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2019年6月28日金曜日

価値の伝え方⁉

 先日三井住友銀行がオフィスでのTシャツ、ジーンズの着用を認めるという内容なニュースがありました。私自身はこのニュースを聞いて頭の中で『日本は大丈夫か?』という思いが走りました。

 日本は侘び寂も含めてTPOで価値を高めてきた国です。昨今のデフレ現象というものはここに要因があると思っています。つまり、なんでもかんでもカジュアル化になることによりファストファッション的な物は良いかもしれませんがそれでは経済が回らなくなっていくのです。

 良い例がレストランでも家の中でもパーティー、どこでも同じ洋装で良ければネクタイもいらなければスーツもいらない訳です。カジュアル化は一見してエコだったり省エネに良かったりするような気がしますが決してそのようなことはありません。

 実質的な価値だけで良ければ世界中の8割の人が仕事を失うでしょう。それはAIの影響どころではないと思います。食べ物は食べれればよい、衣料品は着る事が出来ればよいという事であれば食べ物の品種改良もいらなければファッションデザイナーもいらないわけです。

 多くの付加価値というものは実質的価値ではないとは言うものの人類にとって必要であるからこそ生まれてきたわけで、更にはそれ故に経済が回ってきたともいえるでしょう。

 実質的価値に比べ付加価値には教育というものが必要です。つまり、必要だと感じる環境がなければなりません。結婚式とはこのような物ものですよ。だからこのような物が必要ですよという教育があってブライダル業界は回っていく訳です。皆が結婚式を挙げません。形式だけで良いですとなったらブライダル業界の殆どの人が失業をするでしょう。

 宝飾業界においても長い年月をかけて消費者の教育をしてきました。デ・ビアス社の『婚約指輪は給料三か月分』というキャンペーンを始め、宝飾品を身に着ける場所の提供やそのレベルというものを演出し、消費者も宝飾品の展示会に行くときにはそれなりにオシャレをし、ジュエリーも身に着け来場をしたものです。それ故に宝飾品を買う価値というものも有った訳です。勿論それに付随するパーティーや食事というものを提供してきたわけです。

 しかし、売り一辺倒になりバーゲン会場化をしていくと消費者はラフな洋装で来場する事となり、更にはジーンズや買い物帰りに来るような格好となり会場のレベルというものはさらに落ちていきます。そうなれば宝飾品というものの必要性を感じません。しかし、それはその会場を演出している側のレベルという事になる訳です。

 以前参加をしていた展示会場で消費者から煮つけのお土産を貰って喜んでいた業者がおりました。その会場にいた責任者は『それだけお客様と親密にお付き合いをしているんです』とほめていたのを聞いてあきれておりました。

 つまり、お客様から見れば自分で作った煮つけをもってきても良いくらいのレベルの会場という事ですから相当下のレベルと見られていることとなります。人情としては褒められたことかもしれませんが宝飾業としたら最悪の状況という事になります。町の小さな小売店の近所付き合いとは意味が違います。

 宝飾品に限らず、買いたいという欲求を促すには販売側の演出なり、価値を伝える方法が必要です。宝飾品が売れなくなってきたのも、その他の経済が回らなくなったのも殆どの要因が価値を伝える方法を失ったからであり、職人芸や付加価値性の高いのを残そうとするには販売側の価値を伝える力が必要なのです。

 世の中がカジュアル化すれば経済が回らなくなります。そうなれば極端な話金融は必要が無くなります。その金融機関がカジュアル化の先頭を走ってどうするか?ましてや日本人と西欧人は違います、ラフにしても決して効率は上がらないしょう。
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2019年6月24日月曜日

価値の創造⁉

 先週末、某百貨店のチーフバイヤーがおいでになり、秋のイベントへの出展の依頼がありました。その中で現況を含めどのような展開にすればよいのかというご相談がありました。

 欧州でも以前の日本の宝飾業界でも如何に取り扱いの商品の価値観を上げるかという事に注力してまいりましたが、ここ20~30年間は出来上がっていた価値観を取崩し、蝕む様な商法がとられてきました。しかし、時が経つにつれその価値観というものも消滅してくるとそのビジネスの意味が殆どなくなりました。

 例として19万円のダイアモンドは190万円のダイアモンドが存在するからこそ売れます。しかし、結果190万円のダイアモンドの価値が貶められることとなり、いずれは19万円のダイアモンドはその価格にも意味がないものとなります。今の現状はこのような事が如実に現れているわけです。
 それ故に今後の販売方法や展示方法というものが我々のビジネスの根幹となることが重要なのです。

 一方でスーパーブランドや高級時計の業界ではその価値観を高めるために広告宣伝を始め限定品などのマーケーティングを始め販売の教育にを力を注いできました。その結果現在のような差が出来てしまったのです。

 これからの宝飾業界は本来の価値観の創造という壮大なテーマに取り組まなくてはなりません。それは過去数千年という時間をかけて創り上げてきた宝飾品というものの価値を取り崩した結果として試練としての業界の使命でしょう。

 勿論それは簡単なことではありません。現実という名目のもとに足を引っ張る輩は沢山います。それは宝飾品に対しての愛情や興味もさることながらプロとしての自覚の無さからくるものですからやむを得ない部分もあります。

 しかし、地球が創造し、我々に与えしビジネスですが地球が造ったものをどう価値観をどう付けるかというのが我々に仕事でもあります。そしてここ数十年はその価値観を創ることなくむしろ宝石に対して疑念すら消費者の間に植え付けてきました。

 更にはその販売方法としても現状の催事のようなものが残念ながら主流でもあります。しかし、これもホスト商法のような販売方法や違和感のある手法でついには終焉を迎える様相すらあります。勿論百貨店等はそのような販売方法をとってはいませんが影響が出ているという事です。

 先週での香港での米国でのミーティングの事も含めてお話をさせて頂いた結果として当社が得意としている大粒ダイアモンドの展示方法や販売方法等を変えていこうという下りになりました。

 つまり、米国でもそうですが装飾品と宝飾品という境が無くなってきた現状ではその括りをはっきりさせる事に注力し、販売方法そのものも変えていこうという事です。

 現代においてはAIにおける全自動の問題点も多く指摘されており、GAFAにおいてもアナログの重要性を前提として今後の方針というか、すでに動き始めています。そのアナログの1丁目一番地のような業界である宝飾業界はその指針となるようなものにならなければならないでしょう。
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2019年6月22日土曜日

香港にて⁉

 ここ数日間香港を訪れてきました。ニュースでも取扱われていますが今の香港はデモも行われていて騒然としているのかと思いながらでしたが、拍子抜けするぐらい平静でもあり、異常なくらいの静寂なども入り混じっておりました。


 勿論、行政府の有るところは多くの人々が集まっていますから多変ですが、少し離れたところはむしろ静寂そのもので車一つ走ってはおりません。更に離れた周りは全くと言っていいほど普段と変わらずの雑踏が続いておりました。

 ただ、今回行われている香港国際宝飾展は初日、二日目と人の入りは今一つで中国本土からのバイヤーもそうですが西欧からの人々をほとんど見ることもなくやはり影響は出ているように思いますがその事だけが要因のようには思えません。

 今回はかねてからの友人でもあり、米国一の宝飾メーカーでもあるSTULLER社の副社長が当方のスペシャルカットに興味を抱いており、そのミーティングの為に香港で会うという目的もあり訪問をしたのですが、彼の印象も同じように香港だけではなく業界の変化を指摘しておりました。

 香港宝飾展のこの状況は今回のデモの事だけではなく、世界の宝飾業界の変化を如実に感じるということを言っており、これからはしばらくの間は低単価の物のシェア争いがアクセサリー業界と行われると同時に高額帯の市場の変化が流通システムの変化とともに起きてくるだろうという見解を述べておりました。

 私自身も同感であり、更には日本自体は西欧諸国とはもっと違った業態を持っていますのでさらなる強烈な変化が来るのだろうと感じています。

 市場の変化は勿論多くの人々が感じていますが、これからどの様に変化をしていくのかを感じることが大変重要であり、自身がその変化自体を起こしていくという事が必要になるのだろうと思います。

 過去のグレード導入期、直輸入ダイアモンド、通販等々いろいろな変化の時に携わってきたのですがこれらの変化はまだ市場が欲求を持っていた時代です。しかし、現代は若い世代も熟年世代も宝飾品を買うという欲望が枯渇に近い状態にあります。

 欲望を刺激の出来る物や印象をいかに創り続ける事が出来るのかが今後の課題でしょう。
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2019年6月14日金曜日

展示会⁉

 宝飾品の展示会という形式が出来てもう何年が経つのだろうか。記憶たどると日本での最初の展示会という形式は小生が務めていたところで催したものが最初だろうから40年以上が経とうとしているのかもしれない。

 ただ、最初の展示会というものは販売というよりもそれこそ新しい商品の展示目的だったり、それに加えてお客様の宝飾品を身に着ける場所の提供というコンセプトでありました。しかし時を経つにつれそれが販売会になり、それがやがてバーゲン会場化をしてきたわけです。

 勿論宝飾品は最もバーゲンとは不向きな商品ですから、この傾向は最も適した売り方とは言えないわけで、何とか騙し騙し消費者の反応を見ながら日本独特の販売方法を創り上げてきたわけです。

 これらは日本と西欧諸国の宝飾品に対する文化の違いから出来上がってきた方法ですから海外でこの販売方法を見ることはありません。つまり日本独自の業態という事ができるわけです。

 別に宝飾業界に限らず業態というものは常に変化、終焉を迎えるものですが、宝飾品のビジネスが終わることはないでしょうから、現状における宝飾品の展示会という業態自体はすでに終焉を迎えているような気がします。

 つまり、貨幣というものは有形無形問わず終わることはないのですが銀行が既に銀行のカウンター業務という形態を終えたようにいかなる業態においても時代とともに変化終焉を迎えるものなのだと思います。

 宝飾業においても消費税の投入に伴い一度目の変化があり、更には消費税の増税に伴い多くの異業種が参加をし、まさに業態の変化を及ぼしたのですが、それは必ずしも良い方向へとはいったとは言えません。本来宝飾業にはなじまない数倍掛けの値引き商法というものが導入されそれが当たり前のように思っている世代の業者が増えました。

 それがさらにはホスト商法なる呼び名が付くような販売方法がとられるようになり、これを受け入れるような熟女消費者の増加がそれを肯定する形になり、勘違いをする若い業者が増え、やがてそれは終焉を迎える導火線のように徐々に忍び寄り、いよいよその時が来たのでしょう。

 しかし、宝飾業が消えるわけではありませんから新な試みや、もっと言うなら宝石という古くからある商材を商ってきた正当な商法というものに戻っていくのも一つの試みかと思います、勿論アレンジは当然あるわけですがまさに『温故知新』という事でしょう。
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2019年6月9日日曜日

正論⁉

  時として正論は反発を招きます。
 
 結論がいくら正しくても伝え方が間違っていると相手の心には伝わりません。伝わらなければ正しいことでも意味を持たなくなります。

 正論とは直接的にぶつけると時として相手のプライドを傷つけ、心を閉ざしてしまうのです。つまり、反発を受けることとなるわけです。

 相手の立場を肯定し、こちらの言葉に心を開いてもらうことにより正論となり結論が伝わるのです。相手を否定せず興味を持ってもらうことにより結論を受け入れてもらう、それこそが正論といえるのではないでしょうか。

 さらには正論を解く人の日々の行動や実績は相手に結論を伝えるうえでは最も効率的といえるのです。逆に実績のある人が間違った結論を解いたとしても受け入れられてしまうケースもあるわけです。
 
 その例として合成ダイアモンドの呼び方です。当初はシンスティックダイアモンドもしくはカルチャア(養殖)ダイアモンドと呼んでいましたが何の圧力なのかはわかりませんがラボ・グローン・ダイアモンドと呼び名が変化をしたのです。

 つまり、シンスティックとはまがい物だったり、作り物といったニュアンスがあり、それはまずいという側からの要請がありました。カルチャア(養殖)というのはもちろん真珠業界側からの要請により却下され、結果的にラボ・グローン(研究所成長)といういかにも工業製品ではなく、「ダイアモンドですけど研究所で成長をしたものです。」といったいかにも大量生産ではありませんといったニュアンスになりそうな言葉になったのです。

 多くの人の合意を受けた結果、出た結論としてできた言葉ではあります。それはそれぞれの利害に基づくものであり、それ以外の人々には必ずしも正しいメッセージが届くとは思いません。

 GIA(米国宝石学会)はこれらの変遷の上でロボ・グローンという言葉を使ったうえでさらにその合成石に天然の証明であるグレーディングレポートを発行しているわけですから自らの過去の実績を否定し、更にはいかにも自らの利害のためのまやかしを行ったように感じます。

 冒頭の正論の伝え方には反して自らのネームバリューを使えば必ずしも正しいとは言えないことが既成の事実として伝わってしまうこともあるわけです。

 しかし、これらのことは過去の事実と整合性を欠くことにもなるのでやがては自らの地位を失うことにもなるのではないかと懸念をしています。さらにはそのことに対しての反発は伝え方ではなく、その結論の倫理観にかざして起きるものであることも理解をすべきなのです。
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2019年6月5日水曜日

合成ダイアモンドの現状⁉

 一般論として日本のジュエリー業界は合成ダイアモンドを宝石としては取り扱わないというスタンスであることは望ましい姿です。一方反論として業界を守るためのコンサバティブな考え方だというメディアもあります。

 しかし、この論争はあまり意味がないような気もします。何故なら宝石とは天然という条件が付いているからです。つまり情緒的な『心の宝石』といった形容詞で使う宝石という意味とは意を異にするからです。

 すでに日本では取り扱っている百貨店もあります。また小売店でも取り扱っているところもあります。日本の業界としては宝石としては認めないのですから当然日本お鑑定機関では鑑定書なるものは作製されません。ただ気を付けなければならないのは海外のGIA(米国宝石学会)やIGI(国際宝石学会)などはグレーディングレポートを発行しており日本での取扱店ではあえて海外の鑑定機関の物を付けているようです。その事自体でも伺われるのはそれらの取扱者たちの小手先誤魔化しや認識の無さが感じられます。

 GIAやIGIに関しては商売本位の機関なのでとち狂ったのかという人もいますが、当然と思っているのでしょうが後でのしっぺ返しは必ず来るでしょう。GIAにいたっては自らが定義したカラットは宝石の重量単位としていたことに反するばかりか宝石とは天然が前提であることも自らが広めた条件ではないかと一言いいたい。

 今の段階では日本の業界の方が珍しく正しい判断をしたと思っています。現にデビアスなどでも合成ダイアモンドを取り扱っていますがグレードの表示はしておりません。何故ならデビアスの合成ダイアモンド生成工場では過去品質の調整が難しいと言われた合成ダイアモンドの品質調整が可能になり、DカラーのVVSアップばかりを生成しているようです。また近々には年間この工場だけで50万カラットの生産が可能になるという事です。つまり中国や他の国の生産量を考えると間もなく月産100万カラット時代が来るという事です。

 現実に現在のデビアスの合成ダイアモンド1ct相当の大きさの小売価格は800ドルですが、国内での小売価格の相場は50万円とブランドよりも高価な価格での販売をしています。更にはその上の価格での販売をしていることろも京都の小売店ではあるようです。これらのお店は宝石に対する認識の欠如か瞬間的にでも儲ければよいという考え方でやっているかのどちらかでしょう。

 デビアスの800ドルは枠代を引くとほとんどコストは数千円という事になります。

 今後日本での販売価格も数万円から数千円になることは間違いがないでしょう。くれぐれも消費者の皆さんには注意喚起を業界としてすることが必要でしょう。

 

2019年6月3日月曜日

物事には要因があるが⁉

 またまた起こった引きこり家庭での事件ですが、今回の容疑者が元高級官僚だったという事もあり話題になっています。メディア等でもその要因を分析するようなコメントも多く目立ちます。

 親としての子供の育て方や子供から見た時の親へのコンプレックスだったりと要因はどれもあるのだろうと考えます。しかし、それが全てではないし、それぞれの環境や能力そして社会のシステム上の問題だったりとかどれもが要因になるのでしょう。

 よく片親の家庭の子は問題があるようなこといわれますが、すべての子供に問題があるわけではないし、中にはとても立派に社会人となった例も沢山あります。先の川崎の小学生相手のテロに関しても引きこもりや子供の頃の差別による問題という指摘もありますが、実際には血がつながっているとはいえ実子でもない子供を数十年と育てたわけですから里親からすれば世話をしてきたのにという気持ちもあるでしょう。

 冒頭の事件に関しても親である前に子供を自分のように出世街道を歩ませようという無理があったのかもしれません。人は血がつながっていようと皆んな個体としての個性を持っています。出世というゴールもそれぞれによって違うわけです。

 当初ベストと思っていた行動が実際にはその行動が原因となって物事が失敗もしくは苦境の要因になることは沢山あります。つまり一つ一つの要因が誰の、何時の、どの事にとって適当であった中は難しい問題です。

 業界においてもダイアモンドの4Cというものはダイアモンドというものを広めるという事に関しては大いに役に立ったのでしょうが、結果的には業界の闇の部分を露呈させてしまったりという事もあります。

 今起きている様々な事件の要因を指摘することは難しくはないのかもしれませんが、その指摘が正しいという事は断言もできないわけです。間違いではなく正解ではないという解決の仕方が今は主流になっています。それ故にそれぞれの正論とする意見の対立があるわけです。

 物事には要因というものが有るでしょうが起きてしまったことを定義づけすることは難しいことではありません。しかしこれから起きようとすることは必ずしも予想をできるわけではありません。占いはだからこそ成り立つのだろうと言えるわけです。

 冒頭の話に戻りますが要因は様々あるでしょうし、この事件のケースは過去にもまま起きてはいます。しかし、それを防ぐことは出来ないのです。ここは倫理観や判断力に任せるしかありません。

 つまりは子供の頃からの倫理観や道徳といったものが有る意味勉学よりも大切であり、国や家庭はまずそのことに注力することにより多くの問題を解決できるのではないかと考えるわけです。

 物事の要因を精査し、考える力こそが多くの事件を未然に防ぐ唯一の方法なのだろうと思いますし、それを軽視し教育の中から倫理や道徳を何の役にも立たないと考える国の方針に首をかしげる次第です。

 人の世話をし、面倒を見、教育することは本当に難しいことです。引き受ける人間はそれ相応の覚悟と生き様を見せなければならないのでしょう。
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