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2020年1月6日月曜日

ジュエリーの価値⁉

 新年早々買い付けのためにイスラエルにいますが途中、旧知の知人と会うためにロンドンへ寄り時間があったので大英博物館を訪れてみました。

 多くの展示物の中に紀元前のジュエリーが飾ってあり、ひと際目を引いておりました。当然ですが職業柄か価値も含めてじっくりと眺めているうちに何故か不思議な感覚になりました。それは紀元前からデザインを含めてそれほど大きくは変わっていないんだなあというものです。

 勿論博物館にあるという価値は時間を超えてきたということではありますが、もしこれが日本の街中にあったとしたら、その価値を見る人はどれほどいるのだろうと考えると『ジュエリーとは❓』などということを考えてしまいます。

 多分、多くの場合はグラムいくらという処理をされるのでしょう。そうなるとその価値は提供をしている人たちの見せ方や知識ということになるのでしょうが、知識というよりも品格ということになるのかもしれません。自身の反省も込めてもう一度考える必要があるのかもしれないと思いながら眺めていました。

 我々の職業は実利性や生産性はある意味ありませんが、他の職業と違い長く歴史があり、最も古いジャンルの職業といってもよいでしょう。それは人間の情緒を含む人類の進化の中で必要不可欠ともいえる理屈では説明のできない価値なのでしょう。

 よく古い職業として例えられるのがこの職業と柔らかく言えば風俗です。つまり、キリスト以前からある職業としていわゆる売春があるわけですが、この職業もやはり実利性や生産性があるわけではありません。

 しかし、脈々として続いているわけです。それは誰も理屈では説明のできないことですが、人間にとって不可欠というか必然性のものなのでしょう。

 それゆえに価値というものは提供をする側のレベルによってということになるのでしょう。例えとしては良くないかもしれませんが、吉原の花魁やベネチアの高級娼婦などは教養とともに品格を備えていることが常識だったわけです。それゆえに対象客は高価な対価を支払ったのでしょう。

 もし風俗で安売り大バーゲンを謳っていたら果たしてお客は安心をしていくのでしょうか?私自身あまり経験がないのですが、想像はたやすいと思います。殆どの人が心配で通うことはないでしょう。

 それと同列とは言いませんが、同じ人間の情緒や感性に働きかけて販売をする商品としての宝飾業には安売りやバーゲンは向かないのだと考えます。

 宝飾業というものは理屈で説明のできない、あえて言うなら煩悩に訴える職業です。それゆえに宗教の演出に近いものもやはり必要なのかもしれません。勿論そこに偽りがあってはいけませんが・・・。(こんな書き方をするとお叱りを受けるかもしれませんが)

 ジュエリーの価値は販売方法であり、販売をしている人の価値ということになるのかもしれません。

 大英博物館を見ながらこんなことを考える人はあまりいないかもしれないと思いながら目的地のボンドストリートへと歩みを進めました。
https://ameblo.jp/diamonrow


 

                             

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