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2017年10月6日金曜日

ダイヤモンドは哲学⁉

 ダイヤモンドをどう考えるかという事は以前からこのブログの中でも書いてきましたが、ダイヤモンドというものはそれぞれの人の考え方や物の見方といった経験からくるものだけではなく人類が受け継いできたDNAその物の中からも来る存在なのだろうと思います。

 物事をどう見るかという事よりも大きな意味では人類はどのような存在なのかという事をある意味デフォルメしているものでもあるものがダイヤモンドなのだと思っています。

 つまり、自然の単なる鉱石がいかにして価値を見出されてきたのかを考えるとそこには人間の進化とともに形成をされてきた嫉妬であったり打算であったりと人間の性の象徴的な負の部分であり、一方では美しさであったり清廉さ、剛健さといった人が持つべき正の部分も持ち合わせているわけです。

 つまり、人はどうあるべきかではなくて、どうゆうものであるという根源的な物の象徴のようなものでもあるのでしょう。そういった意味ではダイヤモンドそのものが哲学そのもののような気がするのです。

 勿論哲学そのものは物質的な物ではありませんが、自然とは、人間とは、物とはといった哲学的見地とは非常に近いものを感じます。

 よく『ダイヤモンドはあなた色に染まります。』といった言葉がありますが、まさに見る人持つ人によってその魅力や価値は変わるものですが、それもあらゆるものの象徴であるよ部分を持つダイヤモンドの特性でしょう。

 現代においてはそれぞれの扱う人々にとっての都合でダイヤモンドは表現をされていますが、貨幣であり、鑑賞物であり、象徴であり、はたまた継承物でありといったものであることも間違いがないのです。

 ただそれらを扱っている人々の都合があまりにも反映されてしまうと現代のような歪曲をしたダイヤモンドの印象を持たれてしまうのでしょう。特に日本では・・・。

 それが残念です。
https://ameblo.jp/diamonrow
http://diamond-exchange.jp
 

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