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2013年6月24日月曜日

ダイヤモンドと文化!?

 香港から帰国をし、何気にショーを振り返って気になる事が幾つかあり、その一つはジュエリーのサンプルの事です。華やかに見える物が多い事は展示会ですから当り前の事ですが、以前であれば日本向けのものとしても見る事が出来たのですが、今の日本のまーけっとを考えるととてもではないけれど適しているとは思えない。

 それでは、それらのサンプルはどこ向けなのかと考えた時に中東にしては小さすぎるようにも思え、またホワイトゴールドという事を考えるとやはり中東向けではないなと思ったりする訳です。

 結論を言うとここ数年の市場は混とんとしており、各出展者達も迷いがあるのであろう考えられます。日本市場は調子が悪いとはいえ香港の業者からみると今回のショーでもやはり日本の業者は多い方ですから取り急ぎ、以前日本市場で売れていた物にしておこうという事なのだろうと思います。

 また、パールのコーナーでも中国の雑然と積み上げているブースよりもやはり日本のブースに沢山の人が集まっており、日本の業者に対する信用みたいなものが中国や隣接のバイヤー達にはあるのであろうと思います。また、売れている物も真円に近い、白くテリの良い物を手に取っていたように思われます。

 特に中国人達にとってはダイヤモンドあれば、ある程度の大きさで品質の良い物、真珠であれば白くて丸くてテリの良い物、金は純金で99.99%以上のものと、明らかに財産性を重視したものを選ぶ傾向があります。

 それは、文化の違いからくるものでしょうが一つには以前の日本人のようなマニュアル建前社会が横行しているような気がします。つまり、土地を所有できない彼らは動産主義でその象徴が金であり、ダイヤモンドであり、その他の宝石なのです。但し、問題は今多くの食品やもので問題になっている贋真問題です。

 日本でも多くの問題になったグレードの中身ののことですが、特に中国の業者の表示が正確かどうかという事です。日本からの輸入品に関しては地金の検査にはとりわけ厳しく、特に金商はPT900を0.1%でも割っていれば不合格となります。またPT850はほとんどが相手にしません。

 当然、消費者はダイヤモンド等でも確認をする力がありませんから表示を信用するしかありません。よって純度の高い物や宝石として価値の高いものといった前提がある物を好みます。中国の消費者にとっては半貴石はおもちゃに過ぎず、翡翠に関してもグリーン以外は興味も示しません。

 ダイヤモンドの本当の価値というよりも表示をされているグレードや文字を信用するのも以前の日本市場と変わりません。しかし、財産という前提にあっての文化からくる物の見方は真剣ですし、それゆえに表示を前提にするという買い方をしますが、物を見れない分だけ、値引きを要求して買っておこうという考え方も生まれて来ます。

 矛盾をしているようですが、表示で買い、それが違っているかもしれない事を前提に値引きを要求して買うという文化は不動産文化からは生まれないものなのではないでしょうか。

2013年6月20日木曜日

ダイヤモンドの現状!?

 本日、一日中香港ショーのダイヤモンドディビジョンを見ていて正直大きなサイズのものも結構展示されているなぁという感じがしました。

 
 急に背中をに手の感触を感じて後ろを振り返ると旧知のイスラエルの仲間の顔がそこにありました。 

 『一人で来ているの?』
の問いかけに
 『ただの視察だよ』と言うと
彼も同じような感触を持っていたようで大きなサイズのものが多いと感じていたようです。
しかし、共通して思った内容は大きなものに品質の良いものがないということでした。

 『やはり、品質の良いものはなかなかマーケットに出てこないね』
 と言うと

 『マーケットに出ることなく売買がされることが多いからね。通常の品質だとどうしても見解の相違が出てくるので価格が多少違ってくるからね。』

 『見解の差が少ないD IF EXのところはもう相場が決まっているからね。』

 
 品質の高いところは相場の差もあまりなく取引をされることが多いので面白味にも欠けます。実際に数件の出展者に確認したところGカラーからKカラーの所でVS、SIクラスの所だと20~30%の誤差がありました。ゆえに面白いということになるのですが・・・。
 

 大きさやライフはTPOかかわらず見解の相違はあまりありませんが、やはり、品質のグレードになると見解の相違が出ますので価格にも差が出てくるわけです。しかし、ダイヤモンド本体の品質はいつも述べるように変化をするわけではありません。

しかし、予算があって手に入れたいと思った時には安く購買するチャンスが出てくるわけです。香港のショーは今度の日曜日まで続きますが、スタートとしては大方の出展者はよさそうです。

 ダイヤモンドは今大きな転機を迎え財産保全用と(投資も含んで)宝飾用にはっきりと分かれてきましたが財産用の動きがここ数か月数億円単位のもので国内でも動いているようです。しかし、大きさがあれば必ずしも最高品質ではある必要はありません。

 手軽なもので楽しみながら実質的なものも追いかけてみてはどうでしょうか?今ダイヤモンドはやはり、熱いようです。   

2013年6月18日火曜日

ダイヤモンドの捉え方!?

 ダイヤモンドには工業用、光学用そのほかに宝飾の素材として用いるほかに、最近では投資用というか財産として見られるようになってきましたが、宝石としてのダイヤモンドが基本だと考えています。

 本来は見て美しい石として捉えられ、以前には色がはっきりした色石の方がより価格的にも価値としても重用されていましたが、研磨技術が進化してくるとその立場が逆転してきた訳です。

 いずれにしても、本来は感性の部分を価値とした分野の物が宝石であった訳ですが、いつの頃か宝飾品の素材として重要なものとなった訳です。勿論メインに使用する事によりその存在は際立っていたのですが、脇石として使用されたり、小粒だけを使用したパヴェ留などが出てくるようになると益々もって素材としての印象が強調されてきました。

 そのパヴェ留に関しても最近ではダイヤモンドという名前と重さを強調したまがい物的売り方が横行し、一般の消費者をより誤解させる方向へ導いたような気がします。本来の価値はダイヤモンド一粒一粒の魅力であり、その為にはある程度の大きさを条件としていいるとは思います。

 勿論、誤解をして頂きたくないのはパヴェ留のデザインで留めも綺麗に出来ているものにはそれなりも魅力もありますし、素晴らしいと思います。ただ、私が言っているのは響きだけで販売しようと綺麗でもない小粒のダイヤモンドをいい加減な造りをし、ダイヤモンドという名前と重さでだけで誤魔化そうとする販売方法です。確かに中国などで製作をすれば安価に出来るし、安売りも出来るでしょうが、造りとか品質に置いては・・・要は程遠いんですよね、宝飾品とは・・・。

 私個人としてはダイヤモンドを宝石として扱いたく、また消費者の方たちにも単なる身を飾るものではなく、大事な伝えるものとしてだったり、自らを鼓舞するような精神的な価値として所有してほしいとも思っています。

 現代のような景気の動向だと贅沢品として最初にはじかれそうなジャンルの商品になってしまっていますが、宝飾品はそうかもしれませんが宝石はこんな時だからこそ必要なものとして手に入れてほしいのです。

 なんら確かな証拠がある訳ではありませんが、経験値から何らかのスピリテュアルな力はあるのかもしれないと思っています。巷にあふれているパワーストーンなる雑石にパワーがあるのであればダイヤモンドはその比ではなくパワーがあると実感しています。

 ダイヤモンドの価値は心理的なものから始まっているのですが、現在でもそれは変わらない価値だと考えています。

 

2013年6月15日土曜日

エレガントとダイヤモンド!?

 最近、いくつかの展示会に参加をさせて頂いて、思う事は展示商品の低レベル化です。単純に価格の問題ではなく展示の仕方や内容ですが、同じようなディスプレーに同じような商品群。

 一言で言うと消費者を馬鹿にしているのか、売っている人たちの問題なのか、解りませんが基本的にジュエリーというものを理解しているとは思えないという事です。

 『誰もが手に入る方法で、誰もが手に入れる事の出来る価値にはジュエリーの価値はそぐわない』

 値引きし、さらにディスカウントをするような販売方法は将来に市場を失う事になります。電化製品のような製造できるものですらそれらの販売方法を間違い、苦労をしています。我々の取扱い商品はその辺が違っているのです。

 自然の物がゆえに、もしくはその技量の高さゆえにそこにはストーリーがあり、「ジュエリーの意味」があります。昨今の展示会に飾られているものは全てとは言わないが、大量生産の産物的な物や値引きをする為に外見を誤魔化したようなものが多いのが残念であり、それを理解せずに一生懸命消費者に進めている販売員さんを見ていると少し哀しくもなります。

 消費者も何かの勘違い(これは販売側に多くの責任があるのですが)をしていて、重くて大きな物が得だからという思いで購入動機にする方も多いように思います。

 ダイヤモンドというものは外見を飾るものではなく、心を飾るものである事を理解をして頂ければ本来のジュエリーの意味も解って頂けるのではないかと思います。

 エレガントとは身に付けるものではなく、その人そのものの事であるは理解が出来ると思います。意味を感じたら、その価格ではなく、価値を第一に考えたらよいのです。それが価値というものではないでしょうか。

 安く買えたからという価値は本来にジュエリーの価値としては異なものであると思います。そして華やかになるからという理由もやはり違うような気がしませんか。

 ダイヤモンドは人間より先に存在をしています。勿論他の宝石もそうですが何故そこに価値があるか。先に存在する物により人々の価値感や感性は育まれてきた事を考えると後天的な経済的価値や外観を気にする事に違和感はありませんか。

 ダイヤモンドを適正に身に付けるとエレガントに見せてくれるくれるのは、その人たちの内面がエレガントなのだと思います。透明感があり、やさしさと上品さをエレガントというならまさにダイヤモンドはエレガントの象徴ではないでしょうか。

2013年6月7日金曜日

共通するもの!?

 ここ3ヶ月間の間に釧路と函館を訪問する機会があり、双方ともほぼ40年ぶりの訪問でありました。当時の両市の駅前は華やかでそれこそ毎日がお祭りのようでした。

 今回の驚きというのは駅前の衰退ぶりでした。人は少なく、特に釧路に至っては昼間でもあまり人影が見えないような状況でした。その中で気がついた事は郊外型のショッピングモールの台頭や大型飲食店の郊外型化、そして駅前にはつきものであったパチンコ店の郊外への異動でしょう。

 これらはこの両市に限らず、多くの地方都市で起きている現象でしょう。さらにはその郊外型ショッピングモールのゴーストタウン化も見逃す事は出来ないでしょう。

 これらの現象も見ていてジュエリービジネスとの極似具合です。ジュエリー業界も最初は時計店から始まったような小さな町の駅前商店街の宝石店が基本でしたが、いつの日からか百貨店が台頭し、やがては異業種を中心にした展示会が中心になり、その展示会もゴーストタウン化をし始め、そこから抜け出せずにどんどん安価になる平均単価に我慢をしながら続けている現状です。

 しかし、両市の中のたまたま訪問をした両店は決して繁華街でもなく、恵まれた立地でもないところでの奮闘具合です。特徴はある程度の客層に絞り込み、商品も価格帯も絞り込み顧客に提供をしているところでしょう。

 このところの他業種の状況を見ていても同じ様な現象が起きています。必ずしも立地条件も良くなく、単価もさほど低くはない。これらは家賃原価を抑え、経費を削減することで良いサービスと内容を提供する事に特化をし、なるべく顧客と身近になる事により生産性をあげているという事でしょう。

 これらは車社会になった事で起きた現象ですが、その後の立地条件良くないところでもビジネスが出来るというのも、これまた車社会になったおかげでしょう。

 つまり、大きな商圏を対象にした市場の時代は終わり、それらはネットビジネスに任せ、本来のアナログ市場を見直す時が来た事を物語っているのでしょう。商品を特化し、価格帯も特化し、その上で中身の濃い商品内容と身近な接客をするという事に濃縮されるのでしょう。

 ダイヤモンドのビジネスは得にこの業態が向いているビジネスと言えるでしょう。ブライダル市場商品を外せば、同じような物もなく、実用品商売ではない以上、仕入れの技術と経験、知識により特化をし、特別な物だけを提供する。まさにダイヤモンドビジネスであろうと思います。