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2019年12月27日金曜日

年末年始のダイアモンド⁉

 米国の好況を反映してか今年のアメリカ歳末セールは小売りが軒並み好調であり、ダイアモンド業界にとっても良い状況にあるようです。ダイアモンドディーラーたちは年末に向かいその結果を整理している最中のようでもあり、その結果に対してワクワクしていることでしょう。

 一方では中国の信念に向かい販売チャンスを窺う準備も進めており、2020年に対しては明るい見通しを立てているディーラーも多くいます。

 しかし、現在研磨ダイアモンドのメッカともいえるインドムンバイは決して良い状況にはなく、必要なアイテムは少なく、決して業績等の状況も良くはないと言えます。それはデ・ビアスをはじめとしてサプライヤーの原石供給削減の方向性が影響をしているとも言えます。

 そんな中今年のクリスマスセールの顕著な部分はファンシーカットの需要が増え始めたところでしょう。特に1.5ctアップのところのD以外の物は市場にも在庫が少なくなり、その中でオーバルカット、エメラルドカットが堅調な動きを見せています。特に2.5ctアップのところは著しいと言っても良いでしょう。これは日本での中の状況とは異な状況になっています。

 これらの状況は日本国内の状況とはかなり違っている印象を持たれる方も多いでしょう。世界的にはアメリカを始め、経済は決して悪い状況にはないのです。日本も数字上は決して悪いという訳ではありません。しかし、日本の特殊な状況はアベノミクスにより極端な格差社会を構成してしまったという事も要因あるのでしょう。

 日本国以内でいえば決して宝石の小売り状況は良いとは言えません。特に卸業は業界の変質もあるのでしょう。明らかに10年前とは変り果て、現状の結論でいえば決して良くはありませんが、長い目で見れば業界の良い方へ回るのではないかと感じています。
https://ameblo.jp/diamonrow

 

2019年12月25日水曜日

ダイアモンドをどう見るか⁉

 先日の京都での展示会の事です。ある意味『目から鱗』ではありませんが先入観からくる見方の違いを感じました。

 ダイアモンドの資産性についてお話をしているときにお客様が
『土地や家を財産として考えることは普通だけれど、貴方の説明を聞いていると家は賃貸で財産の保全という意味ではダイアモンドの方が良いというように聞こえますね。』
という言葉がありました。

 私自身それを意図して話をしていたわけではないので、私自身も考えたことはなかったので少し驚きました。つまり、多くの人々は不動産を財産という考え方をしますが家であれば修理保全、マンションであれば修繕費の積み立て、更には双方ともに固定資産税等々、更には財産としての目減りは今後一部を除いては避ける事が出来ません。

 一方、ダイアモンドはというと修理保全、積立金、固定資産税等々にかかるものはないうえに過去の歴史の実績だけでいうと目減りすることはありません。勿論、大きさや内容にもよりますがアベレージとして十年レンジで見た時に値下がりはしていません。

 考え方としては間違いではありませんが、日本という国の価値観からすると少し飛躍しているように感じます。日本の税制、税法が創りだした感覚もあるのでしょうが、このお客様の考え方自体はグローバルであるともいえるのではないでしょうか。

 誤解が有ってはいけませんが、あくまでも購入場所や購入方法もありますが、一定の大きさ(私自身は5ct以上としています。)以上で審美的に優れているものであることが条件という事です。

 ダイアモンド自体は価格はグレードというよりも如何に大きく美しいかという事が基準で決まります。大粒のダイアモンドに関してはグレードを言ってみても比べるものがない以上はあまり意味がありません。

 比べる物がないし、相場がないと言っても人工的な物とは違いその前後、上下のものが有りますので一定の評価が常にあります。それ故に資産としての有用性は海外では当たり前と言って良いです。

 このお客様のようにダイアモンドを資産として捉える方が多くなってことも事実です。宝石を扱われる方の認識という物が変化をしなければならない時代に入ったのかもしれません。勿論一般的なジュエリーは別ですが・・。
https://ameblo.jp/diamonrow



 

2019年12月21日土曜日

世界の基準⁉

 世界の幸福度ランキングの常連は北欧ですが、多くの国は物価も高く資源もありません。バイトの職種によっては時給3~5万円というのもざらです。勿論サラリーも高いわけですが、資源のない国としては当たり前のことです。

 一方、殆ど北欧と似たような条件の日本、むしろ日本の方が条件が良いかもしれません。しかし、幸福度は世界の中盤であることを考えると何が違うのか?という事を考えます。

 日本は資源がない訳ですが、貿易という事を考えると北欧から比べるとかなり地理的条件は良いと考えられます。更にはバブルの頃は高収入ではありましたが物価も世界一住みにくいと言われる位に高かったのです。しかし、皆楽しそうで浮足立っていました。幸福度も今よりは高かったような気がします。しかし、今の日本は格差という事もありますが決してサラリーは高くはありません。

 確かにその頃の外国人や観光客にとっては不都合で訪れにくい国だったでしょうし、住みにくい国だったと思います。しかし、当時の日本人はエネルギッシュで幸せそうでもありました。

 幸福度の高い北欧においても観光客になると世界ランキング上位どころかほとんどが下位に低迷しています。幸福度ナンバーワンのフィンランドに関しては直近で世界の70番台にいます。

 つまり、幸福度を求めると物価が高く観光客が訪れにくいという事はある意味仕方のない事であり、特に日本の場合は内需を高めようとすると物価は当然上がっていきますが、皆に仕事が分配され、幸福度も上がるという事も十分に考えられます。

 そして、観光客世界ナンバーワンのフランスは治安が乱れ、失業率が高くなり移民問題も恒常的なものになっていることも見逃せません。

 先日の世界経済フォーラムでも発表をされた男女格差世界121位というイスラム圏や同じアジアの中国や韓国よりも下位という日本ですが、基準が女性の社会進出、および政治への進出という基準が最も大きく取り上げられています。

 日本において女性の幸福度という物も計ってほしいものです。日本女性の場合他の国に比べて政治に進出を考えるより個々の生活を重んじる傾向があるという事と社会進出においても母子家庭を始め、生活の為に社会に出ているという女性も多くいます。本来であれば家庭生活を充実させていたいという意思とは別にであってもそれが女性の社会進出の地位を上げているというデーターになることに不自然さを感じます。

 そろそろグローバリズムという物をもっと理解をしても良いのではないかと感じます。決して世界が同じ基準で測ってはいけないという事をです。文化や習慣が違うもの同士を世界ランキングにして何の意味があるのでしょう。

 貧困率など実質的な事を上げ、世界に知らしめることには意味があると思いますが考え方の違う事例をランキングすることは誤解を招きます。政治家においても自分たちの都合の良い時は海外の例を挙げ、税金等が如何に日本は低いかという事を説明する事がありますが、都合の悪い議員の給料や待遇に関しては触れようとさえしません。しかし、これも所詮は比べる基準が違います。

 それぞれのローカリズム(地域性)という物をもっと理解をしなければならない時代だとつくづく感じます。https://ameblo.jp/diamonrow

2019年12月15日日曜日

白と黒⁉

 私は以前から社会というものは白でも黒でもない99%の灰色からなっているという持論を述べることが多くありました。それは座右の銘でもある『Better is Best!?』という何事もほどほどが最良という考え方にもつながっています。

 先日、アルピニストの野口健さんがスウエーデンの環境活動家のグレタ・トゥーベリさんがスペインで行われたCOP25での演説後に電車の車窓からと思われるものをSNSでアップしたものに対して『あれ?馬車ではないんですか?』とツイートしたところ非難ゴーゴーだったという事です。

 野口さんも大人げないとは思いますが、彼の皮肉も分からないではないのです。つまり、世の中というものは矛盾が成り立つことにより回っているという事なのです。武器があることにより戦争も起きるが平和も成り立っているし、経済も回っているという大人の理屈がそこにはあります。

 日本の石化燃料発電に対しての批判も、それでは原子力発電所を増やせばよいのかという事にもなりますが、そうではないのです。

 典型的なのは二酸化炭素の増大が問題になっていますが、二酸化炭素は酸素を生み出す植物にとっては必要不可欠なものでもあります。そしてその酸素は人間が必要としているものであることは言うまでもありません。

 つまり、全てにおいて『頃合い』といういものが必要で白か黒かというものではありません。勿論こんな理論は大人になればわかることですが、子供の頃は純粋に白か黒かという理論を学びそれを大人が教えることも否定できません。

 よく私は『AIも神も人間がいなければ意味のないもの』という表現をしますが、今後どんなに進化を遂げても人間が不要になることはありません。現実社会においてはAI化が進み仕事が奪われるという理屈が闊歩していますが、もしそうだとしたらそれは明らかに間違った選択なわけです。人間を脅かす存在は既に不要なものであることなのです。AIを仕上げてはならないということを言っているのではなく、完成形というものは『程々がベストである』という事を言っているのです。

 世の中はそんなバランスが崩れてきているので子供たちの表現なり発言を無視してはいけないのです。善悪、白黒ではないのが世の中であり、その理屈は国や地域によっても、宗教によっても違います。そんな頃合いを測るために腹の探り合いという大人の論理があるわけです。

 それは日本のお家芸とも言ってよい腹芸、忖度という物を正しく使う世の中になればよいと思っていますが、現実は黒寄りの灰色が多くなってきていることも事実です。ある程度の年配になると欲が薄れます。そうすると今度は子供の理論をオブラートを包んだような理屈を理解し始めます。それが年を取るという事なのでしょう。https://ameblo.jp/diamonrow

2019年12月4日水曜日

希少性⁉

 宝石の希少性について考えると実質的に数量はあるがそれ以上に人気があるという物と数量が元々ないという場合があります。前者はカラーで後者は大きさ(重さ)であり、クラリティーという事になるのでしょう。

 本来、希少性を付加価値と言うかというと人工的に造られた価値を付加価値というのですからダイアモンドの場合天然が創ったとはいえカラーに関しての構造は人為的な物ですからある一定の大きさまでのカラーに関しては希少価値というよりは付加価値といったほうが良いのでしょう。

 つまり、色だけでいえば白い色に関しては量はありますが需要も多いという意味では希少性と言えるのですが本来の宝石の条件の希少性とは異なるものです。

 宝石の条件である希少性というものは大きさが前提となるという事が理解できます。また、それに伴う内包物の有無に関しても希少性と言えるでしょう。

 希少性とは世の中の需要や周知の物に対して数の少ないものを指しますので、ダイアモンドであっても小粒の物であれば需要に対して量がありますので希少性という条件には入りません。つまり、宝飾品の材料としてのダイアモンドであっても宝石という事にはなりませんが、これも自然界という大きな枠組みで考えれば希少性という事が出来ますが、人間の社会の中の価値感としては希少性があるとは言えないのです。

 現代に売れていると言われる限定品の高級腕時計に関しては心理的な希少性ということは出来ても本来の希少性とは違うのです。つまり、限定品という言葉は心理的な希少性であるという事です。

 宝石というものはその上での美しさや耐久性であり、さらに携帯性ですから換金性というある意味の付加価値が創られたものです。

 希少性というものは需要が絶対条件になる訳ですから、皆が周知の物でなければなりません。それ故に安易に昨日今日現れた半貴石を『希少性石』とか宝石というべきではないのです。勿論石好きの人が価値を見出しお金を払う事に関しては文句はありませんが、いかにも宝石であるような説明は誤解を招きます。まずは周知をする事と換金性が生まれ始めて宝石と名乗る事が出来るのです。https://ameblo.jp/diamonrow

2019年12月2日月曜日

責任は何処に⁉

 誘拐や誹謗中傷といった内容でSNSが話題になっていますが、一見SNSが悪いような風潮がありますが、それは如何なものでしょう。

 女子中学生の事件を始め誘拐事件となっていますが、私自身の見解は親の保護責任だと思っています。米国であれば児童虐待で親の即逮捕という事件です。特にカリフォルニアでは13歳まで家に一人で置いていただけで即逮捕、そのほか多くの州では17歳未満の送り迎えは保護者責任です。

 勿論米国の特殊な環境という事もありますが、現在の日本ではSNS、つまりスマホを与えた時点で自室にいようが外をふらついているようなもので、米国の環境よりさらに危険な状態です。

 外の世界というものは子供にとって実に興味深い世界ではありますが、現実世界ではありませんから余計に大胆になりますし、より踏み込んでしまいます。それを管理監視するには親しかいないのです。結果何が起きても保護者責任という事になります。

 一方でSNS上での誹謗中傷ですが、特に最近では韓国のタレントがネット上の誹謗中傷が主な要因となり、自殺をしたという事件がありましたが韓国ではネット上で成功者に対して妬みや辛みをぶつけることが多いという事です。これは国の事情と国民性という事ですが、ネット上での大胆さは日本でも同じことが言えます。妬み辛みという事を考えると昨今の日韓関係がまさにそれなのだろうと感じます。日本への妬みや辛み国民性という事で根底にあるとすれば改善はされても解決をすることはないのだろうと言う事です。

 つまり、SNSが悪いというよりそれぞれの人間性だったり、根本的責任の問題だったり、社会の仕組み等々の問題があるわけで決してSNSというツールが悪いわけではありません。昨今小学校の親の連絡ツールがSNSだったりするらしいですが、これも問題があるようで学校の連絡事項以外でも自分のランチだったり、日常生活をアップしたりと本来の用途とは違う内容で使用をする勘違い父兄をいるようです。

 SNSは一つのコミニュケーションツールではありますが、使っているのが100%善人とは限りませんし、100%悪人という事もありません。更には本人が悪気があっての事とも限りません。となると
法律なりルールで規制をするしかありませんが、それを行うには日本の行政や政治のレベルがあまりにも低すぎます。

 そうなると一次的には子供に関しては親が守らなければならないという事です。更にはスマホを子供に与える自己責任というものを親は感じなければなりません。それは何事にも言えますがビジネスにおいても物を販売するという事はその責任というものは必ず発生するし、買った物を使用する上での使用者責任というのも発生します。

 今回のSNS等による問題や事件を踏まえてもう一度責任というものを考えてみたらどうでしょうか?https://ameblo.jp/diamonrow