2025年が明け、2週間ほど経ちましたがこの2週間でお正月気分があったのかなかったのか?
殆どの人の会話が『お正月気分が湧かないね』という言葉から始まったような気がします。
これは何も今年や正月に関したことではないような気がします。生活文化が変化し、全てがシンプルになってきたことにより付加価値といえるフォーマルさが消え、カジュアルが万能と人々が自らに言い聞かせてきた結果ではないだろうかと考えています。
経済の低迷が続き、デフレ脱却が叫ばれ、気が付いたらスタグフレーション(不況下のインフレ)に陥り、驚くことに政治家の殆どがその原因である”アベノミクス”を評価する自民党が経済の舵取りをしているという現状でもあります。
日本のお年寄りはタンス預金、若者はNISAと経済の血液との言えるお金を止めてしまうという状況に陥ってしまっています。ましてやNISAは国がというか自民党が率先して進めるという経済音痴の最上級でもあります。
NISAの短所は資産家でもない人々に投資を勧めているがゆえに、余計に市場にお金が回らない事やその多くが外国債の購入を望み円安を進める要因にもなっているという事です。
結果的に物価が上がり、更には消費が縮み、経済に悪影響を与える結果となっていることは多くの人が理解をしている事です。しかし、その推進を自民党が進めているという事です。
つまり、自然発生的に起きたように見えるカジュアル化は経済の低迷により生み出され、日本の消費者の多くは生産が海外で行なわれた安価な実用品や日用品を使用するようになり、高額に感じる国産費の技術の高いものを購入しなくなったのです。
しかし、気が付いてみると多くの海外の生産国は経済発展を遂げ、今や日本をしのぐ経済力を持ち、日本で生産される彼らから見ると安価なものを買いあさっているのです。ここ二十年で日本の経済力は失われ、過去の遺産で運営が行われているのです。
日本の自民党政治は自らの利益の為に1次産業を停滞させ、内需をおろそかにし、金融が景気の指標のような勘違いを国民にさせてきましたが、さすがに国民もそれに気が付き始めていますが、政治家は政治遊びに熱心な為に未だに気が付いてはいません。
日経が7000円台であった小泉政権下の方がまだ経済はましでした。アベノミクス以降株価は上がりましたが、それは税金を使ったまやかしであったことも今や公然の事実です。
経済が低迷を続ける中で国民は生活を切り詰め贅沢を避け、シンプルに生活をし、安いものに群がり結果的にカジュアルな生活をせざるを得なくなってきたのです。それを国民は自ら納得をさせようとしているのです。
結果、負のスパイラルの中にあり、現状の印象になっているのです。決して国民は好んで今の生活をしているわけではないのです。政治の結果が今の文化を生み出しているのです。
十年後NISAがとんでもないことになっていなければ良いと願うばかりです。投資はあくまで資産に余裕のある資産家が行うものであり、ギャンブルでもあることを認識するべきでもあるのです。