『MOTTAINAI⁉』という日本語が世界で特にアフリカ諸国で使われ始めて数年が経つでしょうか。ノーベル平和賞を受賞しケニヤの故ワンガリ・マータイさんの提唱により進められている運動ですが、今では世界各地で行われています。
『もったいない』日本はいつの日から消費大国となりこの言葉の母国でありながら一番それを忘れた国民ではないだろうか。日本の一年間の廃棄食品で世界の7千万人がお腹を満たせるというと驚きます。環境に関しての問題に言及するつもりはありませんが、物を大事にするという事を含めて物の継続性やその精神について考えてみました。
日本では今将来が心配だとか格差の問題とかが社会問題化していますが一番の問題は価値のないものに対する浪費が多すぎるという事です。前述の事を重ね考えてみても、例えば『使い捨てライター』なぜに捨てなければいけないのだろうか?これを回収してアフリカ諸国や東南アジアなどでは補充可能なライターに改造して売っています。そんな難しい改造ではありません。ただ底に穴をあけてそこにゴムの弁を差し込むだけです。
日々のお金に困っている若者が月に4万も5万円もの携帯代を使い、そこには何も残らないだろうし、百均などでの買い物にしても使い捨てを前提に買い物をし、使わなくなったら捨てればよいという発想、これらのことは考えると単価は低くても実際には浪費と考えるべきでしょう。それらの回収費用やリサイクル・廃棄費用を考えると実際には高い買い物になっているわけです。
価値あるものとは、その時には高価でも長く使用する事や精神的ステータスといった意味ではこちらの方が実質的には安くつき本来の『もったいない』精神なのではないかと思っています。
長々と書きましたが宝石というものは高価な贅沢品と考えられがちですが、実はもったいない精神に寄り添ったものである一面もあるという事を伝えたいのです。
『富』の意味は財貨の蓄えだけではなくその継続性があると以前書いたことがありますが、その継続性の面はまさにもったいない精神があってのことです。
宝石はその最たるものであるという事です。一般に宝石、ジュエリー、そしてハイジュエリーと考えたときに宝石とは耐久性が上の継続性を前提とし、更には換金性があり、価値を有します。ジュエリーは嗜好性が重視され、必ずしも価値というよりも価値観を前提としています。ハイジュエリーとはその価値観に価値を乗せたものという事になります。
更には最近の日本を鑑みたときに墓地の問題があります。東京にも多くの無縁墓地が存在しその処理においても多くの税金は使われています。これからのことを考えるとまだまだ増えていくことが考えられます。子供たちもいつまでも同じ場所に居住しているとは限りません。
ここに宝石を当てはめてみてはどうだろうか、墓地は先祖代々という継承を価値としています。一方宝石も継承の証として欧米では使用されてきました。ということ考えると宝石というもは携帯性があるだけではなく、非常に合理的であり、価値を持ち、価値観を有し、更には継承といった『富』の象徴的な意味だけではなく、実質的な意味合いのあるものであることがご理解いただけるだろうと思います。勿論処理石や半貴石等、工作物は入ってはいません。
https://ameblo.jp/diamonrow
http://diamond-exchange.jp
『もったいない』日本はいつの日から消費大国となりこの言葉の母国でありながら一番それを忘れた国民ではないだろうか。日本の一年間の廃棄食品で世界の7千万人がお腹を満たせるというと驚きます。環境に関しての問題に言及するつもりはありませんが、物を大事にするという事を含めて物の継続性やその精神について考えてみました。
日本では今将来が心配だとか格差の問題とかが社会問題化していますが一番の問題は価値のないものに対する浪費が多すぎるという事です。前述の事を重ね考えてみても、例えば『使い捨てライター』なぜに捨てなければいけないのだろうか?これを回収してアフリカ諸国や東南アジアなどでは補充可能なライターに改造して売っています。そんな難しい改造ではありません。ただ底に穴をあけてそこにゴムの弁を差し込むだけです。
日々のお金に困っている若者が月に4万も5万円もの携帯代を使い、そこには何も残らないだろうし、百均などでの買い物にしても使い捨てを前提に買い物をし、使わなくなったら捨てればよいという発想、これらのことは考えると単価は低くても実際には浪費と考えるべきでしょう。それらの回収費用やリサイクル・廃棄費用を考えると実際には高い買い物になっているわけです。
価値あるものとは、その時には高価でも長く使用する事や精神的ステータスといった意味ではこちらの方が実質的には安くつき本来の『もったいない』精神なのではないかと思っています。
長々と書きましたが宝石というものは高価な贅沢品と考えられがちですが、実はもったいない精神に寄り添ったものである一面もあるという事を伝えたいのです。
『富』の意味は財貨の蓄えだけではなくその継続性があると以前書いたことがありますが、その継続性の面はまさにもったいない精神があってのことです。
宝石はその最たるものであるという事です。一般に宝石、ジュエリー、そしてハイジュエリーと考えたときに宝石とは耐久性が上の継続性を前提とし、更には換金性があり、価値を有します。ジュエリーは嗜好性が重視され、必ずしも価値というよりも価値観を前提としています。ハイジュエリーとはその価値観に価値を乗せたものという事になります。
更には最近の日本を鑑みたときに墓地の問題があります。東京にも多くの無縁墓地が存在しその処理においても多くの税金は使われています。これからのことを考えるとまだまだ増えていくことが考えられます。子供たちもいつまでも同じ場所に居住しているとは限りません。
ここに宝石を当てはめてみてはどうだろうか、墓地は先祖代々という継承を価値としています。一方宝石も継承の証として欧米では使用されてきました。ということ考えると宝石というもは携帯性があるだけではなく、非常に合理的であり、価値を持ち、価値観を有し、更には継承といった『富』の象徴的な意味だけではなく、実質的な意味合いのあるものであることがご理解いただけるだろうと思います。勿論処理石や半貴石等、工作物は入ってはいません。
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