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2017年12月30日土曜日

今年もお世話になりました⁉

 今年もいよいよあと一日です。

 色々なことがありましたが皆さんはどうだったのでしょう。日本そのものは森友、加計問題も山場も迎えることなく、疑惑のままで今年も終わろうとしていますが、大相撲問題も解決せず、更には正月には北朝鮮がミサイルをさらに宇宙計画などと宣いながらさらに打ち上げとしてようとしています。

 細かいことも言えば切がありませんが、ビットコイン協奏曲も一向に収まりそうもなく
今年が暮れようとしています。来年は荒れる戌年ですが何が起きるやらです。

 バブル再来と言いながら世間では一向にその気配もありませんが一部の金融機関や企業がちょっとだけボーナスをはずんだそうですが、一般にはそれほどでもないようです。

 ただ、ダイヤモンドの業界においてはバブルと言えるかどうかわかりませんが、確かに大粒ダイヤモンドに関していえば高値が止まりません。この傾向は来年も続くでしょうが、一般的なジュエリーに関していえば荒らし放題だけ荒らされた市場があります。一部の良心的な業者さんはTVコマーシャルにおいても付加価値を中心にした啓蒙活動に入っていますが、まだまだ不埒な業者は減りません。彼らが改心をして本来の宝飾業に戻るのはいつの日になるのかはわかりませんが、少なくても努力をして付加価値を大事にして販売をする人々も増えてきました。

 来年はお客様本位になった販売を心がけるようなまともな販売が少しでも増えてくれるように期待するしかありませんが、間違いなくダイヤモンドの時代はやってくるような気がします。一部の不埒な業者に振り回されるようなことなく本来の姿に戻っていくような気もします。

 来年がダイヤモンドに携わる良識のあるダイヤモンドビジネスを行っている人々には必ず良い年になります。是非に頑張ってもらいたいものです。

 来年も懲りずにご愛読いただけたら幸いです。

 それでは皆さん良いお年を・・。
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2017年12月28日木曜日

ダイヤモンドとワイン⁉

 ワインエキスパートの資格を取得してからはワインの講師のとしての資格も取り、それなりの場所でワインとダイヤモンドを絡めたお話をさせていただくことが多いのですが一つ気になることがあります。

 ワインというものは手間暇の掛け具合にもよりますが、一番はそれぞれの年のブドウの出来具合やその生産地の土壌が大きく左右します。その上嗜好品であることには違いがないのです。

 それはワイナリーや過去の実績によって価格が決まるような部分もあり、必ずしもそれがそれぞれの嗜好性と一致する訳ではありません。

 私自身の提案としてワインに精通した消費者をはじめ一般の消費者、ワイナリー、輸入者、ワインの卸や、小売業者、ソムリエ等の不特定多数1000人ほどを選び試飲をしてもらい90%以上の人がおいしいと知ったものを最上級とし、80%以上の人がおいしいと知ったものを上級とし、70%以上の人がおいしいとしたものを良品とするなどのランキングがあってもよいのではないかと思っています。

 何故ならダイヤモンドのカットグレードであるファセットウエアはカットの基本としてある3400万件に及ぶモニタリングを行い、ダイヤモンドカッター、ディイラー、輸入業者、卸業者、小売店、消費者等の意見を総合し、数値化したものを基準にエクセレント、ヴェリーグッド、グッド・・・・等に分けられています。

 その割合は多分前述したようなパーセンテージにより分けられているのですが、その基準の数値はアンケートを行ったGIAの機密事項となっていますが、びっくりするのはフェアメイクにおいても25%前後の人々が『綺麗だ』としているところです。

 つまり、ダイヤモンドのカットの見え具合においてもそれぞれの嗜好性があるという事で、そのカットグレードにおいてはフェアであると考えるわけです。寸法が理想的だからと言って綺麗に見えるとは限りません。色付きのものや大きさによって綺麗に見えるそのカットの寸法は変わります。

 このようにワインにおいても先入観ではなくブラインド・テースティングを行いより多くの賛同者がいるものを美味しいとすることがベストでワイナリーの名前や金額で選ぶよりランキング式にしてその年の美味しいものを選ぶ方が良いのではと考えています。

 無論とてつもない量のワインの種類がありますからある程度は絞ってからでなければ難しとは思いますが・・・。

 ただ、必ずしもブランドワイナリーや金額がおいしさに比例をしているわけではないという事も知ってほしいのです。
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2017年12月26日火曜日

ダイヤモンドの価値とリスク⁉

 ダイアモンドの価値に関しては今までも結構述べてきたのである程をご理解して頂いていると思うのですが、価値があるゆえのリスクもやはりあるのです。

 ダイヤモンドは18世紀初頭のイギリスの産業革命と前後して金融資産としての地位を確立していきますが、それは現在の58面体のカットがヴェネチアに考案された頃とも重なり合います。

 勿論その資産としての確立には背景があり、当時ブラジルを植民地化しダイヤモンド採掘権を持っていたポルトガル王室の財政困窮がそれです。当時すでに銀行家としても名を馳せていたロンドンのロスチャイルド家からダイヤモンドを担保に資金調達を行ったことに始まります。これをきっかけにしてユダヤ人もダイヤモンドに関わっていく一端になっているのです。

 ここで大事なことは担保という事ですが、これは勿論その債務に対してほぼ同等の価値を有することが条件になります。

 これらの背景を発端にし金融資産としての地位を確立しますが、戦争やシンジケートの存在がその地位を不動のものにしていきます。

 更には資産というより、ジュエリーの素材としての小粒ダイヤモンドの流通がその地位を確実な物としてきたのですが、小粒のダイヤモンドまでが資産性を持つわけではないのです。資産性の高いダイヤモンドに引っ張られるようにして世界に流通をしていきました。

 一方ではその価値がゆえにさらに利便性が他の金融資産より高いために必ずしも正義において使われるだけではないのです。昨今では武器の代金としての流通が大きく取り上げられています。

 多くの産出国ではまだまだ国情が不安定なために内戦などが起きていますが、残念ながらほとんどの場合ダイヤモンドが武器の代金として流通をしています。勿論ゲリラは送金や現金輸送などど使うことはできませんのでポケット一つのダイヤモンドが大量の武器の価値を持つわけです。

 また、ダイヤモンドの所有者が気を付けなければならないことは身近な人々の身の危険でもあります。過去にも未解決というか公になっていない誘拐事件はまま欧米諸国では起きていますが、ほとんどの場合解決をしていない事件にはダイヤモンドの存在があります。

 ダイヤモンドが身代金とはあまり日本の多くの人々は考えないでしょうが欧米では当たり前ともいえることなのです。それはダイヤモンドが貨幣以上の価値があるゆえにあるリスクと言えるでしょう。
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2017年12月22日金曜日

不動産神話の崩壊⁉

 先達って大手デベロッパーのシンクタンクが2033年、15年後に東京のスラム化が始まることを発表して話題になりましたが、先日、某有名学塾の会長とゴルフをする機会があり、こんなお話をしていました。

 『昨年、高層マンションを二部屋ほど買って、その後すぐに娘の名義にしようと税金等も覚悟をしたんだけれど1億円に対して5百万円ほどしか掛からなかったのでびっくりしたよ。』

 つまり物件自体は高いけど高層という事もあり土地の専有面積は少なく、ましてや土地代の査定がびっくりするほど安かったという事なのです。

 それと同じような話を別の建築家から聞きました。現在の人気で高額のオーシャンフロントの高層マンションは高額な割には人気で売れていることについて
『あれは地震対策や津波対策の為に土台の基礎を建物に相当するだけ深く造ってあるので津波が来ても倒れないけど、その土地自体は皆流れてしまうので本当は怖いし、あれは土地代ではなく建物代だから土地の価値という意味では殆どない。』
というようなことを言っていました。

 日本の土地は一体どうなっているのだろう。現実に現代の日本において信じられないような話ですが所有者不明の空き地と空き家が九州の面積に匹敵するほどあるという事です。

 これらの話を総合するまでもなく、地方の過疎化や都内での持ち主不在の空き家等の話題は尽きません。日本での不動産神話は閉鎖的な国民性ゆえに生まれたものですが現在のように少子化が進み、更にはネット社会の恒常化が進み、場所という概念が薄れていくと不動産の価値自体に疑問符が付くのも当然です。今風に言えば日本人の概念にある仮想資産だったのです。

 もちろん過去には一定の役割を果たし、場所という概念から発生した価値ではあったのですが現在では場所の優位性はそれほど多くはなく、更には少子化も進み人口が減少すれば当然土地を必要としなくなるわけです。これからは資産というよりも必需品であり実用品でしかなくなるのでしょう。

 資産はやはり移動が出来、更には世界共通の価値判断が出来るものという事になります。
勿論それはダイヤモンドが最有力候補であることは間違いがありません。
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2017年12月21日木曜日

ダイヤモンドの希少性⁉

 昨今はオークション等を見ていても、世界のニュースを見ていても大粒ダイヤモンドが目立ちます。発見をされた原石の話題にしても、落札されたファンシーカラーダイヤモンドにしてもほとんどが大粒のダイヤモンドの話題です。

 勿論小粒のダイヤモンドでは話題性に欠けるという事になるのでしょうが、例えばレッドダイヤモンドであれば2,3、ctsでも話題になります。それは希少性を前提にして落札をされる金額にもよるからです。

 それではダイヤモンドの希少性とは何を意味するのかというと大きさという事になります。それはダイヤモンドの原石として大粒になる可能性の問題です。やはり小さな結晶は存在は容易ですが大きな結晶は成長しにくいという事があります。

 更には大きな結晶になっても内包物の有無ということも有ります。つまり何の異物混入も歪みも起こらずに成長をする事は稀という事にもなりますので、ましてや無疵という事になると稀有な状況という事になるのでしょう。

 カラーとクラリティという事も考えても本来はカラーという意味ではどの場所で成長をしたかによりある意味ではHカラーであれKカラーであれ確率的にはそんなに変わらないと考えますが、内包物の有無に関しては希少性の一番手と考えてもよいのではないかと考えます。

 ゆえにKカラーのフォローレス(無疵)とHカラーのVSクラスであれば価格的にはHカラーの方が価格的には高くなりますが、大粒に関しては本来Kカラーの無疵の方が希少性という意味では価格が高くなっても問題はないのです。

 勿論30ct、50ctとなるとそれ以前に存在そのものが希少性で、更に比べるものがそう有りませんからグレードそのものの果たす意味はそう大きくはありません。勿論キズだらけのダイヤモンドではその反中には入りませんが・・・。

 グレードというものもある一般的な範囲の中でも目安としては役に立ちますが、大粒のダイヤモンドの中ではあまり大きな意味を持ちません。その存在自体が価値なので価値にグレードなありません。需要と供給の原理のみです。

 それはそれぞれのファンシカラーの中においても同じ原理です、ただそれぞれのカラーにおいて発生するダイヤモンドの大きさには限界があります。例を挙げるとレッドダイヤモンドにおいてはあまり大きなサイズは存在していません。
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仮想通貨とダイヤモンド⁉

 ビットコインをはじめ130余りの仮想通貨が社会認知を受けようとしています。というよりも大手銀行が独自の仮想通貨を発行しようとしている現在においてはすでに認知をされているといっても良いのでしょう。

 しかし、本来であれば非常に決済等においても利便性の高い仮想通貨ですが創成期という事もありギャンブル性の方が強いように感じます。

 ここには市場原理の原型的な要素が見られ他の市場構築にも役に立つようなヒントがたくさんあるような気がします。当たり前のことですが市場というのは需要と供給のバランスです。

 例を挙げるとビットコインは発行がたしか最終2100万ビットが発行されるまでどんどん追加がされていく訳ですが買い手が多くなれば当然ごとく単価が上がっていく訳です。このシステムも全く問題がない訳ではないですが、単純に市場に認知が進むと単価が上がるという理屈はいかにも市場原理です。

 この原理を考えると特殊な資質や価値を持ったものが市場の認知度が上がればその価値を増していく訳ですから何も仮想通貨に限ったわけでもありません。

 例えばある領域のダイヤモンドですが同じことが言えるわけです。ダイヤモンドをジュエリーの素材としてではなく資産としての見方をする人が増えることによってダイヤモンドの価値はまだまだ上がっていく訳です。

 ダイヤモンドの絶対的総量は仮想通貨がごとく決まっており、その資産性は参加者が増えれば増えるほど価値が上がっていきます。そいうよりも仮想通貨のシステムの発想自体がダイヤモンドのマイニングシステムそのものなのです。仮想通貨の運用をマイニング(採掘)その取扱者をマイナー(採掘業者)としているのもその発想だと思っています。

 つまり、仮想通貨であれ実質市場であれ原理は同じということになるのですが仮想通貨の問題点は実体がないという事です。勿論キャッシュレス時代ですから通貨として実態がないのは問題がありませんが、物として実態がないのことは注視しなければなりません。

 実際には株や為替もおなじようなものですが少なくても株発行の会社や通貨を発行している国があります。仮想通貨にはそれがありませんが決済方法として広がる分には有効な物だと考えますがまだまだ早いと思っています。
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2017年12月18日月曜日

古希祝い⁉

 昨夜、恵比寿の知人のイタリアンレストランで友人というには僭越ながら先輩の『古希祝い』として仲間が40人ほどですが集まりパーティーを行いました。

 先だって同じく古希られたを迎えられた先輩から幹事を申しつけられての事でしたが、参加者の多くがパーティー慣れをした社交家が多いせいかそれぞれのところで盛り上がり大変に盛況でした。

 参加者も芸能人から金融マン、そして新橋のお姐様たちとジャンルも幅広く楽しい時間を過ごす事が出来ました。

 『古希祝い』というものは遠い先の事と理解をしていたものですが半年前程の先の先輩の『古希祝い』から始まりやはり身近に感じるものです。両先輩も70歳とは思えぬ活躍ぶりですし、集まった仲間たちも若い女の子から熟女までと女性も多くむしろお年寄りといわれるような人はほとんどがいなくいような仲間たちです。

 一次会が終わり、二次会も同じ店で一度締めてから始まり、再度残った皆で話に弾みがつき、調子に乗り『今夜の主役』が故人だったとして、どんな人柄だったのかをそれぞれが語り合うみたいな趣旨で行われました。

 とても成功されている方なのに人に対して分け隔てないという感想が一番多く、私自身もそれを感じていたので何かうれしいような気もしました。

 昨今歳時記やアニバサリー等々が軽んじられる時代ではありますがやはり決め事というか行事みたいなものを一つ一つ大事にして皆が集う場所となることはいろいろな意味で意味があるような気がしたパーティーでした。
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2017年12月15日金曜日

立ち位置⁉

 生き方や人生というものはその都度の自身の立ち位置により意味が変わってくると思いますが、その程の大げさなことではなく、展示会等に参加をしていると思うことがあります。

 消費者と接するビジネスをするときにメーカーや会社に忠誠を尽くすのか消費者に忠誠を尽くすのかでその人の生き方が解ります。

 自分の数字や会社の数字だけを考えた商売はやはり長続きもしないし、したとしてもいずれその代償は高くつくことになるのです。綺麗ごとではなく、消費者に尽くすことは結果的には勤めている会社や数字に沿う事にもなるのです。

 特に昨今は大手の自動車メーカーや鉄鋼メーカーなどの会社目線の不祥事が続いていますがその時に数字は出来たとしても結果的には社会的制裁や信用の失墜を招くことになるのです。そしてその挽回は多くの犠牲を生み、更にはその挽回が出来るとはかぎりません。

 宝飾業界の場合、社会的影響を及ぼすほどのことはないので、販売している側は気づいてはいないのかもしれませんが、行っていることは同じであったならばその立ち位置は同じという事になります。

 それは販売業や製造業に留まらずにメディアや観光業等でも同じです。消費者に忠誠を尽くすという事は結果的に自分の所属をする団体に尽くすことにもなり、自分の生き方や人生そのものの評価にもつながることなのです。

 難しいことを書きましたが結論から言うと物を売ったり、作ったり、楽しませたりというものはその対象者の為に提供をしているのだから、結果的にその対象者の為にならないことは先がないという事です。

 自らの信念や生き方を伝える事が出来れば消費者黙っていてもついてくるのだろうと思います。そして、消費者は声を出してくれるうちは良いのですが、声を出さずにただ立ち去るだけであればその企業は真綿で首を絞められるように終焉を迎えることとなるのです。
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2017年12月6日水曜日

価値の下落⁉

 時代とともに物の見方が変わり価値の変わる物を価値観と以前書きましたが2020年東京オリンピックの開催を機に変わることがあるとあるシンクタンクが書いています。

 2020年を境に女性の半数が50才を超えるという事です。更には2033年には東京のスラム化が進みインフラ、福祉等の行き詰まりがやってくるという事です。結果的には土地の価格がここ数年で下落は始まるという事ですので、以前の土地神話は何処に消え失せたのかと考えます。

 しかし、実際にはすでに地方都市ではその傾向が始まっており、現在報じられているとない一等地の高級マンションの値上がりは建物そのものの建築費の高騰や設備に対するもので決して土地に対するものではありません。

 ここまで考えると土地というものは価値ではなくて価値感だったのかと考えます。以前アメリカからやってきた友人が『同じ広さの土地が同じ国で場所が違うだけで1万倍以上の違いがあるなんて考えられない。』という事をよく言っていました。

 以前であれば外国の殆どが土地を担保に事業資金を出すという事は稀で事業内容に対しての融資が殆どでしたので日本の土地神話は世界から見て異常な事でした。現在では米国や英国の一部では日本ほどではないにしろ担保となると所も増えましたが、やはり土地が主になることはありません。

 時代とともに考え方や物の見方が変わることは十分にあるでしょう。しかし、変えてはいけないものもあるし変わらないものもあります。それが伝統であったり文化なのだと思います。そして、それが価値の本分なのでしょう。

 最近に大相撲の事件で『横綱の品格』という言葉が良く出てきますが、本来の横綱らしさを伝統や相撲の文化の中で考えると白鵬が依然言っていた『勝つという事が横綱の品格』という発言はいかにも時代とともにというよりは横綱としての価値を下げた発言となるのでしょう。

 価値というものはいつの時代も変わらないものであり、むしろ象徴的に高められるものそこに『品格』という言葉があてはめられるのと考えられるのです。

 『品格』とは『らしさ』であり、『らしく』あることが価値の名です。

 宝石のダイヤモンドを品格そのものに考えることは自然なことなのでしょう。
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2017年12月5日火曜日

大きなダイヤモンド⁉

 前回は品格という言葉にふれて横綱の品格という事にふれましたが、品格とはあくまでも『らしさ』という事にnあるのでしょう。勿論品格というものは何も横綱に限ってことではなく我々宝飾業にも言えるわけです。

 宝石商らしさというものが有るわけですが、例に挙げる恐縮ですが宝石商らしさとはどのような事であろうと考えると今の現状は大相撲ではないけれどあまりにもかけ離れていてやはり品格に掛けるといわれるのでしょう。

 品格とは何事にも当てはまることで宝石でいえばその品格とは何なんだろうと考えると、やはり大きさでしょう。勿論美しさが整っていることが前提ではありますが・・・。

 更には小手先を加えていないとかそれぞれの見方や価値観があるという事を取り除くとダイヤモンドというものがそこに見えてくるわけです。

 以前にも書きましたが日本人が良く口にする『小さくても良質な物』というフレーズがありますが、それはここの価値観の範囲でダイヤモンドはやはり価値を前提にして考えなければいけませんから、それはやはり大きさなわけです。

 大きさイコール希少性という事は理解をしてもらえると思いますが、それを前提に考えると理想的な形の原石(正八面体)になっているかどうか、更には無疵に近いかどうか(大きくなる過程での内包物のリスクを考える)そしてついでに色と考えてよいでしょう。

 つまり、ダイヤモンドの品格とは宝石らしさが如何にそろっているかという事ですが、ダイヤモンドであるという事ではなくいかにダイヤモンドと認識をされる大きさがあるかという事になる訳です。

 一定の大きさで市場でよく見るサイズは決してその条件にはまるわけではなく価値観の世界なわけで、ダイヤモンドは価値をともなうという品格があって宝石のダイヤモンドなわけです。

 つまり、あまり目にすることのないサイズはやはり価格が上昇をしますが、よく見るサイズは価値が無くはならないけれどやはり価値の上昇という意味では難しいものが有ります。

 大きさと諸条件は組み合わせではありますが、大きなダイヤモンドというものは宝石の品格の象徴のようなものであり、宝石はかくあるべきという典型的な物なのです。

 大きさの次に選ぶ条件はと聞かれると内包物の有り無しを上げますが、大きさというものはそれらの条件を選ぶ余地を与えてくれないほどの意味があるのです。
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2017年12月3日日曜日

品格⁉

 昨今、日馬富士問題もあり『品格』という言葉が取り上げられることが多いのですが、たまたま仕事で来日していた米国の友人と食事をしながら英語で何という風に解釈をするか問うと『英語は日本語と違って一言で表す言葉がないので難しいと答えました。

 英語では『品格』をスタイル(style)と訳することになるのですが、つまり『何々風』というようになるのですが、今回の事でいえば横綱風であるかどうかが問題であるという事になるのですが、横綱風とは何ぞやという事になると答えることは確かに難しいと考えます。

 日本人の考える横綱のスタイルとはと聞かれるとやはり歴史がありますので伝統を重んじ、神の代理としての厳かまでの神々しさと現状を受け入れる潔さの姿という事になるのかなと思います。

 『大鵬』という大横綱がいました。そして現在の横綱『白鵬』その大横綱に憧れ生前は随分に可愛がられたと聞いています。しかし、現状の白鵬を見るとその大鵬とはあまりにも違う驕りを感じます。正直どの日本人の力士よりも日本人らしい白鵬のファンでしたが、昨今の彼の言動は前述の横綱の品格という言葉からはかけ離れているような気がします。

 今回のきっかけとなった日馬富士にしても以前横綱であった伊勢ケ浜親方にしても引退会見の言葉はそれらの品格からするととても遠いように感じます。潔さ、神々しさのかけらも見えませんでした。」

 最近、メディア等でも日本とモンゴルの違いのように取り上げられることが多いのですが、モンゴルとか日本という問題ではなく事件を起こしたらどこの国でも法律によって裁かれ、その裁きのいかんによってその所属先である日本相撲協会が処分をすればよい問題であり、その裁きが出る前に引退を認めることは協会が何か勘違いをしているか、以前の暴力問題に対して何の反省もしていないように見えます。

 TVなどでもタレントがコメントとして相撲のような格闘技の世界では多少のことは仕方がないし、ボクシングなどでもリング外で殴り合いの練習をしているなどと訳の解らないコメントをしていましたが訳が分からないならコメントをするなと言いたいです。

 それは貴乃花親方にも言えます。なsにも語らずという事は現役であれば結構なことです。それはやみくもに言葉を発せず行動で表すという横綱の品格にも相応する事でしょう。しかし、今は理事である以前に親方です。弟子が今後どのような立場でどのように世間から見られるのかを考えてほしいし、親方としてのスタイルも又理解されにくいようになっています。
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