ハードとソフトという言葉があります。
彼のスティーブ・ジョブスは『多くのコンピューター業界はスペックを争うがその時点
その争いは終わっている。ハードを争う事は次に何も生まない』と言っています。
その意味は良く解りますね。
彼の開発してきた物はソフトが引っ張ってきた物ばかりです。パソコンにしてもそれ
まであった物を如何に身近において生活の中に取り込めるかといった生活に同調す
る為のデザインをしただけであり、他の製品もソフトから考えられた物が多いと思い
ます。
そこでです。ダイアモンドですが、究極のハードの原形ですがそこにソフトが加わる
事により人類によって価値を高められてきたのです。
つまり、ダイアモンドは人間に必要な事を全て付加されてきた典型的なソフトの塊
ですからダイアモンドを造り出すといった人造ダイアモンドは工業用以外は意味をな
さないのです。
最近ペットやなくなった方の骨をベースにしてダイアモンドを造るといったビジネスが
話題になっていますが、この事に関しては如何なものかと考えるのはソフトを基にそ
のハードを造るという事においては、本来のダイアモンドの位置とは違うような気がし
ます。つまり、墓石をダイアモンドに仕上げましたといったダイアモンドという長年に渡
って創られた歴史を冒とくされた様な気さえします。
ダイアモンドは其々の人間の中にある情緒が価値として創造されたものです。それ
故にソフトというものは時代とともに解釈が変わるものではあるけれどもソフトという物
が人間の生活の中では欠かせないものであることも事実です。
ソフトは人類の進化の中では絶対的なものであるからこそ大事にしなければならない
物なのでしょうね。
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2011年11月18日金曜日
万が一!?
最近とは言えない位、長く景気の低迷が続いていますが、その中でもやはり成功を
治めている人たちが多々います。
私の友人の中にもやはり成功を収めている人々がいます。その人たちは何が違う
のだろうかと眺めていると大きな特徴があります。それは世界的、日本的に問わず
共通しているような気がします。
この人々の大きな要素は『万が一』を考えない。・・・というと語弊があるかもしれま
せんが、多くの場合は猪突猛進的な人が多い様な気がします。
一般の多少仕事が出来る人々は万が一を考える場合が多いと考えます。例えば
『これはどこよりま安くて、最高品質です』というような言葉を選んでは使わない様に
思います。万が一、他で安くて良い物があったら嘘をつく事になり信用を失うからで
す。
多くの成功者は己の考えや推し進める事は絶対と考え『万が一』は考える事はな
い様に思います。なぜなら、彼らの進む道に万が一という言葉はなく、それはほと
んど失敗する事を指すからです。
多くの場合、90%確実であれば仕事というのは前提として進められていきますが
成功者はそれを100%と考える能力があるように思います。
例えば、過去の実績を前提に『ダイアモンドは過去6年間で価格が3倍になってい
ます』此処までは良いととしますがこの後に『それゆえ今後は価格が上がり続けま
す』と断言をします。一般人はここで『あくまでも資料ですけれど価格が上昇する
可能性はあります』となります。
もし、リーダーだったとしたら部下達はどちらの言葉で心を動かされ、行動するで
しょうか?
勿論、万が一というのは確率的には結構高い割合の場合もあるので、その場面
失敗も多くあります。成功を収めているようでもあとでどんでん返しが起こるケース
も多々あります。
今話題になっているアレルギーを起こす石鹸も4500万個以上販売されている
そうですからその被害者の数の4百数十名は確率から言えば十万分の一の割合
です。当初これを予想していた人がいたのかどうか解りませんが子の少ない割合
であったとしても会社は大打撃になります。
しかし、この確率を前提に大きく評価をしていたらこの石鹸の此処までの成功は
無かったでしょう。この成功も多分社長がこれは良いものに出会ったと思って大々
的に進めた結果だと思います。
もし、この件の問題がもう少し小さければ大関甲のうちに終わっていた事だと思い
ます。多くの成功している会社の蔭ではそれなりの訴訟を抱えている事は多分そん
なところに原因があるのでしょう。
今回の原発事故に関しても多少なりとも想定をしていた一般人はいたと思います。
しかし、多くのこれまで利益をあげてきた諸氏は100%問題はないとして進めてき
たのでしょう。多分想定内であった事も自分の時には起こらないだろうという想定
できた故の想定がいではないでしょうか。
ただし、成功者の様な人がいなければ世の中が動かないのも事実であり、そこ
までやらなくても良いのではと思う人々がいるのも事実です。さて、自分は成功者
ではないので後者なのでしょうかね。
治めている人たちが多々います。
私の友人の中にもやはり成功を収めている人々がいます。その人たちは何が違う
のだろうかと眺めていると大きな特徴があります。それは世界的、日本的に問わず
共通しているような気がします。
この人々の大きな要素は『万が一』を考えない。・・・というと語弊があるかもしれま
せんが、多くの場合は猪突猛進的な人が多い様な気がします。
一般の多少仕事が出来る人々は万が一を考える場合が多いと考えます。例えば
『これはどこよりま安くて、最高品質です』というような言葉を選んでは使わない様に
思います。万が一、他で安くて良い物があったら嘘をつく事になり信用を失うからで
す。
多くの成功者は己の考えや推し進める事は絶対と考え『万が一』は考える事はな
い様に思います。なぜなら、彼らの進む道に万が一という言葉はなく、それはほと
んど失敗する事を指すからです。
多くの場合、90%確実であれば仕事というのは前提として進められていきますが
成功者はそれを100%と考える能力があるように思います。
例えば、過去の実績を前提に『ダイアモンドは過去6年間で価格が3倍になってい
ます』此処までは良いととしますがこの後に『それゆえ今後は価格が上がり続けま
す』と断言をします。一般人はここで『あくまでも資料ですけれど価格が上昇する
可能性はあります』となります。
もし、リーダーだったとしたら部下達はどちらの言葉で心を動かされ、行動するで
しょうか?
勿論、万が一というのは確率的には結構高い割合の場合もあるので、その場面
失敗も多くあります。成功を収めているようでもあとでどんでん返しが起こるケース
も多々あります。
今話題になっているアレルギーを起こす石鹸も4500万個以上販売されている
そうですからその被害者の数の4百数十名は確率から言えば十万分の一の割合
です。当初これを予想していた人がいたのかどうか解りませんが子の少ない割合
であったとしても会社は大打撃になります。
しかし、この確率を前提に大きく評価をしていたらこの石鹸の此処までの成功は
無かったでしょう。この成功も多分社長がこれは良いものに出会ったと思って大々
的に進めた結果だと思います。
もし、この件の問題がもう少し小さければ大関甲のうちに終わっていた事だと思い
ます。多くの成功している会社の蔭ではそれなりの訴訟を抱えている事は多分そん
なところに原因があるのでしょう。
今回の原発事故に関しても多少なりとも想定をしていた一般人はいたと思います。
しかし、多くのこれまで利益をあげてきた諸氏は100%問題はないとして進めてき
たのでしょう。多分想定内であった事も自分の時には起こらないだろうという想定
できた故の想定がいではないでしょうか。
ただし、成功者の様な人がいなければ世の中が動かないのも事実であり、そこ
までやらなくても良いのではと思う人々がいるのも事実です。さて、自分は成功者
ではないので後者なのでしょうかね。
2011年11月3日木曜日
宝飾品とアクセサリー。
よくジュエリーとアクセサリーの違いを尋ねられる事がありますが直訳で考えると
簡単ですが、例えばジュエリーは宝飾品を指し、アクセサリーは付属品を指します。
日本ではアクセサリーがジュエリーに近い感覚で使われる事が多く、その為の
誤解を生じる事が多い様に思います。
つまり、アクセサリーが副次的なものですが、ジュエリーは実用的なものから発展
をしてきた主体的なものです。
ネックレスにしてもリングにしてもブローチにしても、元々其々の役割がある実用
的なものでした。
階級社会が出来てくるとともにその実用品の材料として高価の物や希少なものを
権力の象徴として使用するようになったのです。
それに加えて、耐久性があり上層階級の権力や富の象徴として後世に存在を示せ
るような物、つまり貴金属や宝石をあしらったものが用いられるようになったのです。
アクセサリーには耐久性とか価値は要求されません。その代わり安価で買い替え
がきく物が多くその都度の流行を追うもので十分な訳です。
近来、そのアクセサリーがブランド力をつけてきたせいで消費者も誤解を招くように
なってきたのでしょう。
正式な場所やフォーマルな場所にアクセサリーやイミテーションをまとう事は必ず
しも感心できる事ではありません。本物かどうかは見慣れている方達にはすぐ解る
事ですから主催者に失礼にならないようにジュエリーを身に着ける事を心がけた方が
よいかもしれません。
基本的に宝飾品とアクセサリーでは輝きも重みも違います。似たように見えても
一目瞭然で解りますので一点でも二点でも礼服や晴れ着のようにお手元に置く事が
望ましく、それを代々引き継いでいく事が新たにその家族の歴史をつくっていく事に
もなります。
専門店に相談し見極めてこれぞという逸品をブランドに関係なくお選びになる事を
お勧めします。ブランド品を否定するつもりはありませんが、やはり特別なものでは
ない限り量産品ですから、ご自分の一品をお選びになる事をお勧めします。
簡単ですが、例えばジュエリーは宝飾品を指し、アクセサリーは付属品を指します。
日本ではアクセサリーがジュエリーに近い感覚で使われる事が多く、その為の
誤解を生じる事が多い様に思います。
つまり、アクセサリーが副次的なものですが、ジュエリーは実用的なものから発展
をしてきた主体的なものです。
ネックレスにしてもリングにしてもブローチにしても、元々其々の役割がある実用
的なものでした。
階級社会が出来てくるとともにその実用品の材料として高価の物や希少なものを
権力の象徴として使用するようになったのです。
それに加えて、耐久性があり上層階級の権力や富の象徴として後世に存在を示せ
るような物、つまり貴金属や宝石をあしらったものが用いられるようになったのです。
アクセサリーには耐久性とか価値は要求されません。その代わり安価で買い替え
がきく物が多くその都度の流行を追うもので十分な訳です。
近来、そのアクセサリーがブランド力をつけてきたせいで消費者も誤解を招くように
なってきたのでしょう。
正式な場所やフォーマルな場所にアクセサリーやイミテーションをまとう事は必ず
しも感心できる事ではありません。本物かどうかは見慣れている方達にはすぐ解る
事ですから主催者に失礼にならないようにジュエリーを身に着ける事を心がけた方が
よいかもしれません。
基本的に宝飾品とアクセサリーでは輝きも重みも違います。似たように見えても
一目瞭然で解りますので一点でも二点でも礼服や晴れ着のようにお手元に置く事が
望ましく、それを代々引き継いでいく事が新たにその家族の歴史をつくっていく事に
もなります。
専門店に相談し見極めてこれぞという逸品をブランドに関係なくお選びになる事を
お勧めします。ブランド品を否定するつもりはありませんが、やはり特別なものでは
ない限り量産品ですから、ご自分の一品をお選びになる事をお勧めします。
2011年11月2日水曜日
想いをのせて。
先週末、いつものように颯爽と女流建築家の友人がドアを開いて入ってきました。
最近はめっきり忙しくて来店の機会も少なくなり、ダイアモンドを見る事が少なくなり
ストレスが溜ってきたとのことで早速ダイアモンドを目を輝かせて見入っておりました。
「最近、作って頂いたペンダントを褒められることが事が多くていつも同じこのペン
ダントをしている事が多いわ」と当店で作ったペンダントをさすりながら金色に輝く、
18金の手彫りで真中に1CTのダイアモンドをあしらったものを改めて眺めておりま
した。
「ところで、これをご覧になった知人が同じような感じで作ってほしいと言っていたわ、
何でも、今年七五三を迎えるお孫さんに作ってあげたいという事なの」
「えっ!? 七五三のお孫さんにそんなん高価なものを?」
と私が戸惑って尋ねると、
「アッ、真中は0.2ct位で良いらしいんだけれど・・。」
「イヤ、そうではなく七五三のお孫さんさんに18金のペンダントを・・・?という意味
でだけれども・・」
「ウウン、なんでもお孫さんが成人式を迎えた時にプレゼントしたいんだそうです」
「彼女が成人を迎えた時にその歴史を感じれるように『貴女の七五三の時に作って
置いたのよ』と言って渡したいんだそうです」
「へえ~、いい話だね。ジュエリーの本来の使い方だよね。うれしいなぁ~そういう
注文は…。」
なんでもお孫さんが成人になった時に『あなたの周りには貴女を見守る人がいて
皆に愛されて育ってきたのよ』といことを伝えたいといことが趣旨のようです。
この事はお孫さんが大きくなって自分の歴史とというか育ってきた環境を省みる
機会が出来ると同時に、おばあ様との距離も身近になり、人への想いというものを
感じる意味でも大きな贈り物になるのではないでしょうか。
私自身ジュエリーの本来の意味を理解している方がいる事を心強く思う事ができ、
少し気持ちの良い週末の午後を過ごす事が出来ました。
最近はめっきり忙しくて来店の機会も少なくなり、ダイアモンドを見る事が少なくなり
ストレスが溜ってきたとのことで早速ダイアモンドを目を輝かせて見入っておりました。
「最近、作って頂いたペンダントを褒められることが事が多くていつも同じこのペン
ダントをしている事が多いわ」と当店で作ったペンダントをさすりながら金色に輝く、
18金の手彫りで真中に1CTのダイアモンドをあしらったものを改めて眺めておりま
した。
「ところで、これをご覧になった知人が同じような感じで作ってほしいと言っていたわ、
何でも、今年七五三を迎えるお孫さんに作ってあげたいという事なの」
「えっ!? 七五三のお孫さんにそんなん高価なものを?」
と私が戸惑って尋ねると、
「アッ、真中は0.2ct位で良いらしいんだけれど・・。」
「イヤ、そうではなく七五三のお孫さんさんに18金のペンダントを・・・?という意味
でだけれども・・」
「ウウン、なんでもお孫さんが成人式を迎えた時にプレゼントしたいんだそうです」
「彼女が成人を迎えた時にその歴史を感じれるように『貴女の七五三の時に作って
置いたのよ』と言って渡したいんだそうです」
「へえ~、いい話だね。ジュエリーの本来の使い方だよね。うれしいなぁ~そういう
注文は…。」
なんでもお孫さんが成人になった時に『あなたの周りには貴女を見守る人がいて
皆に愛されて育ってきたのよ』といことを伝えたいといことが趣旨のようです。
この事はお孫さんが大きくなって自分の歴史とというか育ってきた環境を省みる
機会が出来ると同時に、おばあ様との距離も身近になり、人への想いというものを
感じる意味でも大きな贈り物になるのではないでしょうか。
私自身ジュエリーの本来の意味を理解している方がいる事を心強く思う事ができ、
少し気持ちの良い週末の午後を過ごす事が出来ました。
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