ビジネスに関しては色々な要素が挙げられていますが、成功するか否かは何が
要因になるかふと考える事があります。
ビジネスには業種や職種そして色々なシーンがありますがありますが、浅い経験
ではりますが振り返ると、『軽妙』であるかどうかという事が大きなポイントになって
いるような気がします。
軽妙というのは広辞苑で調べると軽やかに妙味がある事と当り前のそのままの事
が書いております。それでは(妙味)とはという事になると「すぐれた味、優れた趣」と
なっています。
つまり、趣があっても重くてはビジネスにならないと感じた訳です。
キーワードとして「軽妙」を頭に入れておくと今まで流行った物や成功したビジネス
の事例を見ると、やはり動作的に軽妙であったり、思考的に軽妙であった物が多い
様な気がします。勿論、どんなものにも例外があり、その例外に限っては大成功を
治める例が多い事も理解しております。
一般的な成功という事を念頭に置いたときにエンターテーメントであれ、営業であれ、
製品であれ「軽妙」であるかどうかが大きなポイントになっているのです。
決して軽妙とは軽いという事は単純には意味しておりません人々が「幸せ」を感じ
居心地の良さを感じるかどうかストレスを持たないかどうかという観点で申し上げて
います。
物、人、行動の其々に軽妙さがあれば幸せになるような気がします。
ビジネスはすべからくこれらを求める事が成功のカギと言えると思います。
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2011年10月27日木曜日
2011年10月26日水曜日
繋がり。
先日、TVを見ていたら『Cool Japan』というNHKのBS番組を見ていたら
『花嫁のれん』なる物を取材しておりました。
北陸の地方に残る習慣で娘が花嫁として家を出る時に実家が持たせる長めの
ノレンで嫁入り道具の一つだそうです。その地方では過疎化も進み人が少なくなって
きた商店街にぜひ人の足を向けさせようと商店街の奥様達が中心になり、その
『花嫁のれん』を年に一度、外の人たちにも見てもらおうとイベントとして町の各商店
に飾り始めました。
そのノレンを見に観光客がこの2,3年続々と集まり始め今では立派なイベントとし
て、観光資源として成り立っています。
番組の中で主催する主婦の一人が
「母や祖母の花嫁のれんを箪笥の奥から出して飾ってみて、改めて私達がこの地方
の文化なりを繋いでいくものとして『花嫁のれん』は大事にしていかなければと感じて
います。後世に残るものですから」
と言っていたのが印象的でした。
現代のように風景から環境まで変わる時代に様々なものを残して行く事は難しい
事なのかもしれません。しかし、せめて自分の家や家族のあり様だけはなんとか
残していきたいといったところから始まり、コミュニティーのあり様や地域の活性化に
繋がり、そしてその歴史や伝統を作り上げていく・・・。正に人間生活だと思います。
ダイアモンドは正に時代を超えて物語を伝えるメモリーカードですが、人の心の
ありよう次第で、それが一番大事だと思います。
歴史を伝えるダイアモンドは沢山あります。
そこまで歴史に貢献するものではなくてもせめて自分や家族の存在を伝えるダイア
モンドを一つくらい所有をしてみてはどうでしょうか?
『花嫁のれん』なる物を取材しておりました。
北陸の地方に残る習慣で娘が花嫁として家を出る時に実家が持たせる長めの
ノレンで嫁入り道具の一つだそうです。その地方では過疎化も進み人が少なくなって
きた商店街にぜひ人の足を向けさせようと商店街の奥様達が中心になり、その
『花嫁のれん』を年に一度、外の人たちにも見てもらおうとイベントとして町の各商店
に飾り始めました。
そのノレンを見に観光客がこの2,3年続々と集まり始め今では立派なイベントとし
て、観光資源として成り立っています。
番組の中で主催する主婦の一人が
「母や祖母の花嫁のれんを箪笥の奥から出して飾ってみて、改めて私達がこの地方
の文化なりを繋いでいくものとして『花嫁のれん』は大事にしていかなければと感じて
います。後世に残るものですから」
と言っていたのが印象的でした。
現代のように風景から環境まで変わる時代に様々なものを残して行く事は難しい
事なのかもしれません。しかし、せめて自分の家や家族のあり様だけはなんとか
残していきたいといったところから始まり、コミュニティーのあり様や地域の活性化に
繋がり、そしてその歴史や伝統を作り上げていく・・・。正に人間生活だと思います。
ダイアモンドは正に時代を超えて物語を伝えるメモリーカードですが、人の心の
ありよう次第で、それが一番大事だと思います。
歴史を伝えるダイアモンドは沢山あります。
そこまで歴史に貢献するものではなくてもせめて自分や家族の存在を伝えるダイア
モンドを一つくらい所有をしてみてはどうでしょうか?
2011年10月22日土曜日
無駄に思える物!?
よく宝石やジュエリーを実質的な役に立たない無駄のようにいわれる方もいます。
確かに、無くても困らないとか、必要ではないとかいわれますが、本当に無駄なの
でしょうか?
もし、無駄なのであれば何千年も社会に存在しないし、高価な価格もつかないの
ではないでしょうか?
日本の文化で無駄のようなものは沢山あり、その視点が日本をここまで発展させ
来たのではないかと、私自身は思っています。
日本の茶道や華道の中や礼儀作法は典型的な無駄の世界であると考えますが、
その中の所作や雰囲気が心を和ましてくれたり、新たな気持ち持たしてくれたりと
人間生活に欠かせない何かを、そこに必要だからこそ生まれた道なのではと考え
させられます。
茶道などの動きや道具は正に無駄の権化みたいなものですが、それがもし本当
に無駄なのであればとっくに存在はしていないし、誰も興味を持たないと思います。
しかし、多くの場合その所作や流れに作法や礼儀を感じ人々にストレスを感じさ
せない行動に繋がっているように感じます。
確かに、アメリカンスタイルはファーストフードをはじめ合理的な面も多々あると思
います。しかし、立ち食いや歩き食いがはたして、周りの人々に不快感を与えてい
ないかというと必ずしもそうではありません。
T(時)P(場所)O(場合)を踏まえていれば、勿論どの様な行動も関係ないかも知
れませんが、残念ながら現代の日本にはT、P、Oを教える場所があまりなく自分も
全てを理解しているわけではありません。
無駄の文化はきちっと活用できれば人々に不快感を与える事もないだろうし、
人生その物に潤いも与えるだろうと思っています。日本の産業もその無駄な文化を
実用化し、製品に生かしてここまで伸びてきたのではないかと思います。
一見必要のない様なもの(多々ありすぎて)、例えばアニメだったり、フランス料理
にも取り入れられた食事のコースメニューだったりと生活に実質必要のなさそうな
ものが日本からは輸出されています。
無駄が如何に必要かという事を説くときりがないのでこの辺にしておきますが、
宝石やジュエリーどれぐらい人類の生活や進化に役に立ってきたかという事は口で
説明するより、歴史を振り返ってきた方が良いくらいだと思います。
無駄を理解することはイコール人生や生活の潤いであり、その理解度が文化度
を表しているのでは・・と思う今日この頃です。
それには経済的な余裕が必要なのかもしれませんが・・。
ジュエリーの発祥は実用品だった事も付け加えておきましょう。
確かに、無くても困らないとか、必要ではないとかいわれますが、本当に無駄なの
でしょうか?
もし、無駄なのであれば何千年も社会に存在しないし、高価な価格もつかないの
ではないでしょうか?
日本の文化で無駄のようなものは沢山あり、その視点が日本をここまで発展させ
来たのではないかと、私自身は思っています。
日本の茶道や華道の中や礼儀作法は典型的な無駄の世界であると考えますが、
その中の所作や雰囲気が心を和ましてくれたり、新たな気持ち持たしてくれたりと
人間生活に欠かせない何かを、そこに必要だからこそ生まれた道なのではと考え
させられます。
茶道などの動きや道具は正に無駄の権化みたいなものですが、それがもし本当
に無駄なのであればとっくに存在はしていないし、誰も興味を持たないと思います。
しかし、多くの場合その所作や流れに作法や礼儀を感じ人々にストレスを感じさ
せない行動に繋がっているように感じます。
確かに、アメリカンスタイルはファーストフードをはじめ合理的な面も多々あると思
います。しかし、立ち食いや歩き食いがはたして、周りの人々に不快感を与えてい
ないかというと必ずしもそうではありません。
T(時)P(場所)O(場合)を踏まえていれば、勿論どの様な行動も関係ないかも知
れませんが、残念ながら現代の日本にはT、P、Oを教える場所があまりなく自分も
全てを理解しているわけではありません。
無駄の文化はきちっと活用できれば人々に不快感を与える事もないだろうし、
人生その物に潤いも与えるだろうと思っています。日本の産業もその無駄な文化を
実用化し、製品に生かしてここまで伸びてきたのではないかと思います。
一見必要のない様なもの(多々ありすぎて)、例えばアニメだったり、フランス料理
にも取り入れられた食事のコースメニューだったりと生活に実質必要のなさそうな
ものが日本からは輸出されています。
無駄が如何に必要かという事を説くときりがないのでこの辺にしておきますが、
宝石やジュエリーどれぐらい人類の生活や進化に役に立ってきたかという事は口で
説明するより、歴史を振り返ってきた方が良いくらいだと思います。
無駄を理解することはイコール人生や生活の潤いであり、その理解度が文化度
を表しているのでは・・と思う今日この頃です。
それには経済的な余裕が必要なのかもしれませんが・・。
ジュエリーの発祥は実用品だった事も付け加えておきましょう。
帰国
昨日、2年に渡ってJICAの任務でザンビアに行っていた知人が訪ねてきました。
日本がアフリカの諸国に対して宝石という面からもほう助しているいことはあまり
知られていませんが、私の知人は宝石の専門家としてJICAから派遣され2年の
期間ザンビアで宝石の市場や知識を教授し、応援する為に赴任しておりました。
先月帰国をし、健康診断や報告書をまとめる作業をしてやっと無罪放免となった
ようです。帰国2,3ヵ月前はストレスもあり体重も減ったという事ですが、現在は
その体重も戻りつつ、日本の味や環境を堪能しているようでした。
私自身の30数年前に2年間ほどアメリカで暮らし、戻って来た時の事を思い出し
ながら知人の話を聞いておりましたので、何か自分の事のように帰国したての頃
の事を思いだしておりました。
今回は途中で震災もあり正確な情報もなかなか手に入らず心配もしていたよう
です。私も在米中に成田闘争があり、友人たちから『日本でクーデターが起きた』
と聞かされビックリしたのを覚えております。
TVで見た画面は確かに暴徒達が警官に向かって火炎瓶や投石を繰り広げている
様に見えました。勿論、日本の事情を知っている私にはそれがどのレベルなのか
想像はつきましたので慌てることはありませんでしたし、友人にも説明をしました。
確かに今回の報道は政府発表に準じていたので日本の報道は最初、原発の件も
あまり大げさではないような内容でしたがBBCなど海外メディアは大きく危険性を
取り上げておりましたので、海外で報道を見ていた形は気が気ではなかったのかと
思います。
そんな心配をしながらの赴任だったので、さぞやストレスが溜まったのではと想像
します。
彼が開口一番口にしたのは『日本に対しての再認識ですね』といった海外から帰国
をした人が良く口にする一言でした。
日本に対しての再認識とは多くの人は日本の素晴らしさを表現するときに使います
がその素晴らしさとは何なのかと考える事が良くあります。それは『無駄に見える事』
なのではないかと思います。
長くなるのでこの続きは次回・・・。
日本がアフリカの諸国に対して宝石という面からもほう助しているいことはあまり
知られていませんが、私の知人は宝石の専門家としてJICAから派遣され2年の
期間ザンビアで宝石の市場や知識を教授し、応援する為に赴任しておりました。
先月帰国をし、健康診断や報告書をまとめる作業をしてやっと無罪放免となった
ようです。帰国2,3ヵ月前はストレスもあり体重も減ったという事ですが、現在は
その体重も戻りつつ、日本の味や環境を堪能しているようでした。
私自身の30数年前に2年間ほどアメリカで暮らし、戻って来た時の事を思い出し
ながら知人の話を聞いておりましたので、何か自分の事のように帰国したての頃
の事を思いだしておりました。
今回は途中で震災もあり正確な情報もなかなか手に入らず心配もしていたよう
です。私も在米中に成田闘争があり、友人たちから『日本でクーデターが起きた』
と聞かされビックリしたのを覚えております。
TVで見た画面は確かに暴徒達が警官に向かって火炎瓶や投石を繰り広げている
様に見えました。勿論、日本の事情を知っている私にはそれがどのレベルなのか
想像はつきましたので慌てることはありませんでしたし、友人にも説明をしました。
確かに今回の報道は政府発表に準じていたので日本の報道は最初、原発の件も
あまり大げさではないような内容でしたがBBCなど海外メディアは大きく危険性を
取り上げておりましたので、海外で報道を見ていた形は気が気ではなかったのかと
思います。
そんな心配をしながらの赴任だったので、さぞやストレスが溜まったのではと想像
します。
彼が開口一番口にしたのは『日本に対しての再認識ですね』といった海外から帰国
をした人が良く口にする一言でした。
日本に対しての再認識とは多くの人は日本の素晴らしさを表現するときに使います
がその素晴らしさとは何なのかと考える事が良くあります。それは『無駄に見える事』
なのではないかと思います。
長くなるのでこの続きは次回・・・。
2011年10月5日水曜日
美しさ!?
欧米や海外を回って思う事はダイアモンドに対する考え方の我々日本人との違い
です。
海外ではダイアモンドを『ワッ!!きれい』と表現する事はあまりありません。どちらか
というと、財産性だったりメモリアル的な考え方をします。
最近の日本人もあまり『きれい!!』とは言いませんが、以前は0.3CTでもダイアモンド
が大きく感じたせいか『ワッ!?きれい!!』と表現をしていたと記憶しております。
日本人と欧米人の美しさや美に対する意識の違いは著書の『宝石がたからものに
なる時』にも書いていますがかなりの違いがあります。
日本人は景色や物体は勿論のこと苦悩や怒り、所作等といった外国人には理解が
出来ないようなものにも『美』を感じます。
桜にちり際や月の陰りにさえ美しさを感じます。外国人が「チッ、」と舌打ちをする様
な状況の中にも美しさを感じてきました。特に所作に関してはその動きの流れや仕草
に美しさを感じそれがマナーにも通じている訳です。
現代の日本人がそれに当てはまるかどうかは疑問ですが、本来の日本人にはその
ような感性が宿っているいるの日本古来の茶道や生花、武士道をみても間違いは
ありません。
現代の日本人がマナーやTPOを取り戻すには『美しさ』を理解する感性を培う必要が
あるのかもしれません。
ダイアモンドを理解するにはまず美しさを理解する原始的な感性が必要で本来の
ダイアモンドの価値は本来そんなところから始まっています。
日本人がダイアモンドを理解することにより、本来の日本人の美意識が取り戻す事
が出来るようにとこじつけ的に願う次第です。
です。
海外ではダイアモンドを『ワッ!!きれい』と表現する事はあまりありません。どちらか
というと、財産性だったりメモリアル的な考え方をします。
最近の日本人もあまり『きれい!!』とは言いませんが、以前は0.3CTでもダイアモンド
が大きく感じたせいか『ワッ!?きれい!!』と表現をしていたと記憶しております。
日本人と欧米人の美しさや美に対する意識の違いは著書の『宝石がたからものに
なる時』にも書いていますがかなりの違いがあります。
日本人は景色や物体は勿論のこと苦悩や怒り、所作等といった外国人には理解が
出来ないようなものにも『美』を感じます。
桜にちり際や月の陰りにさえ美しさを感じます。外国人が「チッ、」と舌打ちをする様
な状況の中にも美しさを感じてきました。特に所作に関してはその動きの流れや仕草
に美しさを感じそれがマナーにも通じている訳です。
現代の日本人がそれに当てはまるかどうかは疑問ですが、本来の日本人にはその
ような感性が宿っているいるの日本古来の茶道や生花、武士道をみても間違いは
ありません。
現代の日本人がマナーやTPOを取り戻すには『美しさ』を理解する感性を培う必要が
あるのかもしれません。
ダイアモンドを理解するにはまず美しさを理解する原始的な感性が必要で本来の
ダイアモンドの価値は本来そんなところから始まっています。
日本人がダイアモンドを理解することにより、本来の日本人の美意識が取り戻す事
が出来るようにとこじつけ的に願う次第です。
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