訳でありますが、今後益々
ダイアモンドの本来の価値を広げていけるよう微力ではありますが努力をしたい
と思っている訳です。まさにダイアモンドの夜明けは間近なのだと期待しております。
2011年12月14日水曜日
ダイアモンドの美しさ
時々ずいぶん長い間ダイアモンドを見てきたなぁ~・・とつくづく思う事があります。
それは何故にダイアモンドは人々を魅了するのかなぁ・・・と思ったり、どこにその
魅力があるのだろうと思いますが・・・・。
美しいだけならほかにも沢山の物があり、決してダイアモンドだけではないと思い
ます。自身がダイアモンドのビジネスをしながら思うのはおかしいかもしれませんが
美しいプラスそこには最も古いかもしれない美しさ(勿論人類にとってだけですが)
がそこにはあり、そこの部分に私達は価値を感じ、価値があればそこにビジネスが
生まれるのは当たり前と言えば、当り前ですが・・。
以前はダイアモンドの美しさを表すものとしてブリリアンシー、ディスパージョン、
シンティレーションという言葉がありました。これはスペクトル効果と白色光、煌き
を現した言葉ですが、現在はファイアー、ブライトネス、シンティレーションという風に
言い換えあられていますが、いずれにしても私達がダイアモンドに美しさを感じる
要素ではある訳です。
未だに答えの出ない疑問に対して冒頭の感慨にふける事が良くある訳です。
答えをあえて探すなら人間が自然界で培われた(これは環境や状況に関わらず)
美に対する基本的な感じ方の原点にダイアモンドはあるのかなと思います。
それは有機的な美しさというものは常に変化しますが無機的な美しさというのは
不変的に存在し、その頂点にあるのがダイアモンドの様な美しさであり、不変が故
に歴史上どの時点でも人間はそれを感じる訳ですから人類にとっての恒常的な美
となる訳です。
つまり、理屈ではなく人類のDNAに刷り込まれてきた美しさであり、ダイアモンド
その物は美という環境なのかもしれんせん。それゆえに歴史を引き継いだり、歴史
を伝える媒体としての役割を担ってきたのかもしれません。
ダイアモンドの美しさはやはり人間の心境や状況で変化する感じる美しさではなく
身体に刷り込まれている感覚としての美なのでしょう。空気や水と同じなのかもしれ
ません。
それは何故にダイアモンドは人々を魅了するのかなぁ・・・と思ったり、どこにその
魅力があるのだろうと思いますが・・・・。
美しいだけならほかにも沢山の物があり、決してダイアモンドだけではないと思い
ます。自身がダイアモンドのビジネスをしながら思うのはおかしいかもしれませんが
美しいプラスそこには最も古いかもしれない美しさ(勿論人類にとってだけですが)
がそこにはあり、そこの部分に私達は価値を感じ、価値があればそこにビジネスが
生まれるのは当たり前と言えば、当り前ですが・・。
以前はダイアモンドの美しさを表すものとしてブリリアンシー、ディスパージョン、
シンティレーションという言葉がありました。これはスペクトル効果と白色光、煌き
を現した言葉ですが、現在はファイアー、ブライトネス、シンティレーションという風に
言い換えあられていますが、いずれにしても私達がダイアモンドに美しさを感じる
要素ではある訳です。
未だに答えの出ない疑問に対して冒頭の感慨にふける事が良くある訳です。
答えをあえて探すなら人間が自然界で培われた(これは環境や状況に関わらず)
美に対する基本的な感じ方の原点にダイアモンドはあるのかなと思います。
それは有機的な美しさというものは常に変化しますが無機的な美しさというのは
不変的に存在し、その頂点にあるのがダイアモンドの様な美しさであり、不変が故
に歴史上どの時点でも人間はそれを感じる訳ですから人類にとっての恒常的な美
となる訳です。
つまり、理屈ではなく人類のDNAに刷り込まれてきた美しさであり、ダイアモンド
その物は美という環境なのかもしれんせん。それゆえに歴史を引き継いだり、歴史
を伝える媒体としての役割を担ってきたのかもしれません。
ダイアモンドの美しさはやはり人間の心境や状況で変化する感じる美しさではなく
身体に刷り込まれている感覚としての美なのでしょう。空気や水と同じなのかもしれ
ません。
2011年12月9日金曜日
オークション。
毎年12月になると、以前店内で行っていたチャリティーオークションを思い浮かべ
ます。昨年、今年と時間の都合もあり他の方法で活動をさせて頂くようになりましたが。
オークションで心に残っている事をこの時期になると思いだします。
それは5年前の事です。
オークションに参加をした青年2名がダイアモンドのブレスレットを競り合い、一方
の青年が落札をした時の事です。
『良かった。どうしてもこのオークションでの品物を手に入れたかったんですよ』
このオークションはタイのHIVキャリアーで母子感染をした子供たちの支援の為の
もので売上金は全額『バーンロムサイ』というこの施設に寄付をされます。
『実は先週末に娘が生まれまして、このブレスレットをその思い出にしたいと思って
今した。』と感慨深げに手に入れたブラスレットを眺め
『このブレスレットはまずは妻にありがとうの意味を込めてしてもらい、将来的に
生まれた娘に、このような子供の為のオークションでお前の事を考えながら手に入
れたものだよ。と話した上で妻から娘にバトンタッチしてもらいたいんですよね。』
『ダイアモンドのようなものでなければそうは出来ないですよね』
と言葉をつなぎながら話していた事を思い出します。
一方の青年は婚約者にクリスマスプレゼントとして是非思い出に手に入れたかった
と言っていましたが、実はこの二人は同僚で一方の思い入れを理解して
『プレゼントはほかの物にします。彼の方が時間を超えて娘にメッセージを伝え
たいという気持ちが強いし、それを理解できますからね。』
結局その青年も婚約者に指輪を購入し、クリスマスプレゼントにしました。
もう一つのストーリーは同じオークションでの事ですが、ある女性がダイアモンドの
パヴェ留め(小さなダイアモンドを沢山留めた物)の指輪を競り合いの中で落札され
ました。
その指輪は大変品のある美しいものでしたが彼女の落札した時のコメントが心に
残っています。
『タイの施設の子供たちは30人なんでしょ・・・。』
この一言は後日彼女のトークショーの中で語られた想いに表れています。
『この指輪は先日、自由が丘のマダムジェイというお店で行われたオークションで
手に入れたものなんです。此処には施設の子供たちの数と同じ30個のダイアが
留められているいんです。とても思いれが出来た指輪なので大事にしていこうと思っ
ています。』
彼女は女優という仕事柄、色々な役をこなす中で私自身が感じる最も彼女らしい
一面の様な気がします。
本来であれば名前の公表はまずいのかもしれませんが、あえて公表させていた
だきますがその女性の名前は『飯島直子』さんです。
彼女はボランティアで色々なチャリティーにも参加をし、等身大で色々なお手伝い
をなさっています。
この時期になるといつも思い出す事ではありますが、いつも心が温まりダイアモン
ドが作り出す物語を通してもっとその役割を広めていかなければと考える訳です。
ます。昨年、今年と時間の都合もあり他の方法で活動をさせて頂くようになりましたが。
オークションで心に残っている事をこの時期になると思いだします。
それは5年前の事です。
オークションに参加をした青年2名がダイアモンドのブレスレットを競り合い、一方
の青年が落札をした時の事です。
『良かった。どうしてもこのオークションでの品物を手に入れたかったんですよ』
このオークションはタイのHIVキャリアーで母子感染をした子供たちの支援の為の
もので売上金は全額『バーンロムサイ』というこの施設に寄付をされます。
『実は先週末に娘が生まれまして、このブレスレットをその思い出にしたいと思って
今した。』と感慨深げに手に入れたブラスレットを眺め
『このブレスレットはまずは妻にありがとうの意味を込めてしてもらい、将来的に
生まれた娘に、このような子供の為のオークションでお前の事を考えながら手に入
れたものだよ。と話した上で妻から娘にバトンタッチしてもらいたいんですよね。』
『ダイアモンドのようなものでなければそうは出来ないですよね』
と言葉をつなぎながら話していた事を思い出します。
一方の青年は婚約者にクリスマスプレゼントとして是非思い出に手に入れたかった
と言っていましたが、実はこの二人は同僚で一方の思い入れを理解して
『プレゼントはほかの物にします。彼の方が時間を超えて娘にメッセージを伝え
たいという気持ちが強いし、それを理解できますからね。』
結局その青年も婚約者に指輪を購入し、クリスマスプレゼントにしました。
もう一つのストーリーは同じオークションでの事ですが、ある女性がダイアモンドの
パヴェ留め(小さなダイアモンドを沢山留めた物)の指輪を競り合いの中で落札され
ました。
その指輪は大変品のある美しいものでしたが彼女の落札した時のコメントが心に
残っています。
『タイの施設の子供たちは30人なんでしょ・・・。』
この一言は後日彼女のトークショーの中で語られた想いに表れています。
『この指輪は先日、自由が丘のマダムジェイというお店で行われたオークションで
手に入れたものなんです。此処には施設の子供たちの数と同じ30個のダイアが
留められているいんです。とても思いれが出来た指輪なので大事にしていこうと思っ
ています。』
彼女は女優という仕事柄、色々な役をこなす中で私自身が感じる最も彼女らしい
一面の様な気がします。
本来であれば名前の公表はまずいのかもしれませんが、あえて公表させていた
だきますがその女性の名前は『飯島直子』さんです。
彼女はボランティアで色々なチャリティーにも参加をし、等身大で色々なお手伝い
をなさっています。
この時期になるといつも思い出す事ではありますが、いつも心が温まりダイアモン
ドが作り出す物語を通してもっとその役割を広めていかなければと考える訳です。
2011年12月1日木曜日
ダイアモンドの価値!?
先日セミナーを開催した際に参加者の方から
『ダイアモンドの価値は誰が保証するんですか?』
といった質問がありなるほどと思いました。
多くの物の価値は人それぞれでしょうが、例えば貨幣などは其々の国の政府が
保証をし、その国の経済力や社会の安定力によりそな価値は決まってきます。
株券にしてもちゃんとしているかどうかは別にして取引所が存在し、その運営に
よって株価の価値を決めています。
ダイアモンドに関しては取引所も存在し、相場も存在しますが皆さんが接している
宝飾品の素材の価値というよりも資産に近いダイアモンドのレベルの物を指します。
しかし、どこかの国の政府がその価値を保証している訳でもないし、誰もが参加を
できる取引所での取引が行われている訳でもありません。
それでは、ダイアモンドの価値は誰が保証をするのでしょうか?
はっきりしている事は人類の歴史の中での保証であり、その歴史の保証は今後も
継続される事を指差しています。つまり、これ以上の保証はない訳で、場所や時代、
環境に左右されてこなかった唯一と言っていいものです。
其々の国や政府にしても短い期間で環境が変わりその貨幣価値というものは日本
であってもものすごく大きな変化をしています。これは一つの国の約束事は長い期間
で考えるとあまりあてにならない事を示しています。国債などはその典型と言って
良いでしょう。
一見すると大きな銀行や証券会社が扱う金融物は人々に大きな勘違いをさせる事
があります。それはいかにも資産の保全や運用での利益を約束しているように見えま
すが、じつはそれらの損失の何の補てんもしてくれないのがこれらの金融商品です。
それに引き換えダイアモンドは自らが保持し自らの意思で販売をする事が出来ます。
つまり、その価値が紙くず同然になったり、ジェットコースターのような危険な相場と
いう乗り物に乗る必要もないのです。ただし、デイトレードのような右左に動かして利
益を売る安易な事は出来ません。
ギャンブルのような金融商品に反してダイアモンドは過去の歴史の中で原石$基本
ではほとんど値下がりをした事はありません。それではなぜ皆はダイアモンドに金融
商品としての道を求めないのでしょうか?
ダイアモンドは一般的に言うお金持ちの数より数が少ない(2ct良質以上)のです。
それゆえ、お金があってもその輪の中には入る事が非常に難しく一部のお金持ちの
ホームグランドとなり、あまり縁のない人々がこの円の中に入る事は難しいのです。
そしてそれらの人々がその受益権を十分に堪能しているのです。しかし、皆さんが
その輪の中に入る事は難しいのでしょうか?イヤ、そんな事はありません。その為の
ディーラーが存在しています。私自身もその仕事に携わってきました。ご興味のある
方にはご教示する準備は出来ています。何時でもご相談ください。
『ダイアモンドの価値は誰が保証するんですか?』
といった質問がありなるほどと思いました。
多くの物の価値は人それぞれでしょうが、例えば貨幣などは其々の国の政府が
保証をし、その国の経済力や社会の安定力によりそな価値は決まってきます。
株券にしてもちゃんとしているかどうかは別にして取引所が存在し、その運営に
よって株価の価値を決めています。
ダイアモンドに関しては取引所も存在し、相場も存在しますが皆さんが接している
宝飾品の素材の価値というよりも資産に近いダイアモンドのレベルの物を指します。
しかし、どこかの国の政府がその価値を保証している訳でもないし、誰もが参加を
できる取引所での取引が行われている訳でもありません。
それでは、ダイアモンドの価値は誰が保証をするのでしょうか?
はっきりしている事は人類の歴史の中での保証であり、その歴史の保証は今後も
継続される事を指差しています。つまり、これ以上の保証はない訳で、場所や時代、
環境に左右されてこなかった唯一と言っていいものです。
其々の国や政府にしても短い期間で環境が変わりその貨幣価値というものは日本
であってもものすごく大きな変化をしています。これは一つの国の約束事は長い期間
で考えるとあまりあてにならない事を示しています。国債などはその典型と言って
良いでしょう。
一見すると大きな銀行や証券会社が扱う金融物は人々に大きな勘違いをさせる事
があります。それはいかにも資産の保全や運用での利益を約束しているように見えま
すが、じつはそれらの損失の何の補てんもしてくれないのがこれらの金融商品です。
それに引き換えダイアモンドは自らが保持し自らの意思で販売をする事が出来ます。
つまり、その価値が紙くず同然になったり、ジェットコースターのような危険な相場と
いう乗り物に乗る必要もないのです。ただし、デイトレードのような右左に動かして利
益を売る安易な事は出来ません。
ギャンブルのような金融商品に反してダイアモンドは過去の歴史の中で原石$基本
ではほとんど値下がりをした事はありません。それではなぜ皆はダイアモンドに金融
商品としての道を求めないのでしょうか?
ダイアモンドは一般的に言うお金持ちの数より数が少ない(2ct良質以上)のです。
それゆえ、お金があってもその輪の中には入る事が非常に難しく一部のお金持ちの
ホームグランドとなり、あまり縁のない人々がこの円の中に入る事は難しいのです。
そしてそれらの人々がその受益権を十分に堪能しているのです。しかし、皆さんが
その輪の中に入る事は難しいのでしょうか?イヤ、そんな事はありません。その為の
ディーラーが存在しています。私自身もその仕事に携わってきました。ご興味のある
方にはご教示する準備は出来ています。何時でもご相談ください。
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