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2013年8月28日水曜日

確率!?

 ダイヤモンドには希少性という顔がありますが、果たしてどれくらい希少性があるのかという事を簡単に比べる材料として宝くじを当てはめてみました。宝くじは一般的に500万分の1から1000万分の1の確率と言われますが確率の低いもので1000万分の1として考えてみました。

 私達が業界に触れた頃は、5トントラック5台から6台分の鉱石に対してダイヤモンド1ctと言われていました。勿論1ctは0.2gですからトラック5台としても5トンx5台=25トンに対して0.2gとい事になります。つまり、2千5百万グラムに対して0.2gという事になりますから1億2500万分の1の確率になる訳です。

 現在では採掘方法も進み確率的には上がってきていますが、仮に5トントラック1台分としても2千5百万分の1という事になりますが、実際にはダイヤモンド全体の確率ですから宝飾品質という事になりますと約3割といわれていますが綺麗だという事を考えれ2割から2割5分くらいでしょう。

 さらに個体あたり1カラットを超えるとなると多分その数万分の1という事になるのではないでしょうか。

 最近話題のダイヤモンドのタイプⅠ型、Ⅱ型の分け方をしてみてブルーダイヤモンドという事になると、ブルーはタイプⅡに存在しますから、ダイヤモンド全体の2%未満がタイプⅡという事で考え、その1.8%未満にブルーは存在すると言われていますからとてつもない希少性がある事になります。

 単純に1ctの宝飾質のものとなると2千5百万分の1の3割つまり約8500万分の1で宝飾質全てのダイヤモンドですからその数万分の1、つまり5万分の1としても4兆2千5百万分の1の確率という事になりますから、そこからタイプⅡやブルーの確率をひも解いてみてください。

 単純に宝くじの確率と比べる事は出来ませんが、1ctを手に入れる事の難しさと考えると
本当はとてつもない事である事は想像がつきます。我々においては経済的に恵まれている事により1ctのダイヤモンドを目にする事は稀ではないけれど、それは宝くじを何枚も買える環境にいる事とも照らし合わせる事が出来ます。

 宝くじが当たりやすく考えてしまいそうな内容ですが、たまにはこんなくだらない事を考えてみるのも良いのではないでしょうか。

2013年8月26日月曜日

感動!?

 昨日、24時間テレビが終わった。恒例のこの番組にはいつも感動するところがあり、ずっと見ている訳ではないのですが、気になってはチャンネルを合わせます。

 喜怒哀楽という言葉がありますが、勿論人間の感情を表した言葉ですが感動という感情はどの部分に当たるのだろうと思います。感性が動くという言葉の意味だけ言えば全てに当てはまるのでしょうけれど、今や感動とは独立をした感情のようにも感じます。

 番組上で披露されたパフォーマンスの時には『凄いなぁ~』頑張っているなぁ~』という感じだけれど、実際にその舞台裏のドキュメントをみると、それこそ感動し、ウルッとくるようなものがあります。

 つまり、感動とは表面上の感情ではなく、意味を知った上でのこみ上げてくる物のような気がします。勿論素晴らしいパフォーマンスを見て、感動し、驚く事もあります。しかし、それはプロや天才が見せる技や表現に対してであり、その部分はまた別のものであると感じます。

 感動には尊敬が前提に有る物とちょっと上目線的になるのかもしれませんが、慈愛が前提となり、得る感動があると思います。

 話は変わりますが、ダイヤモンドに関しても同じような事が言えます。単純にお見せしたダイヤモンドに関しては、『わぁ~綺麗ね』『可愛いわねェ~』といった表面上の感情が披露されますが、ダイヤモンドのセミナーやトークショウの後でのダイヤモンドへの反応は明らかに変わります。

 人間は過去の経験や知識の中で感情が生まれ、表現されます。そして、経験や知識の創造の範囲の中の最高の事に関しては感動や驚きを表します。しかし、その範疇をはるかに超える事に関しては幾らすごい事であってもほとんど感情に表す事はありません。

 前回にも書いた、樹齢千年の松に関しては感動しますが四十六億年経ったダイヤモンドにはその場の目に入っている物以上の感情は持てません。つまり、想像の範囲外なのです。
 
 そこで、ダイヤモンドの身近なものに例えた話をお聞きになった後のダイヤモンドに対する感じ方が目に見えるもの以外の感じ方をしてくれるのではないかと思います。

 感動とは表面ではなく、そこに意味するものを感じた時に得る物ではないかと感じた24時間でした。ダイヤモンドのその素晴らしさを伝える事はちゃんとした知識を持った人が、ちゃんと伝える事が大事である事は言うまでもありません。価値はそこから認識されるのですから・・。

2013年8月24日土曜日

時空を超える!?

 昨日、知人が逝去しました。
ほとんどの地球上に有る物は終末を迎え、次代へと移りゆく、それが進化であり、進歩なのであろうと思います。

 有機質であれ無機質であれ変わり続けた故に現状があり、それが進化に向かうのか、破滅に向かうのかは誰も解る訳ではありません。しかし、大きな意味では終末へ向かっている事は間違いがないのです。それは数十億年後の事とされていますが、それは変えられない事実です。

 つまり、宇宙の膨張の中ですべてがコントロールされている訳ですが、地球規模で考えても月が徐々に地球を離れていっている事は知られています。それは地球上の全てのバランスを失う事を意味している訳ですが、それまでには人間が何かを考えつくのでしょう。

 多かれ少なかれ、物には終わりがあり、始まりは奇跡的な必然性であっても終わる事は現実的な必然性なのです。その繰り返しが地球上で起きている当り前なのです。

 それではダイヤモンドはどうでしょうか。地球創世記に誕生をした訳ではなく、その前に宇宙においては既に存在をしていたと見られています。現実に六十億年位前に生成されたとみられるダイヤモンドが発見をされています。この事は地球という我々の生きている星が誕生する前に存在した物質がその事実を現代に伝えてくれた事になります。

 時空を超えその事実を伝えてくれるものは身の周りの物質としては、私が知る限りダイヤモンドしか知りません。人類どころか地球誕生前の事実を進化も変化もせずにメッセージを伝えてくれる稀有な存在のダイヤモンドをもっと認識しても良いのではないでしょうか。

 知人の死が、改めて自然の必然性とその中で奇跡を考える機会となりました。
ダイヤモンドは自然の必然性であり、人類の存在こそが奇跡なのでしょう。

 奇跡は時空を超える事は出来ないのです。人類の存在は宇宙時間では瞬間的に起きているその時だけの現象なのです。                                             

 改めてご冥福を祈ります。

2013年8月23日金曜日

ダイヤモンドとグレードの入れ替え!?

 先日、さる百貨店の担当の方から連絡が入り、
『社長のところに2ctのHカラーでVS1のところはありませんか?』
との問い合わせ・・。
 
 『今のところファンシーカットしかありませんね』
と答えると
 『何とかなりませんか。どうしても一両日中にはほしいんですけど・・。』

 事情を訊ねると十年ほど前に販売したもので、お客様がリフォームをお望みで、ついでにお嫁さんに渡すので鑑定書を取り直してほしいとの事だったらしいのですが、再鑑定を行った結果カラーがJカラーになったとの事での大騒ぎらしいのです。

 『お客様が変えてくれといったのですか?』
と聞くと

 『いいえ、まだなんですが、大事なお客様なので石を入れ替えたんじゃあないかと疑惑を持たれるとまずいという事になりまして・・・。』

 『それを入れ替える為の代替品という事ですか?』
 『そうなんですよ。』

 『それでは本当に入れ替えになってしまうじゃあないですか。』
 『……。』
 『グレード結果は時と場所と人によって変わる事は常識です。石が変化をする訳ではないですよね。』

 『そうなんですけど、当時はそういう説明をしていないので・・。』

 『どちらにしても手持ちはないので、他をあたってください。』

その後どうなったのかはまだ訊ねてはいないのですが、このような問題はこれからも多く起きる可能性はあります。

 売らんが為の捏造という訳ではありませんが、今後も今話題の真珠の花球問題や加熱処理後のルビーのピジョンブラッド表記問題は明らかな販売者の捏造として捉えられかねないのです。これら表記を良しとした場合に宝石の条件である『希少性』という大前提を無視することになります。

 基準が変わったとか時代が変わったと幾ら言い訳をしても、花珠は加工前の評価であり、ピジョンブラッドはミャンマーのモゴック産で非加熱処理を前提としたものです。

本来の基準や基本を都合に合わせて変えていく事も、本質に対しての価値の信憑性をあげていく為のものであれば異論はありませんが、価値に対して誤解を招くような方法論は明らかなごまかしです。

 本質から言うと宝石のビジネスは誰にでも出来るものではありません。ゆえに誰もがやれるように説明のツールとして表記方法やグレード表記があります。しかし宝石は変化しない事が前提としてあり、その表記方法やグレード表記は絶対的なものではありません。その事実を多くの宝石を扱っている人々は消費者に伝える義務があります。その義務を遂行してさえいれば前述の問題や後述の問題に関しても、後で問題になる事ではないのです。

 ただし、意図的に消費者が誤解を招く様な表記をする事は、あってはならない事だと考えますが、如何でしょうか?某有名百貨店のTVショッピングを行っている方々・・・。  

2013年8月20日火曜日

ダイヤモンドの価格とグレード!?

 よく質問される事でもありますが、ダイヤモンドのグレードと価格は一致しない事もありますか?という質問ですが、まず前提として価格を前提としてグレードが当てはめられていった事が、スタートではありますが、現在に置いては国際的なプライスリストがはびこってきた事もあり、信用性が高い上で、さらに国際的シェアを持っているグレーディングレポートを前提としてグレードを価格の決定要因にする場合が高品質、大型サイズの限っては増えてきています。

 しかし、あくまでも価格の裏付けとしての本質はそこには存在している訳で、決してグレードが先にありきで価格が決まっている訳ではありません。とくに中程度の品質に関してはとてもではないけれど基本となっているシステムの中では消化をしきれません。

 例えば、色に関しても以前はイエローを前提としたカラーのグレーディングでしたが、現在はブラウンに関しても色の濃淡によりカラーのグレーディングをしています。しかし、同じグレードであったとしてもイエロー系のUnder-Nカラーとブラウン系の同カラーではやはりブラウン系の方が価格としては下に見られる傾向にあります。勿論それもバイヤー次第ではありますが・・・。

  クラリティーに関しても同じような事が言えます。中程度のグレードのところにおいては、例えばSI-2クラスで言えば価格に2~3割の価格の差が出る事さえあります。つまり、ついているグレードにおいて価格が決まってくるというよりもバラツキのある中程度のグレードのところに関していえばバイヤーの感性によるところが大きくなってきます。

 故にという事になりますが、高品質でバラツキのない所のグレードに関しては信用の出来る機関の保証のような形でグレーディングレポートも必要ですが(勿論、絶対的保証ではありませんが)
それ以外のところではバイヤーの感性によるところが大きくなるので冒頭の質問に関しては流通も前提とすればグレードと価格が一致する事はほとんどないと言ってよいのではないでしょうか。

 店頭を比べて見てもグレードと価格が一緒のところはほとんどないと思います。(但し、ブランド等で社内的に一致をさせているところは別ですが)

 特に、ファンシ―カラー、ファンシーカットに関しては、色、形ともに絶対的に感性ですから比べる事自体も難しくなってきます。

2013年8月16日金曜日

パワーの源!?

 昨日、早く起きて富士山の麓にある北口本宮富士浅間神社というところを訪ねて来ました。そこは富士の樹海の中に有り、森林浴をしているような気持ち良さを感じ、しばし本宮の周りを回っていたところ太郎松と二朗松というひと際は大きな松があり、その間に本殿が建てられている感じでした。

 荘厳な感じがしたその松の間を通りながら、その裏手にある富士山信仰をしている団体の初代を祭っている祠に近づくとなにかゾクッとしたものを感じ、今までの爽快感が薄れていくのを感じました。

 仕切り直しのつもりで再度先程の巨大松の間に位置するとやはりエネルギーがみなぎるというか、荘厳な気持ちになりました。ふと周りを見ると沢山の松があるのにその2本の松がひと際大きな事に気づき、そこから離れるほど松が小さくなっていく事を不思議に思い、再度そこに書いている説明書きを見るとこれらの松は千年の時を過ごし、現在に至っているということでした。

 自然というのは不思議なもので環境や条件の良いところのものは生命力も強く成長も早いものですが、これらの松はこの地の地場か条件が良いのか寿命と成長を遂げている訳です。それを考えるとこの場所こそがパワースポットなのかなとも考えてみました。

 つまり、自然は全ての条件が均等ではないので栄える所も寂れる所もあるのですが、真に此処はその力を与えてるれるところだなぁ・・・と感じ、エネルギーをもらった訳です。

 そうは言っても地球四十六億年から言えば、たかだか千年です。ほぼ地球誕生とともに存在をしてきたダイヤモンドという地球上の自然は何時か滅びる物とは違い、永遠の存在である事を考えると、やはりその存在感を再認識します。

 自然の中で生き延びる物にはその強さとエネルギーを感じます。有機質、無機質の違いと言ってしまえば、そうなのですが大きな自然という事で考えればその違いは大きなものではありません。無機質であっても劣化し、滅び行くものは沢山あるのですから・・・。

 スピリチュアルを感じるとともに何かちょっと方位学とか風水といったものを信じる人の気持ちが少し理解したような気がします。ちゃんとそこには証拠があり、実証が済んだ統計学が存在をしている事を。

 自然は皆に平等ではない。だからこそ場所、時、物というものが大事であり、それはあくまでも自然が指し示した物である事が前提であるが、自らをそれらの近くに置く事が大事なのだなぁ・・と感じるのです。

 勿論、それが全てではないけれど時を経た自然の物を見るとそれが実証されている事を感じ、無いよりマシだという程度であっても試してみる価値はあると思いませんか・・。

2013年8月14日水曜日

小さな幸せでも・…!?

 『暑い、暑い』といっても、そろそろ慣れてきたような気がしますが、暑さ対策としていつもは健康対策の為に駅まで歩いているのですが、今朝はバスに乗ってきました。

 朝からの日差しの中で多少汗ばみながらバスを待ち、やっと来て乗り込むとなんと誰も乗っていないではないですか。おもむろに座席に腰掛けると上部についているエアコンの吹き出し口を自らの方に向け涼み始めましたが、まだ足りずに誰も乗っていない事を良い事に後部座席のエアコン口も自分に向けてみました。

 その涼しさに思わず『幸せだなぁ~』とつかぬ間の幸福感を感じていている時に、長くは続かない小さな幸せだけど、こういう事が繰り返されれば幸せなんだろうなあなんて思っていました。

 先週、北海道でゴルフをしていた時にキャディーさんがダイヤモンドが欲しくて仕事をしているという話をしており、ご主人からダイヤモンドが欲しければ自分で稼いで買いなさいと言われ昨年からキャディーさんのお仕事を始められたそうです。

 最初は展示会で知り合い、是非ゴルフにきてくださいというお誘いに乗り伺ったのですがプレーの最中もダイヤモンド談義に花が咲き、私が
 『なんでそんなにダイヤモンドが好きなんですか?』
と尋ねると
 『だって、見ているだけで幸せじゃあないですか。それにそれを持っている事が誇らしくおもえるし・・・。』

 しばらくすると
 『欲しいのは2ctなんですけど、まだそこまで貯まっていないんですよね。でも好い方法を考えてんですよ・・・足りない分社長が安くしてくれるというのはどうですか?』
と茶目っけのある笑顔で私の方を見ており、私が

 『勿論、お手伝いはしますが最低限は自分の手で手に入れないと意味がないじゃないですか』
というと
 『そうですよね・・・。』
 と言いながら
 『アッ、あそこはOBです。』
と同判者の取引先の部長に告げておりました。

 彼女は一昨年まで専業主婦で、昨年からキャディーさんの仕事を始められたそうですが、去年の分でハートの1ctのリングとペンダントをお買いになり、今年は目標の2ctが欲しいそうですが小さな幸せを感じる為に働くなんて、ストレートな答えが凄くチャーミングに感じました。

2013年8月13日火曜日

自然の賜物!?

 ここ数日の猛暑には正直疲労感が募ります。昨日は高知県で41度という日本記録を更新する気温で、暑いイメージがなかった四万十川が一挙に暑い場所だと知らされたものです。
 四万十川と言えば自然の恵みの多いところとして有名だったのですが自然の与える試練もまた厳しい所であることを知る良い機会でもあったような気がします。

 自然は人類が生きていく上で与えてくれるものと、その真逆に試練を与える部分と両方がありますが、圧倒的に生きていく上で与えてくれる恩恵が多い事は皆が自覚をしていなくても確かな事です。しかしながら、人間の愚かさというか生きていく上で必要なものは全て自然から与えてもらっているのにもかかわらず、さらにその上の快楽を求めるあまりに、自然を変貌させる作業を行っています。

 原子力、家電等々上げるときりがないくらい、それがなければ生きていけないのかという位に快楽を求めています。その結果、自然が変調をきたし、さらなる試練を人間に与えています。物理的、精神的に人類が必要なものは自然がちゃんと与えてくれています。

 人間の利己主義的な行動は既に利己主義的に見えない位に人々の生活に入り込んでいます。宝石に関しても自然がくれたままのもので十分なのですが、ほとんどの宝石に関しては何らかの処理をしています。その事により経済活動が行われている事も十分に承知をしているのですが、そろそろ考えどころではないのかなと感じる今日この頃です。

 自然は無限ではないのです。だからこそ、その使い方が人類に与えられた作業なのですが人類にはその自覚が足りないようです。

2013年8月2日金曜日

想い出のダイヤモンド!?

  一月ほど前にご来店を頂いたご婦人のオーダー品が上がり昨日お越しを頂きました。オーダーといっても全ての材料をご提供した訳ではなく、最初にお持ちいただいたのはお亡くなりになった妹さんのダイヤモンドのプチペンダントでした。

 ご自分ではアイディアがないので、何時も身に付けていられる物を作ってほしいとの事でしたので、ご相談の上で小指用のピンキーリングをお造りする事となりました。デザインは小生におまかせ頂くという事でご了承を頂いたものです。

 昨日それが上がりお渡しする事になったものですが、普段は控えめの方なのですが大層お歓びになり、日ごろとは違った面をうかがわせて頂きました。

 出来上がったものはデザインがオーバーなものではありませんでしたが、完成品に当方の女性スタッフの手による洋彫り(フィレンツエ彫り)を施し、趣のある物となりました。

 その後、お友達と御食事に行ったのですが、食事後そのお友達からお電話があり、ご婦人はその指輪を見ながら『妹の思い出がこんな風に甦るなんて』と涙を流していたとの事でした。

 その話をお聞きし、まさにダイヤモンドの役割とジュエラーとしての役割を果たした様な気がしてまさに本望な気持ちでいっぱいでした。

2013年8月1日木曜日

ダイヤモンド・・・アゲイン!?

給料の為に働くのはただのサラリーマン。仕事の為に働くのはただのビジネスマン。そして自分の利益の為に一生懸命働くのがただの役人。いずれにしても働く事に想いがあるかどうかという事に価値があると考えます。

 ダイヤモンドに想いがなければタダの石かというとそうではありません。想いがあるからこそダイヤモンドに価値がある訳です。勿論経済的価値以外にという事ですが・・。

 以前にも書いた事があるかもしれませんが、ある時突然訪ねてきた初老のご夫妻が

『ダイヤモンドの専門店という事を聞いて尋ねてきたのですが・・。』

もう4~5年前の話になるのですが、聞くところによりますと御主人が大病を患い、最近二度目の手術を受けたとい事でした。その際にお医者様には成功の確率は10~15%位だと言われ、選択を迫られた結果手術を受けて成功したのだそうです。

 手術の際に麻酔が効き始めていたご主人が無意識の中、奥様に
『アゲイン』
 といって手術室に入られたそうです。

 ご来店の折のお聞かせ頂いたストーリーですが、ご来店理由がまたロマンチックで

 『ダイヤモンドは不変だという事を聞きましてお尋ねしたんです。というのは大病で指も細く  
なり外していた結婚指輪をなくしたと思い、お電話をしたのですが今日出がけにひょんなことから見つかったのです。でもご連絡をしていた事もありサイズも変わっているからとりあえず行こうという事で来たんです。それにダイヤモンドに願いをかけたかったものですから・・。』

 と経緯をお話しいただき、結果的には新しく結婚指輪を造る事になりました。
出来あがったものは出てきた指輪を新しくつくった指輪の横にくっつける形でお二人の歴史を大事にして頂こうという思いから製作をさせて頂きました。その上で指輪にはメレーダイヤでお二人にとっては大切な言葉『アゲイン』を描かさせて頂き、ご希望のダイヤモンドを使用したものとさせていただきました。

 その後、もう一度手術を受けることになり、やはり成功をして船で世界一周をするまでに回復をされたそうですが、船中どこででも指輪を褒められ、そのストーリーを皆にお話しされていたそうです。

 不変なダイヤモンドに込めた想いが心の支えになり、その後のお二人の人生を充実させたのかもしれないと考えると小生も感動を覚えたわけであります。

 人の行動、物と全ての物はそこに想いがあって価値があります。ただし想いという事は必ずしも目の前にある訳ではありませんが、想いがあってこそ働く事や物事に意味があるのだと思います。

 何への想いがあるかということが人生や物事の価値を決めるという事だと思いますが、価値は満足感と充実感があってこその価値だと考えます。