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2025年8月29日金曜日

ダイアモンドマーケットの混沌⁉

  今、インドのダイアモンドビジネスが危機に面しています。それは勿論トランプ関税の50%という高関税に起因しています。

 例年であればこの時期は米国のクリスマスセールに向けての準備のために大忙しなのですが現状のインド・スーラットの取引所は人の姿もまばらということです。

 勿論、世界での優秀な商人であるインド人は手を拱いているばかりではありません。第3国を経由し、関税の低い国からの輸出を試みたり、ターゲットを中東ドバイに向けたり、欧州に向けたりしています。

 ここで問題なのはアメリカはロシアとの貿易に積極的な国への高関税を示唆していますが、インドは歴史的にロシアとは近い関係にあります。現状モディ首相はトランプに対しても強い姿勢をとっていますので、なかなか解決の道はないということです。

 今後を考えるとダイアモンドビジネスに関してだけ述べるとしたら、イスラエルなりベルギーにチャンスが出てくるのではないかと考えています。なぜならEUやイスラエルからの関税は抑えられていて、更にダイアモンドに関しては基本原産地証明をつけることにはなっていますが、ダイアモンド取引所を経由した時点でそれぞれの輸出地がそれに準ずることになるからです。

 現状のダイアモンドビジネスはといえば、宝飾業を前提をすれば欧米、日本共に悪くはありません。しかし、中身を精査すると本来の宝飾業というより、ブランドであったり、ファッション業界に近い部分での売上が大きな部分を占めています。

 さらに、ダイアモンドビジネスにフォーカスするとオーバーサイズを除く、1ctサイズのものの動きもあまりよくなく、商品が少なめの米国市場であっても堅調とは言えません。しかし、米国内研磨のダイアモンドはまだインド産のものよりは15%前後高めでもありますが、米国の大手独立系小売店は堅調を続け、委託からの売上は順調に推移しています。

 しかし、全体的にはラパポートをはじめ、多くの基本となる相場よりは価格も高くなっており、ロシア産のダイアモンドのアメリカに制裁も引き続き行われる様相も呈しておりますから、しばらくは市場でのせめぎあいが続くと思われます。

 デ・ビアスなども小規模なロットは市場から拒否をされることも多く、大粒の原石を中心に供給を行っております。そのことからも大粒サイズのものがしばらくの間市場の話題を占めるとは思いますが、絶対的な量の問題がありますので価格の問題がクローズアップされるとも思われます。

 総括としてトランプ関税は今後もインドの研磨市場にダメージを与えるでしょうが、ダイアモンドという商品の性格上新たな動きを作り出すかもしれません。特に大粒サイズのものに関しては従来の取引方法に多くの業者は拘らなくなる可能性は出てくると考えられます。

2025年8月28日木曜日

宝石、宝飾品の持っている意味⁉

  ジュエリーの歩みを考えるときに、元々は宝石というものが存在し、実用品である道具に宝石を施すことにより、宝飾品としての体をなしてきました。それは指輪然り、ネックレス然り、ブローチ然りです。

 つまり、宝石というものの存在は実用品に宝石そのものを関することにより宝飾品に確固たる意味を存在させてきたわけです。

 ブローチなどは北方民族の毛皮の前を止めていた道具に長者が宝石を施したことにより始まったともいわれています。勿論、指輪にしてもネックレスにしてもそれが始まりといわれています。

 さて、その宝石ですが、宝石そのものも前回の話に重複しますが、自然が作り上げて出土したものに自然が起こす現象やその稀有さ、その美しさや希少性を物語にして時の権力者への献上品としてその価値を高めてきたものでもあります。

 結果としてその宝石を身に着ける方法として権力や宗教上の儀式における宝物や道具に施したわけです。それにより王室の王冠や笏などが権力の象徴として成立してきたわけです。

 その結果フォーマルな場所での着用品として宝飾品つまりジュエリーが成立をしてくるわけです。

 宝石やジュエリーに関してはその成り立ちから言っても付加価値のある創作物語が付与され始めてその価値が見いだされるわけです。

 昨今の販売方法としての文字や数字を前提とした価値やその場のセールストークのみで販売するには難しいものです。顧客が欲しがっている前提であればその内容でも成り立ちます。

 しかし、顧客が欲しがる前提というものは、美しさや好みもさることながら、それはその全体としての物語があることが必須なのです。つまり、物語のないところに本来のジュエリーの価値は感じてもらいにくいわけです。

 それはブランドイメージだったり、誰かが身に着けていたということも含め、ストーリーが必須なわけです。今の販売方法に一番欠けるところであり、現代の販売員の最も苦手とするところでもあります。

 今後の大きな課題でもあり、これがなければ日本の宝飾業はますます推移体をするのでしょう。我々は宝石のためにも物語、つまり付加価値を創造し続けなかればならないのです。

2025年8月25日月曜日

DX化の懸念⁉

  ダイアモンドと直接の関係はありませんが最近のDX化に幾ばくかの疑問や懸念を持っています。技術の効率化を行うIT化に関しては日本ではうまくいっていませんが(特に日本政府が)、アナログに関しての技術の効率化、アナログをいかに生かすかという意味でのIT化は長年イスラエルで見てきていますからある意味の安心感もあります。

水が少なければ灌漑事業のIT化、人が少なければ労働力のIT化といったようにイスラエルではその技術の先進技術を見事に生かしていますが、日本では省庁の省益が前提となっている手前なかなかIT化も進みません。

 しかし、民間を中心にしたDX化に関しては日本のみならず世界でも先へ先へと進んでいます。現代ではそこまでの機能も効率も必要がないだろうと思えるぐらいに進化をしています。AIを活用するようになるとさらにその進化は急進的なものになっています。

 過去何億年と続いた地球上での営みは身の丈以上の進化を続けるとその後の破滅を迎えることは珍しくはありません。自らの巨大さを持て余した恐竜然り、紀元前の人類の発展然り、いろいろな分野で進化しては滅亡しを繰り返しています。

 私の懸念は現代の進化は果たして身の丈に合っているのだろうかということです。必要のない進化を続けているのではないかということです。AIの進化の将来の懸念も持っています。本当に必要だったのだろうか?ということです。

 多くの現代人は進む過ぎる進化に何かを失っていると感じています。進化イコールある部分での退化であることも十分理解をしているつもりですが、それがある意味何かに比例をしているのならこのような懸念を持ちません。

 ダイアモンドのようなアナログな仕事をしていると、我々仕事もIT化は進められてきましたがある意味その価値を上げる手段であったり、その効率化を求めていたものでした。

 実際、現代のDXは新たな価値を組織なり、システムに生み出すということだと思いますが、現代のフィンテックを見ていても数字上の価値や仕組みを生み出していますが、人や物に対する価値を高めているようには見えません。

 むしろ、アナログの価値を軽んじて、その価値を損なわせているような気がします。

 つまり、いつの時代にも人や物がその価値に見合った進化を続けることが必要で、身の丈に合わない進化をその物を押しつぶし、結局、破滅の道を歩むのではないかとさえ感じるんです。

 単なる懸念であればと願うばかりです。


2025年8月19日火曜日

ダイアモンドの本当の価値⁉

  ダイアモンドの誕生に触れることは難しいと思っています。それは、ダイアモンドの誕生は現代人の誕生に比例するからと考えています。

 勿論、鉱物学的には後にダイアモンドと呼ばれるようになる炭素の急激な結晶化されたものはそれ以前に存在しますが、ダイアモンドという価値を持った美しい鉱物は人類に認識をされて初めて存在をするようになるわけです。

 紀元前から何らかの鉱物としての認識はされていましたが、現在のインドで採掘が行われるようになり、その存在に人類により付加価値を享受されダイアモンドとしての体をなすことになります。

 ある時は従属者から権力者に、ある時は商人から権力者へと物語と共に献上され、それを所有することの優越性が、権力の証として示されるようになり、その意味が確立をされのです。

 つまり、その物にいかな価値があるかという物語を常に創作をする人間がいて初めてその価値が維持されるのです。

 現代はその市場性もあり、一定の価値判断や価格判断の基準もあり,今の存在になっています。しかし、原点はその存在価値を評価し、高め行く創作性がなければ徐々にその輝きは色あせていきます。

 現代のジュエリービジネスは実用品と同じようなレベルで行われ、価格競争も実用品と同じように行われてきましたから本来の価値は薄れてきました。

 しかし、ダイアモンド単独の価値というものは大前提として自然が育んだ価値というものが付与された価値ですから、それが前提にあり、現代のラボグロン問題にも一定の結論が出たわけです。装飾品としての価値だけであれば、ラボグロンでの良いわけで、他の材料であってもよいわけです。

 ダイアモンドの価値というのは自然からの贈り物であり、人類がそこに価値を見出し、価値を付与するだけの意味合いがあることが前提です。

 つまり、ダイアモンド価値というものは人類が自然を崇拝したうえでの価値が原点であり、決して実用品ではないのです。その価値をどう評価するかということは現代人の文化度や付加価値に対する考え方なのです。

 ダイアモンドの希少性、耐久性、美観性、携帯性、換金性という本来の価値と現代の金融、および資産というものと同様にどのような価値を人類が創作するのかというところにダイアモンドの価値というものは起点するのです。

 人類が自然に対しての崇拝をしたうえでの創作性の価値であり、それを怠ることは価値を自ら失わせ、人類が持つダイアモンドの意味自体をなくさせるのです。

2025年8月8日金曜日

ダイアモンドは永遠なのか?

  数十年前には考えられなかった事が次々と起きています。

『ダイアモンドは永遠に⁉』『婚約指輪は給料の3ヶ月分』などと謳われていたことが嘘のような現代です。二十代の若者にはその言葉があったことさえ知らないものも多く、ダイアモンドビジネスに携わってきたものからすると寂しい限りです。

 今年は宝飾業界の倒産件数が過去二十年で最低というデーターが出ていますが、喜ばしい事かと思いきや、倒産は少ないのですが廃業や休業がここ数年多くなってきています。

 甲府などの業者も工場を閉鎖や廃業が増え、形態も製作や卸からインフルエンサーなどを使い直販が増えています。現実に東京国際宝飾展(IJT)なども宝飾業界のための展示会とは名ばかりで、一般顧客やインバウンドに対する展示即売会というのが実態になってしまっています。

 一方、上流ではダイアモンドの鉱山会社なども流通形態が変わり、大粒に関してはオークション会社への直接出品などB to Cとも言えるような最終顧客に対する直接のアプローチの機会を探っています。

 鉱山会社の多くは採掘制限や採掘権の譲渡などや会社そのものの身売りなどを試みているところも多くあり、決して過去の栄華を探れるような状況ではありません。

 現実は過去数百年で数限りないダイアモンドが採掘され、当然リセールの還流ダイアモンドも多く市場に存在する訳です。当然需給の関係で価格も下がりますので、採掘の意味をなさなくなるわけです。

 しかし、採掘を制限することでダイアモンドの採掘量が減りますので、一方で研磨済み3ctを超えるような大粒のダイアモンドも採掘される機会が減りますので当然品不足にもなります。   過去40年間を見ても1.2ct以下のサイズに関してはわずか10%前後の値上がり($ベース)ですが3ctアップのものに関しては250~300%の値上がりを示し、5ctアップに関しては350%以上の値上がり率(ラパポート統計)を示しています。

 日本国内を想定すると決して『ダイアモンドは永遠に』とは言えませんが、世界基準でみると一定の大きさを前提としますが、ダイアモンドの価格は今後長い目で見ると資産性をますます帯びてくるかもしれないともいえるのです。