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2014年5月27日火曜日

内包物⁉

 昨日、新規のお客様が店頭にあった以前ご紹介をしたグリーンダイヤモンドをご覧になってのご来店がありました。

 『そのショーケースにあるグリーンのダイヤモンドは素晴らしいですね。特に真中にあるシルエットが魅力的ですね』
と2ctsのダイヤモンドの真中にある内包物を差して店内に・・。

 『あのダイヤモンドを見せていただけますか?買えはしないんですけど・・・。』

 『勿論かまいませんよ。』

『ショーケースから出して見ると何かすごいものがダイヤモンドの中に入っているような気がしますね』

 『そのシルエットをスペインのサグラダ・ファミリヤや、アンコールワットの寺院に例える方もいるんですよ』
と説明をすると、ジーッと見入るように眺めておりました。
                             
                                                                                                                                       最近、の傾向ですが、大きめなダイヤモンドの内包物に興味を持たれる方が多くなってきたような気がします。特徴としては、グレードそのものには興味がなく、石そのものに興味があり、幼少のころから川べりの石や海岸での貝殻拾いをしていた様な人が多いように思います。

 当方が扱っているもの自体がファンシーカラーやファンシーシェイプが多いせいもあり、そのような方たちに出会う機会が多いのかもしれませんが、最近は男性の方も含めて特に多いように思います。

 ダイヤモンドの内包物は以前はマイナス要因としてしか捉えることのできないものだったのですが、本来のダイヤモンド、つまり感性で愛でるとでも言える見方をすると、内包物は個性であり、魅力でもあるという事は間違いがありません。

 つまり、人間でもペットでも何にでも当てはまることですが、個性があって魅力があることが価値なわけですが、ファッションモデルのように洋服を綺麗に見せる二次的立場にいても個性のあるモデルは別の魅力で需要が増えます。単純にスタイルが良く、背が高いだけであってもモデルとしては良いのでしょうが、タレント性がなければいずれ廃業でしょう。

 例がイコールではないかもしれませんが、感性としてみる魅力は個性が大事であることは明白です。しかし、ダイヤモンドには別の面もありますのでそれが全てであるとは言いませんが・・・。

 ただ、以前に比べて市中の宝石店さんでもグレードが全てではないという説明をするところが増えてきたとお客様に聞くことがままあります。

 
 内包物から色々なことが想像できます。例えばカーボンが多いものを見ていると、生成されてまだ一億年程度なのかなぁ・・とか。元は海生物なのか植物なのかと考えたり想像が広がります。

 内包物は皆さんの性格であり、育ちであり、経歴と一緒なのです、そのような目で見てみるとまた違ったダイヤモンドの価値が見えてくるかもしれません。
 

2014年5月23日金曜日

ダイヤモンドの希少性⁉

 ダイヤモンドそのものには希少性があるという事が前提になっているわけですが、そのことの実感がなければその価値がないのと同等になります。

 現在手元に11ctsのDカラー、IF(インテターナリーフローレス)、3EX(トリプルエクセレント)、
TYPⅡaのダイヤモンドの詳細が海外から来て手元にあります。

 これだけの情報では一般の方達には何がすごいのかは理解が出来ません。もしかしたら業界の方でも『D,IF,3EXで凄いなあ~。』と思うだけかもしれません。

 一つには11ctsの存在価値の希少さ、そして何よりもTYPⅡの存在の稀有さだという事がその醍醐味であるという事です。ただ、ここまでになると言葉で仮に表したとしても理解が出来るかどうかがわかりません。

 簡単に言うとTYPⅡというダイヤモンドの存在がどれくらいの率かというと以前にも解説をしましたがダイヤモンド全体の2%未満であるという事です。その上で11ctsというサイズを考えるとその希少性は…と言っても想像がつきません。

 ダイヤモンドそのものの希少性を伝える言葉をどれくらい販売側が持っているだろうか。そして、希少性の意味をどれくらいの人が理解をしているだろうか。

 そのジャンルに興味を持っていない人には希少性という価値は何の意味も成しませんが、その事自体に興味を持っている人にはたまらない優越感を感じる価値でもあります。

 ダイヤモンドの希少性の価値と言うものはダイヤモンドに興味を持ち、さらにその支払い能力がある人々にのみ意味のあるものです。

 もっと言うならダイヤモンドに興味のない人がダイヤンドを売ることは限りなく苦痛で、ダイヤモンドを好きな人とってはそのことを話すこと自体が喜びでもあるという事にもつながりますから、『好きこそものの上手なれ』という言葉がありますが、ダイヤモンドを売ろうと思ったらダイヤモンドそのものを好きになることです。

 つまり、相手にダイヤモンドに興味を持つことを伝播するにはまず自分から。そして、その希少性を説明するという事になりますが、それでも、その数値は天文学的な希少性になるので説明をすることは難しいでしょう。

 ではどの様に希少性を説明するかというとダイヤモンドを世界に人口に照らして、考えると現在約70億人と推定されているので、TYPⅡの割合で考えると1千4百万人未満くらいという意事になります。その中で1ctとなると想像で1400人くらい、さらに10ctsアップとなると大よそ14人くらいと考えると、世界のミリオネアが1千万人と言われていますから、その付加価値はすごいという事になります。

  お金を持っていても買うチャンスは少ないという事になりますが、そのことに興味を持っている人の割合も少ないので大きな問題ではありません。ここ数年のように金融的な動き方を価格がすると、今後のダイヤモンド価格は恐ろしいような気がします。

 ただし、一般的に流通をしているダイヤモンドにそこまでの動きは出てきにくいとは思いますが、希少性を消費者に話す上での参考になればと思います。(勿論、仮想ではあります)

 人口で表しましたがダイヤモンドそのものの存在自体が希少なわけですからそこに輪をかけて考えでよいと思います。(但し、地球上での話です。宇宙で考えると人間の存在の方が稀有であることも付け加えなければなりません)
 

2014年5月22日木曜日

価値の変貌⁉

 宝飾品に対する消費者の考え方に変化が出てくることは時代の流れではあると思いますが、ここ数十年の変化は目に見えるものと、見えないものの格差が著しいように思います。

 以前宝飾品は憧れであり、身に付けたいという単純明確なものであったような気がしますが、現在のそれは少し違うような気がします。

 私自身業界の中の上流部分での仕事を長くやってきましたので、その変化には少し疎くなっていたのかもしれませんが、最近小売りに接してきて思うことは所有することや眺めることへの価値への変化です。

 展示会等に参加をしていてもよく体験をすることですが、裸石をじっと見つめるだけにいらっしゃる人もいれば、毎回お気に入りのジュエリーを試着しに来るだけのお客様が増えてきているように思います。もちろん最終的にはお求めをいただくことが多いのですが、それぞれのお客様の価値観でジュエリーなり宝石を選ぶ方が増えているような気がします。

 それゆえ、価格だけでお勧めしても見向きもしません、逆にそのものの価値やいかに販売員自身がそのものに惚れているかを説明すると目を向けるようになってきています。

去る取引先の部長が朝礼ごとに
『価格ではなく、価値を語りましょう』
という提言をするようになると販売員たちにも変化が出てくるようになりました。それは自信が気に入ってジュエリーを身に付け、それ勧めるようになるとそのジュエリーの決定率が高くなっているのが感じます。

 自身の勉強のためとも思い、最近はお取引先の社長にも相談をし、各店を回るようにしています。もちろん最近の変化を肌で感じたいという事もありますが、ナショナルチェーンであっても各店の状況や周りの環境によって其々の販売方法があるのではないかと考えておりますので、確認をしたいという事もあります。
 

 関東を中心に全国展開をしているナショナルチェーンの取引先に関しては特にその差は顕著で展示会の売り上げが中心になり、店舗は集客口と考えていたのですが、お店に置くものが各店一律500円相当のピアスが中心になると一挙に本来の売り上げ目標である顧客層が離れていったそうです。

 以前の消費者であればすべての需要が重なっていたので大きな問題ではなかったことが現在ではそれが売上の行方を大きく左右するような気がします。つまり、個々のその場所をある意味熟知した販売員の志向を中心に物事を考えないと今の顧客には対応が難しいのではと考えます。

 如何に展示会であろうと店舗の充実が基本になりますので、お取引先各店の状況を見ることは勉強にもなりますし、今後の売り上げの一助にでもなればと考え、また今こそが新しいことにチャレンジをするチャンスではないかと考えています。勿論、異を唱える人々もいますが、何かをしなければ、何も起きないし、今は何かをする時なのだと考えています。

 何度も言いますが消費者の価値観は変わり、これは変えることが出来ないし、価値の説明も変わっていかなければなりません。

 昨日、とある全国ネットの学習塾の会長とゴルフコンペでご一緒をした際に最近ヨーロッパを回って来て感じたこととして
『経済と寿命は比例するんですよ。という事は人生における価値観も変わるという事です』
とおっしゃっていましたがまさにその通りだと思っています。

 だからこそ、現状をもっと我々は把握をし、理解し変わっていかなければならないのではないでしょうか。今がこの数年膠着しきった状態をねけ出すチャンスだと考えます。

 顧客の価値観が変わる初めた今、新たな市場が生まれる時だと思います。

2014年5月20日火曜日

ダイヤモンドは貴女(あなた)色⁉

 昨日の午後、シックな装いをして、お客様でもあり友人でもある女性が颯爽と入口を入ってきました。

 『あれ、今日はいつもと違って皇族みたいな格好だね?』

 聞くと故人となった某有名デザイナーの偲ぶ会に行ってきたとのことで、当店で誂えたイヤリングやネックレスを身に付け帽子をやや斜めにかぶり登場したようです。

 
 美智子皇后もご出席になり、偲ぶ会とはいえ華やかなで厳かな会であったそうです。

 『皇后は真珠のネックレスを付けていたんですけど、なぜか上品で華やかな感じがして普通の真珠じゃあないような気がするわ。』
とちょっと興奮気味に話をしておりました。

 
 勿論、特殊な真珠をしているわけではないので、ダイヤモンドにしても真珠にしても以前から身に付けている人の色に染まりますといわれています。タレントでも大きなダイヤモンドをしていても下品に見える人は見えますし、一般の人でも大きなダイヤモンドをしていても付けこなす人はやはり付けこなします。

 それは人それぞれが持っている人格なのかもしれませんが、身に付ける人の心構えにもよると思います。見せびらかしたい人がするとそれは下品に見え、その場の嗜みとして身に付ける人はやはり上品に見えます。

 つまり、その場にあった嗜みとして身に付けるものは大きさやデザインに関係なく自然に見え、割譲品位も見えますが、場に合わないものを身に付けるとなんでも下品に見えます。

 付けている人の色に染まるという事はダイヤモンド自体が変わる訳ではないわけですから、最近聞かれなくなったTPOをわきまえることの達人がやはり上品だという事にもなるのでしょう。

 展示会等に出ていたも首をかしげたくなるような状況で身に付けている人も多くみられます。特に気になるのが夏場にかけてもブローチです。ブローチは本来冬のものですから薄手の衣類に付けることは考えられないし、それを勧めている販売員を見ると驚いてしまします。

 前々回に本物基準という事を書きましたが、まさに販売をする、付けこなすという事を考えると色々な場面と知識や経験を持つことはダイヤモンドや真珠を正しい色に染めることになるのでしょう。

 人は誤解をします。百聞は一見にしかずと言いますが、必ずしも見えるものや聞いたことが正しいわけではなく、見えていないものや聞こえていないものの中に真実がある場合もあります。雑誌やネット、噂話等で入る情報は第三者によってコントロールをされているものです。

 自分の見識や努力によってのみダイヤモンドは貴女(あなた)色に染まります。常に情報や知識経験を積み上げることが必要なのでしょう。

 僭越ではありますが、美智子皇后は育ちは勿論ですが苦労や沢山の努力をなさっていらっしゃたのだと思います。どんな宝石を身に付けても美智子皇后色に染まることでしょう。

 

2014年5月19日月曜日

ブラブラ⁉

 昨日は天気も良く、久しぶりにと思い横浜へドライブがてら、帰りにはコストコに寄りダイヤモンドの展示を見ながら
『こんな飾り方をしていても見る人がいるのかなぁ』
と心で呟きながらブラブラ歩き・・・・。

 その延長ではありませんが本日はランチ後、地元である自由が丘を覗き見しながらブラブラ・・。
真夏のような日差しはまだまだ一番高いところで燦々と照り付けているが、何故か心地よさが漂うのは昨日の延長なのかもしれない。

 
 お客様からのデザイン依頼の考えも纏まらずに歩いていると、普段はあまり歩かない地元ですが、こんなに沢山の可愛らしいお店があるんだなぁ・・・・とつくづくと思いながら足の向くままやはりブラブラ。

 
 アクセサリーショップを覗き見ると仕事柄原価計算をしてしまい(ちょっと、髙いなぁ)と思いながらもお店の雰囲気と販売員の雰囲気の良さがそれをあまり気にさせないものだと感心をしておりました。

 宝飾品に関しても、造りが良いことを前提にすれば良いものは高くなるという事はいつも言うことですが、もう一つは高くてもそれに見合ったサービスや雰囲気、メンテナンスがあるかどうかという事でしょう。

 土曜日においでになったお客様はお母さまからもらったダイヤモンドとスターサファイアをお持ちになり、想定価格でいうと都内に家を買えるようなお値段を出してお求めになったそうです。

 お母さまは
『高く買わされたとしても良いものを買っておけば間違いがない』
と言って買っていたそうです。

 ある種間違いのない判断だと私も思います。お求めになったお店は現在は存在をしない世間を騒がせたお店でしたので相当お高く求めたのだろうと想像が出来ます。

 
 その事を思い出しながらさらにブラブラしているとさわやかな香りが鼻先を漂い、誘われるままにお店に入ると爽やかな青年が
『いらっしゃいませ』
 なるほど物を見る前でも雰囲気が良ければあまり価格というものは気にならないのかも知れないと思いながら、店内をブラブラしているとラベンダーやマグノリアの香りが心地よく漂っておりました。

 
 高い価格を付けるかどうかというのはお店によって違うのですがそこの販売姿勢が価格をも理由付けしてくれるような応対であれば良いのかもしれない・・・と思いながらまたブラブラと店外に。

 まだまだ、外は真夏のような日差しが肌を差し、サングラスをしていても乱反射する光が目にまぶしくて、こんなにゆったりとした気分はいつ以来だろうと思いながらブラブラ・・・。

2014年5月16日金曜日

本物基準⁉

 年齢と経験上、日本にジュエリーなるものが一般化する時代を見てきたと思います。
この業界に携わった頃には勿論と言っていいほどジュエリーなる言葉は一般的ではありませんでした。

 
 バブルの時代を迎える40年ほど前になると海外に向かう人々も増え、そこで見聞きしてきたものを帰国後体感しようとブランド物の時代が始まりました。しかし、その頃のブランドというものは大衆に迎合するような姿勢もなく、身に付けたかったら自らが頑張りそこへ行くしかありませんでした。

 現代のブランドはというと大衆に迎合するあまり、ブランドを構築してきた過程の匠や誇りを置き去りにしてきているように見えます。

 
 現代のブランドの多くはファンドによる経営が多く、本来の構築されてブランドができた意味を理解せず、ブランドを切り売りしているようにも見える内容です。これは何もブランドだけではないかもしれません。

 これ迄に創り上げられたジュエリーや宝石の格式を引き摺り下ろされ始めて早20年近くなるのでしょうか。異業種や商社がこの業界を食い物にして、やがて去っていたわけですが、呉服屋さんをはじめ宝飾業界に寄生をしてきたいわゆる展示会屋さんと言われる人々は相変わらず宝飾業界にはびこっているわけですが、多くの最近の販売員さんたちはそれらの人々からの知識が多々ある為に時々びっくりするような知識を我々に披露をしてくれます。

 
 多くの販売員さんたちは本物を勧めるより、売れるものはどれかという観点で選品を行うために販売後にお客様とのトラブルに巻き込まれるケースが多々あるように思われます。

 それでは本物とはと言うことになると、ジュエリーということで考えればやはり造りいわゆる耐久性があるということを前提にし、着け心地が良いか否かその後のデザイン性に関しては個々の好き好きがありますから別ですが・・・。そして、宝石や貴金属を使用しているという事でしょう。

 
 
 
 アクセサリーとジュエリーの違いは述べることも面倒になるように、なんでもかんでもジュエリーという言葉を使っていますが、アクセサリーとは単なるキーホルダーだったりストラップだったりといった単なる遊びなわけです。ジュエリーとはあくまでも宝飾品ということになり、宝飾品をまねた遊びのアクセサリーをジュエリーと呼ぶことにより多くの人々の勘違いを起こすわけです。

 ヨーロッパの某クリスタルブランドを真剣にジュエリーだと勘違いをしている方達も多くいます。勿論、そのメーカー自体がその様な宣伝をしていますのでしょうがないと思いますが、それゆえにアクセサリーの類のものまでが展示会では販売をされているようになっているわけです。

 問題の多くは販売をしている人々も本物を経験も見たこともないという事にもなるでしょう。無論勉強熱心な人々は自ら経験をする努力はしていると思いますが、元が実用品の華美な贅沢品を貴族たちが使用始めたところからのものですからその階層のことやその生活を理解していなければその事もまた理解は難しいのでしょうけれど・・・。

  ただ、お客様に販売するものですから少しでも理解をし、努力をすることが喜びと感謝を与え、また自身が得る訳ですから事前の準備は必要となる訳です。本来の宝飾品と呼ばれるものをどう捉えるかというと販売方法、販売姿勢もさることながら将来に危惧するようなジュエリーであってはいけないという事でしょう。

 
 つまり、本物基準とは人、物、環境そして価値が基本であり、優雅、着心地、耐久性は勿論の事、宝石としての条件を満たしているものなのかどうかという事に言及されるという事でしょう。
そうなると暴論かもしれませんが宝石の条件を満たしていない半貴石使用しているものはいかがなものかという事にもなります。

 現代の販売方法では販売員も顧客も業界も育たないでしょうし、何時までも怪しげな業界の思われるのはそれを構成している人たちの一部にはそのような人が残念ながら存在するという事でしょうし、彼ら自身もその事には気が付いておらずそんなもんだと思っているという事でしょう。

『本物基準』…急がなければいけないでしょう。

2014年5月6日火曜日

ダイヤモンドの生命(ライフ)⁉

 人生という言葉は人の一生を意味するわけですが、動物の一生で考えると鮭やウナギのように何千キロという距離を移動し回遊するものをはじめ、渡り鳥そして、一部の蝶々の様に何代か掛けて長距離を移動する一生もあります。そしてそれはリスクそのものなのです。

 英語の『Life』の語源は存続という意味から来ています。つまり、動植物は長距離移動と危険というリスクを抱えることにより存続し、生きるということを体現しているわけです。

 生きること自体にリスクがあり、リスクのない人生はあり得ない訳ですし、リスクを乗り越えていくことこそ人生であり、生命ということになる訳です。

 『虎穴に入らずば虎児を得ず』といった言葉はそう考えると、リスクを冒さなければメリットを得ないという風に考えがちですが、そうではなくリスクを冒さなければ人生は送れないという風に解釈ができます。

 大部分の人はリスクを恐れ、リスクを回避していきたいと考えますが、それは不可能でリスクを回避したければ生命を絶つしかないのではとも考えられます。(ちょっと大げさですが)

 過去の歴史や、現在の成功している人を見るとリスクを正面から受け入れ、それを超えていく人が歴史に名を残し、実利を残しています。恐れることなく人生はリスクそのもの、そしてそれを超えていくことが人生だと考え方が良いのでしょう。。

 一方、『Life』には活力を与えるとか、活力源という言葉もあります。ここからが本題ですがダイヤモンドの原石の価格を決めるときに、この『Life』、つまり輝きが一つの要素になることは以前から書いてきました。4Cは大事な要素ですが原石の外部からは確実な内容を理解することは難しいのです。

 ダイヤモンドのカットにおいてはキラメキを導き出すことはできますが、ダイヤモンド自体の輝きはこの『Life』によるところのものです。沢山のダイヤモンドを見てきた経験からすると、意外と内包物や色のある方が『Life』が強いものが多いという実感があります。

 勿論、白くて内包物が少なく輝いているものは大半なのですが、それは当然なのですが、内包物や色のあるものの方がより顕著だという意味です。つまり、ダイヤモンドの『life』はそれを見ている人に活力を与え、希望を与えるのですが、内包物や色というリスクを持った物の方がより目にはっきりと判る輝きがあるということを言いたいのです。

 我々動物や植物とダイヤモンドのようなものは全く違うもののような気がしますが、同じ炭素という元素から組成され、継続を続ける有機質の生命とは違うように感じるかもしれませんが、ダイヤモンドも同じようにリスクを抱え耐久性の上で継続を続ける生命を持っていることは事実なのです。

 なぜ、ダイヤモンドの輝きに『Life』という言葉が使われているのかという事を理解するには、人の人生に輝きという表現があるとしたらそれはリスクを背負い、それを超えていくものを表現しているのかもしれないと思う今日この頃です。

 そして、ダイヤモンドはその象徴のようにも感じられます。だから人間にとっては価値があるのでしょう。

2014年5月5日月曜日

ダイヤモンドの重量と価値⁉

 過去数年、我が国のダイヤモンドの輸入重量に対し輸入金額が上がらない現象が続いてきましたが、ここ数か月を見ると輸入重量に対しその金額も上がってきました。

 これはどう見るかは其々であるけれど、高価格帯のダイヤモンド需要が増えてきていることは容易に測れると思います。

 過去数年は低品質のものの輸入が続いたために重量はいっても金額はいかなかったということですが、やはりインドの会社が増え低品質のジュエリーやTVショッピング等の低品質傾向のせいだったととらえるべきでしょう。特に百貨店等の名前を使ったTVショッピングの内容の低さは、過去の百貨店文化からは考えられないほどでした。(売り場には持ち込まないよう注意書きはありましたが)

 しかし、この高価格帯が増える傾向は昨年から始まりましたが、高価格帯のものの需要増大が顕著になり、輸入重量と金額が比例するようになってきたわけです。まだまだ以前のレベルには達してはいないのですが、以前にも書きましたがここから本当の意味でのに日本のダイヤモンド文化とビジネスが始まる予感がします。

 過去のバブルをはじめ、売れていた時代はまだまだダイヤモンドを持つ本当の意味を知らずに売る方も買う方もとにかく売れれば良い、とにかく買えれば良いといった大雑把なことでした。今の中国がそうであると思いますが、とりあえず大衆もお金を持ち、なんだかわからないけどお金持ちの象徴のようなダイヤモンドがほしいという意味だけの事だったような気がします。
 

 これからのダイヤモンドの価値は資金運用と捉える賢い人も出てくるでしょうし、本当の意味でのダイヤモンドの実用的価値と捉えて購入を考える人も出てきています。もちろんダイヤモンドビジネスも変わっていかねばならないのですが、消費者に追い付くには少しばかり時間がかかるかもしれません。

 以前にも書きましたが、昨年の1カラット当たりの取扱金額が一番高額なところはNYでも、ベルギーでもイスラエルでもなく、スイスであるということを考えてほしいのですが、スイスは宝飾品のオークションが最も盛んな場所です。世界はすでに始まっていると考えてほしいのです。地金はすでに始まっていますが、証券や不動産だけが金融ではないのです。もともとの元祖と言ってダイヤモンドも当然金融商品なのです。但し、人間が勝手に作ることが出来ない金融商品なので、知識とそれなりのコネクションが必要なものである事と膨大なマーケットにはなりえないことも忘れてはいけないのです。

 ダイヤモンドの重量と価値のバランスを理解していただけると、その確実さと、どのように運用をすれば良いかが理解していただけると思います。そういった意味ではここ最近の動きは非常に興味深いものがあります。

2014年5月2日金曜日

ダイヤモンドの数え方⁉

 昨日、お取引先に買い物ついでと言っては怒られるかもしれませんが、顔を出したところ店頭に社長がおられて、私の顔を見るなり

『4月の景気はどうですか?消費税のあおりはありますねェ…。』

と声をかけてきました。

 会話の中で基本的には消費税の問題だけではなく、根本的な問題として宝飾品が実用品ではないという話から始まり、最後は業界の姿勢の問題へと話は展開していきました。

 社長曰く、真珠業界の『花玉』問題はまさにその典型で、心ある人々は今後の課題として大きく捉えているとのことで、

『髙木さんがいつも言っている、ダイヤモンドのグレードの問題はまだまし方ですよ』
と言葉をつづけました。

 ダイヤモンドに関しては基本的にカット以外は手を加えないということがあるので手を加えている他の宝石とはちょっと違うと考えますが問題という意味では同じなのかもしれません。手を加えたものは偽装や誇張のの問題点を常に含んでいるわけです。そう思わないようにするには常にディスクローズ(開示)することが重要でその上での消費者の判断が望ましいのです。

 恋愛と愛情の違いは、恋愛は数は数えることが出来ますが愛情は数えることが出来ません。恋愛は時として偽装や誇張から始まることがあります。真実だけから始まる恋愛は少ないのではないかと思います。しかし愛情は計り知ることがないエンドレスだったり、リミデッドだったりしますがそのことを図ることはできません。

 ダイヤモンドの数は数えることが出来ますが、その価値は数えることが出来ません。つまり、恋愛のように数を数えその時の彩(グレード)は表す事ができても価値はそれぞれのものなので測ることは難しいと考えます。

 多くの人は恋愛や大きさといった目に見えるものを判断するために供給側は目に見やすいものを提供し、時としてそれが誇張だったり、偽装だったりするわけです。もちろん必ずしもっそれが全てではないわけで、それをきっかけに愛情が膨らんだり、価値が深まったりすることも事実です。

 しかし、ベストはチャンとした説明や真実からその先へ進むことが重要であえて勘違いを起こさせることはその後の問題を拗らせることになることが多いように思います。

 勿論、人間ですから勘違いや嘘から誠が出ることもあります。価値というものは必ずしも目に見える訳ではありません。目に映るもので判断をすることは賢明な方法とは言えないと私は考えています。

 ダイヤモンドを計るものは目に映る美観や大きさといったものがありますが、それは数値的価値があることは事実です。しかし、もう一方で心で測る心理的価値も大きいのではと思います。

2014年5月1日木曜日

妄想男後日談⁉

 数回前に書いた妄想男に出会いました。
 

 休日はいつものようにお店の近くのファミレスで朝食をとり、お店に向かうのですが、目黒通りを車で走りながら、目的のファミレスに入ろうとした時です。

 ワインレッドのベントレーが颯爽と、休日の朝は私のものだとでも言わんばかりに私の横を滑るように駆け抜けていきました。


 私はフッと先日お店に現れた妄想男のことが一瞬頭を横切り、思わずにやけてしましました。

 『私はベントレーに普段は乗っているのですが、最近はリッツカールトンの駐車場に置きっぱなしで健康のために歩いているんですよ』

 思わず頭を横切った言葉を思い出しながら、そういえばこのブログを読んでいただいている方から『宝石店らしい、夢のような面白い話ですね』などと声をかけられたなあ・・・と思いながらファミレスの駐車場に車を留めてお店に入っていきました。

 『禁煙をお願いします』
と言いながら席に案内されると何やら席の向かいで落ち着きのない男性が視線に入ってきました。
よく見ると頭をかきながらヒョコヒョコと頭を下げてこちらを見ています。

 思わず吹き出してしまいました。見覚えのある小柄なジョン・レノンの白いピアノを今頃弾いているはずのあの男・・・・・。妄想男がそこに座っていたのです。

 彼はこちらから声をかけられるのではないかとビクビクしているような素振りでソワソワとしておりました。笑顔を向けるとバツが悪そうにこちらを見ながら会釈をしておりました。

 武士の情けと、こちらも面白いエピソードを提供してもらった思いから。声をかけずに注文を受けに来たウエイトレスにオーダーをしていると男はそそくさと店を後にしておりました。

 もちろん、健康のために歩きだとは思いますが・・・・。
 (レジでは駐車券を出している様子はなかったので)


 妄想は何のためにし、何が残るのだろうと考えると、ある人は宝くじがあったらと考え、ある人は人には言わずとしても何らかの憧れに対し妄想は見るものです。もしかしたら夢と希望を妄想は与えてくれるのかもしれません。

 今回の件も確かにダイヤモンド専門店ならではの話で、もちろん私も少しではありますが夢は見させてもらいました。そして、ダイヤモンドを扱っているその可能性は妄想ではなく現実になることもある経験をしているので、些か楽しみな事件でもありました。