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2012年8月30日木曜日

CVDダイヤモンド!?

 昨日、JJF(日本ジュエリーフェア)でのGIA(米国宝石学会)講師のセミナーを覘いてみました。
内容はCVD(Chemical Vapor Deposition)ダイヤモンドについてという事でした。つまり、人造ダイヤモンドですがいくつかの疑問をもちました。

それは、なぜ今なのかという事です。というのはCVDに関してはもう十年も前から米国を中心にして
取り扱いが行われていました。当時米国での取引の中で取り扱っている小売店が全米で100店舗を超えていたので驚きました。

宝飾品以外を対象にしたCVDはGEを始め50年ほど前から製造を行われておりましたが宝飾品質のダイヤモンドは一部ソビエト連邦時代のロシア等で製造が行われているという話はありましたが確証はありませんでした。

十年前ほどから米国のAPOLLO社やGEMSIS社がネット上でのディスクローズを前提に製造販売を行っており、現在に至ってから大騒ぎをする様な内容ではないと思っております。

また、今回説明された内容も私が記憶し体験をしたものとは2~3年の時期のずれがあるように思います。確かに市場に意図的にCVDダイヤモンドが流通させられる事は阻止をしなければならないと思いますがいたずらに大騒ぎをする事は、そこに何かの意図があるように感じてしまいます。

たしかこの秋にでもGIAジャパンのラボがオープンすると聞き及んでいます。そして、多くの鑑定機関がCVDを看破するだけの能力があるとも思いません。その事自体は大変結構なことだと思います。また必要だとも思いますが、これが単なるビジネスパフォーマンスでなければと願います。

しかし、参加をしていた多くの業者さん達がこの事実を知らなかったという事にも驚かされました。

混乱を避ける意味でも業界関係者が知識をもう少し持つことを期待したいと感じましたが、日本の場合混乱を避けたいともっともらしい理由からディスクローズをされないという事もあります。

因みにCVDダイヤモンドは光学的に優れた素材として多くの精密機械などに使用されております。

2012年8月27日月曜日

ダイヤモンドはただの石!?

 ダイヤモンドは美しいし希少性もあり経済性もあります。しかし、よく考えてみるとただの石です。

ただの石が特別な価値を持つのには人々の思いや環境が必要です。ただの石がそれなりの意味を持つには条件も必要であるでしょう。

先日TVで檜の特集を行っていました。檜の特徴としては防虫殺虫効果や耐久性というものがあるという事ですが一番の特徴は加工されてから200年くらいをかけてより強靭なっていくというという事でそれから手入れにもよりますが千年単位での耐久性があるそうで、それゆえに太古の昔の建造物の技術や伝統が残せているという事です。

つまり、耐久性があるという事は歴史を後世に伝える上での材料になり、ただの耐久性があるだけの材料が人の思いをのせることにより伝統や文化が形作られていくことになります。

ダイヤモンド以外の石であっても価値を持ちうるかもしれない中で、ダイヤモンドのように美的にも希少的にも耐久的にも特徴を持つ石は経済的な価値を持つ事はそう難しくはありません。その上で思いをのせる事が出来ればただの石ではなくなる訳ですが、やはり順序としては思いがそこに有る事でダイヤモンドの存在意義があるという事になるのだと思います。

暑い夏、色々な経験が将来の記憶として判断基準として子供たちの心の中に刻み込まれているのだと思います。経験と記憶をより強くするにはそこに対象物があるという事です。日本の多くの古都に太古からの建造物があるという事で、皆は古代に夢を馳せたリ、伝統を感じたりするのだと思います。

ただの石、子供はダイヤモンドの原石です。子供がどう育つのかは一次的には親次第、二次的には社会のの文化度というところがあります。社会を形成している一人として責任も感じます。

ダイヤモンドはただの石ではない事を説いていく事も社会のお役に立つ一環かとも勘違いをしているこの夏です。



2012年8月24日金曜日

人生はあみだくじ!?

 今月の27日アメリカのCNBCがダイヤモンドの特集が放映されますが、その内容はダイヤモンドの今後の投資についての明るさという事です。

先日、某有名投資家でもある知人とその話をしておりましたところ、彼はダイヤモンドの投資には興味がないということでした。

彼の話を聞いてみるとベンチャ―企業や新たな業態に対しては投資の対象として考える事は容易であるけどダイヤモンドのように既に物が存在し、損はしないかもしれないが投資としての面白みに欠けるということでした。つまり、投資をして一から作り上げ企業価値をあげることに意義があるということでした。

なるほど、投資とは単にお金を増やすことだけではないのだと、改めて感じました。彼とは友人の紹介でお会いして親しくさせて頂いているのですが、その事を先週食事をした時に話しているとその友人は・・。

『彼は外資系の企業の日本法人を立ち上げて見事に一流企業に仕立てて、キャピタルゲインとして百数十億の資金を手に入れたけれど、それは努力もしたけれど、人との出会いが話を聞いていても絶妙だったようだよ』
と友人は彼の事を語ってくれました。

そういえば、その場で食事をしていた4人も元某TV局プロデューサー、俳優、運送会社の経営者そして私と、普通ならまず出会わないメンバーです。色々な経緯があって知り合った4人ですが、その話をしていた時に其々を繋ぐ間に別の人が存在して関係が出来上がってきたんだなぁ・・・。と感じたものです。

何時もはダイヤモンドが人と人を繋ぐメッセンジャーといった話をしておりますがダイヤモンドは確かに人と時代を繋いでいってくれるものです。

人生そのものはおおよその見当のつく人生に横棒や斜め棒のように誰かがそこに入ったり、何かがそこで起こったりすると必ずしも予想通りの人生にはならず、別の方向に進みます。

あみだクジの後で足される横棒や斜め棒で方向が変わる様子はまさに人生そのもので、そこで出会った人や出来事はその後の人生の尺度になる位大事なことで、前述のインベスターはごく普通の家庭で育ち、ごく普通の会社に就職をし、典型的な人生を送っていたそうです。海外の友人が訪ねてくるまでは・・・・。

そして、ダイヤモンドはその人が歩む人生を謎ってくれて、それは後世に伝えてくれるのです。
勿論、投資としても価値はありますが…。


2012年8月17日金曜日

ダイヤモンドは贅沢品!?

 午後の暑い日差しの中店内を覘いている御婦人に

『暑いですね。中でご覧になったらいかがですか?』

『ありがとうございます。でも、見ているのは好きですが贅沢品を身につjけるような身分ではないので・・・。』

このフレーズは何回聞いた事だろうと思いました。

宝飾品の展示会場にいてさえ来場者からこの声を聞く事がある。そのたびにマラソンを中盤まで走ってきたのに最初の1キロ付近まで戻されたような気になります。永い間ダイヤモンドの存在と価値を何度となく御話をしてきた身にはこたえます。

贅沢品とは生活に直接必要のない高価なものとか、ふさわしさの程度を超えたものといった定義がありますが、もし前者であれば現在の多くの人々が車にしてもゲームにしても家にいしても贅沢をしていると思いませんか?また、後者であれば人それぞれのふさわしさがあると思うのでこれは定義になりにくいと思います。

現代における必需品とは昔と違う事は解ります。しかし、本当に過度ではないのかという事に関しては見る人によっては、という事になるでしょうが多くの場合生活に必需ではないものが多く含まれるとと考えています。つまり、贅沢品の多くが必需品のように扱われています。

私自身が考える贅沢とは下品と背中合わせになるようなお金の使い方であり、上品なお金の使い方であれば決して贅沢とは思いません。つまり、品位のある使い方とはそこに文化的価値だったり、それをそれを高める使い方があればと考えます。

反面、質素に見える事が決してお金がかかっていないという事ではありません。お金の使い方でその価値が見出せるようであれば、それはいかに高価で贅沢という言葉にも当てはまらないと思います。つまり、品があるかどうかという事が尺度になるということです。

現代のダイヤモンドにおいては決して考え方や価値の持ち様によっては贅沢とはいえないと思っていますが、もし贅沢品に見せているのであればそれは販売方法や販売側が下品なのではないのでしょうか。

ダイヤモンドにはちゃんとした価値があります。決して贅沢品ではない意味があるからこそ、長い歴史を刻んできたのだと思います。

ダイヤモンドはあみだクジのように縁を繋いでいきます。それは個々を結び付けて歴史、伝統といった文化を継承する証しに似ています。

現代の日本においてもそうですが、本来必要な物を置き去りにしがちな文化度を思い出させてくれるダイヤモンドは贅沢品とはとても思えないのです。



2012年8月13日月曜日

ダイヤモンドをおつまみに!!

 前回の展示会で商談中に通りかかかった販売員の女性に関わるお話ですが・・・。

ある商談を横に座り、ベテランの販売員がクロージングにかかり、お客様に支払方法の御説明をしている時に通りかかった若い販売員がその様子をじっと見ておりました。

お客様が
『欲しいのは山々だけれど、やはり支払の事を考えると今回はパスをします。』

『そうですか。残念ですね本当にこのダイヤモンドは珍しく希少性が高いので是非お持ちになってほしかったですわ。』
とベテランの販売員・・

通り過ぎていたはずの若い販売員が
『あの~。そのダイヤモンド私が買っても良いですか?』
そ~と近づいて来て小さな声で囁くと

『さっきからそのダイヤモンドが気になっていたのです。実は朝からその石を見ていて、いいなあ~と
思っていたのですが、お客様がご覧になっていたので私には縁がないのかな・・と思っていましたの』
とニコッと笑顔、

商談を見ていて気になっていた彼女はその商談の中の話を聞いて(私にも買える)と思ったらしいのです。

そこでお客様が諦めて席を離れるのを見計らって私に話しかけてきたのです。

『ほぼ買いたいとお客様が仰っていたのであきらめかけていたんですよ。社長がよくダイヤモンドとの出会いは縁だよと仰っていたので先程までは私に縁がないと思っていたらいきなりお客様が諦められたので(アッ私のダイヤモンド)と思って決めました。』

若い販売員は喉のつかえが取れたようなすっきりとした笑顔でこちらに話しかけてきておりました。

そのダイヤモンドは1CTで薄いグリーンの照り(ライフ)の強いダイヤモンドでメイクも良く私自身も気にっていたダイヤモンドの一つでした。

そのダイヤモンドをシンプルなペンダントにして今回の展示会の折に納品したのですが、そのペンダントを見た瞬間の彼女は目をランランと輝かせて

『これ、私のものなんですね!!』

と早速首にかけており、最初は慣れないせいか首から胸にかけて鉄板でも入っているのかと思わんばかりに緊張をしておりました。気のせいか自信を持って何時もより商談に力が入っているようでした。

翌日、彼女に声をかけるとだいぶ慣れてきたようで昨日にも増してうれしそうにしており、

『社長、ありがとうございました。昨日は嬉しくてうれしくて一晩中興奮しておりました。』

『そうなんだ。そこまで喜ばれると私もうれしいよ。冥利に尽きるね。』

と私自身も喜んでおりましたところ彼女が

『社長が考えないような楽しみ方もあるんですよ』
『へえ~。どんな楽しみ方なの?』

彼女はしてやったりといった顔で
『実はこれを目の前に置いておくと何杯でもワインが飲めちゃうんですよ』

『エッツ、おつまみがわりなの』

『フフフフッツ!!』
と彼女は笑っており、よほどの縁がこのダイヤモンドと彼女の間にはあったんだなぁ~・・と小生

思わず
『おつまみかァ~』
と口から漏らしてしまいました。

新たな使い方だ・・・・・・・。

2012年8月4日土曜日

原石はダイヤモンド

 オリンピックで毎夜毎夜、時差の関係もあり寝不足になりがちですよね。
其々の競技を見ていて、負けていても(本当はこの選手は強いんじゃないかな?)と思ったりする選手も良く見かけます。

もし、コーチの指導方法や本人の考え方を変えたらもっと結果を出せるのではと思っていると、何時もの癖でダイヤモンドになぞらえていました。

メダリストをダイヤモンドに例えるならば原石を磨くのはコーチであったり、監督であるのでしょう。そう考えると才能は其々で原石である事は間違いがないのでろうけど、どの様にカットするかによってその原石がより光を放ったダイヤモンドになるかどうかが決まるのだと思います。

何時も述べるようにダイヤモンドも原石の段階である程度の評価がされ、価格も決まります。しかし時々大した評価をされなかった原石が豹変する事があります。それはファンシーカラーダイヤモンドです。本来の白いダイヤモンドとは別の評価がされる訳で異な結果を出すことになります。

一般的に原石で評価をされるダイヤモンドは研磨状態が多少良くなくても光を放ちますが、より良いカットをされるには越したことがありません。さらに光り輝くのですから・・・。

大した評価のなかった選手がある日突然、異彩を放つ事になったり、才能のある選手が良いコーチにつくことにより力以上の光を放ったり、折角の才能を、コーチとの相性がよくなかった為に平凡な選手として終わったりとかして、ダイヤモンドに成りきらないまま選手生命終わる事になったりする事もあるのでしょう。

ダイヤモンドは唯一といってよいほど他の宝石と違うところは人によって磨かれた事により価値を増し、光をより増すといういうところが素晴らしいところです。オリンピックを見ているとつくづく感じながら今夜も目をこすりながらTVを見ている訳です。